6話 帰省命令
マナがルティスの宿に泊まった翌朝の出来事であった。
飯寄こせ、返事寄こせと言いたそうな鷹の鋭い眼光がイゼルに注がれる。
鷹の食事はリーリが準備中なのでもうすぐ出来るだろう。
問題はレイトーマのマトへの返事の内容であった。
マトからの情報にはダリス帝国進軍の他に、レイトーマとカトレアで援軍を出せるといった内容が書いてある。ただし条件付きだ。
――歴史調査の解禁。
両国国王共に龍の里に恩がある事から、無条件で援軍を申し出たいところだが各国議会が反発をしているという。それ故の条件付きという事だ。
そして更にもう一つ情報がある。ミッテ大陸の炎と氷の柱が消えてから、学者が押し寄せる準備をしているという。過去を調べずとも今なら調べてもいいのだろうという理屈だ。
(一つはともかく、もう一つは回答に困る。ミッテ大陸の緑はゼネリアが命を懸けて蘇らせたもの。緋倉が知ったら人間の上陸を阻止するだろう)
イゼルはたった一つだけの返事を書いた。
それを考えて書いている間に、リーリは鷹に「朝ごはんだよ」と山盛りの穀物を与えていた。
満腹になった鷹はまん丸になり、腹部が重いのか上手く飛べない。頭の上に疑問が浮いているように見える。
それに気づいたイゼルは「あぁ、これではレイトーマ城まで飛べない」と眉を下げた。
リーリの食事の美味しさに鷹の食欲が増したらしい。
この返事はすぐにでもしないといけないので、丸くなった鷹の代わりと現在の状況からの適任者は――
「リーリ、姫とルティスを呼んでくれ」
「はぁーい!」
朝から元気の有り余っているリーリは、瞬く間に屋敷を出て行った。
そして数十分もすると二人を連れてきたのだった。ルティスはともかく、マナが息切れをして汗を流している。
全力で引っ張って連れて来たようだ。
「リーリ、タオルを姫に渡してくれ」
再び元気のいい返事をすると、すぐに飛び出して行った。
視線で見送ると、すぐに本題に入る。
「早速だがルティス、姫を連れてレイトーマにいるマトにこの手紙を届けて欲しい」
「緋刃の鷹がいるでしょう。ユズの目の術後が気になるもんでーー」
と、イゼルが丸々とした鷹を指差す。
ああ、と察したルティスは「行ってきますよ」と呆れたように返事をした。
「よりによってあの食いしん坊の鷹でしたか。緋刃のやつ、どう躾けたんだ」
「トドメはリーリが刺したようなものだ。好きなだけ食べさせるんだ、あの子は……」
そのリーリがタオルを持ってやってくると、マナに手渡す。
この日は母親に手伝いを要請されたらしく、その後すぐに屋敷から出て行った。
嵐が去ったかのように再び本題に戻すイゼル。
マナは汗を拭って自分が呼ばれた理由を考えていたが、答えはすぐに出た。
「とにかくマトにこの手紙を渡しつつ、しばらくの間姫をレイトーマで保護……いや、帰省してもらおう」
緋媛の帰りを待つ身としてはなるべく離れたくないマナは、か細い声で理由を問う。
「何故ですか」
「このナン大陸が戦場になる以上、人間の国の姫君を置いておくわけにはいかない。姫に何かあれば、レイトーマまでも敵に回すだろう」
弟のマトは龍の里を敵に回すことはしない。それをするとしたら貴族や議会だろう。
そう考えたマナはイゼルにこう言った。
「私、自分の身は自分で護ります」
イゼルの眉が若干寄せられる。
「過去に行っていたとき、風と炎を出しました。ですから自分の身を護れるはずです」
「……それが出来るかは後で見せてもらおう。だが無理だ。身を護るという事は相手を傷つける事。ダリス人とはいえ同じ人間だ。姫にそれができるのか」
イゼルの言葉にこくこくと頷くルティス。
彼の言うとおりその度胸がない。誰も傷つけたくないマナは、その反動で誰かを傷つける可能性も、過去で無意識に風で敵を切りつけた事と思い出すと青ざめた。
「そうだろう。緋倉の体調が万全であるなら問題なかったが、そうも言っていられない。レイトーマの民は歓迎するだろう? 今日この後すぐ戻るんだ。ルティス、ユズが気がかりだろうが姫の見送りも頼む」
「まあ、それぐらいなら構いませんよ」
手紙を受け取ったルティスは、ユズと薬華、フォルトアにレイトーマへ行くことを話してくると言い、一度屋敷を出ていく。
戻ってきたらレイトーマへ出立するのだが、その前に風と炎を出せるというマナに実演を頼んだ。
庭に移動し、早速風から頼んだのだが――
「えいっ」
何も起きない。マナの頭に疑問符が浮かび、もう一度試す。
風がダメなら炎はどうか。それも何も起きない。小さな火の玉すらも出ない。
「どうして……!」
小さく息を吐いたイゼルは、最初に決めた方針をマナに命じた。
「人間は術を使えない。あの時代で疲れて勘違いしたんだろう。争いが終わるまで自分の国で体を休めるがいい。荷造りをするように」
踵を返し庭から去るイゼルを背にマナはぺたんと地面に座り、悔し涙がぽたぽたと零れる。
「少しでも役に立つと思ったのに……!」