13話 得体の知れない子
診療所の外では、龍の子供達や他の異種族の子供達が遊んでいた。
人間ほど数が多い訳ではないが、楽しそうに術を使ったり畑や家に悪戯をしている。人間にはなく、現代の龍の里――江月では見ない光景だ。
そもそも何故歴史を歪めてしまったのか。異種族を抹消してしまったのだろう。
現代のカトレアの国王となったネツキがいつか言ったように、歴史は正しく伝えられるべきなのだ。過ちを繰り返さない為にも、異種族が人間と手を取り合って生きていく為にも――。
そんな考え事をしていると、マナの頭に向かって石が投げつけられた。当たりはしなかったものの、目の前を掠めたのだ。もう一歩前に進んでいたら当たっていただろう。
「人間は出てけー!」
「自然ををいじめるなですー!」
投げたのは小さい龍の子とエルフの子供だ。二投、三投と石を投げ、四投目でマナの額に当たった。
小さくても里を護ろうとしている。例えマナが何もしていなくても、異種族にとっては人間は悪しかないようだ。
緋媛がいればこのような事はされなかっただろうが、今戻るのは気が引ける。やはりイゼルの屋敷で大人しく本を読んでいた方が良さそうだ。
血は出なかったものの、痛む頭を押さえて屋敷の方向へ向かう。
すると、ぐすぐすと泣きながら歩いてくる赤い着物の子供がやってきた。ゼネリアだ。どうしたのかと、マナが声をかけようとすると――。
「うわっ、不気味なのが来た!」
「退治してやる、化け物めー!」
投げられた石が今度はマナではなく、ゼネリアに向かって飛んでいく。両手を交差して盾を作るようにしているが、石は当たる。
「やめなさい! どうしてこんな事をするのです! この子が何をしたのですか!」
慣れないヒールでトコトコ走り、ゼネリアの前に庇う様に立ちはだかる。
「だってそいつ、龍族でもエルフでもドワーフでもないんだー」
「得体の知れない化け物の子だって、父さんが言ってたんだよ」
「怖くて不気味だから遊んじゃダメだって」
「そんな……」
大人も子供もそんな事を平気で言うとは、信じられない――。
現代でゼネリアが生きていた時「私が怖くないのか」と聞かれた事がある。それは今までそう言われていたからだと悟った。
可哀想に。後ろの彼女を憐れむ目でチラリと見た。
マナのその目が、ゼネリアには自分を拒絶する瞳に見えたのだ。やはりこの里に自分の居場所などない。彼女は里の南西に向かって走りだした。
「待って下さい! 待っ……あっ!」
ヒールで走ろうとしたマナは、転んでしまう。
どうせ追いつけないが、このままでは余計に追いつけない。靴を脱いで走れば追いつくのではないか。足を痛めそうだが考えている余裕はない。
マナは脱いだ靴を手に持って追いかける事にした。
***
何故ゼネリアが泣いていたかというと、その話は少し前に遡る。
ボロボロな姿で司に連れられ、緋倉と共にイゼルの前に突き出された後の事。
「お前たち、どうしたんだその姿。姫は? 何があったんだ司!」
焦るイゼルに若干苛立ちながらも「落ち着け」と口にした。
緋紙は緋倉を抱きしめながら怪我はないか全身を確認している。
司に持ち上げられたままで頬が腫れているゼネリアは、羨ましいその光景から目を逸らした。
とりあえず部屋で話を聞こうと、イゼルの私室へと入る。彼の目の前に司、その左隣に緋紙が緋倉を抱いて座った。ネリアは緋紙の後ろに少し距離を取っている。
司と行動を共にしていた緋刃はというと、すると少し遅れてやってきた。来るなり司の命令で説明をし始めたのだが、これがまた下手なのだ。
「えーっと、父さ……司さんと北東の森に移動したらゼネリア姉さんが飛んできて、その方向見たら火柱が上がってて、行って消火したら媛兄がぶっ倒れて姫様とヤッカ姐さんがいたんだ」
「……すまん、もう少し詳しく話してくれないか」
訳して欲しい、とは言えない。目を点にしてイゼルから頼むが、緋刃ではこれ以上の説明は出来ないようだ。
情けないという表情をした司が、マナと薬華から聞いた状況を全て説明した。しかし、腑に落ちない点がある。
「あの人間の小娘、自分が人間を刺したって言ってたんだけどよ、腰抜かすような女がそんな事出来る筈がねえ。誰か庇ってんじゃねえかなー……」
と、司は鋭い視線をゼネリアに向けた。
「あの炎は発情して持ち場離れた緋媛だとしてもよ、焼き焦げた死体に残った傷……。ありゃ術か刀傷だ」
「ゼネリアちゃんじゃないよ、お姉ちゃんがやったんだよ。風をびゅーって出して!」
「はあ? 寝ぼけてんじゃねーぞ、緋倉。人間が術使える訳ねえだろ」
「本当だって! 僕見たもん! ね、ゼネリアちゃん」
バタバタと暴れる緋倉を緋紙がぎゅっと抱きしめて押さえる。
イゼルと司、緋刃の視線を感じたゼネリアは俯いて口を開けず、首を縦に振った。――どうせ信じてくれないだろうが。
現場を見ていないイゼルは、子供達が同じ証言をしているのなら信憑性が増すと考える。
しかし人間が術を使うなど聞いた事がない。遠くから緋媛が風の術を使った可能性もあるが、彼がどの属性の術に長けているか知らないのだ。
「……緋媛からは後で話を聞くとしよう。その前にお前たちだ。正直に答えれば咎めはしない」
「お前なあ、本当に甘いな!」
「黙っててくれ、司。子供達を信じたい。……どうだ、ゼネリア」
じっと探るような真剣な眼差しの中に、疑いが見える。でも正直に答えればいいのだと、ゼネリアは口を開いた。
「……人間を動けなくして、一人殺した。お母さんの仇を取るんだって、もう一人殺そうとしたら風が人間を傷つけてた。とどめを刺そうとしたら、殴り飛ばされたの」
「お前、俺が今日も言った事を忘れてそんな事したのか? 母の敵討ちとはいえ人間を殺すなど……、そんな人間とお前も同類になってしまうと言っただろう」
ゼネリアに向けられたイゼル視線は、悲しみしかなかった。何度も言っているのにこの気持ちが伝わらないという喪失がある。
司が緋刃にアレを出すようにと顎で命じると、焼き焦げた短刀を懐から取り出し、そっと畳の上に置いた。それは時々ゼネリアが持ち出しているイゼルの短刀。焦げた匂いの中に、わずかに血の匂いが混じっている。
「ゼネリア、ここへおいで」
とんとんと畳を指で叩き、緋紙の後ろに隠れている彼女に傍に寄るよう促すが、やはり動かない。もう一度名を呼んでやると、嫌々やってきた。唇をぎゅっと噛み締め、不満そうにしている。
「いいか? 復讐はな、新たな恨みを買ってしまうんだ。そして延々と繰り返し、終わりが見えなくなる。恨むなとは言わないが、敵討ちをしてはいけない。それでお前達は殺されかけたんだ。緋倉も人間の娘も巻き込んで。分かるか?」
「……緋倉とお姉ちゃんと一緒じゃなきゃいいの?」
「それは違う。お前のやる事が愚かだと言ってるんだ」
「じゃあ、人間に殺されてもいいの?」
「それも違う。俺達龍族も他の異種族も人間も、命は大切な――」
「ゼネ龍族でも人間でも何でもないもん!!」
急に声を張り上げたゼネリアに驚いた緋倉は、ぎゅっと緋紙に抱きつく。
混血というだけで里にいる異種族から虐げられているので、気に触ってしまったらしい。髪の色が黒くなっていく。
「みんな変な目でゼネの事見てるの! 髪の色も変わるし、化け物だって言うんだよ! ゼネのやった事が悪い事ならみんなは何してもいいの!? なに言ってもいいの!? おかしいよ、間違ってるよ! そんな奴らみんな死んじゃえばいいんだ! お母さんを殺した人間も、みんなみんな死んじゃえば――」
部屋の中に頬を叩く音が響く。
「何を、馬鹿な事を言ってるんだ……! お前には命の重みが判らないのか!」
重い空気と沈黙の時間が僅かに流れる。
唇を噛み締め、泣きそうになる所をゼネリアは堪えていた。――が。
「……暫く、お前の顔を見たくない。……出て行ってくれ」
視線すら合わせず幻滅したイゼル声が耳に入り、彼女の頭の中が真っ白になる。動けずにいると、決定的な言葉ではっきりと意味を理解した。
「出ていけ! 今すぐ!」
――捨てられたのだ、この瞬間に。
恐怖と悲しみと、様々な感情が入り混じる。ゼネリアは逃げるように部屋を出て行った。
緋倉が追いかけようとする。
「ゼネリアちゃん!」
「おっと緋倉、お前は俺と話をしようじゃねえか。な?」
首根っこを掴まれて持ち上げられた緋倉は、視線で部屋を出ていくようにと緋刃と緋紙に促した司に連れられて行った。
緋刃はゼネリアを気の毒に思ってはいるが、そこまでしなくてもいいと言える空気ではない。そもそもイゼル自身が苦悶に満ちた表情をしているのだから。
緋紙に肩を叩かれ、どちらの様子も気にしながら部屋を出て行った。
そして部屋の中に残ったイゼルは、自らに対する怒りを畳にぶちまけたのだった。