2話 不穏な予兆
現代に戻ったマナとフォルトアは、突然扉が閉じたことに動揺を隠せなかった。
だが、少し考えるとゼネリアが眠そうにしていたからだという答えに行きついた。
「疲れて眠ってしまったのですね」と納得しつつも、マナは最後にもう一度だけ緋媛の顔を見たい想いが込み上げている。
ケリンの件が片付くまで会う事はないと覚悟はしているが、どこかが胸に引っかかった。
「姫様……」とフォルトアがマナを気にかけた時だった。
「ふむ、戻ってきたのは二人だけか」
マナ達の後ろから声をかけたのは龍神であった。
「その様子だと緋媛と緋刃は残ったのだな。彼女がUS2051年へ繋いだばかりに……」
と、龍神は右側の奥で何やら集中している流王を見やった。
「まあいい。疲れただろう。まずは里に戻って休むがいい」
「は――」はい、と返事をしようとした時、瞬きの間に周りの景色が変わった。
大きな泉が眼前に広がる。マナは一瞬動揺したが、現代の龍の里だという事に気付いた。
「本当に戻ってきたのですね」
「ええ。姫様、お疲れだと思いますが、まずはイゼル様に報告へ参りましょう」
「そうですね」
踵を返して泉を背にイゼルの屋敷へ歩を進めた。
「そうだ、その後ルティスの旅館へ行きませんか? 温泉に入って気分転換でもいかがでしょう」
ふわっとほほ笑むフォルトアにマナは二つ返事で「是非!」と笑顔を見せた。
マナは気づいていた。過去での出来事で疲れているだろうという気遣いをしてくれているのだと。
そして何より、緋媛に会えない想いを汲んでいるのだろうと――。
その時だった。
「フォルトアー!」
左側の遠くから声をかけられた。――緋倉だ。マナの頭が混乱している。
(大きい緋倉……。ここは現代、過去の緋倉が子供で……。フォルトアの言うとおり、気分転換した方が良さそうね)
走ってやってきた彼は、少し息を切らせている。
「戻ってきたんだな。姫さんも一緒か。緋媛と緋刃は? 緋媛の匂いはしてるんだけどな……」
すんすんと鼻で匂いを嗅ぎながらも方眉を上げて疑問に思う緋倉。
マナはもしかすると直前まで緋媛と抱き合っていた事を思い出した。
(もしかして緋媛の匂いが私に染み付いたの!? 恥ずかしい……!)
「過去に残りました。過去の司様が鍛えると張り切ってましたよ」とマナを余所にフォルトアが回答する。
「親父が? ……過去の親父か。なら母さんはいたんだよな」
「ええ。つい先ほどまで、緋紙様とも話をしてました。未来の息子たちを徹底的に鍛えるのが楽しみだと、悪魔のような笑みを浮かべて楽しそうに」
苦笑いをするフォルトアに、緋倉はこくこくと頷いた。
「だろうな。緋媛はともかく、緋刃はあの悪魔たちに鍛えられた経験がねえ。いい修行になるだろうさ。……死なねえ程度に加減はしてくれるからな」
何かを思い出したのか、緋倉は遠い目をしていた。と、瞬時にぱっと話を切り替える。
「これからイゼル様のところに行くんだろ? 俺も呼ばれててな、一緒に行こうぜ」
この道中、フォルトアは緋倉の体調が悪化していると察していた。
(僕たち龍族は走った程度では息切れなどいない。……毒に侵されつつあるということか。僕の父親が毒の龍……なら、抗体とか何かがあるのか? 薬華様に調べてもらおう。丁度、父親とのはずの彼も診療所にいるはずだ)
***
イゼルの屋敷に到着すると、イゼルとルティスが座敷で談話していた。どうやら息子のフィリスの自慢話をしているらしい。
マナ達が近づくと、ぱたっと会話を止めた。
「戻りました、イゼル様。ルティスも久しぶりだね」
フォルトアがほほ笑むと、彼の顔を見たルティスは少し安堵したような表情をした。
「ああ、ご苦労。しかし早い戻りだったな。過去にはどれぐらいいたんだ?」
「三週間程度でしょうか」
「そんなにいたのか。驚いたな。こちらはあれから三日しか経ってないぞ」
イゼルの言葉にマナとルティスは驚きを隠せなかった。たった三日しか経っていないという事は、子供のゼネリアが眠いまま日数を計算して未来への扉を開いたという事。
その説明をマナとフォルトアがすると、イゼル、緋倉は出来て当然という反応を示した。
「ゼネは何でも器用にこなしてたからな。力が有り余ってたし……」
と緋倉は言葉を失くしてしまった。心の奥が痛むように、黙り込んでしまった。
――現代の彼女は亡くなっている。それも緋倉の目の前で。まだそれほどの日数が経っていないことから心の傷はまだ深い。
「すみません、緋倉。その……軽率でした」とマナが謝ると、緋倉は薄く笑って「いいんですよ」と言う。
なんだか心の奥がぎゅっと締め付けられるような痛みを感じた。
「ところでイゼル様、用ってなんですか?」
重くなっている空気を振り切るように、緋倉が話題を変える。それも神妙な表情で。
「俺だけならともかく、ルティスもいるってことはあまりいい話じゃなさそうですが」
「ああ、ちょうどいい所にフォルトアも戻ってきてくれて助かった。実はダリスに動きがあったんだ」
イゼルが目の前のテーブルに文を広げた。差出人はレイトーマ王国の国王マトからだ。
「レイトーマにいる緋刃の鷹がこの文を届けてくれてな、どうやらこのナン大陸に軍を向けているらしい」
マナは眼を見開いた。現代へ戻って早々に過去で起きたような狩りが始まるのかという恐怖が浮かんだのだった。