14話 過去のダリス城~暗示~
じめっとした湿気と埃の臭いがする地下。一つの牢屋に訳十名が詰め込まれている。
その中で薄めの緋色の髪をした女性が小さな羽を生やした異種族を掌に納め、唇を噛み締めていた。
(また一人……)
動かずひやりと冷たく固くなったその体を、そっと牢屋の奥で剥き出しになっている土の上に降ろすと、ずぶずぶと体が吸い込まれるように埋もれていく。
「あの……」と共に牢に入っている女性が声をかけた。薄めの緋色の髪の女性は小さく息を吐く。
「妖精は清らかな空気の中でしか生きられないというのに、何年経っても学ばないのね」
ひょこっと立ち上がるその女性は片足がなく、眉を垂らして強張った笑みを浮かべる。
ぴょこぴょこ跳ねて鉄格子の前に立ち、手をかけて座り込んだ。
「そういう我々も学びを捨ててしまいました。貴女様が何度も我々を誘導してくださったのに、逃げられたのは僅かでしかないのですから」
「いつからか諦めてただの食糧になろうと……」
ふぅ、と小さく息をつくと、遠くから足音が聞こえてくる。今日の食事はどの個体にするか、厳選にきたのだろうか。そんな事が頭をよぎったのだが、牢の中の異種族の様子が違う。動揺が伝わってきては静まり返る。
片足の女性と同じ牢に入っている女性は互いに顔を見合わせ、牢の外の様子を見ると、見慣れた顔が視界に入った。――片桐司だ。
彼は薄めの緋色の髪の女性を見つけると、その牢の前で立ち止まった。
「ここに居たのか、紙音。昔ゼネリアから聞いていたが……」
「あなた一体どうして……私たちを助け来てくれたの?」
これに司は何も答えず、僅かに眉を寄せて唇をかみしめた。
紙音は彼の右腕を見るとハッとして「その腕、誰にやられたの?」と問うのだが、司はふっと笑うと満足気に回答する。
「息子にやられたんだよ。緋媛も強くなった」
「緋媛?」と、知らない名前に首をかしげる紙音。ああ、そうだったと司は状況を説明した。
「緋媛は俺と緋紙の未来の子だ。俺は未来から来た」
「未来……どういうこと?」
司は目を細め、疑問に思う彼女の頭を掴みその瞳を赤く染めていくと「悪い」と呟いた。すっと瞳は元の薄紫色に戻り、彼女と共に牢に入っていた女性もぼーっとしている。
ふぅ、と小さく息をついた司は、牢の入り口からの気配を察した。
(来るかゼネリア。……この気配、緋刃もいる。丁度いい、末の息子が十数年でどれだけ成長したか見てやろう)
牢の入り口からは階段になっており、下へ下へ降りていくゼネリアと緋刃。降りながら緋刃が嫌悪を示す。
「随分地下なんだね。こんなところに皆が閉じ込められているなんて、湿っぽいし埃臭いし嫌だな」
地下へたどり着くと周りを見る前に、まっすぐ視界に入った姿をはっきりと捉えるより先に、ゼネリアの体が動いた。瞬時に距離を詰め、視界に入ったその姿の鳩尾に拳を入れようとしたのだが、先に腹部に強い衝撃が走る。蹴られ、天井に背を打ち付けると地面に落ちたのだ。
「姉さん!」
緋刃は自らの声と同時に目の前の姿を捉えた。ない片腕は兄の緋媛が斬り落としたもの。過去の父はそれがある。つまり今の前にいる人物は未来でダリス城でしか会った事のない父親だ。
「……父さん?」
「……お前、過去に来ていたのか。ならば姫の力か? あの半端な能力でよくできたものだ。他には誰がいる。緋倉と緋媛はどうし――」
瞬間、床から感じる冷気を察知し後ろへ飛びのいた司は、腹部を抑えながら立ち上がるゼネリアを緋刃を交互に見た。呼吸を整えるゼネリアは驚くように目を見開き、緋刃は固唾を飲みこむ。
「司? 何故……、いや違う。お前は時間軸が違う。緋刃と同じだ」
「流石にそれは分かるか。お前は幼い頃から違っていたと思い出したよ」
眉を寄せ歯を食いしばり怒りを浮かべるゼネリアを見、司は薄く笑みを浮かべた。
「お前はこの世界クレージアとは違う魔界の魔族との混血。違って当然といえば当然だ。どちらでもないお前は異物でしかない」
硬っていた表情が緩み、怒りから困惑の表情へ変わったゼネリア。緋刃は背後からもその困惑が伝わってくると父に言葉を向ける。
「待って父さん、何言ってーー」
「そのお前が、俺の息子の緋倉と釣り合うと思っているのか?」
その時、司の赤い瞳を見た緋刃は、咄嗟にゼネリアの耳を塞いだ。
「だめだ姉さん、聞いちゃだめだ!」
だが司はさらに続け、止めを刺すように言葉を述べた。
「この先の未来、お前の存在を誰一人として認める者はいない。哀れだから気に掛けてやってるだけで、あいつらもお前の事など疎ましく思っているのさ。……緋倉も、イゼルも」
言い終わった司の瞳は元の薄紫色に戻り、ゼネリアは涙を流しながら制止している。
司はゆっくり剣を抜いて彼女に距離を詰めると、躊躇わずに振り下ろしたーーが、緋刃がその剣を自らの剣で止めた。
「ほう。少しは成長したようだな」
「……なんで、なんでそんな酷い事を言うの? イゼル様も倉兄もそんな事思ってないのに。そんな暗示をかけるなんて!」
瞬間、後方から違う匂いを感じた。違う匂いが二つ。人間とゼネリアの血の匂い。緋刃の心臓の鼓動が速く、同時に脂汗が流れ落ちる。何かが床に落ちたような打ち付けられたような音が聞こえた。
「よくやった、キリク」
「拙者がこれだけ近づいても気づかぬとは。これが本当に過去ダリス城を壊滅したという異界との混血ですか。見た目は普通の人間ですが」
「見た目が人間と変わらんのは俺も同じだ」
剣を捨てた司は緋刃の頭を掴むとそのまま地面に叩きつける。
「こいつもな」
キリクは司に頭を押さえられている緋刃を見、「それは?」と問う。
「未熟者の龍族だ。そこのゼネリアにくっついてこの牢の奴ら解放しに来たんだろうよ」
司がの視線は緋刃に向けられているが指を指す先はゼネリア。キリクが指の先を視線で追うと、目を見開いた。地下牢の床を突き破って草木が生え始めている。それもうねうねと動くように、蔓も育ち始めた。
「こ、これは一体!? 植物が生きている!?」
「気をつけろよ。あの蔓に捕まったら喰われるぞ。それにあの血の量だ。下手すりゃこの牢の中も森になるだろう」
司は頭を掴んで緋刃を起き上がらせると、そのまま草木の中へ投げるように放り込んだ。
がさっと音がすると同時に司とキリクからは緋刃の姿が見えない。
その緋刃が頭を抑えながら草木をかき分けると、ようやくゼネリアが見えた。
「まずはここから逃げよう。倉兄たちと合流して里に戻ろう。イゼル様に知らせなきゃ」
だが、動く気配がない。草木から花が咲き始め、増殖する勢いは増すばかり。
ぐっと唇を噛みしめた緋刃は、ゼネリアを背負うと地下牢からの階段を上り始めた。背を気にすると、まるで壁のように草木が天井まで生えている。
彼女からぽたぽたと落ちる血からも草と花が生え始め、緋刃は初めて背負っている彼女に嫌悪を感じた。
(これが姉さんの血……。違って当然のどちらでもない異物……)
ほんの一瞬、頭の中をよぎった言葉。――このまま捨ててしまえばいい。
はっと気づいた緋刃は首を横に振り、全力でダリス城から脱出した。
一方、草木で足止めされていた司は牢の中の異種族達の暗示を解き、草木を刈りながらキルクと話していた。
「先ほどの龍族なぜ捉えなかったのですか」
「ああ、蔓に喰わせたらどうなるか気になってな」
「まるで知っているような口ぶりでしたが」
目を細めて司を疑うキリクに、ふっと笑みを浮かべ回答した。
「正確に言おう。人間があの蔓に喰われたらどうなるか知っている。異種族が喰われたらどうなるか知らん。そういう事だ」
(最も、蔓の話は嘘八百。ミッテ大陸へのこれ以上の侵略を阻止するにはこうするしかなかった。約束通り代償は俺が払う。だからお前は乗り越えろ)
地下牢の異種族にかけた暗示を解いた司は、刈り取った草を兵士に片付けるよう指示した。
ハッと気づいた紙音は、彼の背を目で追うと小さく息を吐いて崩れたのだった。