21話 宝石のような鱗
夜になり、マナ達を攫ったダリス人の宴会が船の中で始まった。
船の中でも食堂に当たるところだろう、広い部屋に六人ずつ座れるような四角いテーブルが縦に六つあり、奥一つだけ横に置かれている。どうやらそこが嫁にすると言った親玉の席のようだ。マナはそこに座らせられた。
異種族が捕らえられていた埃っぽい倉庫からそのまま連れてこられたマナの姿は、裸にシーツを一枚覆っただけ。風呂にも入れず、皮脂の浮く髪や顔が気持ち悪い。
だが、そんな我儘は言っていられないのだ。親玉の手には、傷だらけで雑巾のように血を絞り出されてぐったりとしているゼネリアがいるのだから。
人間のいうと足首を掴まれて吊り下げられるように、尻尾を掴まれて……。
(どうすればいいの。どうしたら助けられるの……!)
いくら考えても何も浮かばない。子供を放してくれと腕にしがみついても振りほどかれてしまう。
何も出来ずに絶望しかないマナは、天井から吊り下げられたロープに尻尾を括りつけられるゼネリアをただただ見ているしかなかった。
「おーい! 飯と酒はまだか!」
「へい! お持ちしやした!」
運ばれてくる食事は、マナにとってとても豪華とは言えぬものであった。
肉や魚を簡単に焼いた物が皿に乗っており、野菜も切ったものが木のボウルに雑に置かれている。酒は人数分の木のコップに注がれていき、マナの前にもそれは置かれた。
何とも複雑な気分である。城では見た事のない調理、それでも楽しそうにしている民。
身分の違いで食が違うのは仕方がないが、もっといい食事をさせてあげたい気持ちと、異種族の子供を雑巾のように扱う怒りが混ざり合っていた。
「異種族共に逃げられたけんど、このガキ、相当な値打ちがある……! これであの町からおさらば出来んじゃ、喜べ皆ー!!」
「おおおお!」という雄叫びが上がると、親玉は「それから」と言葉を続ける。
「ワイにもついに嫁っ子が出来た。めんこいのう、肌も綺麗だしのう……。唾つけといたんでの、嫁っ子に指一本触れたら命はないと思えい!」
この言葉を緋媛が聞いたら、なんて思うのだろう。
ミッテ大陸の北側でダリス人に襲われた時の事を思い出したマナは、自分を傷つけたという理由であっさり人間を殺した緋媛の事を頭に描く。
彼がこの場に居たら、きっとこの人間の男を殺してしまう。だが止めると緋媛が掴まって血を抜かれるかもしれない。
(そんなの嫌っ! 人間を庇うと異種族が、異種族を庇うと人間が……。同じ生けるもの、私は人間だけど、どちらにも付けない……!)
それでも一つ分かる事はある。この人間達は悪だと。
「乾杯じゃあああ! さー嫁っ子も飲め飲め」
「……………」
「どうした、そんなに暗い顔をしおって。ははぁ、さては先に催しを見たいんじゃな?」
「催し?」
「おおーい、野郎ども聞けいっ! そのガキの鱗ぉ……」
親玉が指差す先は天井から吊り下げられたゼネリア。
絞り出されたであろう血がじわりと染み出て再び流れ出し、ぽたりと一滴床に落ちる。その一滴は小さな赤い花を咲かせた。
レア物だと男達から歓喜の騒めきが起きると、親玉は煽るようにこう言った。
「好きなだけ剥がしていいぞお!」
待ってましたと言わんばかりに、喜びに満ちて我先にと動き出した。傷だらけの子供の龍の鱗を巡って――。
「押すな押すな!」
もみ合いになるように群がる男達は、吊るされた子供を引きずり下ろし、幾つもの手を伸ばして鱗を無理やり剥がしていく。
ゼネリアの苦痛の悲鳴が、船の外にまで聞こえるかのように響き渡った。
「おう、お前何二枚も取ってんだよ! 一枚寄こせ!」
「おいおい、剥がしたら真っ白になったぞ! こりゃすげえや!」
言葉を失ったマナは、両耳を押さえて涙を浮かべながらガタガタと震えている。
(こんな、こんな事……! 私は卑怯者です、ゼネリアの悲鳴を聞かないようにしている……! 緋媛、早く来て!)
「嫁っ子もやってみい。家畜の鱗は高値で売れる、まるで宝石じゃ! さあさあ」
無理やり嫌がるマナの腕を引っ張った親玉は、部下を掻き分けるようにしてゼネリアの所へ連れて行った。
彼女をみた親玉が「おお!」と歓喜の声を上げる。
マナは現実をから目を逸らせようと、固く瞼を瞑っていた。
すると親玉は「ほれ見ぃ!」と無理やりマナの目を指でこじ開け、「こりゃ素晴らしい!」と言葉を続けるが――
視界に入るは色とりどりの背の低い花。
じわりじわりと咲いていき、その中心に体のほとんどの鱗を剥がされ、肉が剥き出しになった真っ黒な子供の龍。
「いや、いやああ! 離して!!」
マナは力いっぱい親玉を突き飛ばした。
その一瞬、心が不安定になってしまったせいで男の過去が見えてしまったのだ。
貧困街でその日の食にありつけるかも分からない日々を送っていた事、そしてこの食事はレイトーマ王国の商船から奪い、船を沈めた事――。
「おい、この女目が……」
「金になった……」
一瞬同情してしまったマナはハっと我に返り、ゼネリアの前で膝をつく。そっと触れると、小さな龍はビクンと大きく体を震わせ、もう虫の息だった。
「貴方方は……、どうしてこんな残酷な事を嬉しそうにするのです! 鱗を剥ぐという事は、人間でいう皮を剥ぐと同じ事です! どれほどの激痛が伴うか、その頭でお考えなさい!」
マナは涙ながらに訴えた。同じ人間ならばきっと分かってくれる。そんな気持ちがまだ僅かに残っていた為だ。
しかし、男達は盛大に笑い飛ばした。
「家畜の事なんて知るかよ!」
「あんたも牛や豚の肉食ってんだろ? 同じ事言うのかよ」
「そ、それは……」
ぐうの音も出ないマナ。食べる時はその命に感謝を込めていたとはいえ、その工程を考えるだけで自分自身にも罪悪感が沸いてくる。
彼らを叱る権利などない、自分も生きる者を食べて生きているのだから――と。
「嫁っ子ぉ……!」
マナが突き飛ばした親玉が、怒りを込めた声でむくりと起き上がった。表情から分かる。怒りに満ちていると。
そのままドスンドスンと部屋から出ると、すぐに戻ってきた。――三本鞭を手に取って。
部下の男達は冷や汗を流して道を開けた。
「せっかくワイの嫁にしてやるのに、よくも旦那のワイを突き飛ばしおったのう」
静かに怒っているようだが、鞭を持っている握り拳からは激しい怒りを感じる。
こういう相手には何を言えばいいのだろう。許しを請うのか、話し合いかと考えるが、これまでの会話を聞く限りでは後者はまず無駄だろう。
思考を巡らせ黙りこくっていると、親玉は鞭を激しく木の床に叩きつけた。
「何とか言わんかい!!」
床が壊れて鞭の形で穴が開いた。
――殺される。ぞっとしたマナは、慌てて震える声で正直な気持ちを述べてしまった。
「私は貴女の嫁になどなりません……」
「ああん!?」
言ってしまった。もっと熟考して発言すべきだったのに。こうなっては仕方がないと、マナは精一杯睨みつけた。
「私には心に決めた殿方がいます! お仲間をも殺すような貴方とは違い、皆を大切に思い役目を果たす、立派な方です。種族が違えど共存し、同じ食事を摂り、同じように眠る……。私はその方と、貴方方が家畜と罵る龍族の殿方と結ばれるのです!」
現代のレイトーマ城でみた緋媛の事を頭に思い浮かべて言葉を発したマナ。
人と異種族は共存できる。それはレイトーマで暮らしていた緋媛や、カトレア王国で過ごしていた緋刃が証明しているのだと気付いた。
(今更こんな事に気付くなんて、馬鹿な王女ね)
ところが親玉は、結婚できない理由を相手がいるという意味とは別の意味で捉えてしまい、三本鞭を怒りで震える手で振り上げた。
「ワイが……、家畜に劣るじゃとおおおお!?」
瞬間、力の限り鞭をマナ目掛けて振り下ろした。
考える間もなくマナはゼネリアを護ろうと覆いかぶさるように親玉に背を向けると――
この十分後、ようやく緋媛とイゼルがマナ達のもとに到着する。
その時緋媛は、一瞬言葉を失うのだが、それ以上に初めて見るイゼルの怒りに恐れをなしたという。