30話 苦渋の決断
その日、ゼン達が寝静まった頃、紙音は故郷のミッテ大陸を懐かしむように二階の窓から外を眺めていた。
(緋紙、どうしているかしら。司と喧嘩していなきゃいいけど。あの子、ルフト草がないと生きていけない体なのに、大人しくしてないから……。緋倉もゼネリアぐらいになった頃よね。可愛い甥っ子の成長が見れなくて残念だけど、きっとすくすく成長してるわね。ふふふ、いつか故郷に戻ったら、緋紙と緋倉を可愛がらなくっちゃ)
何年、何百年先になるか分からない。
ゼンが言った異種族全員を救い出すこと、それは紙音も一枚絡んでいた。ユキネを生んだもの理由の一つであるが、イゼルがそれを知るのは、二百年後の話――。
そのように色々な希望を想像していると、ふと人間の気配を感じる。一、二、三……十、二十はいるだろうか。更には木が焦げた匂いがした。
紙音は窓から外を覗く。するとそこには――。
(人間!? どうして……)
気づくと、家の周りを大松を持った多くの人間にぐるりと囲まれている。その中心に、サスマタや弓矢、槍を持っているダリス帝国の騎士と思わしき人物達も数名いた。家を囲っている人間は、家に火を放とうとしてるようだ。
逃げ遅れては人間であるムットは確実に死に、龍族と人間の混血であるユキネはどうなるか想像もつかない。
紙音は急いで熟睡しているムット達を起こした。
「ムット! ゼン! ユキネ! 起きて! 起きなさい!! 人間が、人間に襲われてるわ……!」
寝ぼけながら起きたゼンとムットは、外の様子をちらりと見てすぐさま覚醒した。
何故、どうしてこうなった等という推測は一切できず、まずは逃げるのだと慌てふためいたムット。
ゼンは爆睡しているユキネを抱きかかえた。
――その時、人間が一斉に家に火をつける。
「ムット・ココット! ダリス帝国の側近であった貴族の落ちこぼれ! 帝国の意に反し家畜共を庇う愚か者よ! お前が龍族を匿っているのは分かっている! 大人しく家畜を差し出せば命だけは救ってやろう!」
パチパチと燃えていく一階の部屋。
周りは雪だというのに炎はどんどん燃え広がっていく。二階に火が回るのも時間の問題だ。
「……私が時間を稼ぐわ。貴方達は逃げて! ゼン、元の姿になって背中に二人を乗せて、ミッテ大陸へ行きなさい」
「何言ってんだよ母さん! 母さんを見捨てろっていうのか!」
「そうづら! そんな事はできん! 私が出ていけばいい。そうすればお前達は龍の故郷へ逃げられるだろう?」
火を放たれたというのに、どうして人間が外に出られようものか。
外に出た所で、ムットは謀反の罪で帝国に連行され、処刑されるだろう。それは紙音を差し出したところで同じである。
強きは生き、弱きは死ぬ、これがダリス帝国。
命だけは救うなど、甘言に惑わされてはいけない。
「逃げろ……逃げるづら……! 私は生い先短い。だが千年生きる龍族は違う! ユキネもいる。この子を母親のない子にしてはいけないづら……!」
ムットは紙音に懇願した。
ゼンとユキネの為に生きろと。生きて幸せになれと――。
火が二階まで回って来る。ここで決断しなくてはならない。
「どうしたムット・ココット! 焼け死にたいのか! ははははは!」
耳に触る高笑い。一人が笑うと皆が笑う。火が回り、死にゆく様子を楽しむように――。
「……聞こえたづらか。あれがダリス帝国づら。あの高笑い……、生かす気はないって笑いづら。だから貴族だった私は国を捨てたづら。それでも連中は追いかけて処刑しようとするづら……。これは私の業、私の罪。巻き込みたくないづら。だから逃げるづら! 早く!!」
「ですが、私はあなたを見捨てたくは――」
その時、ぐっすりと眠っているユキネを抱いているゼンは屋根を風の術で破壊した。空に飛び立つ為に。
「……どっちが残るじゃなくて、みんな生き残るんだ! 俺の背中に捕まって、早く!」
「ゼン君……、君は良い子づら。今逃げた所で、奴らは永遠に追いかけてくる。ミッテ大陸は今、ダリス人の手により大地が荒れているというじゃないか。そういう奴らづら」
「そんな説明はどうでもいい! 母さん、ムットも早くこっちに来いよ!」
ゼンの口調が強くなるに比例して、ムットの決意は高まる。
ここで自分が出ていかなくては、この先同じことを繰り返すだけだと。
ムットは立ち上がるとゼンの元へ歩み、そして――
「紙音、ゼン君、ユキネ……。幸せになるヅラ!!」
窓に向かって駆け出し、窓を突き破って二階から外へ飛び降りた。
降り積もっていた雪は炎で溶け、体を地面に叩きつける。右腕が折れたらしく、呻き声を上げて転がっていると――、騎士団長と思わしき人間に頭を踏みつけられた。
「ようやく出てきたか……。探したぞココットよ。よもやこんな辺鄙な所にいたとは……、見つからない訳だ。
して、家畜はどこだ?」
「うぅ……! 家畜ではないっ、龍族づら……! 彼らはどこにもいない、ずっと私一人でここに住んでいたづら」
騎士団長はムットの顔を蹴り上げ、怒声を上げながらムットの体を殴る蹴るの暴行をし始めた。
「部下が見たのだぞ! 家畜の子供を抱いている男がこの家に入って行ったのを!! お前ではない男がだ! それも昨日の夕方! 一人で住んでいる訳がない!!」
これを二階から見ていた紙音は、唇を噛み締めて堪えているゼンの顔を一度見、微笑んだ。
「ゼン……、ユキネをお願いね」
「母さん、何を……!!」
「行きなさい! ゼン!」
紙音はムットが突き破った窓から自身も飛び出し、ふわりと地面に着地した。
人型をした美しい女性の姿に、騎士団長も周りの人間達もごくりと唾をのむ。
その紙音に気を取られている時、ゼンはユキネを抱えて屋根に飛び乗り、元の龍の姿になった瞬間、はるか上空へと飛び立った。
人間の騎士団長は、グリグリとムットを踏みつけながら紙音に見惚れている。
「何と美しい……! お前には不釣り合いな女性ではないか! いや、その降り方……龍族か?」
「その汚い足を退けなさい」
普段のおっとりした紙音は、人が変わったように厳しい口調で対峙している。
「おお! 声も美しい!」
「退けなさいと言ってるのよ。怪我をしたくなければ、今すぐここから立ち去りなさい!」
「気に入ったぞ、我が奴隷にしてその気高さを蹂躙し、夜な夜な可愛がってやろう!! あの家畜を生かして捕らえよ!!」
その言葉を合図に、全員が一斉に紙音に飛びかかった。
両手からひゅるひゅるとつむじ風を巻き起こる紙音は、人間を動けぬようにするだけの、最小限の怪我を負わせることに徹している。
後ろから、前から、横から……、あらゆる方向からくる人間を捌いていたのだが――。
ドスドスッ! と音がしたと思えば、背中に矢が刺さっている。それも、毒入りの矢で。
紙音は脚を震わせながら、地面に這いつくばうように倒れた。
「母さん!!」
上空から見ていたゼンはすぐに加勢しようとしたのだが、寒い、というユキネの寝言とカタカタと震えて縮こまる様に、どうすべきか葛藤する。
母をムットを救うか、ユキネを安全な所へ連れていくか――。
(俺のすべき事……、俺は、母さんにユキネを頼まれたんだ。もしここで俺が加勢したらユキネの存在を知られる……! 人間と龍族の混血だと、冷酷なダリス人に何をされるか……!!)
苦渋の決断をしたゼンは、上空より西側にあるセイ大陸へ向かった。
***
数日後、ゼンはユキネと共に家のあった場所を訪れた。
家を支えていた柱すらも焼けてしまい炭と化したその場所のすぐ傍に、何かが三つ、雪で埋もれている。
丸いもの、人間の体のようなもの、棒のようなもの。
――嫌な予感がする。
「おにい、おかあとおとうは?」
「……ユキネ、ここで少し待ってて。絶対に俺の後ろから覗いたりしちゃいけない、動いちゃいけないよ」
しゃがんでユキネに言い聞かせたゼンは、その三つを隠している雪を払っていく。予感は当たり、徐々に雪を払う手が止まる。
それは、このようなモノだった。
丸いものは、ムットの頭。
人間の体のようなものは、ムットの首から下全て。
棒のようなものは……紙音の脚。
紙音の脚を見つけた時、ゼンはその場に脱力してしまった。
すると後ろから、何かに躓いて雪に転んだユキネの声が聞こえる。
「ひっ! お、おにい! おとうが、おとうがああああ!!」
見てしまったのだ。
先日まで共に食事をしていた父の姿を。今はただの肉塊となってしまった父親の姿を。
ゼンの背中に泣きついたユキネを抱いてやる気力もないゼンは、涙を流しながら呟いた。
「ここまでやるか……人間」