18話 気まずい二人
日が沈み、橙色の空が一面に広がった頃、さくさくと草を踏みしめて里へ戻ってきた片桐緋媛は、目を点としてただただぼーっとしていた。
(姫……、今どこにいるんだ)
イゼル、フォルトアと共に行動していたマナと離れていた彼は、ここ二・三日この調子であった。
その様子を、一足先に戻ってきた弟の片桐緋刃と未来の父親である片桐司が遠目から見ている。
「あんな間抜け面の媛兄見ると、心配だなー」
「人間の小娘の事でも考えてんだろ。欲しいもん手に入れた後で数日離れりゃな……、たまったもんじゃねえよ」
「欲しいもんって?」と緋刃が首を傾げる。
「あん? ああ、まだ百にもなってねえ青臭いガキにはまだ早い早い」
左手をぷらぷらと埃を払うようにしながら緋刃に背を向け、小馬鹿にした表情の司。
「ひでぇよ!」と反発した緋刃だったが、何かを思い出したようにころっと態度を変えた。
「それよりさ、一つ聞きたいんだけど」
「何だ」
言ったのは良いが、聞いていいかどうかやや悩む緋刃は少し考えると恐る恐る口にした。
「もし……、もしもだよ? ダリス側に付くとしたら、どんな理由?」
「何言ってんだお前」
――瞬間、ピリッと場の空気が変わる。明らかに司から発せられる殺気であった。
「まさか同胞を人間共に売るつもりじゃねえだろうな……!」
腰の刀に手をかけ、目が獣である本性を現す。
(やべっ、本気で殺る気だ!)
慌てた緋刃は「いやいや違うって! 何で父さんがダリス側に付いたか知りたくて――」と両手を大きく振りながら誤解を解こうと焦りの口調となる。
その時、ぼーっとしていた緋媛が何かに向かって一直線に突然駆け出した。
司も視線で追い駆け、緋刃はくるっと顔を向けると、空から降り立つ二体の龍の姿がある。
「あれって、イゼル様とフォルトア兄さん?」
「だな。レイトーマとカトレアの国王との会合が終わったんだろ」
先ほどの殺気は一瞬で静まり、イゼルの降り立つであろう方向へ歩みだす司。緋刃もその後を追った。
緋媛はふわりと飛び、フォルトアの背中へ一直線に向かう。そこにいるのがマナだと匂いで知って。
「姫!」
「ひ、緋媛っ」
突然の緋媛の登場に口を閉ざすマナ。頬を叩かれた事と口だけ、世間知らずの姫と言われた事を思い出し、顔を合わせる事が出来ない。そもそも何を話せばいいかも判らないのだ。
「姫、その……」
それは緋媛も同様である。何を話せばいいか分からず言葉を飲み込んでしまった。
マナは緋媛を見る事なくフォルトアに「フォルトア、今すぐ下ろして下さい! ゼネリアの所へ行かなくては……!」と懇願した。
「今すぐ? 降りてからの方が安全ですが……」
「お願いです! しっかり掴まってますから!」
一刻も早くこの場から逃げ出したい。その気持ちがマナを支配し、フォルトアに必死に頼み込んだ。
根に持っているのだと察した緋媛は少々傷つく。
(本当は向き合った方がいいんだろうけど、仕方ないか)
眉を八の字に曲げているマナと、どこか魂が抜けかけたような緋媛を交互に見、フォルトアはそう思う。
そしてぱっと人型に変化したフォルトアはしっかりとマナを抱きかかえて落下していくのだが、その間に見た緋媛は紙のようにぺらぺらになっているように見えた。見た目、というより心が薄い紙になっている。
この緋媛の首根っこを掴んだイゼルは、ふぅとため息を吐いた。
降り立ったマナに緋刃が「姫様、お帰りなさい」と声を掛けるが、さっとフォルトアから降りると薬華の営む診療所の方向へと一直線に駆け出した。
「あれ、姫様? 姫様ー!」
「ほっといてあげなよ緋刃。離れたいらしいからね」
マナを見送るように視線をやるフォルトアに、緋刃は「誰と?」とさらっと聞く。が、司はこれに「だからお前は青臭いガキだってんだよ」と鼻で笑いながらイゼルの方へと歩を進めた。
司を視界に入れたイゼルが彼に気付く。
「司、俺のいない間、変わりはなかったか?」
「ああ、いつも通り人間共を追い払ってたよ。なるべく殺さずにな」
薄ら笑いを浮かべる司にイゼルは「なるべくってお前……!」と焦りの色を浮かべが即座に「殺しちゃいねえよ」と否定した。
そして探るように真面目な表情をした司が問う。
「……で? 他種族と人間の王は?」
「ああ、予定通り事が運びそうだ。後で詳しい事を伝えるが、移住もダリス人を欺く為にレイトーマとカトレアの小隊が協力してくれる事になった。人の国としても認められたよ」
「そうか、人間の軍が……」
と、腕を組み難色を浮かべた司は「難しいな」と呟いた。
「……お前もそう思うか。いずれにせよ、明日皆に説明しなくては」
一体にが難しいのか、その場にいた緋刃の頭は困惑している。そもそもイゼルとフォルトア、マナがどこに行ったのかも知らされていない緋刃。
難しい事を考えるのは苦手な性格の為、とりあえず今もイゼルに首根っこを掴まれて放心状態になっている兄の緋媛の心配をする事にしたのだった。