2話 マナの天命
「いやあああ! クレアよおおお!」
誰かに本名を言われた気がしたアレクは叫んでいた。だが本人は誰に言われたのか、誰に言ったのか分かっていない。そのアレク、今は船に乗って優雅に海を走っている。何故かと問うと、彼はこう答えるのだ。
「アタシの緋媛に会う為に追っかけるのよ。緋倉に埋められて遅れをとったけど、今すぐ、貴方に逢いに行きます……。待っててね、緋えええええええええん!」
いい気分で興奮しながら絶叫して走っている彼は、何か浮いて物のを発見した。
「あーら見覚えのあるクソ女。……見なかったことにしーましょっ」
ボソボソっと独り言を言うと、わざとその女の目の前を通り過ぎる。アレクは女の名前を言いたくないらしい。
「待ちなさいよ、アレク!」
「クレアああああ! クレアよ! クーレーア!」
本名を言われた条件反射で男の部分に戻ってしまうと同時に、船もUターンした。自分とした事が、男に戻るなどやってはいけない事だとショックを受ける。
「良い所に来たわね」
「何よじ登ってんのよ!」
アレクにとって大切な船。そこにずぶ濡れの状態で乗ってきたので、泣きそうになった。と、そこで気づく。女の両足がないことに。
「足どうしたのよ」
聞くと女は、綺麗な顔が台無しになるほど怒り狂って叫んだ。
「あんの野郎!! よくもあたしの足を !殺す! 殺してやる!」
女の欠片もない醜さに、アレクは頭を左右に振ってため息をつく。女はいつでも綺麗な心でいなくてはならない、自分のように。
「で、誰にやられたのよ」
手当してあげようと、救急箱を取り出したアレク。
「緋倉よ! 何が女にだらしないよ! あたしの色仕掛けに引っ掛からないじゃないの!」
「なーんでアタシを連れて行かなかったのよ! ひどいじゃない! アタシを差し置いてイケメンと遊ぶなんて!」
「土に埋められてた野郎が言ってんじゃないわよ!」
アレクは思う。許せない、なんでアタシじゃなくてこいつなの、レーラ・アトモスなのと。アタシは運命に遊ばれている悲劇のヒロインなのだと。そして自分に酔っている。
「ああ、緋媛、緋倉、あなた達は今頃何をしているの? 特に緋媛、あなたの事を想うと、アタシの股間は最高潮になるの……!」
「いいから早く足の手当してくんない?」
いい気分を台無しにされたアレクは、レーラに向かって包帯を投げた。
丁度江月ではマナの婚姻の話が始まろうとしており、彼女は緊張している。大広間にいるのは彼女の他にイゼルと緋媛、そしてフォルトアだ。他に既婚者もいた方がいいだろうという事もあり、薬華、ルティス、更には首も座っていない赤子を抱いている女性がいる。
「あなた、どうして私も……。フィリスもまだ小さいのに」
「さー、イゼル様の考えてる事は分んねーや」
ルティスに可愛い奥さんがいると聞いていたが、メガネをかけている大人しい女性がそうらしく、抱いている子がフィリスのようだ。どうやら女性は着物より洋服を好むらしい。
「さて、姫の相手だが――」
きた。マナが一層カチコチに固まり、緋媛は緊張しすぎだと哀れな目で見ている。
「それを決める前に姫、貴女の天命を話さなければ」
「私の……天命?」
思わず復唱してしまうマナに、イゼルは何の躊躇いもなく語り始めた。
「貴女は、この世界の王となる存在だ。今後百年の」
世界の王――。あまりに飛躍した話に動揺する。
「世界の王と各国の王は違う。国を治める王は姫もご存じの通りだが、世界の王は二名でな、ある二つの扉を管理するんだ。その扉とは時空の扉と呼ばれ、過去と未来を繋ぐ物」
「まさか、それって私の能力に関係が……?」
「察しが良くて助かる。その通り。貴女の過去を見る能力こそ、過去の扉を管理する者の証であると同時に、その開く鍵でもある。貴女の弟のマトにもこの事を話した。だから彼は貴女をこの里に引き渡したんだ」
現実を受け入れられない。喉が渇く。目の前にある茶に手をつける。
しかし、震えて零してしまった。
「あつっ!」
「姫! 痕になるといけねえ。すぐ冷やすぞ」
太ももを布巾で拭きながら、手を翳して氷を出そうとする緋媛だが、上手く出来ない。薬華は襖を開けて布巾と替えの服を用意するよう大声で伝える。舌打ちをしていると、爽やかな笑みを浮かべながらフォルトアが氷を出した。
「相性の悪い術を使おうとするからだよ。姫様、これで少し冷やして下さいね」
太ももの上に乗る氷が冷たい。やはりここにいる全員が龍族なのだろうか。複雑なマナ黙って頷いた。慣れない術に失敗した緋媛は、子供の様に拗ねている。
「大丈夫か? 姫」
「平気です。それより話を続けてください」
声の震えるマナは、頭の整理が追いついていない。次の言葉が限界だろう。
「……未来を見る者は破王、過去を見る者は流王と呼ばれている。あなたは流王となるべくして生まれた存在であり、向こう百年はこの地上の誰とも接する事はない。百年の任を終えた時、貴女の顔見知りは全員亡くなっている。貴女の弟のマトも、レイトーマの人間も、貴女を知る人間は誰もいない。帰る場所を作る為に、寿命千年の我ら龍族と人間の貴女に縁談の話、を――」
イゼルの瞳に映るのは涙を流すマナの顔。やはりここが限界だろう。百年毎に人間にこの話をすると、大抵同じ反応をする。人間とはいえ雌の涙は慣れない。立ち上がったイゼルは大広間入口の襖へ歩を進めた。
「……今日はここまでにしよう。続きは今度、姫の気持ちの整理がついてから。ユズも付き合わせてすまなかった。異種族婚経験者の人間だからな、姫に紹介したかったんだ」
「私のような下々の人間にレイトーマ王室の姫様をご紹介していただくなんて、恐れ多いです」
フィリスを抱きながら見当違いの方へ頭を下げている彼女の名こそ、ユズ・バローネ。ルティスの妻である。その様子が可愛いらしく、ルティスは喉の奥で笑うが、空気を読めと彼の脇腹に薬華の肘打ちが入り、大人しくなった。
「なぁ、姫。着替えもしねえといけねえし、部屋に戻ろうか」
優しく声をかける緋媛に頷いたマナの太ももの上から氷が消える。立ち上がった彼女は緋媛と共に大広間を出た。





