4話 狼と青年
この少し前、マナと薬華が道中ですれ違った。状況を聞いて、ユキネが一人ならば早めに行こうと足早に歩いたが、ふと思う。
(龍族の方が診療所にいらしたら、どのようにすればいいのかしら)
人間の怪我の治療すらしたことなく、むしろされた事もない。ユキネなら何か知っているかもしれないから、聞きながら対応してみようと決めたのだった。
そして診療所に着いて入口の扉を開けたのだがーー
「あああああああああ!」
同時に聞こえた悲鳴。何があったのかと声の方向へ走ると、ユキネがまず目の前に入った。
「今の悲鳴、何があったのです」
次に視界に入ったのは、耳を塞いでいるゼネリア。ガタガタと震えて息が乱れている。
「どうしました!?」
「違う、嫌、嫌だ」
様子が尋常ではないというのに、ユキネは落ち着いていた。おかしいと思いつつ、マナはゼネリアの手を握った。
「大丈夫です。落ち着いてください」
緋倉はどこか見渡すとぐっすりベッドで眠っている。声をかけようとした瞬間、目の前の景色が変わった。
以前、同じような経験がある。ゼネリアの瞬間移動。
「え? どこ」
周りは森の中で、雪が少し積もり小雨が降っている。
少なくとも荒れた土地のミッテ大陸ではない事は確かだ。
ゼネリアはマナの手を振り払い、耳を塞いで横たわっている。
ちょうど視界の中に洞窟のようなものが見えた。息が白く凍えそうだ。小雨が降っているから、雨宿りしなくては。
「ゼネリア、あの中に入りましょう」
動く気配がないが、腕が緩んだ。このままでは風邪をひいてしまう。
体力のないマナは、彼女を背負うとよたよたと洞窟の中へ入った。
そっと下ろして膝枕をすると、再びぐっすりと眠っている。
(力を使って疲れたんだわ)
一体何があったのか、ここはどこなのか、考える事は山ほどある。今はこの寒さをしのぐ方法を考えなくてはならない。
昔本で読んだことがある。眠っている時が最も体温が低くなると。
(少しだけでも温まるといいけど)
眠っているゼネリアの腕と背中を擦りながら、周りを見てみる。枯れた枝が、ほんの少しパラパラ落ちているだけだった。
ーーパキッ
後の方向を向くと、動物の唸り声が聞こえてきた。徐々に見えてきた姿は狼。三匹が涎をだらだらと流してこちらを見据えている。
(もしかして私達を食べようとしているの!?)
動けないマナ達に飛びかかって来た。
「いやあああああ!!」
だが、降り立った狼達はくんくんとゼネリアの匂いを嗅ぐと、すっと暖めるように囲んで座った。
(何が起きたの?)
更に奥からずしんずしんという音が聞こえてくる。一際大きい狼が近づいてくる。今度こそ食べられると覚悟したが、マナの背中と壁の間にずいっと入って座った。
「暖かい。暖めてくれるの?」
狼の体温が天然の布団に感じられる。マナは再びゼネリアの腕と背中を摩り始めた。
やがて日が落ちてきて夕焼けが見えてきた頃だった。
洞窟の中に耳の長い青年が顔を見せた。ぱたっと目が合うマナと青年。
「な、誰だ!」
青年は弓を構えた。
「お前達、なんで人間と遊んでいる。離れないか! ん? その娘……」
今度は弓を下ろす。
会話する間もない速さで、マナは呆然とするしかなかった。
青年は洞窟に入ると、腰にぶら下げていた肉を置きながら問う。
「なぜ人間が、それもこんな寒い中素足でいるんだ」
「……分かりません。この子の能力です」
「その娘はその狼達の主人だ。ここにいてもおかしくない」
「主人?」
だから襲わず懐いていたのかと納得したマナ。そしてあの耳の特徴も見覚えがある。彼はエルフ族だ。
青年はマナとゼネリアの様子を眺め見ると、ふう、と息を吐いた。
「訳があるのようだ。里に案内しよう。少しの間辛抱してくれ」
十分ぐらい歩いた頃、見覚えのある木々で作られた柵が見えてきた。しかし、以前いた見張りがおらず、柵は所々壊されている。
畑も大木の上の家も荒らされていた。
やがて着いた、奥の屋敷は族長モリー・モギーの屋敷。中に入るとまず案内された部屋で待つように言われた。
真ん中にある炭に火をつけ、暖を取る。ゼネリアはそこに寝かされた。
青年は桶の中に入れた湯を持ってくると、マナに足を付けるように言う。ヒリヒリ痛む感覚がある。
「あの、こちらは確かモリー・モギー様の」
と、言いかけた所で、本人が足を引き摺るようにやってきた。
「戻ったか、可愛いひ孫よ」
ひ孫。全く違和感がなかった。年齢は分からないが、ひ孫がいてもおかしくないのだから。
「ひいばあさん。この人間、狼の主人と知り合いらしいから連れてきた。凍傷しかけてる」
「んー、どれどれ。これなら湯に浸けておけばよいわい。何回か取り替えてやるとええ」
覚えているだろうか。ドキドキと緊張しながらマナは聞いてみた。
「あの、エルフ族の族長モリー・モギー様。ご無沙汰しております。私を覚えてらっしゃいますか?」
「おーおーおー。覚えて、おぼ……ぶしっ!!」
激しいくしゃみと共に出た入れ歯と唾がマナの額を直撃した。痛みで頭を抑え、唾は顔中に掛かっている。
「おおええおうお。おっおっおっ」
何を言っているのか分からない。
マナは青年に暖かい濡れタオルを渡されて、丁寧に顔を拭く。
入れ歯を付けたモリーは「もちろん覚えておる。未来の娘よ」とにやりと笑みを浮かべた。





