16話 重なる光景
緋倉が目覚めた頃、小屋のような平屋にゼネリア共にいるマナは、家の中を見渡して王族と平民の暮らしを頭の中で比べていた。
城には謁見の間に応接室が三つ、国王・王妃と王子や王女の私室に、レイトーマ師団長達の執務室があり、
厨房やら何やらと状況に応じた部屋が多数存在する。対してこの家には一つの空間に寝室と台所がある平屋。マナにとっては全てが新鮮。
見て行くうちに、、生活に必要なものが全て整っているのだと気付く。
城の中の自室より狭いこの家で、どのように生活をしているのだろう。狭くはないのだろうか、部屋は足りなくないのだろうかと、様々な疑問は浮かぶ。贅沢をしている王族に比べ、民はこのような貧しい生活をしているのだろう。
「あのお花がお父さんなの」
突然、ベッドに突っ伏しているゼネリアが話し出した。
軋む音を立ててマナがそのベッドに腰掛ける。
「お父さんからお花が生えてるんだよ。ゼネの血も一緒なの。お花が生えてくるの。だからお母さんもイゼルも、他の子と違うから誰かにも言っちゃダメって言うんだよ。それに里の子達は気持ち悪いって言って遊んでくれないの。お姉ちゃん、ゼネ気持ち悪い?」
声が震えている。声を出して泣きだしたいだろうに、堪えているのだ。
マナは首を横に振りながらゼネリアの頭を撫で、「いいえ全く」とふわりと答えた。
「素敵な血をお持ちなのですね。人間にも、龍族にもない素晴らしい力です。里の子供達が何を言おうと、貴女にしかない能力なのですから、自信と誇りを持っていいのですよ。私が初めてその力を見た時、とても感動しました。何もない大地から若葉が芽生えたと思えば、あっという間に草木が呼吸を始めたのですから」
そう、この大地は二百年後には緑のない荒れた土地となり、炎と氷の柱で閉じ込められる。これ以上人間に荒らされないようにと、現代でゼネリアが言った事を思い出した。その彼女が自らの血で大地を蘇らせた感動は今でも覚えているのだが、それは命を削る事と同じ。
自信と誇りだけは持っていい。が、やはりイゼルや彼女の母親が言うように、誰にも言ってはいけないのだろう。それを知ったのが人間ならばどうする。この時代で捉えられた異種族は家畜扱いされてしまう。ならばこの子はどんな酷い目に遭うのだろう――。
急に恐ろしくなったマナは、やはりこれは秘密だと言おうとしたのだが、「ほんと?」と嬉しそうににっこり笑うゼネリアを見て何も言えなくなってしまった。
恐らく初めて肯定されたのだろう。マナの膝に頬を摺り寄せ、彼女の匂いを嗅いでいる。マナが頭を一撫ですると、ゼネリアは大きく息を吸い、はーっと長く呼吸した。そして一言。
「お母さんみたい……」
幸せそうなその言葉に、マナははっと気づく。
十歳の頃両親を亡くした時、マナも悲しみに暮れていた。だがこの子は更に幼い頃に両親を亡くしているのだ。どんなに寂しかっただろう。
母親の代わりにはなれないが、せめてこの時代にいる間は甘えさせてあげたい――。という情が沸いた。
――その時、
「こんな所に家がありやすぜ」
「匂うなあ……。異種族が居そうだぁ……」
雨音でぼやけているが、間違いなく男の声が聞こえる。それも一人や二人ではない、数名いるようだ。
フッーと興奮して飛び起きたゼネリアを抱きしめ、「静かに、音を立ててはいけません」と耳打ちする。それでも落ち着かない彼女の頭に角が生えている。人型を保って欲しい思いが伝わるようぎゅっと強く抱きしめると、ようやく落ち着いた。瞳も人間と同じ、角も生えていない状態となったのだ。
何故雨の日にまで狩りをするのか、早く立ち去ってほしい。マナの腕がかたかたと震えていた。
すると、ドンという音が平屋の扉を突き破ろうとしている。音の正体は斧。斧で無理やり中へ入ろうとしているのだ。
「お姉ちゃ――」
「しっ!」
慌ててゼネリアの口を手で塞いだマナは、頭の中を回転させた。どうしたらこの状況を切り抜けられるか。ゼネリアがまた暴れて人間を傷つける事なく、過ごすためにはどうすればいい。
そうだ、と思いついたマナは、こっそりゼネリアに耳打ちをした。
「……いいですか、貴女も人間だと言うのです。ここで静かに暮らしている人間だと」
その声は、ベッドに敷かれているシーツを隠すようにゼネリアに被せる手と同じぐらい震え、怯えている。子供に心配かけまいと作った笑顔で「大丈夫です」と言葉を続けた。
「私も人間です。人間同士話し合えば、きっと判って下さいます。緋媛が居なくても大丈夫、私でも出来る……!」
それはゼネリアだけでなく、自分自身に向けた言葉。この時代では、いつ襲われるか分からない。自らも強くならなくてはと、心臓の鼓動が分かるぐらいに高鳴る。
その時、扉がバリバリと破られ、五人ぐらいの男が入ってきた。内一人は腹の出ているぼてっとした体系で、とても醜い顔をしている。
マナはゼネリアが動かぬようきゅっと抱きしめ、男達をキッと睨んだ。
「何者です! 人間の私達の家に無断で上がり込むとは……! 今すぐ出ていきなさい!」
話し合うつもりだったのに、上手くいかない。マナは心の中で焦り、額から冷や汗が一筋流れた。
彼女の緊張とは反対に男達四人はぷっと吹き出し、「ワタクシだってー!」と大笑い。
失礼な殿方だと思うマナの表情に若干の苛立ちが浮かんだ。
「何が可笑しいのです!」
こんな失礼な人間がいるのかと、不快な表情を浮かべるマナ。故郷のレイトーマ王国でも江月――龍の里でも言葉遣いに何も言われなかったというのに。言われた事があるとすれば、幼少期に王女だからと母に厳しく育てられた時だけ。
「どっかの貴族じゃあるまいし、お嬢様みたいな言葉遣いしやがってよー!」
「腹いてー!」
「こんなでっけー氷、これで人間だってえ!?」
「寝言は寝て言えよ、お嬢サ・マ」
腹を抱えてゲラゲラと笑い、からかう四人の男達に、醜い顔の男はぽけーっとマナを見て何も注意しない。それどころか、頬を赤らめて空気を読まずに一言口にした。
「惚れた」
醜い顔に似合わぬ声変わりしていない甲高い声に訛りがある。その男は瞳をハートにしてマナをじーっと見つめている。
同じぐらいの子供でもいるのかと思ったゼネリアがひょっこりと顔を出すと、マナと大笑いしていた男達四人が鳩が豆鉄砲を食ったような表情をしていた。
「何と可愛らしい娘っ子だべ~。決めた。ワイの嫁にする」
涎を垂らして全身を嘗め回すように見られたマナの背筋にぞわりと鳥肌が立つ。生理的に受け付けない、そんな悪寒が全身を駆け巡ったのだ。
無論、人間かどうかも定かではないと、手下の男の一人が反対した。
「家畜やペットにするならともかく、嫁に迎えるのはナシっすよ! ダリス帝国は力がある者こそ強者じゃないっすか! そんなひ弱そうな女を捕まえたら、親ビンの格が下がっちまいやっ――」
片手でブンと斧を横に振り、「煩い黙れ」と軽々と反対した男の頭を潰した。一瞬で絶命し、飛び散る血にマナの悲鳴が谺する。四人から三人になった手下も大人しくなり、額に汗を浮かべていた。
「格など、嫁を迎えればいくらでも上がる。ただの嫁はいかん。ワイに寄ってくる女は皆醜い女じゃ。あのようなめんこい娘っ子こそ、ワイの求めた美しい女に違いねえ」
目の前で起きた出来事に体が硬直したマナの耳に入る醜い男の言葉は、全く理解出来ず頭の中をぐるぐると回っている。それより「ここから逃げなくては、ゼネリアだけでも逃がさなくては」という言葉が命令のように脳内を駆け巡った。
だが、入り口は男達で封じられ、逃げ場等ない。こんな時に緋媛がいてくれればと、彼の背中が頭に浮かぶ。
「さー、娘っ子。ワイと共に来い」
差し伸べられた手が一歩、また一歩と近づいてくる。ベッドで後ずさりをしても、すぐ後ろは壁。――逃げられない。
ゼネリアは拒絶で涙ぐむマナと人間の男達と交互に見、男達を始末すべきかと少し悩むと、マナの真後ろの壁に手を伸ばした。ぐっと力を込めて出てきた巨大な氷が壁を突き破り、マナが背中から地面に倒れる。
「逃げよう!」
ゼネリアにぐいっと腕を引っ張られたマナだが、腰が抜けてしまって動けず首を横に振り、「貴女だけでも逃げて!」と震える声で叫んだ。その様子が、過去ゼネリアに遭った出来事と重なる。
やっぱり人間じゃない、あれは異種族だとベッドを乗り越えて男達が追って来た。その手に斧や刀等の刃物を持って。
必死に動けないマナを引っ張り、引き摺るゼネリアからボロボロと涙がこぼれ落ちた。
「立って、立ってよぅ! じゃないと、お母さんみたく殺されちゃう……!」
マナの後ろから手下の男達を掻き分け、我先にと駆け寄ってきた醜い男は、「邪魔」と言ってゼネリアをドカリと蹴り飛ばした。
するとマナの髪を引っ張り、一度持ち上げると雨で泥濘となった地面に叩きつけ、馬乗りになって殴り始めた。
「何故逃げんじゃ! この顔か! おめえもこの醜い顔で選ぶんか!」
怒りをぶつける様に、何度も、何度も――。
手下は止めない。止めると自分の身が危ないと知っているから。それを知らないゼネリアは、剥き出した牙でマナを殴り続ける男の腕に噛みついた。
「このクソガキ!」
肉を噛みちぎってやる勢いだが、やはり子供。まだそれだけの力はなく、小さい牙が男の腕に刺さっているだけ。
朦朧とする意識の中、マナは小さく首を横に振り、かすれた声でこう言った。「駄目、逃げて」と。そのままマナは気を失ってしまった。
マナが死んでしまったように見えたゼネリアは、そのショックで男の腕から口を放した。ばしゃりと真下の水溜まりの中に這うように脱力してしまう。
また、目の前で殺された――と。
男達は嫁と戦利品が手に入ったと喜び、気絶したマナと無気力になったゼネリアを担いで西側の海へと向かって行った。