6話 レイトーマ王女の縁談
「ツヅガ総師団長ー! たたたた、大変ですー!」
「朝から騒々しいのう。どうしたんじゃ?」
「姫様が私室にいらっしゃいません!」
「何じゃと!? 緋媛、緋媛はどこじゃ!!」
朝を迎えたこの時、レイトーマ城では王女が消えたと大問題になっていた。
メイドが部屋の扉をノックするが返事がなく、護衛の緋媛を呼ぼうにもどこにも姿がない。焦ったメイドは失礼ながらも勝手に私室を開け、ツヅガに報告したという。
ツヅガは早急に国王の側近らに通告、緊急会議が大会議室で開かれた。
緋媛もいない事から彼がマナを連れ去ったのか、マナに頼まれて抜け出したのかと推測し、見解は真っ二つに分かれいてる。
「朝から大変だな~」
会議室の前をふらりと通り、ぼそっと呟いたのはレイトーマ師団第四師団長ユウ・レンダラー。
江月からの使者が来ようが関係ない、自分の興味が沸かないものはどうでもいい、自由気ままな男である。
そんなユウだが、第二師団長シドロの行動は気にしていた。何故ならシドロは、早朝にふらりとどこかへ出かけていたのだ。まるで消えたマナを街中まで探すかのように――。
城のエントランスへ足を運ぶと、扉をくぐるシドロが視界に入った。
面倒だが聞いてみるか、と欠伸をしたユウはこう声を掛ける。
「お~い、どこ行ってたんだよ」
「散歩でござるが?」
さらっと即答してさっさと立ち去るシドロに、ユウは舌打ちをした。なかなか尻尾を出さず、つまらない。
ユウはシドロを初めて見た時から怪しいと感じていた。緋媛という護衛がいるのにやたらマナの周りを探ろうとし、定期的に城外のどこかへと消えては戻る。
尻尾を掴んでからツヅガに突き出してやろうにも、どうやらシドロは総師団長の推薦で隊長になった訳ではないらしいのでどうしようもない。
それでもユウは、退屈しのぎの玩具のようにシドロを警戒しているのだった。
さて、話を戻そう。
国王の側近達による緊急会議が開かれた後、師団長全員に召集がかかるはずだ。
どうせ緋媛がいるだろうから問題ないと考えているユウは、その召集をどうサボろうか考え始めた。
(……城下にでも遊びに行くか~。筋肉バカに見つかる前に)
「あ! ユウいたのネ!」
その筋肉バカのアックスの声が聞こえた瞬間、反射的に逃げ出したユウだったが、たまたま外の見回りをしていたアックスの部下に捕まり、召集に応じる事になってしまったのだった。
***
「――今頃そうなってんだろうな」
イゼルの屋敷の数ある部屋の一室で、のテーブルに頬杖をついている緋媛は、レイトーマ城の様子を予測していた。まさか予想通りの事が起こっているとは知らず、呑気に茶をすすっている。
「流石に黙ってきたのは良くないな」
イゼルも冷静でありながら穏やかに言放つ。
リーリの手を借りて浴衣に着替えたマナはそのテーブルに対面して座っており、勢いとはいえ城を抜け出した罪悪感に襲われていた。その緊張で目の前の茶に手を付けられない。
「何て事をしてしまったのでしょう……。城の者に迷惑をかけ、緋媛の責任で特別師団長を解任されてしまったら……」
「そうなったらここに戻るだけだ。俺レイトーマ人でもねえし、別にどうって事ねえよ」
「ですが……」
全く気にしていない緋媛に反して、レイトーマ城での事を反省して青ざめているマナ。そういえば緋媛は江月の民、気にすべきはそれではないと気付いた彼女は、イゼルに体を向き直した。
「江月の国王陛下、この度は私の我儘で起きた事なのです。どうか緋媛を責めないで下さいませんか」
他国の王女がイゼルに許しを請うというぶっ飛んだ状況を生み出したマナ。
これは予想出来なかった緋媛は、噴出しそうになった茶をごくりと音を立てて飲み込み、身を乗り出した。
「ちょっと待て、色々つっこみてえが何であんたが謝るんだ」
「ははは、いい緋媛。俺から話そう。いいかレイトーマ王国の王女。詳しい事は言えないが、国王というのは違う。俺はここの長なんだ。更に言うとここに住む者は皆、レイトーマ人でもカトレア人でも、ダリス人でもない。……違うな、ダリス人は二人いるか。とにかく、貴女は自分の起こした問題に反省しているようだし、俺からは何も言うまい。無論、緋媛を責める事もない。それと、俺の事は気軽に名前で呼んでくれ。いいな?」
見た目は30代半ばぐらいのイゼルに妙な説得力を感じたマナは、思わず「は、はい」と返事をした。
しかし、胸のあたりがもやもやする。江月はダリスから独立した国だというのに、ダリス人でもない、とはどういう事なのだろう。国王ではなく長という事にも違和感を感じる。
聞き出そうにも詳細は答えられずで片付けられてしまいそうだと思い、マナはこの疑問と違和感を心の中にそっと仕舞い込んだ。
するとそこへ、ぱたぱたと足音を立ててツインテールのリーリ・クロイルが満面の笑みでやってきた。
「みたらし団子持ってきましたー! あれ、お姫様がお茶を飲んでないっ!」
口を付けた様子もないので、リーリはあんぐりと口を開けて衝撃をうけた。
「ごめんなさい、この緑の液体、お茶っていうんですね」
実はマナ、茶や和菓子の事は書物で知っていたが、実際に見るのは初めてである。レイトーマ城では、常に紅茶を飲んでいたのだから。
リーリは目玉を飛び出すぐらい大きな反応を見せた。
「えええええ!? お姫様知らないんですかぁ!? じゃあこのお団子も?」
「ええ、食べた事はあ――」
「食べてみて! すっごく美味しいよ!」
マナが言い終わる前に、団子を彼女の口元に突き出す、せっかちでそそっかしいリーリ。
団子が刺さっている竹串を受け取ったマナは、初めて食べるそれにドキドキと胸を高鳴らせ、一つ口に入れた。
「んっ!! 美味しいです! 一口に丁度いい大きさでもちもちした食感にタレの程よい甘さが……」
うっとりと綻んだ笑顔を見せるマナ。ならば俺もとイゼルも団子に手を出し食べ始める。ところが、緋媛は一切手を出さない。
リーリはマナとイゼルに満足し、「にへへ」と笑うとびしっと右手を額に当てて敬礼をした。
「リーリはまだお仕事が残ってるので! ではでは!」
ぴゅーっと風のごとく去って行ったリーリだが、すぐ戻ってきた。
何かとマナが思っていると、緋媛の目の前にてくてくと歩み寄り、文字通り見下し一言。
「残したり二人に食わせたら殺すぞ」
イゼルがくすっと笑うが、マナはこの黒い形相のリーリに目を丸くした。
が、瞬きをすると今度は先程までのにっこにこしたリーリに戻っていたのだった。
「じゃ、失礼しまーす☆」
手を振り、今度こそぴゅーと去ったリーリ。
マナは黒い形相のリーリは気のせいだ、気のせいだという事にしようとしていた。
ところが今度は緋媛の様子がおかしい。今まで見た事のないぐらい顔が真っ青だ。
心配になったマナは恐る恐る聞いた。
「どうしたんですか、緋媛……」
「ははは。リーリもなかなか厳しいな。姫、緋媛は甘い物が嫌いなんだ」
初耳だった。好き嫌いなど一切ないと思っていたが、甘いものが苦手だとは。
「リーリが甘い物を出したのは単なる悪戯心からだろう。遊んでくれる者が少ないから言って、構って欲しくて意地悪する時があるんだ。今回は緋媛を久しぶりに見たからな、何かきっかけが欲しかったんだろう」
やはりリーリに触られた時に見えた過去は間違いではなかったらしい。
遊びたい年頃で遊べなかったマナには、その気持ちは分からなくもない。互いの事情は違うが、江月にいる間はリーリと接しようと思うマナだった。
そのマナは、どうしてもイゼルに聞きたい事があり、恐る恐る口にした。
「あの、イゼル様、いくつか質問してもよろしいでしょうか。いえ、先ほどの件とは別です……」
もちろん、と笑顔で頷くイゼルは、腕組みをして耳を傾ける。
一方緋媛は、嫌いな甘いみたらし団子とどう食べるか戦い始めた。
「私に縁談と伺っておりますが、どなたとでしょう」
国同士の縁談であれば、王族や貴族といった身分の高い者が相手になる。ましてやマナは一国の王女だ。王族でなければ釣り合わない。
しかし、イゼルの返答は彼女にとって意外なものだった。
「……相手は考えていない。姫と惹かれ合う者がいれば、その者と考えているよ」
「それでは、縁談とは異なるかと思います。お相手がいらしてこそ、縁談ではないでしょうか」
口には出せないが、これでは江月に来ないかと誘われているだけであり、縁談をという書状が嘘になってしまう。
イゼルは信用できそうだと思っていただけに、マナの中に不安と不信感が入り乱れてしまった。
しかし、その不安はイゼルだけのものではなくなってしまう。
「ならば、あのままレイトーマ城という籠の中にいてもいいと?」
「その前にきっと、別の縁談があると存じます」
「レイトーマの王女は代々、十八を迎える前に婚約をする。あなたはまだ婚約どころか、その話すら上がっていない。それでも別の縁談があると言うのか?」
マナは確かにイゼルの言う通りだと気付かされた。
暇つぶしに読んでいた自国の書物では、歴代の王女が十八歳になる頃に婚約をしている。
マナはどうだろう、二十一歳だ。何故縁談が上がらなかったのか、緋媛に問い質した。
「緋媛、私の縁談の話は……」
「あったんだよ、レイトーマ中の貴族からわらわらと。でもな、全部あんたの兄貴が一蹴したんだよ。国王より先に婚約者等と許せんってな」
まさかマライアがそこまでするとは思いもしなかった。何事も一番出なければならない性格の兄マライアとはいえ、妹の幸せすら奪うとは。
泣きそうになったマナは感情をぐっと抑え、俯いてしまった。
「……ここには好きなだけ居てくれて構わない。ここがどういう所か、自分の目で見て判断するといい。どのみち貴女にはここに来てもらうが……」
イゼルの最後の一言は、マナにはボソボソとしか聞こえなかった。というのも、二十一になった王女を拾ってくれるレイトーマの貴族は存在するのか、江月にも貴族はどれだけいるのか、そんな事を考えていたのだ。
すると、バサバサという羽音が聞こえてきた。部屋を出た先から出た音のようだ。
イゼルが立ち上がり、部屋の襖を開けると、廊下に鷹が降り立ったところだった。その足元には丸い筒が置かれている。
マナ達が話をしている丁度その頃、各国では様々な動きがあった。中にはマナにとって重要な事もあるのだった―
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