4話 レイトーマ国王マクトルとの謁見
過去ではまだ生きている緋紙が亡くなる瞬間を知ったマナはまだ悲しみから抜け出せない。
それでも緋媛の記憶は次々と進んでいく。
今度は一体いつの緋媛だろう。
どうやらここはイゼルの屋敷の一室のようだ。テーブルを挟んで目の前にイゼルがいる。
「前々から言っていたレイトーマの連絡役だが、心は決まったか?」
この記憶は緋媛がレイトーマへ来る前のものらしい。
話は上がっていたが、考えさせてほしいと時間を貰っていたようだ。
これはその答えを出す時の事。緋媛の心境としては複雑だ。
「一年向こうにいるゼネリアはもう限界だ。緋倉をあの子の側にいさせてやりたい。ルティスとフォルトアに頼んだが昔いろいろあってな、やはり断られたよ。だからお前に頼みたいのだが……」
「イゼル様、俺だって本当は嫌です。ルフト草を焼き払った人間の世界に侵入するなんて。でも、だからって断ったら亡くなった母さんに叱られるんだろうな……。俺がレイトーマへ行く理由は、それで十分ですよ」
「感謝する。だが、くれぐれも変な気は起こすなよ。子供だったお前には人間の怖さを教えてきたが、中には善人もいるんだ。お前の目で確かめるといい」
ここでまた場面が変わった。
今度は亡きマナの父、マクトル・キール・レイトーマが目の前にいる。何かの書状を読んでいるようだ。その傍には母ハンナ・レイトーマが小さな子供を抱いて座っていた。
(お父様、お母様……! 私です、マナです!)
声を出してもここは記憶の中。届くことはない。
落胆するマナだが、例え記憶の中でも両親に会えた。それでいいと自らに言い聞かせる。
冷静になって周りをよく見ると、どうやらここは私室のようだ。兄マライアと、今では弟のマトが使っている国王の私室。
緋媛は両親と何の話をするのかと気になっていると、隣から低い声が聞こえてくる。
その頃にはマクトルは書状を読み終えていた。
「マクトル陛下、この者は俺の弟の緋媛です。今後、ゼネリアに代わって姫様の護衛と里との連絡役を務めます」
この声は緋倉だ。他にも誰かいる気がするが、恐らくゼネリアだろう。
会話から察するに、緋媛とマライアは初対面らしい。恐らくレイトーマに初めて来た日なのだろう。
この時の緋媛の感情には少々憎しみがある。これが人間の国王かと拳を握っている緋媛。
殴り掛かってしまうのだろうかとマナは不安になった。
緋倉が言葉を続ける。
「弟はまだ未熟者ではありますが、剣の腕はそれなりにあります。人間相手に引けは取りません。姫様を護るには申し分ないかと」
未熟者、それなり、緋倉は素直に緋媛を評価しているのだが、緋媛にとっては若干苛立つ発言だ。
実力も精神面も兄に及ばないと自覚しているが、国王の前で言わなくてもいいだろう。
やや不機嫌になる緋媛を見やったマクトルは、うん、と頷きながら言った。
「緋倉の弟ならば信用できよう。イゼル殿からのこの書状にもマナを護るに相応しいと書かれている。これからマナの護衛を頼みたい。良いな、ハンナ」
「ええ、異論はありません。ねえマナ」
と、ペタペタとテーブルに手を付けているマナに問う。
ぱっちりした瞳で幼いマナはあーと言いながら機嫌良く笑っていた。
(これが私? 可愛い……。いえ、自分で自分の事を可愛いだなんて、可笑しいわ。それにしても……)
母に抱かれているというのに、目の色が金色ではない。一体これはどういう事だろう。
疑問に思っていると、今度は緋媛が口を開いた。
「……陛下、恐れながら一つ問いたく存じます」
「何だ? 申してみよ」
問いたいと言いながらも少し迷った緋媛は、ほんの少しだけ視線を下に向けると、すぐにマクトルの目を見た。
「貴方方人間は、龍族特有の病気を抑える薬の原料、ルフト草を焼き払った。そのせいで母は亡くなったんだ。貴方に非はない事は判っています。ただ、それに対してどう思うか知りたい」
ここに居る誰もが空気の読めない問いに思えただろう。マナも何故紹介の場でそれを聞くのか疑問に思うのだから。
これが兄のマライアであれば失礼だと怒り狂っていたが、マクトルは違う。緋媛の問いに真剣に答えたのだった。
「ダリス人がやった事とはいえ、申し訳ない事をした。これは何百年経とうと消えぬ傷であろう。謝って許されるのであれば謝ろう。だが、それをしたところでお前の憎しみは消えぬ。違うか?」
「……では貴方は何をする?」
「……人は過ちを犯し、繰り返す。また同じことが起きるだろう。我々はそうはしないよう努力するしかない。はるか昔、カトレア王国と共に異種族と結んだ協定、歴史を調べぬ事……。その協定を反故にし、歴史を調べて異種族を利用する民が出てくるかも知れん。その民が出ぬよう、協定を守り切る事を約束しよう。今の私にはそれしか出来ん」
マクトルの答えは、緋媛が望むものとは違った。
いや、答えなど望んでなかったのかもしれない。この人間が善か悪か、信頼できる人間なのか判断したかったのだ。
それには人間のした事に対し、率直な意見感想を聞くことが一番と悟ったのである。
国王からの誠意は伝わった緋媛が言うのだが――
「俺は兄貴みたく八方美人じゃねえし、気を遣うのも苦手だ。なるべく面倒な事はしたくねえ。けど、貴方は信用できそうだ」
「おい緋媛。さっきから聞いてりゃ……、国王陛下に失礼だろ」
厳しく兄の緋倉が制した。
はっと過ちに気付く緋媛は、兄の顔を一度見、マクトルの方へ顔を向ける。
相手は人間の国の国王、イゼルの顔を潰さない為にも謝罪なくては――
そう思っていると、「よい」と寛大な言葉を出された。
「緋媛とやら、お前は人間の世界は初めてなのだろう。故に接し方も解らぬとみた。この城で働く人々をよく観察し、我が娘のマナの護衛をしてゆけば、自ずと人の世界にも馴染むだろう」
よく出来た人間、この器が人間の国王か――。
イゼルの言う善人とは、このような人間の事を指すのだと、緋媛は初めて知ったのだった。
マクトルが言葉を続ける。
「ここを出たら、まずは我が国の誇るレイトーマ師団の総師団長、ツヅガ・アルバールを訪ねるといい。娘の護衛をする以上、知らなければならない事をツヅガが教えてくれる。良いな」
これに緋媛の返事はない。知らなければならない事が何なのかを考えていた。
マナの事ならばイゼルや緋倉から、次期流王となる人柱だと聞いてる。この事は人間の世界では国王のみが知る世界の理。一国の師団長が知っている筈がないので、別件なのかもしれない。
そう考えていると、次にマクトルはゼネリアの方を向いた。
緋媛はその視線の先を追いかける。
「ゼネリアよ、お前も一年間ご苦労だったな。少しは人間の世界を理解してくれたかな」
「レイトーマとカトレアは、悪くない国だ。それに……」
どこか名残惜しそうな表情をするゼネリア。
マナは母親の膝の上から床に降りており、四つん這いで床を這ってゼネリアの元へ行くと、脚に掴まって立ち上がった。
どうしていいか戸惑うゼネリアに、王妃は「抱いてあげなさい」とふわりと言う。
言われるがままにマナを抱き上げたゼネリアは、どこか顔が綻んでいるように見える。
そんな表情を初めて見た緋媛は、心の中で驚きを隠せなかった。
ゼネリアがそれに、の続きを言う。
「それに……人間は脆い。体は脆いのに心は強い。それでもやっぱり、私にとっては人間も龍族も変わらない。……変わらないんだ」
どうやら顔の綻びは見間違いだったらしい。すぐに哀しみの表情を浮かべたのだから。
マナはそんなゼネリアを見て心を痛める。子供の頃の出来事をずっと引きずっているのだと。
マクトルはそれ以上は何も語る事はない。
「……そうか。だが、少しでも学んでくれた。それで十分だ。この一年、レイトーマに尽くしてくれたお前に何か褒美をやりたい。望みはあるか?」
「二つある。一つは私に関する記憶を全ての人間から消したい。特に、マライアは――」
「何故だ。理由を聞かせてもらおう」
「未来に関わる事だ、答えられない。これは世界の理、世界の未来だ。歩んできた過去とは違い、枝分かれする未来は定められていない。私がその理由を言う時は、確実に歩まなくてはならない道から逸れる場合のみ」
この時、ゼネリアの瞳は銀色になっていた。自分が次期破王となる人柱だと誇示するように。
それを見たマクトルは理由を問う事はなく、ただ「判った」と頷くのみ。
ゼネリアはもう一つの望みを言った。それは――
「緋媛はこの先二十年は確実にレイトーマにいるはずだ。老いない姿を見ると、人間ではないと怪しむだろう。だから緋倉も適度に出入りし、城内の人間全ての記憶を弄らせ、緋媛に関する記録の破棄をさせて欲しい」
亡くなる前のマライアと昼食を共にした後、カレンに会った時の事を思い出したマナ。
彼女は言っていたのだ。緋媛の情報が無くなっていると。
もしこれを父が受け入れたとすれば、カレンの言う事に繋がる。
理由はある程度予想できるが、父は何と答えるのだろう。
目を閉じて熟考したマクトルは、重々しく口を開いた。
「……緋媛をレイトーマ人として師団に入れる以上、誰かに龍族……いや、江月の民だと知られては困る。ましてや歴史を調べぬ協定を守り切ると宣言したのだ。約束は守らねばなるまい。――許可しよう」
これにより、緋媛はレイトーマ師団特別師団長として入団することが決まり、同時にマナの護衛を任命される。
翌日には国王を除く城内の人間全てから、ゼネリアを緋倉の記憶が消去され、特別師団長は空席とされた。
後の二十年、兄・緋倉がふらりとレイトーマ城にやってきては、城内全ての人間の記憶の改竄と緋媛の情報の破棄を行い、江月の出身である事、人間ではなく龍族である事を隠し通すことに成功する。
ただ一人、勘の鋭いユウ・レンダラーを除いて――。
そしていよいよ、片割れと言われるマナの秘密が明らかになるのだった。