解析
「……これはまた、凄まじいわね」
どうにか一言、由紀は絞り出すように呟く。
世界各国から集められた軍艦による戦闘の『映像』。
部屋に集まるよう指示された由紀達ミクリア研究チームは、ほんの数時間前に起きたというそれを見せられた。朝一から、今日の初仕事として見せられたものに誰もが言葉を失い、困惑した表情を浮かべる。
由紀でさえ、どう考えれば良いのか分からない。
「この映像から、ミクリア駆除のための方法を考案する。それが今日からミクリア研究チームの優先課題となりました。よろしくお願いします」
今し方映像を流した自衛隊員の依頼への答えなど、現時点では見当すら付かなかった。優先だのよろしくだの、気軽に言ってくれるものだと悪態すら吐きたくなる。
……とはいえ、考えなければならないのは確かだ。
ミクリアの見せた『戦闘能力』は、率直に言って脅威。百隻近い軍艦を、攻撃を始めた僅か数分間で文字通り全滅させたのだから。今の人類でこれを為すには、一体どれだけの戦力が必要か、由紀には想像も付かない。というより世界各国が協力したからこそ、百隻という大軍を派遣出来た。アメリカ軍のような『インチキ』を除けば、一国で用意出来る戦力ではない。
つまり現時点で、真っ当な方法ではミクリアの駆除は出来ない、という事だ。
それは勿論、なんらかの理由でミクリアが上陸した際、人類には手も足も出ないという意味でもある。だがそれ以上に問題なのは、ミクリアが繁殖しても数を減らす術がないという事だ。
「(個体数を抑制する要素が、現時点だと存在しない……!)」
どんな外来種でも、順当に個体数を増やす事はあり得ない。環境要因や餌不足、大型動物に捕食されるなどして死んでいく。特定外来生物に指定されたアメリカザリガニでさえ、サギやタヌキなどの在来種に食べられているぐらいだ。
だがミクリアは違う。この巨体を食べる生物などなく、地球環境に問題なく適応してみせた。人の手によって駆除する事が出来なければ、繁殖すればするだけ増えていくに違いない。
たった一体でも、ミクリアは潜伏していた海域を酸性化させ、生態系を壊滅させている。これで個体数が増えれば、更に広範囲の海で生命が滅び去る。海洋生態系の破綻により海鳥なども死滅すれば、彼等の糞という形で運ばれていた栄養も途絶え、地上環境も荒廃するだろう。
少しずつ、何万年も掛けて増えるのなら、地球生命もゆっくりと進化して、新たな環境に適応出来るかも知れない。だがミクリアの繁殖を抑制する要素はない。もしもミクリアが一度に一千や一万もの数の子を生んだなら……一年後には何千ものミクリアが地球中を飛び回り、二年後には数百万どころか一億もの数のミクリアが地球を支配する。僅か数年で海から生命は消え、十以内に地上は死の世界と化すだろう。
世界の崩壊が、目前にまで迫っているのだ。
「……まずは、研究ですね」
だからこそ必要なのは研究。
光一が言うように、知らなければ対策も何も出来ない。まずは相手を知るところから始めるのだ。
幸いと言うべきか、駆除作戦の映像にはたくさんのヒントがあった。
「ああ。とりあえず気になるのは、やはりあのバリアか」
「蒸気が内部に溜まっていましたから、物理的に行き来を遮断する性質のものでしょうね。こっそり内側に入り込むのも無理でしょう」
「しかし普段、蒸気は外に排出されている。平時は展開してない筈だ」
「どのような原理で展開されているかも気になります。風か、それとも電磁波か……」
最初に研究員達から言及されたのは、ミクリアが展開したバリアについて。
確かにあれは、極めて興味深い事象である。
現在の人類に『バリア』を展開する技術はない。しかし強力な電磁波で砲弾などを破壊・結果的に防御する技術は研究が進められている。その発展系の先には、見えないバリアがあるのかも知れない。何より現実にミクリアは見えない壁を展開していたのは、炎や煙がミクリアに触れず、蒸気が外に漏れ出なかった事からも明らかだ。バリアなんて非科学的な、という意見もあるかも知れないが、実在するものを検証すらしないのはもっと非科学的だろう。
流石に映像だけで原理を知るのは難しいが……その性質についてはある程度は予測可能だ。
「バリアについてだが、防御力そのものは極めて頑強なのは間違いない。あれだけの攻撃、特に最後は地中貫通弾を三発も受けたのに、少なくとも直後に蒸気の噴出は確認出来ない」
「だとすると、地中貫通弾自体には耐えた可能性が高いですね。それまでに受けた艦砲やミサイルも、決して弱くはないのに、まるで劣化していない」
「物理的な壁ではなく、電磁波などによるものなら、それこそ時間で再生するだろう。仮に攻撃で突破するなら長期的なダメージではなく、瞬間的な火力が必要だ」
交わされる議論の中で出た『瞬間的な火力』という言葉。
それを聞いた由紀の脳裏に浮かんだのは、人類最強の兵器――――核兵器だった。
核兵器が『問題』のある兵器なのは、由紀も重々承知している。使うべきではないという意見にも一定の理解はあるし、まかり間違っても人に使うべきではない。
しかしミクリアは海を滅ぼし、地球環境そのものを数年で破壊し尽くす可能性のある地球外生命体だ。言い方は悪いが、ちょっとの放射能汚染と数種の生物絶滅を恐れて奴を野放しにするのは、短絡的過ぎる。
それに核攻撃の悪影響は、世間で言うほど大きくない。例えば核実験は過去に世界各地で二千回以上行われてきた。旧ソ連ではツァーリ・ボンバという五十メガトン(広島型原爆の三千三百倍)もの出力の水爆を地上で炸裂させている。当然放射能汚染なども撒き散らした、が、少なくとも今のところ人類も野生動物も、放射能で絶滅する気配はない。核兵器使用により舞い上がった粉塵で気候変動が起こるという『核の冬』も、皮肉にもこれまで行われてきた核実験により、数十メガトン級の出力を持った核兵器でも数発程度ならば起きないと実証されている。
そして今の核兵器は「そんな馬鹿げた出力じゃ却って使い道がない」という理由から、数十〜数百キロトン級のものが大半。これは広島型原爆の数倍から数十倍程度の威力で、ツァーリ・ボンバと比べて遥かに弱い。
こういう言い方は絶対に良くないと由紀も自覚しているが……核兵器を一発使ったところで、大した影響はない。これは科学的事実として認識すべきだ。
ならばその一発で宇宙怪獣を殲滅するのは、地球全体の事を考えれば、悪くない選択だろう。米国や中国が核兵器使用を踏み切るなら、由紀としては賛同するつもりだ。
……効果があるなら、という一文は付けるべきだが。
「だが、今となっては核兵器も使えないだろうな」
「……あの迎撃能力ですからね」
勇也と光一も、由紀と同じ考えのようだ。話を聞いている自衛隊員からも異論はなく、『軍』としても同意見なのだろう。
問題となるのは、ミクリアが見せた驚異の狙撃能力。
艦隊から発射されたミサイルはおろか、艦砲射撃の砲弾まで撃ち落としている。精度も驚異的だが射程も長く、数十キロ彼方の空母まで攻撃していた。これらの攻撃性能を踏まえると、核弾頭を搭載した弾道ミサイルで攻撃しても恐らく狙撃によって撃墜されてしまう。
また、波状攻撃によって弾切れを狙うのも現実的ではない。ミクリアが射出した白いものの正体は不明だが、あの戦いだけで数千発は撃っている。全世界の核兵器総数は約一万二千発らしいが、先の戦闘を見るに全弾撃ち落としてもおかしくない。
そしてミクリアにある程度の知能が備わっている事は、『優先度』を付けるような行動から予想出来る。
「映像を見る限り、ミクリアはミサイルを最優先に撃墜し、次に砲弾、戦闘機、艦艇、そして最後に撮影用ドローンを狙っています。より危険性の高いものを優先して攻撃している」
「ミサイルが危険だと学習している場合、弾道ミサイルは最優先で破壊されるでしょうね」
一度ミサイル攻撃をした事で、ミクリアはミサイルがどんなものか覚えてしまった。恐らく、次からは飛んでくるミサイルは片っ端から撃ち落とす。奇襲攻撃は通用しないだろう。
尤も、仮にいきなり核兵器を使ったとしても、ミクリアの展開するバリアを破れた保証はない。ミクリアは自らの意思でバリアを解除しており、人類が破壊した訳ではないのだから。このままでは耐えられないと考えたかも知れないが、単に鬱陶しくて防御から攻撃に切り替えた可能性もある。
「(後者の場合、生身の丈夫さも油断ならないわね)」
いくら苛立ったといっても、一発で死に至る攻撃の前に生身で飛び出すなど考え難い。攻撃のため仕方ないとしても、それなら体当たりなどを試してからでも遅くはない筈だ。
追い込まれた結果の猛攻、という可能性も十分あるが……それを『前提』とするのは、間違えた時のリスクが大きい。
「軍事攻撃でミクリアを駆除するのは、現実的ではなさそうね……なら、別の方法を探るしかないわ」
「別の方法、ですか?」
「そう。例えば毒殺が有効じゃないかしら」
由紀が新たに提案したのは、害獣駆除では基本となるやり方。
ミクリアがどんな存在であれ、何かを食べて成長した筈だ。今も活動に必要なエネルギーを得るため、何かを摂取している筈である。
その何かが分かれば、エネルギーを取り出す機構が導き出せるかも知れない。機構、つまり化学反応が分かれば、それを阻害する化学物質を投与すれば……エネルギー生成が不十分となり、生命活動が止まるかも知れない。
場合によっては、極めて少量の物質でそれが可能となるだろう。例えばヒ素が人間にとって猛毒なのは、エネルギー生産に関わる酵素の働きを阻害するからだ。あくまでも可能性の話だが、発見出来ればミクリアの駆除は容易となるだろう。
「成程。では今後、どのような調査が必要になるでしょうか」
「……可能なら、排泄物を採取したい。前回の調査ではそれらしきものは得られなかった」
「酸素呼吸かどうかを知るためにも、周辺大気の採取が必要でしょう。出来れば前回よりも近く、蒸気の噴出口の真下辺りで」
「排出した蒸気から雨雲が出来ていますし、雨も改めて採取したいです。勿論ミクリアの傍が良いでしょう」
次々と出てくる調査の要望。いずれも、ミクリアの近くで行いというものばかり。
前回の調査でもミクリアがいる付近で採取したが、それでも数キロは離れている。無駄とは言わないが……乱暴に例えれば、大きさ三十センチの野良猫について知るのに、三メートルも離れた位置から観察するようなものだ。目の前で糞をしたとしても、臭い成分すら採取出来るか怪しい。
何より糞の臭いをゲットしたところで、野良猫が何を食べたか知るのは困難だ。分かる内容も、アンモニアの多さ(タンパク質には窒素が豊富なため窒素化合物であるアンモニアも多くなる)から肉を食べたというのが限度。しかし糞を直接調べれば、鳥やトカゲの骨の欠片を発見し、何を獲物にしたのかも分かる。
ミクリアについても同じだ。近ければ近いほど、より正確で、詳細なデータが得られる筈である。地球外生命体という未知について知るには、可能な限り接近する必要があるとも言えるだろう。
……だからこそ、接近調査の必要性を訴えた研究員達は黙ってしまうが。
「どう、したのですか?」
「……いや。研究のためには接近が必要なのだが……今のミクリアがそれを許すか分からなくてな」
「許す? ……はっ」
自衛隊員も気付いた。人類の『失敗』に。
ミクリアは学習した。人類の持つ数々の兵器が、自分にとって有害なものだと。ミサイルや砲弾が優先すべき排除対象で、飛行機や船はそれに次ぐと。
しかしミクリアにとって見極めるべきは、船や飛行機であるかどうかだけ。それが民間か軍用かは、見分ける必要がない。というより、その辺りの概念を持ち合わせているかは分からない。
つまり。
「恐らく、研究者を乗せたただの漁船も、攻撃対象になるかと……」
焦って攻撃なんてせず、まずは研究すべきだったのではないか。
後知恵で考えた予感は、後日入ってきた「遠洋漁業中の民間漁船がミクリアに長距離狙撃された」という一報により、確信へと変わるのだった。