想像
撮影用ドローン。目標から百キロ地点で発進。距離五十七キロ地点で狙撃され撃墜。
小型無人艇。目標から百キロ地点で発進。距離二十二キロ地点で狙撃され沈没。
対艦ミサイル。目標から百キロ地点で発進。距離八十キロ地点で狙撃されて爆発。その後ミクリアは浮上し、ミクリアから百キロ地点にいた自衛隊護衛艦(ミサイル発射担当艦)への狙撃を開始。攻撃された護衛艦は大破・沈没。百五キロ地点で待機していたもう一隻の護衛艦は、退避中に狙撃されて沈没。隊員を乗せた避難ボートは攻撃対象とならず。
「……めちゃくちゃ敵視してますね」
「それぐらい追い込んだ、といえば聞こえは良いがな」
研究施設の一室。由紀は勇也と共に自衛隊から提供されたデータを見て、嘆きの言葉を漏らした。
ミクリアが攻撃する対象を調べる。
極めて危険な調査を、自衛隊は勇敢にも敢行してくれた。それが先の艦隊戦で散った仲間の仇を取る方法だと、多くの隊員が志願したらしい。
結果として二隻の護衛艦を失った。最初からこの事態は想定しており、多くの隊員が脱出出来たようだが……少なくない数の自衛隊員も亡くなっている。あまりにも無情な死であるが、彼等は多くのデータを持ち帰ってくれた。
まず、予想通りミクリアは先の戦いで受けた攻撃を覚えている。
「ミサイルだけでなく、ドローンも護衛艦も攻撃しています。護衛艦は兎も角、ドローンは戦闘機の事を覚えていなければ攻撃しないでしょうね」
「ああ。余程嫌だったと見える」
次に、ミクリアの識別内容はかなり曖昧である事。
「前回の艦隊戦では、ドローンと小型艇は攻撃に使われていない。恐らく戦闘機と、艦艇の区別が付いていないな」
「有人戦闘機とドローンだと、大きさが全然違いますけど……」
「五百メートルもあるミクリアからすれば、大した差ではなかろう。人間とて、一般人ならスズメバチとアシナガバチの区別は付かんだろうし、付ける必要もない。どちらも殺虫剤を掛ける対象だ。避難ボートぐらい形が違えば、別物だと分かるようだが……或いは遠いから、攻撃するのが面倒だったのかも知れん」
危険な存在ほど、近付けたがらない事。
「ドローンの方が無人艇より小さいのに、より遠くから撃墜していますね。ミサイルは更に遠い」
「恐らく速いものと、飛行しているものを優先している。ダメージを与えたものは、その二つが共通しているからな」
「それでいて、ミサイルを船が発射したものと理解している。そうでなければ、遠くて遅い護衛艦が攻撃対象になるとは思えません」
そして可能ならば、戦闘を避けたがっている。
「ミサイル攻撃を始めるまでは、護衛艦への攻撃をしていません。小型艇も、二十二キロ地点まで接近出来ています」
「ああ。攻撃にはエネルギーを使う筈だ。向こうとしても、可能ならば戦闘を避けたいのは自然な考えだ」
「でも、二度と攻撃されるのはごめんだと」
「先制攻撃で排除するぐらいには、な。しかも一度攻撃を始めたら、キッチリ完璧に排除する。線引が明確だ」
自衛隊が持ち帰った情報を精査するだけで、ミクリアの『性質』が色々と浮かんでくる。他にもドローンが撮影した画像(遠くて不鮮明だが、辛うじて姿が見える)から、現在のミクリアが元の姿、正六面体の状態に戻っている事も判明した。
同時に、どれだけ驚異的であるかも理解させられる。
「単に身体能力に優れるだけでなく、知能にも優れている……厄介ですね、これは」
「ああ。うちの飼い犬くらい馬鹿なら、病院の前に行くまで注射の日だと勘付かないだろうが……恐らくコイツは、怪しい動きをすれば撃ち抜くぐらいの頭はあるな」
勇也の冗談を流しつつ、由紀は頷いて同意する。ミクリアの強大さがそもそも厄介なのに、賢ければこちらの知略を見破られる事も考慮しなければならない。
また、下手な作戦をすればそれについても学習され、次の手が打ちにくくなる。勝てるという確信がなければ、行動を起こす訳にはいかない。
それでいて、時間があるとは言い難い。
「(ミクリアはたった一年で十六倍もの大きさに成長した。だけど海面に浮上してから、そろそろ一月になるけど、大きさに変化は見られない)」
仮に直線的な成長をしていたなら、一月あれば一・三倍ぐらいの大きさまで育つ筈だ。
そこまで順当な成長はせずとも、まだ幼体ならば多少は大きくなるだろう。だが現状、遠距離からの観測ではあるが、ミクリアの大きさは初出現時から殆ど変化していない。
生物の成長が止まる理由は、幾つかあるが……性成熟を迎えたというのは典型的なものの一つだ。だとすればミクリアは間もなく繁殖を行う可能性がある。
一度に一体しか生まなければまだ良い。だが十や百も生み出すなら、その時点で地球は終わりだ。海洋環境が崩壊し、連鎖して地上生態系が滅びて、人類は絶滅へと向かう。
挙句猶予がどれだけあるか分からないのが、却って焦りを生む。一月後かも知れないし、明日の事かも知れない。最近の由紀はすっかり寝不足気味だ。
「……少し、気分転換をしよう」
そんな体調を察したのか、勇也はそう提案してきた。
「気分転換、ですか?」
「ああ。倒し方ばかり考えていても気が滅入る。少々不謹慎かも知れないが、宇宙怪獣の生態や進化について考えてみてはどうだ」
「……それは……いえ、確かにそれも必要ですし、同じ事ばかり考えても非効率ですね」
内心寄り道をしている暇はないと思うが、勇也の言う事にも一理ある。疲弊した精神状態で考えても、進展はないだろう。
それに生態や進化が解明出来れば、生理反応などを推察するヒントになる。至近距離まで接近するアイディアも、案外簡単に浮かぶかも知れない。何より科学は発展するほど、様々なものが関わってくる。高度な生物学を理解するのに、数学や化学の知識が必要になるように。
殺すために、生きる術を知るのは、決して寄り道ではない。
「うむ。では何から考えようか」
「やはり、最初に知るべきは食性だと思います。ミクリアが何を食べているのかさえ、未だ私達は知らない」
ミクリアの食性が不明な理由は明白だ。何かを食べている、その瞬間が観測されていないからである。
おまけにミクリアは外見上、口などの器官が見当たらない。
どんな生物にとっても食事は重要であり、だからこそ口はその食事に適したものになっている。例えば頑丈な植物の葉を食べるチョウの幼虫は大きく丈夫な顎があり、樹液を食べるカブトムシの口はブラシ状であるように。ミクリアも口器が確認出来れば、食性の予想ぐらいは出来ただろう。
何故ミクリアの口は見当たらないのか。視点を変えるなら、何故ミクリアは何かを食べているところが目撃されていないのか。
「流石に、食べてないって事はない筈ですよね」
「絶対ではないが、考え難いだろう。艦隊戦で消費したエネルギーは膨大だ。何も食べないで、活動を維持出来るとは思えない」
地球生命の中には、成体になると何も食べない種もいる。ヤママユガやユスリカなど、昆虫でよく見られる性質だ。極論生物は子孫さえ残せればそれで存続出来るので、成体になった後の食事は必ずしも必要ではない。
しかしそれは、繁殖だけをするから許される形質だ。戦闘なんて『無駄』なエネルギーを使う余裕はない。
ミクリアは人間達の攻撃を受けた際、バリアを展開し、謎の射撃で迎撃までしている。膨大なエネルギーを消費した筈であり、補給なしで活動し続けるのは困難だろう。
ここから導き出される可能性は二つ。一つはミクリアは人智を超えた神が如く存在であり、無から何かを捻出している。エネルギー保存則も熱力学も修正が必要になるだろう。
そしてもう一つの、もっと現実的な可能性は、見ているのに食事だと気付かれていないパターンだ。例えば……
「……あの角から伸ばしている棒。あれが口かも知れません」
「……成程。給水と同時に何かを食べているのか」
ミクリアは海面に向けている方の角から、時折筒状の器官を伸ばしている。
前々から『給水口』ではないかという予想はあったが、あそここそが口として、栄養摂取も兼ねているのではないか。その場合、エネルギー源は海水中の何かだろう。
「(真っ先に思い浮かぶのだと、海水中のプランクトンや有機物かな)」
自然環境下の水は、存外汚い。
この汚さは、プランクトンや有機物が豊富だからこそ生じるものだ。そして有機物は、ちゃんと利用すれば食物となる。
文字通り『カス』のようなものだが、そこら中にあるため量は膨大だ。地球最大の動物であるシロナガスクジラも、主にプランクトンであるオキアミなどを食べている。濾し取り、エネルギー源にするのは合理的な生存戦略だろう。
……と、言いたいところだが。
「プランクトン食で、あのエネルギーを生み出すのは難しそうですよね」
「そもそも地球生命と同じエネルギー生成方法では、あの巨体は維持出来んだろう」
プランクトン食の生物は、地球にも数多く存在する。先程例に挙げたシロナガスクジラもその一種であり、尚且つ地球上で最大の動物である。
そう、最大の動物だ。しかも化石記録などで分かっている限り、古代にも例がないほど巨大な。
見方を変えれば――――今の地球環境でプランクトン食をしても、全長三十メートルちょっとの大きさが限界という事だ。もっと大きくなる余地がないとは言わないが……体長が二倍になると体重は八倍になる。重さは体積に比例するからだ。体重 = 細胞の数と考えれば細胞数も八倍なり、つまり細胞が消費するエネルギーも八倍になる。たった二倍大きくなるのに、八倍も食べなければいけない訳だ。
五百メートルもの巨体を支えるには、単純計算でシロナガスクジラの四千六百倍のエネルギーが必要となる。実際には大型化すると表皮からの放熱が減る(体重が体長の三乗で増えるのに対し、表面積は体長の二乗で増えるため、生み出すエネルギーの増加よりも逃げるエネルギーの増加が小さい)ため、単純計算よりもエネルギー消費は少なくて済むが、だとしても四千倍以上のエネルギーは必要だろう。
プランクトン食、というより有機物と酸素を反応させる方法で、ミクリアの身体を維持するのは無理がある。ましてやバリアや長距離射撃をするのに回すエネルギーがある訳もない。もっと膨大で効率的なエネルギー生成システムでなければ、ミクリアは生きていられない筈だ。
「そう考えると、もっと大規模なシステムなのでしょう」
「そうだな……月並みだが、原子力や核融合の可能性はないだろうか?」
勇也が挙げた可能性は、人類が知る中でもトップクラスの効率を誇る発電方法だった。生物に可能なのか? という根本的疑問はひとまず置いておき、可能性について検証する。
まず原子力。所謂ウランなどの核燃料を用いた方法だ。原子の崩壊(核分裂)とその連鎖反応を用いてエネルギーを生み出すやり方で、放射線や臨界状態(核反応が止まらずに安定している状態)の制御など、安全な運用をするには高度な技術が必要だが……反面核反応を起こすだけなら、実は簡単だ。一定量の核物質、つまり核反応を起こしやすい物質を集めるだけで良い。
事実核反応を一切制御せず、爆発的に引き起こして炸裂させる兵器――――原爆の仕組みは、爆薬で核物質を圧縮・高密度化させるだけである。原子力発電ではそこまで急激な反応にならないよう、少量の核物質を制御しながら運用する。
そして海水中には、実は核燃料となるウランが含まれている。ミクリアが海水を濾過していれば、核燃料の抽出は可能だろう。
もう一つの方法である核融合は、未だ人類も実用化出来ていない仕組みだ。高温高圧の環境下に原子を閉じ込め、原子同士を『融合』させ、その際生じるエネルギーを使うのだが……原子を閉じ込める容器の開発に苦心している。何しろ核融合を起こすには数億度もの高温が必要であり、普通の容器では強度どころか形すら保てないのだから。だがこれにより得られるエネルギーは、原子力の比ではない。ミクリアが核融合を実用化していれば、巨体を維持してもまだ余りあるエネルギーを得られるだろう。
更に核融合の燃料となるトリチウムは海水に含まれている成分だ。重水素も海水に存在しており、抽出する仕組みさえあれば燃料には困らない。
そして原子力・核融合どちらの方法でも、生成されるエネルギーは『熱』である。この熱でお湯を沸かし、タービンを回す事で発電を行うのはどちらの発電方法でも変わらない。常に大量の蒸気を噴出しているミクリアは、タービン発電をしているのではないか……
と、言いたくなるが、それらをしている可能性はあまり高くない。
「出来ないとは言いませんけど、ミクリア周辺の放射線量は基準値以内なのですよね……」
原子力では燃料であるウランが分裂する際、放射線を放つ。これはウラン原子が壊れた際に出る『破片』のようなものだ。またこの放射線が周りの原子を破壊する事で反応が連鎖するため、原子力発電において放射線は必須である。
核融合でも放射線は出る。中性子線という非常に強力なもので、これは核融合時の『余り』だ。トリチウムと重水素の核融合では、正常に反応すればどうやっても生じてしまう。
どちらの反応を用いても、強力な放射線が放たれる。それは遠くから観測しても捉えられる筈であるが、現在までにミクリア周辺の放射線量に目立った異変はない。地球上からすれば平均的な値であり、これといって核反応は起きていない証拠となる。
「それに、この反応だと周辺海域の酸性化が説明出来ません。私は、これがミクリアの排泄物によって引き起こされていると考えていますから」
ミクリアの滞在する海域は、やはり酸性度が高くなっている。
海面に浮上してもその傾向は変わらず、海洋環境は破壊され続けていた。最近の調査により、酸性化が著しいのは海面付近のみで、深い場所ほど影響が少ないと判明したが……海面は太陽光が最も強く届く場所。植物プランクトンの繁殖環境であり、海の生態系を支える根幹だ。ここを破壊されれば海全体が崩壊する。
原子力や核融合では、その酸性化が起こらない。例えば原子力の廃棄物であるプルトニウムは自然環境下では酸化プルトニウムで安定し、水には溶けない。核融合では大量の水素を消費するため、酸性度はむしろアルカリ性に傾く(pHとは水素イオン指数のこと。pHの数値が小さいほど水素イオンの濃度が高い)筈。
「酸性化の原因は判明していたか?」
「ええ。海水中の硝酸イオン濃度が正常値から逸脱していました。恐らくミクリアが生成した、排泄物だと思われます」
ミクリア周辺の海域で多く検出された成分も、核融合や原子力によって発生するものではない。
逆に、原子力や核融合の廃棄物であるプルトニウムやトリチウム、ヘリウムなどの濃度は、少なくとも周辺海域では正常値を示している。
ミクリアのすぐ傍ではどうか分からないが、あの巨体を動かすためには相当量のエネルギーを生み出さねばならない。いくら核融合でも活発な反応が行われている筈であり、廃棄物も多量に出なければおかしい。
「発想を変えてみよう。硝酸が生成されるような反応が活発に行われているとすれば、なんだと思う?」
「……地球の場合、好気性細菌のアンモニア分解により発生します。酸素呼吸による窒素循環の一つで、特別大きなエネルギーは発生しません」
「むうう……」
「原料となるアンモニアについても、自然界ではそこまで多くありません。人工的に合成する方法はありますが、生成に多くのエネルギーを使うので、これを酸化してもエネルギー収支はマイナスでしょう」
硝酸イオンは直接的なエネルギー生産の結果ではなさそうだ。だとすれば反応の副産物だろうか?
「(いえ、そもそも普通の生化学反応じゃエネルギーが足りないって話じゃない)」
発想が凝り固まりつつある。もっと柔軟に、自由な発想で挑むべきではないか。
しかしどれだけ考えても、まるで良い案が浮かばない。
或いは未知の化学反応を、進化により会得したのではないか――――
「……………進化」
「? どうした?」
ぽつりと呟いた独り言。それに勇也が反応するも、由紀は何も答えない。
今の彼女の思考は、全て内側に向いていた。
「(ミクリアは、どんな環境で進化してきた?)」
ミクリアがどんな生物であるにしろ、その起源はきっと地球生命と同じく惑星上だろう。宇宙空間では、生命誕生に必要な熱や物質が集まるとは考え難い。
その起源たる種族も、最初から優れたエネルギー生産方法を持っていたとは考えられない。最初の仕組みは極めて単純な、平凡な化学反応によるものの筈だ。
ミクリアがどんな生物だとしても、その身体は祖先が確立させたものを土台にしている筈。ならばエネルギーの生産は、化学反応に由来していると考えるのが妥当である。核融合だの原子炉だの、そんなトンチキな方法を使うまでもないし、それが主体のエネルギー生産になるとは思えない。
無論酸素呼吸程度では、あの巨体は維持出来ない。化学反応由来で、尚且つ酸素呼気よりも効率的な反応でなければ、ミクリアという存在は成り立たない。
ならばそれは何か?
そもそも生物は化学反応からどうやってエネルギーを得ているのか。地球生物は大きく分けて嫌気呼吸(酸素を使わない呼吸)と、好気呼吸(酸素を使う呼吸。つまり人間の呼吸と同じ)によって生命活動に必要なエネルギーを得ている。酸素を使わないというと、全く異なる方法でエネルギーを得ているように聞こえるかも知れないが、実は本質的な部分に大きな違いはない。つまりある種の化合物から――――
「……そうよ。そうよ! 生命のエネルギー生産に革命があるとしたら、この部分になる! 地球の生命だって、結局のところその方法を弄くり回しているだけなんだから! だとすると……!」
「雨宮、どうしたんだ? まさか、ミクリアがどうやってエネルギーを生産しているか分かったのか!?」
由紀が叫ぶように考えを叫び、勇也が興奮気味に問い詰めてくる。
問いの答えであれば、その通りであった。現時点ではただの仮説であるが、膨大なエネルギーの源が何か、海の酸性化が何故起きたのか、それらについての説明は可能だ。核融合や原子炉よりは現実味があると由紀は思う。
だが、恐らく勇也の期待――――それでミクリアをどうやって退治するのかには、答えられない。
「……分かりました。ですが、これは……本当なら、もう人類にはどうしようもありません」
「何? それは、どういう意味だ?」
由紀は一度沈黙する。そうであってほしくないという願いと、だからこそ言わねばならないという科学者の矜持に挟まれたがために。
最後に矜持が勝ったからこそ、由紀は語る。
「恐らく、ミクリアには……あらゆる毒素が通用しません」
仮説通りならば、ミクリアにとってこの世の全てが『餌』であると――――