34話 マナの決意
貧困街を出て森の中へ入って行ったマナと緋媛。
街が見えなくなった所で、適度な高さの切り株を見つけ、そこで一度休むことにした。
腰を落とし、雪で冷えた足を擦って温めるマナに、緋媛は「満足したか?」と声を掛けるが、返事がない。
姫、と言われるとはっと気付き、満足したか否かをもう一度問われ、慌てて答える。
「……見に行った事自体は、満足しております。ですが、彼らの生活は不満しかありません。暖も取れない穴だらけの家、ボロボロの薄布、倒れている人々を放置する人間……。未来ある子供の命までも軽視しています。……貴族は王族は、民の生活を一定水準まで引き上げる事も仕事だと考えます。皆が皆、幸福である為に。ですが緋媛の言葉……貧困街の増加でダリス帝国の街が広がっている事を考えると、まともな生活すら出来ない民が増えていくのですね」
ぎゅっと拳を握り、哀しみと悔しさの表情を浮かべるマナ。
十歳より城に閉じ込められ、民と接することなく飲食と読書の日々を送っていた自分が如何に幸せだったのかを思い知られたのだ。
――何もしていない自分こそ、あの場にいるべき。
ダリス帝国の貧困街はそれほどまでに彼女の心に深く突き刺ささったのだった。
「俺も実際に見てねえけどな。レイトーマ師団で特別師団長やってた頃、ダリスの現状を探るために部下を潜入させただけだよ。レイトーマもカトレアも、時々ダリスに間者を送っては時代時代の状況を知るようにしてたらしい。ただ、中枢に近づくにつれて見回りの軍人が増えているもんで、内部までは探れなかったんだと。それで普通の平民以下の生活を見たら過去より酷くなっていたとさ」
「それは、お父様が生きていらした頃ですか? それともお兄様の頃……」
マナ自身何もしていない以上、今は亡き二人のどちらかを確かめてもどうしようもない事は分かっている。
それでも、知りたい事はあった。その当時の国王がどのような判断を下したのか――。
緋媛は点を仰ぎながらその時期を思い出し、答えた。
「ああ、確かあんたがまだ五つぐらいか……」
「お父様は、民の為に何かなさったのでしょう?」
父ならば何かしているはず。国の為に民を大切にする両親ならば、きっと他国の民も救おうとしたはず。
その答えを期待していたのだが、緋媛の口から出た言葉は違った。
「いや、他国の人間にしてやれる事はからな、静観していたよ」
「そんな……! お父様はそんな方ではありません!」
と身を乗り出して訴えるマナ。緋媛は「知ってる」と言葉を続けた。
「国王も悔やんでたんだよ。本当は貧困街の人間をレイトーマ王国へ少しずつ連れてきて、普通の生活を与えたいってな。ただ、貴族や民の反発が強かったんだ。軍事国家の人間を平和なレイトーマ王国へ入れて国を滅茶苦茶にされたくない、ダリスの人間を連れてきて誘拐だと言いがかりをつけられるに違いない、招き入れた結果、拉致されたりしたらどうするんだ……。それで王も王妃も何も言えず、ダリスの貧困街に心を痛めながらも断念したんだ」
「ダリス帝国は信用できないという噂は耳にしてましたが、そうですか、民や貴族がそのように仰るほどだったのですね」
父が何もしようとしなかった訳ではない。それが分かっただけでもいいが、周りの反対をどうしたらいいか考え物だ。
と、マナは思いついたようにぱっと明るく緋媛に言う。
「でしたら、彼らを説得すればよろしいのでは!?」
それに緋媛は眉間に皺を寄せて大きなため息を付く。
「あのな、説得云々じゃねえんだ。ダリス人ってだけで嫌悪感がある上に、その国の貧困街の人間がやってきたら国庫を開かねえと養えねえ。住居を与え、ガキ共は教育機関に通わせ、大人には仕事をやる。それだけでレイトーマで貯えていた、レイトーマ人が支払った税金が使われんだよ。そんな金の使い方をされたくないって貴族も民も猛反発した……。そういう理由もある」
確かに国民が汗水流して働いて稼いだ金を国に納めているのだ。国民が納得する遣い方でなければならない事は分かる。
それでもマナはうーんと悩むと、別の思いついた事を聞いてみた。
「国の貯えではなく、私達王族に遣う分で恵むことは出来なかったのでしょうか」
「それも訴えてたけどよ、王族は王族らしい生活を送ってほしいって要望が多くてな……。王族の暮らしっぷりってのは、国外に見える国の豊かさに値すんだよ。といっても、この世界じゃ国という国は三つしかねえけど」
「三つ? 江月がありますよね。四つではありませんか?」
首を傾げるマナに、緋媛は「ああ、そうだった」と空を仰ぎながら独り言のように言う。
「人間相手には国って建前だったな」
龍族にとって、表向きは国であっても本音は龍の里のままなのだ。
自分たちの存在を歴史の裏に隠すために、他の異種族を護る為に、人間として生きる為に――。
二百年後の現代では、江月は"閉鎖された人間の国"として浸透している。
江月――という言葉を出したマナは、あ、と思い出し、手をパンと叩いて目をキラキラと輝かせた。
「そういえば、この時代で江月が建国されるのですよね! ここはUS2051年ですし、歴史の一つに立ち会う機会もありますよね、きっと。国を建てるのですから……、恐らく私のご先祖様であるレイトーマ国王陛下とカトレア国王陛下が、何かしらの形でイゼル様と接触されるはず……」
今度はぶつぶつとその様な事を言うマナ。
緋媛は何となくだが嫌な予感がし、目を細めて口元に手を当てて考える彼女を見つめる。
まさか突拍子もない事を言い出すのではないかと――。
するとマナは「そうです!」と閃きながら、すくっと立ち上がった。
「その場でダリス帝国のこの貧困街の現状を訴え、異種族狩りを止める方法を皆で考えれば、きっと現代の異種族も暮らしやすい世の中になると思うのです!」
「駄目だ。俺達が、とくに世界の理のあんたがそういう節目に干渉するのは良くねえ。どのみち江月は出来る。歴史の流れに逆らっちゃいけねえ」
「流王は、歴史は大きく変わると仰ってました。この時代から変えていかなければ、皆が皆幸福にはなれません。私は異種族は異種族らしく生き、ダリス帝国の方々にも苦労のないをして欲しいのです。やりましょう、緋媛! この時代から異種族とダリス人を救うのです!」
マナの言いたい事は分かるが、ここは自分が叱らなければならないと思う緋媛。
これを認めて甘やかしてしまうと、今後の歴史に良くない影響を与えてしまう。現代に住む人々や異種族の生活を大きく変えてしまう事になるのだ。それがよくない方向へ進む場合もある――。
「だったら現代でやればいいだろ! あんたはこの時代じゃただの人間の女だ! お前が王族だって、誰も知らねえ! 知ってたら誘拐されたり痛めつけられたりしねえだろ! この国の国王に訴えても、ただの庶民の女の戯言だって思われる!」
「痛めつけられたからこそ! ……例え城下で暮らす民と思われようと、それを経験した私が訴えれば、きっと何か変わるはずです。緋媛、私は何も出来なかった王女です。何か民の為にしたいのです! 貴方が何を言おうと、私の決意は変わりません。この時代の民の為、現代の民の為に、私はこの現状を変えてみせます!」
マナは譲らない。
こうなっては頑として考えを曲げないだろう。今まで兄であるマライアに城に閉じ込められていたせいか、そこで押し込められていた感情と共に行動に出ようとしている。
決意のような眼と表情で緋媛の目をじっと見つめるマナに、彼はちっと舌打ちをした。
「……勝手にしろ」
北の大地、雪降る地で見た出来事と経験。
いかにUS2051年が異種族やダリス人にとって住みにくく、異種族狩りは悲惨なものだと知ったマナは、必ず世界をいい方向へ導いて見せると固く決意したのだった――。
この様子を、黙って視ていた人物が二人いる。それは現代とこの時代の流王。
それぞれがそれぞれの時代で過去を除き、同じ人柱であるマナの動向を気にしていたのだった。
US2051年の流王は、髪の短い女性。龍の神殿から緋媛の過去をほんの少し前から覗いていた彼女は、ぽつりと言う。
「あーあ、言っちまったっすねぇ……。アタシらに過去の人柱にとって、それは禁忌だってのは暗黙の了解だってのに」
そして現代の流王は悲し気に、小さくため息をつく。
「やはり片割れ。能力が不安定なのも、暗黙の了解も、何も分かっていないのね。だからああいう事を言えるのかしら。変化の波を止めるのも一苦労だというのに……」
そして龍神の方を向き、「どうするのです?」と問うと、こう答えた。
「マナが主となって歴史を変えるような事があれば、彼女の能力と人生を剥奪しなくてはなるまい」
暗黙の了解を破った者には、罰を与えると言うのだ。
だが、それは今ではない。全てが落ち着いた時にそれは起こるのであった――。
これで6章完結です。