番外編3 兄妹の距離〜朝ご飯を食べよう〜
レイトーマの街に着いてすぐだった。
ゼネリアはぎゅと俺のローブの裾を掴んで離さない。手を握ろうとすると気恥ずかしくしている。
各国には俺の顔が知れているから、ローブを羽織って深くフードを被っていれば、今日は忍んで来たと察してくれる。
時々子供達に声をかけられるぐらいだ。
レイトーマの朝は朝も賑わっている。
鮮度のいい肉や魚を売っており、それを我先に買おうと市場に人が押し寄せているのだ。
その中に朝食を食べられる場所があり、俺はそこの目玉焼きが好きなんだ。採れたての野菜から作ったサラダも絶品でな。
ゼネリアにも気に入ってくれるといいが。
それにしても、今日は獲物(食材)を狙う気の立ったご婦人が多いようだ。
あれは荷物持ちか? ご主人の表情が死んでいる。……気の毒に。
そんな戦場を抜けると、食事の場に着いた。
いくつもある店はほとんど埋まっており、目的の店も満席だ。
少し待つと席が空き、唯一座敷があるその店の店主が出迎えてくれた。
「おはようございます。遠路はるばるようこそ。いつもありがとうございます。本日はお忍びですな」
「ああ、この子と美味しいものを食べようと思ってな。いつものものを用意してくれるか、2人分」
「へい! 少々お待ちを!」
座敷は埋まっており、案内された席は混んでいた事もあり人間との相席だった。
人間嫌いのこの子にとっては窮屈で仕方ないだろう。俺とは対面で、人間が両隣にいるのだから。
目の前に出された水にも手をつけようとしない。緊張しているのか。
「飲まないのか?」
俺の問いに顔を上げると、コップに入っている水の匂いを嗅いだ。
何か混ざっていると思っているのか。
「貸してごらん」
怪しんでいるコップの水を一口含み、飲み込む。
「ほら、ただの水だ」
すると両手で水を受け取り、くぴくぴと飲み始めた。
思えば緋紙と薬華の作った食事しか食べた事がない。
人間の国に来る事も食事をする事も初めてだったな。
人間の食事には興味あるのか、斜め前のすでに出ている料理を見てる。パンとスープとサラダの軽食が気になるのか。普段の朝は米だからな、珍しいのかもしれん。
「お待たせしやしたー。シャケまみれ定食でーす」
店主の持ってくる朝食が、どんどんと目の前に置かれた。
「おっといけね。こちらのお嬢様のご飯、減らしましょうか?」
「いや、このままで。残るようなら俺が食う」
忙しい店主は「ごゆっくり」と言って早々に厨房に戻って行った。
鮭だらけの定食は、鮭の炊き込みご飯、鮭のあら汁、焼き鮭、お漬物といった、鮭をふんだんに使った料理だ。
食べ物の中で鮭が一番好きだ。どんな調理方法でも合う。味も美味い。
さて食べようかと割り箸を割る。そういえばゼネリアは割り箸を知らないのではないか?
教えようとしたところ、くんくんと匂いを嗅いだあとあら汁を一口飲んでいた。
水は警戒していたのに、食欲には勝てなかったのか。
「美味いだろう」
「うん!」
満面の笑みで返事をした。
この子のこんなに明るい笑顔を見たことがあっただろうか。無邪気に笑う子供らしい笑顔。
「そのあら汁な、底に美味いものが沈澱しているんだ。こうして少し混ぜてから飲んでごらん」
箸で少々混ぜてやると、また一口飲む。
今度はほっとした表情を見せた。体が温まるから、それで落ち着いたのだろう。
真似をしようとしたゼネリアの割り箸はすでに割れていた。
いつの間に覚えたんだ。
焼き鮭は骨を取るのが苦手らしい。確かに小骨があるから難しいのかもしれない。
俺は自分の焼き鮭の骨をとり、ゼネリアのものと交換した。
「こっちを食べなさい。骨を取ったから食べやすいだろう。ああ、炊き込みはこのスプーン使ったほうがいいな」
箸等が置いているトレーからスプーンを取り出し、手渡すと素直に受け取った。
そして次に口にしたものは炊き込みご飯。
随分と幸せそうに綻んだ顔をするものだ。こちらも笑みが溢れてくる。
ーーと、手を止めたゼネリアがこちらを不思議そうな顔で見つめた。
「どうした?」
「イゼルが笑うの、珍しい。いっつも怒ってばっかりなのに」
ガタガタという音が周りから聞こえた。それと同時に降り注ぐ視線の嵐。
「まさか龍族のイゼル・メガルタ様!?」
「よく見たらフードから覗くあの赤い髪……間違いない!」
「しーっ! お忍びなんだからそっとしときなよ」
「あの子供はイゼル様のお子……? いや、呼び捨てにしてたし……」
ああ、いけない。せっかく静かに食事をしていたというのに。
俺はともかくゼネリアは……、目の前の食事をぺろりと平らげていた。
だが、食べ終えた瞬間に周りの視線に気付いたらしい。
一瞬、肩を震わせ驚いたかと思うと、今度はみるみる眉を寄せて険しい表情になる。ーー威嚇するか。
俺は咄嗟にゼネリアの側に行って抱き上げた。
「行こうか」
「イゼルのご飯……」
それぞれ少しずつ残ってしまった。
店主には申し訳ないが、今は人間嫌いのこの子が優先だ。
料理に気を取られたとられたとはいえ、威嚇しかけたのだから人間も驚くだろう。
店主に一言詫びを入れ、代金を支払って外に出た。
ひとまず市場から離れよう。
しばらく歩いたところに休息できる小さな公園がある。
そこのベンチにゼネリアを座らせ、腰をかけた。
「すまんな、人間の多い所に行って。どうしてもお前にあの朝飯を食わせたかったんだ」
目をまんまるく見開くと今度は眉を八の字にして何かの理性と戦っているようだ。
「もしかしてお前、人間があんなに美味しいものを作れると思っていなかったのか?」
「だって薬華と緋紙のご飯しか知らないもん。あとはお母さんが作ってくれた大根のお漬物」
「子供のくせに随分と渋いとものを……。確かに母さ……お前の母親は漬物が得意だったからな。あれは絶品だ。だがさっきの朝食の白菜の漬物もなかなか美味かっただろう?」
「……お母さんの方がずーっと美味しいもん」
ずっとという事は、美味かったという事だ。照れくさそうにしているのだから。
「そうか。なあゼネリア。このレイトーマにはもっと美味いものがある。食べたいと思わないか?」
目を輝かせるように俺の方を見ると、ハッと気付いた顔をして我慢をしているように唇を噛み締めた。
「食い足りないんだよ、俺。付き合ってくれるか」
「うん!」
そうか、この子は食べる事が好きなんだな。
里では緋倉や動物たちしか遊び相手がいないから、他の楽しみは日々の食事しかない。
せっかくだ。今日は食べ歩きでもするか。