番外編9-2 薬華の悪巧み〜酒に呑まれる兄〜
雨が降る前の、緋倉がイゼルの屋敷から去った後に話は遡る。
幻の銘酒ネマ・コロンが行き渡り、乾杯をすると一口飲んだ。
「これが銘酒! 香りも深くて味も濃くて複雑。甘酸っぱい感じがたまらないねえ」
「これは確かに素晴らしい。今まで飲んだ事のない奥行きがある」
と、ここまでが感心するイゼルと薬華の感想。
ここからが若者たちの感想。まずは中でも年長者のルティスとフォルトア。
「香りは確かにいいね。僕はもう少し軽めのものが好みかな」
「甘すぎねえか? 俺は渋い方がいい」
各々の好みを語る彼らに対し、若者の緋媛と緋刃。
「酒は酒だけど、甘い? 甘酸っぱい? よくわかんねえ……」
「うええ、まっず。みんな何でこんなもの飲めるの? この一杯は頑張るけどさ」
各々の感想が出揃ったところで、空にすべく緋刃を除いて二杯目に突入した。
そして料理も忘れない。一日かけて作った品々の中には緋媛と緋刃が作ったものもある。
煮物、巻物、煮豆にだし巻き卵、野菜たっぷりのサラダとチーズもある。そしてパターたっぷりで焼いた鮭。薬華が食べたいものを用意したらしい。
料理が半分に減った頃、バタンと音がした。
緋刃がグラス一杯で潰れて眠ってしまったのだ。
「おい、寝るなら家で寝ろよ」
「ああ、これは一番強い薬に当たったみたいだねえ。ちょっと効きすぎたかね」
脈を測ったり目を開いたりして観察する薬華。
そういえば実験台と言っていた事を思い出した緋媛は恐る恐る聞いた。
「まさか、酒に毒か何か入れたのか……?」
「失礼な! 酒には入れてないよ! ちょっとグラスに配分の違う酒が回る液体を塗っただけさ」
「薬華様の可愛いイタズラじゃないか。回りが早いならあまり飲まなくでいいね。緋刃は弱いみたいだ。このまま寝かせよう」
「だな。俺にはちと物足りねえや。フォルトア、他の酒も開けちまおうぜ」
酒を飲む前後と変わらないルティスとフォルトアは、すでに用意していた酒を徳利に入れる。そしてフォルトアが手に乗せると少しだけ温めた。
「はい、ルティス。ちょっと熱いよ」
「いいじゃねえか。お前も飲むだろ?」
二人分のお猪口に注ぐと、ぐいぐいと飲んでいく。
やはり酒はこれだと盛り上がっていた。
そして黙っていたイゼルは、薬華の薬の中で最もイタズラ度合いの強いものに当たってしまった。
ーーダン! と鳴り響くテーブル。イゼルが両拳で叩いたのだ。
「イゼル様……あの」
恐る恐る聞いた緋媛は、顔を上げた彼の目がどこかへいってしまっていると気づく。
そして何の前触れもなく言葉を吐き出した。
「紙音とゼンは人間と他の家庭を作って戻って来ないし、母さんは異界の分からん雄と子作りするし、里に残ったあの子を妹としてどう接すればいいんだ!」
「落ち着いて下さい、イゼル様! 薬華、どうなってんだ!」
「溜まったストレスを吐き出せるようにな薬を混ぜたんだよ。こっちもちょっと効きすぎたねえ。いいデータが取れそうだ」
外には雷雲が立ち込めてきたが、雷が落ちる気配はない。むしろ雨が降りそうだ。
「イゼルは……イゼル様は空と繋がってから感情を押し殺していたからねえ。たまには発散させてやりたいのさ」
「それ建前っすよね。本音は?」と酒を飲みながらルティスがにやりと笑みを浮かべた。
「新薬の実験に、族長もクソもないさ!」
「最低だな! あんた!」
そんな薬華のイタズラに、イゼルは目を泳がせながら吐露してゆく。
「あの子は昔からそうだ。素直のすの字のかけらも無い。どうしたらあんなに捻くれるんだ。寝床だってこの屋敷に用意しているのに来ない、会うたびに無表情か眉間に皺を寄せて。そんなに俺が嫌いか!」
イゼルは誰のことを話しているのか。ほかの番や愛人のような話は聞いた事がない。それより妹と言っていなかったか。
ひそひそと緋媛、ルティス、フォルトアでそんな事を話していた。
「おいクソ緋媛、てめえ聞けよ」
「ああ? てめえが聞いたらどうだ」
「もし兄妹の話なら僕たち分からないから、緋媛が適任だよ」
フォルトアに言われては反論できない緋媛は、虚な瞳のイゼルにそっと聞いた。
「あの、イゼル様。どなたの話でしょう。良かったら俺達が相談に」
「ゼネリアだ。あれは父親違いの妹だ」
緋媛たちは驚いた。何故なら似ていないから。
全く反応のない薬華はひたすら観察している。緋媛たちの視線に気づいた彼女はサラッと答えた。
「もちろん知ってるよ。あの子が生まれた時から見てるからねえ。何だったら両親も診てたから、体の隅々まで知ってるのさ」
自慢げに話す薬華。そしてイゼルは吐き続ける。
同時に外は次第に雨から土砂降りへと変化していった。
「あの子は俺が兄だって知らないはずだ。俺からは言っていない。今更言えない。里の子に異界の化け物の子だって何をされても俺は庇えない。余計な事をするなって拒絶するんだ、あの子は」
「ああ、俺らも言われたな。ガキの頃、里の連中に石やら泥やらぶつけられてたから、何でやり返さないんだって言った時だっけ」
「あったね。関わるな近寄らな付いてくるなの三拍子、懐かしいね」
「里の大人共から化け物に関わるなって言われたっけな。あのクソどもめ」
ルティスとフォルトアが思い出している間も更に吐き続ける。
「緋倉に頼むしかないのか。なのに今度は緋倉からも離れようとしているし、本当に独りになろうとしている。たった独りの半分血の繋がった妹なのに、何もしてやれない」
「簡単じゃないっすか。兄だって言ってゼネリア様に兄さんって呼んで貰えば」
「それが出来たら苦労はしない! 素直じゃないんだ、あの子は……」
「イゼル様も大概っすよ」
ぺたんとテーブルに伏せたイゼルは毒のようなため息を吐いた。
観察している薬華は会話ができる状態になったと、更に観察を続ける。
「お前達はどうだ。血縁者だと急に現れたら受け入れられるか」
「実感ありませんね」
「そっすね。俺たち家族なんて知らないんで」
「あのクソ親父なら有り得る気がしてきた……」
すっと立ち上がったイゼルは熟睡している緋刃の胸ぐらを掴むと「起きろ!」とニ、三度頬を叩いた。
眠りながら怪訝な表情をした緋刃は「うるさい」と呟くと寝ぼけて水の術を発動し、イゼルの顔を水の玉で覆った。ぶくぶくと溺れる彼は気を失い、バタンと倒れる。それと同時に水の玉は弾けて気化した。
「イゼル様!?」
「大丈夫。寝ているだけだね」
緋媛は思った。寝ている時に弟に手を出してはいけないと。薬華の薬で眠っているからかもしれないが。
(こいつ、真面目に鍛えれば伸びるんじゃねえか?)
「うーん、いいデータが取れた! じゃ、あたしは今すぐこれをまとめたいから、後の片付けは頼んだよ。あ、その寝てる方から聞いた話は他言無用だよ」
風のように消え去る薬華。
置いて行かれた緋媛たちは、互いに見合わせるとまずは息を吐いた。
翌日、イゼルの頭と心はスッキリしていた。
途中から全く記憶がない。緋媛、ルティス、フォルトアに聞いても何も答えがない。緋刃も寝ていたから分からないという。
薬華に問うと「今までの鬱憤を晴らしていただけだから安心しなよ」と最も不安な回答が飛んで来たのだった。





