12話 変動の始まり
1章の最後です!
マナにとって、江月に来てから喜ばしい事がある。
それは食事を独りで摂らない事だ。レイトーマ城の私室で独りでいた日々だったのが、イゼル屋敷ではイゼルと緋媛、ゼネリアや緋倉がいる。
寂しくない食事は何年振りだろうと、幸せな気分になっていたのだが――
「つーかよぉ、何で俺までここで朝飯食わなきゃなんねーんだよ。しかもこんなムカつく面見ながらよぉ……」
「だったらさっさと帰れよ。てめえの面見るだけで吐き気がする」
ゼネリアと緋倉ではなく、イゼルと黄緑の髪の男、そして灰色の着流しに着替えたフォルトアがいて、黄緑の髪の男は緋媛と睨み合いながら食事をしている。
この時の朝食は山盛りの白米に具沢山の味噌汁、一匹丸々の焼き魚、目玉焼き、その他副菜が大量に用意されていた。
それはマナも同様の量であり、小食である為に食べきれないと困ってしまう程だ。
緋媛と黄色い髪の男は共に、何故こんな奴の顔を見ながら朝食を摂らなければならないのか、彼らは互いに最悪だ、ブツブツ言いながら食べている。
空気の悪さに黙っているマナを見て、フォルトアは黄緑色の髪の男の紹介をする事にした。
「姫様、緋媛に舌打ちをしている彼の紹介がまだでしたね。この目つきの悪いのがルティス・バローネです。愛想もなく態度も悪く、口もガラも悪いんですけど、これでも可愛い奥さんがいるんですよ」
「待てよ、フォルトア。てめぇ俺の事なんだと思ってんだ。その笑みでほとんど悪口しか言ってねえじゃねぇか! 初対面の人間になんつー紹介してんだ!」
「フォルトアさんに文句つけんじゃねえよ。本当の事じゃねえか」
「ああ!?」
ガタン、と立ち上がった緋媛とルティスは、互いに掴みかかる。
自分の紹介をするタイミングを逃してしまったマナは、長テーブルで畳に座って正座をしているので足が痺れ始めて動けない。緋媛を止めようにも足の痺れで上手く言葉が出ず、息を飲みこんでいた。
フォルトアはというと、また始まった、と呟いて再び食事に手を付け始める。
そんな中、緋媛とフォルトアの顔と顔の間を通るように、包丁が勢いよく飛んできた。その包丁は部屋の壁に突き刺さる。
青ざめた緋媛達は、包丁が飛んできた方向へとゆっくり顔を向けると――
「食事の席で喧嘩すんなら出て行け雄共!」
そこにいたのは般若のような形相のリーリ。
急に大人しくなった緋媛とルティスは、こじんまりと座って静かに食事を食べ始めた。
食事の席ではリーリがルール。米粒一つ残すのも許されないのだ。出されたものは全て残さず食べよ。ただしそれは――
「すみません、リーリ様。私こんなに食べられません……」
「あっ、ごめんなさーい! つい多くしちゃった! 残して下さいっ」
男に限る。緋媛を含めて男全員が大食いなのだ。人間でいう成人男性の五倍は軽く食べてしまう。
マナは兄マライアが大量の食事を並べていた為にその量を見ても全く動じなかったのだが、自分の前に出されると話は別だ。食材が勿体ない。
小食のマナはリーリに少なめでと頼んでいたのだが、それでもこの日の量は多いらしい。
申し訳ない、と思いつつマナは箸を皿の上に置いた。
この対応の差に納得のいかない緋媛とルティスだが、反論など出来なかった。
何故なら反論してしまうと今度は食事抜きと言われるのが目に見えているからだ。
彼らがいがみ合っている間、食べ方の綺麗なイゼルとフォルトアは少しも残すことなく完食。
米粒一つ残っていない事を確認したリーリは「お粗末様でした」と満面の笑みを浮かべながら食器を片付け始めた。
食後の茶を一口飲んだイゼルがようやく言葉を発する。
「さて、フォルトアから報告を聞かねばな。その前に姫にこの里の印象を聞きたい。緋媛とフォルトアは後で来るといい。姫とフォルトアは俺と共に大広間へ行こうか」
すっと立ち上がったフォルトアに対し、マナは足の痺れで「あうぅぅぅ」という情けない声が出てしまった。
恥ずかしさで赤面してしまうマナに、緋媛は呆れ顔だ。
「姫のくせになんつー声出すんだよ……」
「可愛いじゃないか。初々しい反応がいい」
イゼル、フォルトア、ルティスに微笑まれて顔を隠したマナは、足の痺れが取れるまでもう少しかかったという。
***
食事を終え、大広間へ移動したマナ達。そこには共に朝食を摂った緋媛、イゼル、フォルトアとルティスがいる。
正座では足が痺れるだろうと気遣われ、脚を崩して座ることにしたマナは、やはり文化の違いは大きいのだと学ぶ。
やはりドレスや洋服の方が動きやすく、椅子やテーブルが欲しい。それでも畳の香りは魅力的であった。
座って一息ついたところで、イゼルがマナに問う。
「さて、まずは姫に単刀直入に聞こう。貴女の瞳に、この里はどう映った?」
「豊かな自然に囲まれて、空気が美味しい素敵な国です。レイトーマにはない着物という文化も体験できました。ですが……」
この数日、マナは里で行われている様々な事を見て体験した。
見回りをしながら畑仕事をしたり、話を聞いたり。全てが初めての事で楽しみながら行っていたが、ヒソヒソと話す声も含めて、気になることが幾つかある。
「なぜ、イゼル様もこの国の方々も、江月を国と呼ばずに里と仰るのですか?」
真剣に問うマナを緋媛が目を細める。
横にいたフォルトアが彼の腕を肘で突き、ニコッと微笑む。
表情を戻した緋媛は、イゼルがどのような回答をするのか気にした。
「……そっちの方がしっくり来るだろう? ここは自給自足の生活が基本で、家も和風な所が多い。国と言うには俺達にとって違和感しかなく、それは外向けでの言葉だ。だからここでは里と呼んでいる」
外向けの言葉と聞き、マナは納得した。
確かにレイトーマでは江月は国と聞いている。里という呼び方に違和感はあるが、それがこの地での呼び方ならば、それは民族の考え方が違う為でもあるのだろう。受け入れるしかない。
「では、何故他国との交流を持たないのですか? この国の方々と会話をしていても、どこか壁を感じました。それは私が他国の者だからと思いますが、リーリ様やゼネリア様も……」
あまり良く思われていない。
緋媛や緋倉には憧れや尊敬があるように見えたのだが、あの子、あんな子という呼び方をされている彼女達が不憫である。
「……すまないが、それは答えられない」
辛く、複雑そうな表情でマナに言うイゼル。それと共に日の光を雲が遮り、部屋が暗くなってしまった。
「申し訳ございせん。今の件はなかった事にして下さい」
どうやらこの件は触れない方が良さそうだ。ほんの些細な発言でレイトーマと江月との関係を悪くさせる訳にはいかない。
マナは最後に、自身が最も気になっている事を問うた。
「最後にもう一つよろしいでしょうか」
「ああ」
「我が国レイトーマやカトレアでは、歴史調査が禁じられています。ダリス帝国はその禁を破っているという噂もありますが……。江月がそれを免除されている理由は何でしょうか。昔滅びた龍族が関係していると噂さておりますが、それはいかがでしょう」
これに緋媛は、「一つどころか二つだろ、聞き過ぎだ」と厳しい口調でマナに言う。
そうだったとマナはやや落胆する。知り合って日が浅いというのに、深堀してしまうのは良くないと考えた。
これにイゼルは少し考え、出した回答は――
「すまないが、それも今は答えられない。それはこの里の建設理由や世界にも、俺達自身にも関わる。知られては困る事がある。察して欲しい」
「……分かりました。今は、という事はいつか答えて下さるのですね。お待ちしております」
理由さえ知れば歴史調査の解禁へと導けるだろう。そして歴史学者達も喜ぶに違いない。
過去に何があったのか、世界はどのような歩みを進めていたのかを知る為、ほんの少しだが希望が持てたようにマナは思えた。
この時、ぽつり、ぽつりと雨が降り、マナを除く全員の鼻腔に雨に濡れた草木の匂いが入ってきたのだった。しまった、と表情に曇りの影が見えるイゼルが目を見開く。
マナの質問が一通り済んだと判断したフォルトアは、ここで口を出した。
「イゼル様、そろそろ僕の方も」
「ああ、すまないなフォルトア、少し待ってくれ」
深呼吸をして気持ちを落ち着かせるイゼルは、「これは姫にも関わる事だったな」と冷静に言う。
すると外は不思議と雨が止み、雲が晴れていく――。
話してくれ、とイゼルの許可が下りると、ずいっと一歩前に出たフォルトアが重々しく口を開いた。
「姫様、落ち着いて聞いてください」
笑みが消えたフォルトア表情を見て、ただ事では無さそうだと悟る。
その報告内容はこのようなものであった。
十一年前から行方不明とされていた第二王子マト・トール・レイトーマが身分を隠して城下で生活をしていた事。
そのマトがクーデターを画策・実行した事。
それによりマライア・ソール・レイトーマが国民の前でマトの手により斬首された事を――
「嘘よ! マトがお兄様を斬首だなんて、信じられません!」
マトが生きていた事に安堵しつつ、クーデターの話になってからは落ち着いてなどいられない。
マナは血相を変え、悲痛な声を張り上げたのだった。
「マトは心優しい子です。そのマトが! お兄様を討つなど、そんな残酷な事をするはずがありません!」
「ですがそれは事実です。僕は直にレイトーマ城で見てきました。マライア国王がマト王子に討たれる瞬間を、国民の喜びを」
今朝方転びそうになった所をフォルトアに抱きとめられた時に見えた、夜のレイトーマ城を思い出したマナ。
それでレイトーマへ行ったのだと察する。真新しい過去ならば、これは事実だ。
マナは「そんな……」と呟き脱力した。
また、フォルトアは別の事実も告げる。
「それと、姫様のご両親である先代国王と王妃殺害の犯人も判明し、一人は捕まったそうです」
「お父、様と、お母様の……!」
マナが聞いた事実はあまりに酷であった。身内が身内に刃を向ける等と思っていなかったのだから。
彼女はすぐに帰国する決意をした。
この年、この世界では各国が大きく変わる。
いや、各国だけではない。世界が変わろうとしていたのだった――