少女と魔王
「勇者ー! 今日こそ貴様を倒してくれる!!」
「勇者さん家ならお隣ですよ」
「えっ」
私のお隣さんは勇者さんです。
今日も勇者さんの家と間違えて、困った方々が私の家にやってきます。
彼もそのひとりです。
「いい加減、学習したほうがいいと思いますよ――――魔王さま」
「むぅ……」
全ての魔を統べる王、通称”魔王さま”は苦虫を数十匹ほど噛み潰したような顔で唸り声をあげます。
人間たちの恐怖の象徴であるはずの魔王さまは、頻繁に私の家と勇者さんの家を間違えます。
おおよそ魔王さまという存在に似つかわしくないドジっ子属性の持ち主です。
「だいたい、娘! 貴様の家が勇者の家と似ているのが一番悪い!」
「己のドジを私のせいにしないでいただけますか。勇者さんのほうが後から越してきたんですから、似ているのは勇者さんの方です。文句なら勇者さんに言ってください」
「そうする!」
理不尽なことをまくし立てた魔王さまはがたんっとけたたましい音を立てて、お隣の勇者さんの家に殴り込みに行きました。
ですが、すぐに戻ってきます。
「おい、勇者がいないぞ」
「勇者さんの外出状況まで私は知らないですよ」
「ならば、帰ってくるまでここで待ってる」と勝手に私の家に居座る困った魔王さま。
自分勝手さだけでいうなら、彼は十分に魔王さまの器です。
この困った魔王さまは一年ほど前、勇者さんが私のお隣に越してきたときからたびたび勇者さんに喧嘩を売りに来ています。
勇者さんの家と私の家は外観がとてもよく似ています。
街の人たちもよく間違えましたが、私の目の前でふんぞり返っている魔王さまも例にもれず間違えて私の家にやってきました。
あれから一年経ちますが、魔王さまは未だに勇者さんの家と私の家を間違えます。
先ほども言いましたが、いい加減学習すべきです。
「そもそも魔王さま、あなた魔王なんですから勇者さんが来るのを待っているべきでは?」
物語で王道なのは、勇者が仲間を引き連れて魔王の住む城にやってくるというものです。
物語に則るなら、待っていればいつか必ず勇者さんのほうからやってくるはずです。
「その勇者がいつまで待っても来ないから俺様のほうから来てやってるんだ!」
バンッと苛立った様子でテーブルを叩く魔王さま。
あなたの腕力で力任せに叩かないでください、ヒビが入ります。入ったら弁償させますけど。
勇者さんは人気者ですから、あちこちの街や村からひっきりなしにオファーが来ます。
村人や町人が討伐の依頼を出さない限り、なかなか魔王さまのところには来てくれないそうです。
だからって自らやってくるのは無茶苦茶すぎると思います。
「討伐の依頼が出ていないということは、魔王さま、何気に悪事は働いていないんですね」
現実の魔王さまは案外常識人のようです。
見た目だけは、お話に出てくるような悪い魔王なんですけどね。
少し癖のついた長い黒髪を首の後ろで結んで左肩のほうへ流し、切れ長の瞳は黒真珠のような深い色をしています。
襟の立ったマントを羽織り、服もどこかの貴族のような上等なものです。雪のように白い肌に冷たい美貌の彼にはとてもよく似合います。
どこからどう見ても、いかにも魔王って感じです。
中身は勇者さんに袖にされ続け、あまつさえ自分からやってきてしまうようなドジっ子王ですが。
「そうか。悪事を働けば勇者のほうからやってくるのか」
「魔王さま、あなたは今すぐに魔王を他の方に譲ったほうがいいです」
はっとした顔で何を言い出すかと思えば、とことんおつむが足りない残念な人です。魔族なので人ではありませんが。
そんなんだから勇者さんと同じくらい顔がいいのに、勇者さんに比べて女性人気が低いんですよ。
「では、どんな悪事を働けば勇者が俺様のもとに駆け付けると思う?」
「私に悪事の片棒を担がせようとするのやめていただけませんか。共犯罪で私まで勇者さんに退治されてしまうじゃないですか」
だいたい悪事会議がしたいならお城に戻って部下の方とすればいいでしょう。
なぜあえて、一般市民である私を選ぶんですか。
「普通の一般市民は魔王である俺様とのんきに茶など飲まない」
「私がのんびりお茶していたところにあなたが割り込んできただけですけどね。勝手にマイカップを置いていかないでください。かち割りますよ」
なんなんですか、この猫の取っ手のカップは。
私の家の食器棚が一部だけファンシーなことになってるじゃないですか。
かわいこぶっても全然似合いませんよ。
コンコンコンッ
猫取っ手とカップを掴み、分離を試みようとしたときにノックが鳴ります。誰か来たようです。
仕方ないので分離はまたの機会にしてあげましょう。
魔王さまにカップを投げ渡し(必死にキャッチしてました。どんだけ大事なんですか)、私は扉の方へ向かいます。
扉を開けるとモノクルをかけた燕尾服姿の男性が立っていました。
魔王さまの部下の方です。
「失礼します。こちらに魔王さまがいらっしゃってますよね。引き取りに参りました」
「そうですか。魔王さまー、お迎えがきましたよー」
「おい! その保護者が託児所に預けてた童を迎えに来たみたいな呼び声をやめろ!」
「似たようなもんじゃないですか」
「似たようなものでしょう」
「ぐぬぬ……ッ」
なにを言っているんでしょうね、この魔王さまは。
「あなたも毎日大変ですね。あの園児王のお守なんて」
「いいえ、こちらで預かってくださっているおかげで迷子の王を探しに行かずに済んでいますよ。これ、つまらないものですがどうぞ」
「わあ、マドレーヌですか? ありがとうございます。よろしければお茶でも飲んでいってください」
「恐縮です。では、お言葉に甘えて」
「待て待て待てーッ!」
なんでしょうか、やかましい王ですね。
「娘! 貴様、一度も俺には茶を勧めたことがないくせに、なぜオルファスには勧めておるのだ!」
モノクル燕尾服の部下の方のお名前は、オルファスさんとおっしゃるようです。初めて知りました。
「賓客と闖入者の違いですけど、それが何か?」
毎回扉を蹴破って入ってくるどっかの王さま。礼儀を守ってきちんとノックをして扉から招かれて入ってくる部下の方。
扱いに差が出るのなんか当然です。
「なら、俺もノックしてやろう!」
「どうぞ、さようなら」
「そこは”いってらっしゃい”じゃないのか!?」
「招き入れるつもりないので」
そんなことをしても魔王さまは賓客に昇格することはできませんよ。
「お話し中のところすみませんが魔王さま、勇者が帰ってきたみたいですよ」
「なにぃ!? 待っていろ、勇者! 今日こそ貴様に引導を渡してくれるーッ!!!」
ドタバタガッタンバッタン
魔王さまは慌ただしく立ち上がると、埃を巻き上げて去っていきました。落ち着きのない人ですね。
「では、魔王さまも行ってしまったので私もこれで失礼いたします」
優雅にカップを傾けていた部下の方もそう言うと、一礼して魔王さまの後を追っていきました。――――程なくお隣から騒がしい声が聞こえてきました。
私は彼らが使ったカップを片づけ、部下の方からもらったマドレーヌをお皿に出しました。
魔王さまに邪魔されてしまったひとりお茶会を再開です。
紅茶を一口のみ込んで、ほぅっと息をつきます。――――まだ、お隣は騒がしいです。
今日もまた勇者さんが魔王さまを負かしてしまうでしょう。
そうしたら、負けず嫌いの魔王さまは懲りずに勇者さんに戦いを挑みに来ると思います。……そのたびに、きっと彼は間違うのでしょう。
勇者さん家のお隣は、本当に大変です。
勇者さんの家と間違えて、ドジっ子な魔王さまがやってくるのですから。