6話 食事の量
その日の夕方、日が落ちたところで司と緋媛が里に戻ってきた。
ダリス人がやけに大人しく、人数も少ないものであっけなかったという。
このまま何もなくミッテ大陸から手を引くこと願っている里の民も少なくない。
(ゼンはともかく、あの人間の小娘と見たことのない同族だと? どうなってやがる)
司が怪訝な表情を浮かべ、胡坐をかきながら座った。
イゼルの屋敷で部屋に揃ったのはイゼルはもちろん、マナ、緋媛、司、薬華、緋紙、ゼン、ルティスだけである。
せっかくなので夕食を一緒に食べようという緋紙の提案のもと、腕を振るった緋紙手作りの食事も用意されている。それも大量に。
「緋紙、お前いつナン大陸から戻ってきた」
「お昼過ぎよ。ヤッカにお薬貰わないといけないから。明日には発つわ」
「人間に見つかるなよ」
「大丈夫よ。そんなヘマしないわ」
満面の笑みを浮かべて得意気にする緋紙に、眉を寄せて不安な表情を浮かべる司。
が、その一瞬で今度はマナを睨みつける。
「それならいいが、その人間の小娘が何でまたこの時代にいる? それとお前は同族だな。お前も未来から来たんだろ。どういう事だイゼル」
「俺が知りたい。またこの時代ってことは、お前俺たちから消した記憶を保持してるだろう。まずはそれを戻してもらおうか。話はそれからだ」
米を盛り付けた茶碗を緋紙から受け取るイゼルと司はさっそく目の前の食事に手を付けようとしたが、全員に行き渡っていない事から緋紙に手の甲を叩かれた。
茶碗と端をテーブルに置いた司が続ける。
「……それは容易いけどよ、緋倉と緋刃とユキネとゼネリアが戻ってこねえな。やるなら全員揃ってからの方がいい」
「ユキネは今日は一人で食べたいって。ちょっと怒りすぎたかしら」
「緋紙さん、ユキネが何かした?」とゼンが問う。
「んー、ちょっとね。頭を冷やすには丁度いいかも」
次はずいっとゼンに茶碗を押し付けた。
今度はイゼルが答える。
「緋倉はゼネリアを追いかけているから、しばらくは戻ってこないだろう。ダリスへ行くと言っていた。緋刃はわからん」
緋紙から茶碗を受け取ったルティスがわずかに硬直し、冷や汗を流す。
その様子を緋紙と薬華は見逃さなかった。
「ダリスだと? 俺が森で人間相手にしている間に何があった」
「俺たちがいつまでも防戦に徹しているから、しびれを切らして乗り込むと言い出したんだ。年明けにあんなことがあったから、その腹いせかもしれん」
年明け、という単語にマナはこそっと緋媛に聞いてみた。何があったのかと。
緋媛の話ではレイトーマに緋倉と一泊して戻ったものの、命に係わるほどの大怪我をして帰ってきたという。詳細は緋媛は知らない。
「縛り付けてでも止めりゃよかっただろ」
「もちろん止めはした。相変わらず話も聞かずに消えたよ。緋倉に連れ戻すよう命令したが、この様子ではやはり揃ってホク大陸へ向かっているだろう」
問題を起こさなければいいが、と深く息を吐くイゼルはどこか疲弊しているようだ。
丁度全員に茶碗が行き渡ったところで、まずは食事をして気分転換を図ることにした。
皆が食べ始めたところでマナは箸をつけず少々困っている様子。
(ごはんが多すぎる。リーリは食べられる量に減らしてくれたけど、皆さん記憶を失くしているから言いづらい……残すのは失礼だし)
救いの手を伸ばしたのは緋媛だった。
「姫、多かったら俺が食ってやるから、食える分だけでいい」
「ですがそれは緋紙さんに失礼では……」
「人間が俺たちの量程食えるわけがねえ。特にあんたは小食なんだから」
それを聞いた緋紙は驚いた。
「これ、多いの!? 人間用にだいぶ減らしたつもりだけど」
「いや俺たちと同じ量あるぞ」
司の一声にさらに驚いて食事を見比べた緋紙は、同じ量だとようやく気付いた。
全く減らしていない。
「未来の王族だったわね、そりゃ小食よね。王族だもの。残していいわ、全部緋媛の明日の朝ごはんになるだけだから」
マナと緋媛は亡きマナの兄マライアを思い浮かべた。暴飲暴食の大食漢だったので、すべての王族がそうではない、と。
「いくら王族だから小食ってわけじゃな――」
「いーいヤッカ、人間の女性の貴族はお腹に金属のあれ、コルセットを着て常に容姿に気を配っているらしいの。だからご飯も食べられないのよ、胃が小さくなって。でしょ? マナちゃん」
目をキラキラと輝かせて問う緋紙に、マナは言いづらそうに答えた。
「昔は……この時代はそうかもしれませんが、私の時代ではコルセット文化はありません。多くの女性貴族の命を奪う原因になったので、廃止されたと書物で読んだ事があります。私があまり食べられないのは元からです。すみません」
「あら、そうなの? 元からなら仕方ないわね。じゃあ食後の水羊羹を用意しているの。それを食べられる分はお腹空けておいてね」
水羊羹、と聞いて絶望する緋媛、歓喜するゼンとルティスの反応が分かれた。
だが歓喜する彼らの喜びは打ち砕かれる。
「用意しているのはマナちゃんとヤッカの雌軍団だけよ。人間は嫌いだけど貴女から悪い感じしないもの。雌同士仲良くおしゃべりしましょ」
きらっきらと輝く緋紙にマナはにっこりとほほ笑み返す。
対照的に打ち砕かれた二人はぶつぶつと呟いた。
「水羊羹、食いたかった。ユズとフィリスと一緒に食いてえ」
「緋紙さんの水羊羹、絶品なのに食べられないなんて」
この浮き沈みを見て満足した緋紙は大笑いする。
「あはは、冗談よ。全員分用意してあるわ」
ぱっと明るくなったゼンとルティスの表情を見たマナは、本当に甘いものが好きなんだとくすくすと笑う。
対して隣の緋媛はいい表情をしない。こういう時はリーリが決まって無理やり食べさせていたからだ。
「そういえば黄緑の貴方の名前、私聞いてないわ。イゼルと司は知らないの?」
「俺は聞いた」とイゼルが答えると司は「初対面だ、知らねえ」と食べながら言う。
司が初対面という事は過去に来たのはこれが初めてという事を指す。司、緋紙、薬華がじっとルティスに視線を突き刺した。
「名前っすか。ルティス・バローネっす」
「バローネ? おいイゼル、聞いた事あるか?」
イゼルと司の箸がぴたりと止まる。
「いや、聞いた事がない。その性を持つ同族はいない。ダリスでの性か?」
ダリス、という単語に皆の箸も止まった。ふぅ、と小さく息を吐くとルティスは箸を置いて答え始めた。
「……この名前は、ゼネリア様と緋倉様がつけたものっす。フォルトアと俺は、ダリスにいた俺達を救ってくれたんす。おそらく明日」
食事を終えたマナは茶を一口飲むと背筋を整える。
イゼルも箸をテーブルに置き、話をじっくり聞くよう前のめりになった。
「……詳しく聞かせてもらおうか。だがその前に司、俺達の記憶をまず戻してもらおう」
「面倒くせえ」
ぽつりと呟く司に緋紙の鋭い視線が突き刺さる。早くしろ、と言わんばかりの圧をかけていた。
真っ青になった司は直接頭に手を触れないと記憶を戻すことが出来ず、イゼル、緋紙、薬華の順に過去の記憶を戻していく。
思い出した緋紙はマナに抱きついた。それも、力いっぱい。
「マナちゃんごめんね、人間に酷い事されていたの忘れてたなんて、あとで司をぼこぼこにしようね!」
思いっきり抱きしめられているマナは、口から食べたものが出てきそうなほど苦しんでいる。
「馬鹿言ってんじゃねえ! 未来に悪影響だから記憶消したんだよ! こればかりは人柱のゼネリアのいう事を聞くしかなかったんだ。それより緋紙、小娘死にかけてんぞ」
ぱっと解放されたマナはぐったりと緋媛の肩に身を寄せた。
「ごめんねぇ、ついうっかり」
「だ、大丈夫です」か細く返事をするマナは「それよりルティスの話を」と細々と言う。
「食事が終わってからの方がいいっす。気分悪くなるんで。姫様は特に聞かない方がいいっす」
「……聞かせてください」
「後悔しますよ」
全員の食事が終わると、ルティスは語り始めた。自身がダリスにいた頃の話をこの時代の少し前から。