9話 変態アレク・フー
旧サブタイ:アレクと頭痛
マナの目の前にいる変人は、初めて見るオカマである。
若干パーマをかけている緋色の髪から察するに、緋媛や緋倉に憧れていると思われ、まずは容姿から近づこうという魂胆だろう。
その変人は、マナを指さして唾を吐き出す勢いで言う。
「ちょっとそこのブス女! いつまでアタシの旦那の緋媛の隣に立ってんのよ!」
「いつ俺がてめぇの旦那になったんだ!」
旦那、という発言から、完全に緋媛に惚れていると確信したマナ。
世の中には同性愛があると聞いた事があるが、これは緋媛への一方的な愛情のようだ。
しかし緋媛、男女問わず好かれるとは、なかなか罪深い男――。
ブスと言われたマナは、どの辺りがブスなのか気になり、恐る恐る緋倉に問う。
「あの、私、あの方が仰るほどブスでしょうか……」
「いや、姫さんはレイトーマ一の愛らしさをお持ちですよ」
一切否定せずさらっと言い放つ緋倉。
ぽっと頬を桜色に染めるマナは、両手で顔を包んで照れている。
これを見た変態男は歯をカチカチと鳴らしながら、怒り燃え上がった。
「何よおおお! そんな女のどこがいいの!? そんなブス女のおおお!」
少々むっとしたマナは、言葉で反撃する。
「そんなにブスブス仰ってますと、いつかご自身に返ってきてしまいますよ!」
「ご自身ですってぇ~。随分と育ちのいいお嬢様なのねー、アンタ」
変態男は反吐を吐くような仕草を見せた。
少々どころか怒り気味のマナは、ぷぅと頬を膨らます。
「ブスだ何だって、次元の低い話してんじゃねえよ」と言いながらマナの前に立つ緋媛。
変態男を睨みつけながら、マナに後ろに下がっているよう手で合図をする。
マナは緋媛の指示通り数歩後ろに下がった事で、緋倉と緋媛が彼女の壁になる形となった。
緋倉は面倒くさそうに腕組みをし、緋媛は変態男を説得しようと試みる。
「お前の相手してる暇ねえんだ。大人しく退いたら見逃してやるよ、アレク」
変態男の名はアレク・フー。
これが本名なのだが、この名を呼ばれると激しく否定するのだ。
現にアレクと緋媛に呼ばれ、顔の穴という穴が全開になり、真っ黒に塗りつぶされるような表情に変わる。
「駄目よ! 駄目駄目えええ! ク・レ・アって呼んでくれなきゃ駄目ええええ! アレクだなんてだっさい名前、嫌ああああ!!」
全否定のこの叫びにマナ達全員は言葉を失い、目が点になった。
緋媛と緋倉はひそひそと「面倒臭えな」「さっさと足止めして港向かうか」等と話している。
アレクと呼ぶとクレアと呼べと言われるが、絶対に呼びたくない兄弟。
それは、呼んでしまっては体がぞわぞわと鳥肌が立つはずだと思っている為。
仮にクレアと呼んだとしても、目的を果たそうと引きはしないだろう。どのみち戦闘は避けられないのだ。
すると今度は、ダリス帝国の兵士四名がアレクを追いかけてきた。随分と走ったのだろう、息が上がっている。
「アレ……クレア様ー! お待ち下さいー!」
「あん? アレク?」
男を思わせる低い声のアレクは、ジロリ、と後方から走ってくる兵士を睨むと、瞬時にナイフを投げつた。アレクと言いかけ、クレアと言い直した男の兵士に向かって。
そのナイフは兵士の心の臓を正確に貫く。
兵士はうっと呻き声を上げると、ばたりと倒れてしまった。
ざくざくと後方へと不機嫌に進んだアレクは、その男を蹴りながら言う。
「クレアだっつってんだろ! 次言ったら殺……! ってもう死んでるわね」
ふん、と鼻を鳴らすアレク。
これを見たマナは、口に両手を当ててペタリと地面に座り込んでしまった。カタカタと震えている。
(なんて事を……! 人はこんなにも簡単に死んでしまうの!?)
すると、ズキン、と割れるような頭痛がマナに走った。
以前も同様な事があったような気がすると、靄が掛かるような光景が浮かぶ。森の中で、緋媛と緋倉と誰かが戦っていた光景が。
これに気付いた緋倉は、視線だけをマナの方へと移し、目を見開く。
(まさか、暗示が解けかかているのか? 脳に負担が掛かっちまうから、短期間の暗示は駄目だ。となると……)
今度は緋倉、緋媛に視線を移し、コクリと頷く。
何を言いたいかすぐに分かった緋媛は、後ろにいるマナに手持ちの茶色のハンカチを投げ渡し、刀を抜いた。
ハンカチを受け取ったマナは両手でぎゅっと握りしめ、口元にもっていく。
「姫、すぐ終わらせるからな」
「姫ぇ?」とアレクがピクリと反応し、振り向きながら言う。
「……あーら、そう。その怖がりのブス女が、次期流王のマナ姫なのねぇ」
振り向いたアレクの視線はマナに移った。
だが、彼女というよりは彼女の持っているハンカチに目がいく。
直感であれは緋媛の物だと分かったアレクは、そのハンカチがマナの口元にあるので、愛しの彼の匂いを嗅いでいるように見えた。
まるで絶望の叫びをするかのような表情を一瞬見せたアレクだが、すぐに脱力し、小ぶりを握りしめるとワナワナと震えだす。
「ゆ、許せない……。アタシの緋媛の匂いを独り占めするなんて、とんだ変態女じゃないの。無傷で捕まえようと思ったけど、気が変わったわ。その鼻切り落としてやる!!」
発狂しながら隠し持っているナイフ数本を投げるアレク。
だがそれは、まるで見当違いの方向へ飛んで行った――。と思いきや、木に当たってバウンドし、マナへ真っ直ぐに向かう。
「きゃああ!」
マナは悲鳴を上げて頭を両手で押さえ、身を低くした。
刺される――と思う彼女だったが、すんでの所で緋媛が飛んでくるナイフを全て刀で叩き落とす。
アレクがマナを指さしながら悲鳴する。
「ちょっとおおお! 何でそんな女を庇うのよおお!」
「それが俺の仕事だからだ」
と、余裕の緋媛。
緋媛のハンカチを握りしめ、緋媛に護られるマナを憎むアレクは、ギリギリと歯軋りをする。
すると、彼の後方から部下三名の叫び声がした。
それに反応したアレクが振り向くと、地面が変形して首から下が土に埋もれているではないか。
「何やってんのよ、役立たず。緋倉は土使いだって散々説明したじゃないのっ! ただでさえマナがいるんだから、苛々させないでちょうだい!」
キーキー言い放つアレクに、緋倉が楽しそうにほほ笑む。
「分かってんじゃねーか。ならお前も油断すんなっ」
と、緋倉は右手の人差し指を上から下へすっと動かす。瞬間、アレクは勢いよく地面に埋まった。
顔だけが出ている状態のアレクは、一瞬何があったかとぽかんと口を開けると、はっと今の状態に気づくと訴えるように泣き叫ぶ。
「酷いわあああ! 可憐な乙女を植えるなんて!」
「うるせーなー。中身が女なら綺麗な花咲かせてみやがれ」
埋められたアレクに近づいた緋倉は、埋められた彼の頭をグリグリと踏みつける。
通常、そのような事をされた人間は嫌がるのだが、アレクは違う。
恍惚な表情を浮かべ、はぁはぁと興奮しているのだ。
「いいわ、素敵、もっとやって緋倉。もっとアタシをなぶって頂戴……」
ゾッと背筋が凍った緋倉は足を放すと、瞬時に距離を取った。
今すぐこの変態の目の届かぬ場所へ移動しなくてはと本能で察する緋倉。
「おい緋媛、姫さん連れてさっさと――って、いねえ!」
振り向きながら言うと、先ほどまでいたマナと緋媛が消えている。
どうやら緋倉を盾にするようにし、先に港へ向かったのだろう。
変態に構っていられるかと、緋倉は彼らの後を追い、走り出した。
その後ろ姿を目で追いながらアレクが叫ぶ。
「待って! 置いていかないでー! ……何よこの放置プレイ。いいじゃない」
***
アレク達が目視で確認できなくなり、更にそれより先に進んで離れたマナと緋媛。
触れると過去が見えてしまう腰が抜けたマナを連れてどうやって移動させたかというと、彼女の手を握らずに持っていた鞘を掴ませ、それを引っ張るように走って距離を取ったのだった。
走ったので、息が上がっているマナ。緋媛は平気な顔をして緋倉とアレクのいる方角を見て言う。
「ここまで来ればいいだろ」
息を切らせているマナは、顔が赤くなり汗を流している。
彼女に渡していたハンカチを手にした緋媛は、そのハンカチで額の汗を拭ってやった。
呼吸を整えながらマナが心配そうに尋ねる。
「緋倉様を置いてきてよかったのですか? もしあの個性的なお方に何かされてしまったら……」
「兄貴なら平気だ。どうせすぐ追ってくる」
と、走って来た道を振り向かずに親指で指差す緋媛。
その指の先を見ると、走って向かってくる緋倉が見えた。距離はそこまで離れていない。むしろどんどん近づいてくる緋倉。
置いて行った事に申し訳なく思うマナが恐る恐る言う。
「待っていても良かったのでは……」
「どっかの運動不足の姫の足が遅いから、先に行かなきゃなんねえんだよ」
緋媛のこの毒舌はマナの事。
彼女はぷぅと頬を膨らませてムッとする。
マナはこれまで何度か頬を膨らませてきたが、それは機嫌が悪くなったり気を悪くすると顔に出してしまう癖なのだ。
あっと言う間に追いついた緋倉に、緋媛は苛立ちながら言う。
「何が道は安全にしといただよ。あの変態が湧いて出たじゃねえか」
「いやー、その前は二十人ぐらいいたんだよ。殺さない程度にしたんだけどよ、あの様子じゃ多分、アレクと違う奴の配下だろうなー」
その瞬間、遠くから聞こえるのは「クレアよー!」という声。それも木魂している。
嫌そうな顔をする緋媛と緋倉は「あの野郎、どこまで地獄耳なんだ」と思う。
さて、港に向かおうという前に、先ほどのマナの頭痛が気になった緋倉は彼女に声を掛けた。
「姫さん、頭平気ですか? 結構しんどそうなご様子でしたけど」
「はい、頭痛は大分治まりましたけど、何か思い出しそうな気が……」
以前、レイトーマから抜け出した時に体験した良くない記憶が引き出されつつある。
思い出そうとすると頭痛に襲われてしまう。
緋媛は無理に思い出そうとしなくていいと彼女に言いたかったが、それを制した緋倉は彼女に優しく告げる。
「姫さん。実は姫さんに、怖い事を忘れるようにって暗示をかけてるんですよ」
「暗示?」
「ある出来事を忘れろってね。でも完全に忘れる事は出来ないもんで、姫さんみたく思い出す奴も少なくないんです。もし思い出したら、俺達の事が怖くなるかもしれません。それでもいいなら、江月に着いたら暗示を解いてあげますよ」
マナは少々考えた。
自分に何が起こっているのかを知りたい。だが、緋倉達が怖くなるというのはどういった事だろう。いろんな事を知りたいのだが、怖くなるのは何だか嫌だ。緋媛の顔色を伺うと、腕組みをして険しい表情になっている。良くない事なのか、何なのか、想像がつかないが――
「分かりました。江月について、気持ちの整理が出来たらお願いします」
それまではなるべく考えないようにしようと彼女は心に決めた。
マナの覚悟が決まった事に笑みを見せた緋倉は、両手をパンと叩く。
「……さ、早く行きましょう。船に乗れば休めると思いますし」
一向は再び歩み出す。港に向かって。
以降、港に着くまでの間は何事もなかった。
その間、緋媛はマナの事について考え事をしていた。その内容はこれだ。
記憶を封じた暗示を解く事に今はマナが望んでも、実際は望まなくなるだろう。
気持ちの整理が出来たら、と言ったが、江月に着いた後にイゼルが話すであろうものの中に、彼女の命運があるはずだ。
恐らく、それを受け入れる気持ちの余裕はない。
何故ならマナは、レイトーマで居場所が無くなってしまうのだから――





