18話 ダリス人にとっての異種族
里の南西の外れにある平屋の惨状を見て唖然となっている緋媛とイゼルに絶望が漂う。マナとゼネリアの匂いがしないのは雨で草木と土の匂いが強いせいだ、もし絶命していたらと最悪の事さえ頭に浮かぶ。
最初に動いたのは緋倉だった。「ゼネリアちゃん、どこー!」と叫ぶ。
我に返った緋媛とイゼルも家の中に入り、周りを見渡した。
大きい氷があったのだろう、床は溶けた氷で水浸し。ベッドの横に空いた大きな穴から入る雨風で家の中は滅茶苦茶である。家の焦げた個所はイゼルの咆哮で落ちた雷によるもの。
彼は「しまった……」と頭を抱えて反省した。
「姫がいねえ……」と緋媛から焦りの汗が流れる。
「ゼネリアもだ。まさかダリス人に見つかって連れていかれたのでは……」
青ざめたイゼルのその予感は当たっていた。
***
どこかの一室にのベッドの上で、マナは目を覚ました。
体も顔も、起き上がるだけでも全身が痛む。体が臭う。唾液が付いたような臭いだ。そして何故か裸にシーツ一枚が掛けられており、「きゃっ」と小さく叫んだマナは全身をくるくるとシーツで覆った。
どうやら木造の一室のようだが、ここは何処なのか。視線を部屋の中で泳がせて探っても判らない。
近くに緋媛はいないのか、自分に何があったのかと頭の中で整理しようとしたところ、ギイィィとゆっくり部屋の扉が開いた。
「やっと起きただか、ワイの嫁っ子」
中年太りの醜い顔の男が入ってきた。
マナは思い出す。ゼネリアの家に入ってきた男達に襲われ、嫁にするといったこの男に殴れた事を。
子供は、ゼネリアはどうした。安否を男に問おうにも、ずしんずしんと寄ってくる恐怖でそれ処ではない。貞操の危機を感じたマナは、ぎゅっと自身の体を抱きしめた。
「ほれ、飯食え」
ベッドの横にある小さなテーブルの上に、パンが一枚乗せられている皿が置かれた。
襲われるかもしれないと思っていただけに貞操は守れそうだと安堵したマナだが、誘拐犯の施しは受けないと心に決め、パンに手を伸ばさない。
それよりも聞きたい事が幾つかある。マナは怯えながらも勇気を出して問うた。
「……ここは何処ですか」
「貨物船のワイの部屋だぁ。一番広い部屋なんじゃ、いいだろう?」
機嫌よく自慢する男は、手摺りのある椅子に尻を押し込むように腰かけた。
何もかも手を伸ばせば届くような部屋は、レイトーマ城で広々とした部屋を与えられていたマナにとっては狭い。それどころかイゼルの屋敷の客室よりも狭いのではないか。このような体の大きい男にとっても小さな部屋であろうに、この部屋が一番広いとは……。他の部屋はもっと狭いというのか。
それより、質問を続けよう。
「貨物船、ですか。この船は何の為に、何処に向かっているのです?」
「んなもん、ダリス帝国に決まってるべ。国でお前とワイは夫婦になる、異種族は売り飛ばす。そんでもって大金を手に入れて、普通の街で暮らすだに」
と、喜んで言う醜い男に、信じられないといった表情をするマナ。
「売り飛ば……。そ、そんな事、許しません! 許されません! 今すぐミッテ大陸に引き返して私達全員を解放しなさい!」
強い口調でマナが命令すると、男は尻を振って椅子から抜け出す。そしてマナの前へ見下すように近寄ると、バチンと頬を叩いた。ベッドに倒れ込むマナは、頬を擦った。
「ワイさ命令すんでねぇ!! これは商売なんじゃ。異種族の中でも龍族の子供は高値で売れる。大人は暴れるもんで、何十人で麻酔銃を使わねばならんのじゃ。その点子供はいい。捕まえやすく、今のうちに調教して奴隷にも出来る。透き通るような柔らかい鱗は貴族共のコレクションになるらしいのう。大人になれば血肉は薬になるんじゃ。血を抜いて、肉を裂いて、死ぬまで永遠にしゃぶり尽くせる……!」
――どうかしてる。
本当に同じ人間なのかと疑うような信じれられない眼差しを、楽しそうに邪な言葉を並べる男に向けた。
異種族といえど意思疎通の出来る相手で、生活も人間と何ら変わりはない。叩かれる覚悟で、マナは疑問口にした。
「何という事を……! 彼らは私達と同じように生き、言葉を交わします。家畜でも何でもありません! それなのに……、何故そんなに酷い事を平気な顔でなさるのですか!」
「何を言っとるんじゃ。人間に逆らう異種族は家畜以下じゃろ。それにこれは国王の命令だでな、逆らう訳にはいかん」
マナは現代でダリス城で対峙した事のある老人の顔を思い浮かべ、「ケリン・アグザート……!」とぽつりと呟いた。
以前、カトレアで三ヵ国会合をした際に聞いたイゼルの過去話で、国王の命令だと聞いていたのだ。そして国王のみならず、貴族も不死を望んでいる事を――。
男は国王の名――ケリン・アグザート――を知らぬ様子で「まあ、とにかく」と言葉を続けた。
「こっちは商売での、今後の生活が掛かっとるんじゃ。高値で売れたらようやくあの町から抜け出せるもんよ。それにお前は女。男に逆らうなどとんでもない! ワイの嫁だぁ……町に着いたらその絹のような綺麗な肌、ゆっくり堪能するだぁ……」
マナを舐めまわすように上から下までじろーと見つめ、涎をボタボタと垂らす男。
悪寒が背筋を走ったマナは自分自身を震えながら抱きしめ、まさかと思い青ざめて問う。
「服を、脱がしたのは……!」
「旦那となるワイに決まっとろー。あんまりにも綺麗な肌でなぁ、ついつい撫で回して舐めまわしちまったぁ……」
脱がしただけではなかった。ただただ「気持ち悪い」という感覚が全身を駆け巡る。唾液が付いたような臭いが体からしていたが、ような、ではなく、唾液を付けられた後だったのだ。
――こんな事ををされて、もう緋媛と一緒になれない。
すぐに風呂に入りたい衝動より、その衝撃が大きいマナはぼろぼろと泣き始めた。
男はにんまりと笑みを浮かべる。
「おーおーおー、そんなに嬉しいか、ワイの嫁になるのが! ならば時間が惜しい! 船の中で祝言を上げよう! おっと、準備に三日は掛かるのう。嫁っ子……いや妻なら船の中を自由に歩いていいぞ」
足取りが軽くなった男は、うきうきとしながら部屋を出ていくなり「おんどれら、早速祝言の準備じゃー!」と声を上げた。
心底嫌がっているマナは上手く言葉にはできず、その日はただただ泣き続けていた。涙が枯れるまで。
そして食事を出されても「貴方方の施しは結構です」と一切飲み食いせず、三日が経過したのだった。