攻撃
未確認巨大物体は、一年前地球に降下したミクリアと同一個体であると断定。
由紀達の研究報告を聞いた日本国政府の動きは、極めて迅速だった。これまで曖昧な返答に終始していた会見で、正式に未確認巨大物体を『地球外生命体ミクリア』と発表。米国、フランス、イギリス、インド、更には中国やギリシャなどの国々もほぼ同時に公表した。外交により、既に同時発表の体制を築いていたらしい。
続けてミクリアが危険な生物……海洋の酸性化と、暴風雨の生成を行う旨も公表。人類のみならず地球環境に悪影響を与える存在と認定する。
そして多国間での協力体制の下、ミクリア駆除作戦を行うと宣言した。
……作戦はミクリア公表後、僅か一週間後には展開された。明らかに前々から準備していたのが窺い知れたが、どの国も大して隠そうともしない。そこになんらかの思惑があるのは明白だが、多くの国の国民は大して批難していないのが実情である。
政治的あれこれよりも、「悪い宇宙怪獣」をやっつける事の方が重要だとは、誰もが感じていたのだ。そのために世界中が協力しているのに、陰謀だのなんだのと言って水を差す方が疎まれた。
――――かくしてミクリアの周りには、多数の艦隊が展開された。
日本が派遣した護衛艦、米国の駆逐艦、中国からやってきた空母、イギリスのフリゲート艦……他にも世界各地から派遣された艦隊が無数に展開している。ミクリア周辺では暴風雨が今も吹き荒れているが、どの国の艦隊も沈没など事故を起こす気配はない。それどころか動きも整っていて、他国の船と衝突するような気配となく、統率というほどではないが安定した動きで配置に着く。
あたかもこの日に備えて世界全体で準備していた、と言わんばかりに。
……その大艦隊に囲まれた状態を、ミクリアは気にした様子もない。何時もと変わらず、吹き荒れる風に流されるがままゆったりと動くだけ。全身のあちこちからもくもくと白い蒸気を噴出させ、巨大な雨雲と荒れ狂う風を作る。
足下の虫けらなど、興味もないと言わんばかりだ。
実際全長五百メートルにもなる今のミクリアからすれば、精々百五十メートルから二百メートル程度しかない人類の艦隊など、ネコや小型犬程度に見えていてもおかしくない。とはいえ集まった艦隊の数は百近い。未知の物体がこんなにもたくさん集まったのに、ミクリアはどうとも感じていないのだろうか。
暴風雨が吹き荒れているにも拘らず、嫌な『静寂』が海域を満たす。
獣ならばその不穏さに、おめおめと逃げ出すかも知れない。しかし此処に集ったのは、勇気を持った知的生命体の精鋭達。ただ不気味だというだけで逃げ出すような腰抜けは一人としていない。
一呼吸の沈黙。それが行動を合わせるための合図だとは、ミクリアには分からなかったに違いない。
展開していた艦隊が一斉に攻撃を始めるまで、ミクリアは微動だにしなかった。
攻撃は一気に、そして果敢に行われた。艦隊からは次々とミサイルが飛び立ち、一直線にミクリア目掛けて飛んでいく。
ミサイルの有効射程距離は数キロ〜数十キロ程度。射程ギリギリから撃っても、超音速で飛ぶミサイルからすれば長い距離ではない。瞬く間にミサイルは駆け抜けていき……
ミクリアは回避を行わず、全てのミサイルが着弾した。
――――否。
全弾着弾しなかった。
ミサイルはミクリアから、数十メートルは離れた位置で爆発したのである。初撃でその事実に気付いた艦隊は皆無だったが、二度三度と攻撃し、それでもミクリアが無傷である事から注意深く観察。ミクリアにそもそも攻撃が届いていない事実は、たちまち世界各国の艦隊に広まっていく。
注意深く観察すれば、爆発の煙や炎さえもミクリアに届いていないと分かる。電気や弾丸などで迎撃したのではない。しかも全身から噴出している蒸気すら、内側に溜まっているではないか。
どうやら見えない壁が、ミクリアの周りに展開されているらしい。
生物が『バリア』を展開している。その事実に、人間達は誰もが驚いた。だが攻撃を止める理由にはならない。
届いていないのならばもっと苛烈な攻撃を、届くまで続ければ良い。迎撃されている訳ではなく、壁で防いでいるのなら、その壁が砕けるまで叩けば良いのだ……果たして司令官がそう宣言でもしたのか。米艦隊は攻撃の勢いを増し、今まで以上の勢いでミサイルを撃ち出す。
負けじと撃ち始めたのは中国艦隊。自衛隊の護衛艦もミクリアへの接近を始め、有効射程に入り次第ミサイルだけでなく艦砲射撃も始めた。イギリスやフランスなど、他国の艦隊も攻撃を続行する。
止まらない攻撃、それに伴う爆発により、ミクリアの姿が完全に覆い隠される。これでも人類は攻撃の手を緩めず、ミクリアがいるであろう場所に集中砲火を叩き込む。
すると、ついにミクリアが動き出した。
今までのような、風に流される動きではない。明確な意思を持つように、一直線で動いている。段々と加速していき、時速数十キロはある動きで浮遊する。
いよいよ反撃をしてくるか。展開している艦隊に緊張が走る。艦の一つ一つが動きを変え、防御を優先した陣形へと組み替えていく。
ところがミクリアは、何処までも一直線に進むだけ。
艦隊など見向きもしていない。それは進路上にイギリス海軍のフリゲート艦があっても変わらず、大急ぎで退避しなければ接触していただろう。だが逃げたフリゲート艦を追う事もなく、そのまま直進するだけ。
その動きは、まるで爆発から逃げるようだった。
攻撃の意思なし。それどころか退却を始めたという事は、攻撃を耐えられなくなってきた証だ。そう判断した人間達は、最早防御を止めた。背中(かどうかは正六面体の身体では分からないが)側に猛然と火力を集中。次々と艦砲やミサイルが当たり、巨大な爆発を起こす。
更に温存していた戦力も繰り出す。
米軍と中国海軍が保有している空母から、航空機が発進したのだ。強力な対艦ミサイルを装備した戦闘機が、何十と飛び立つ。ミクリアは逃げるように移動しているが、所詮その速度は時速数十キロ程度。時速二千キロを出せる現代の戦闘機からすれば、止まっているような速さでしかない。
戦闘機から発射されたミサイルは全弾ミクリアに命中。一層派手な大爆発が、ミクリアの巨体を襲う。
執拗な攻撃を受けたミクリアの姿は、今は見えない。展開しているであろう防壁の中に、蒸気が溜まっていて、すっかり曇っているからだ。
確かにバリアは、恐るべき能力と言えよう。
しかしSF映画のエイリアンが使うような、万能の代物ではないらしい。攻撃を遮断する代わりに、中で生じたものも溜まってしまうのでは、長時間の展開は出来ない筈だ。仮に攻撃が通じていなくても、このまま打撃を与え続ければ蒸気に埋もれてミクリアは苦しむだろう。そして耐えられなくてバリアを解除するかも知れないが、その時はミサイルが直撃する。わざわざバリアを張るぐらいだ。当たればただでは済むまい。
戦いは有利に進んでいる。このままいけば、ミクリアを駆除出来る。宇宙を渡る驚異の生命体といえども、人類の敵ではない――――戦っている者達は、そんな事を思っていたかも知れない。
今までが温情だったなんて、考えもせずに。
【キ、キキィイイイアアアアアアア!】
突如、ミクリアが鳴いた。
金属を引っ掻くような甲高さに、生命の生々しさを付与したような声だった。聞くに堪えないおぞましい怪声と表現しても良いだろう。
あまりにも不気味であるが、艦隊や航空機からの攻撃は止まらない。そろそろ止めを刺してやろうと、米国空母から三機の爆撃機が飛び立つ。
その爆撃機には、地中貫通弾と呼ばれる爆弾が積まれている。地下深くにある施設を貫くための兵器であり、総合的な威力では核兵器に劣るものの、一点突破の力によって核シェルターをも粉砕する代物だ。
本来はシェルターなど停止した目標を狙う爆弾であり、動き回る標的に当たるものではない。だがミクリアは五百メートルもの巨体を誇り、時速数十キロしかなく、そして一直線に進んでいる。現代の人類が真剣に狙えば、例え誘導装置がなくとも当てる事は難しくない。
高度数キロ地点。普段ならば『低空』と呼ぶべき高さを飛ぶ三機の爆撃機は、タイミングをずらし、一つ一つ地中貫通弾を落とす。何ものにも妨害されず、真っ直ぐに落ちていき……
巨大な、噴火の如く爆炎がミクリアのいる場所で起きた。
一回目の爆発に続き、ズドン、ズドンと、後から落とした地中貫通弾二発も炸裂する。爆発は高さ五百メートル近い位置で起きており、それは少なくともミクリアの展開したバリアには命中している事を示していた。
全弾命中。最高の結果を出した戦闘機のパイロットは、空高くでガッツポーズを取る。
その最高の気分のまま、パイロットは戦場から離脱する。
下から飛んできた白いものに撃ち抜かれ、あの世に旅立つという形で。
傍を飛んでいた仲間の二機も、即座に飛来してきた白いものに撃ち抜かれて爆散。突如として起きた航空機三機の爆発は、本来ならば軍部を混乱させ、人間達を戸惑わせただろう。
しかしその情報は、次の瞬間に訪れた更なる悪夢に飲まれてしまう。
海面から高さ数百メートルまでを埋め尽くす、白い靄が噴出したのだ。噴出場所は、ミクリアがいるであろう地点。
それを見れば、白い靄の正体が蒸気なのは一目で理解出来る。
数キロと進んだ時点で、蒸気はすっかり色をなくして空気に溶け込んだ。しかしその勢いによって、迫りくるミサイルや砲弾を押し返す。蒸気は見えなくなっても確かに存在していて、軍艦達を大きく揺さぶった。
そして全てを押し出した跡地に、ミクリアの姿が残る。
残るが、そこにいたのは正六面体の無生物な姿ではなかった。海面を向いていた方の角から、辺の部分に亀裂が入って開いている。四つに裂けた外皮が、まるで下向きに咲く花の花弁であるかのように展開され、今まで隠されていた『中身』を露わにする。
露出した中にあったのは、皮を剥いだ肉のようなもの。
或いは本当にそうなのかも知れない。今まで皮の役割を果たしていた面の部分が開き、中身が露出しているのだから。赤黒く生々しい肉体は、一本の柱のような肉と、無数の触手によって形成されている。ねちゃねちゃと赤い糸のようなものを引いているが、粘液ではなく溶けた肉だ。千切れず、全身のあちこちから垂れ下がっている。脈拍があるのか肉の表面は一定間隔で波打ち、揺らめく。
そして中身のあちこちから、膨大な蒸気が噴出していた。肉の身体の至るところに、不規則な配置で並んだ穴があり、此処から蒸気が延々と出ている。普段蒸気はほかほかと溢れ出るだけだが、時折間欠泉を思わせる音と共に勢いよく噴射もしていた。正六面体状態から蒸気は大量に噴出していたが、今までよりも更に多そうである。
これがミクリアの真の姿なのか。
無機物のような外見と異なり、中身はあまりにも生物的だ。見ているだけで吐き気がする狂気の外観で、事前情報になかった事もあって軍人達に恐怖と混乱を引き起こす。
それでも、中身が露わとなったのは一つの成果と言えよう。内臓などが何処にあるかは不明だが、六面体の外から攻撃するより、その中身を直接攻撃出来る方がダメージを与えられるに決まっている。
加えて、全身から噴出している蒸気が、今は周囲に蓄積していない。それはミクリアの周囲にバリアのような壁がない証であり、今ならば攻撃が通る事を意味していた。中身がどの程度頑丈かは未知数だが、生々しい見た目からして然程丈夫ではあるまい。仮に人間の内臓と同程度の耐久しかなければ、巨大さを鑑みてもミサイル一〜二発で致命傷になる筈だ。
猛攻に耐えられず繰り出した、苦し紛れの反抗。人間側は己を鼓舞するように、仲間にそう連絡し合う。防御を捨てた形態であるのは間違いなく、攻撃さえ当てれば倒せるという考えは間違っていないだろう。
当たりさえすればという前提が、途方もなく間違っていると思い知らされるまでは。
【キキュゥウウゥィイイイイイイ!】
ミクリアが再び叫ぶ。先程までと同じくおぞましい声であり、聞いた人間達を一瞬怯ませた。
その隙を突くように、またも白いものを飛ばす。
それはミクリアの身体の内側にある、無数の触手の先端から放たれた。大きさは三メートル近い。音速よりも遥かに速く、艦砲射撃さえ生温く思えるほどの鋭さで、近くにあった米国駆逐艦へと飛んでいく。
戦闘機ほどの速さがあればいざ知らず、船の動きでは回避など間に合わない。白いものは易々と駆逐艦の船体を貫き……それが配線などを傷付けたのか、大きな爆発を引き起こす。
艦に対する明確な攻撃だ。撃ち抜かれた駆逐艦は消火と体勢の立て直しをしようとした、が、沈まなかった事を確認していたのか。ミクリアは数瞬遅れて三発の白いものを追加で放ち、全弾が駆逐艦を貫通。今度は弾薬庫を貫いたのか、一際大きな爆発を起こし、駆逐艦は海の藻屑と化す。
【キキィィイィィイ!】
一隻の駆逐艦を破壊しても、ミクリアは止まらない。
開かれた身体から、何十何百もの触手が伸び、それぞれが白いものを発射し始めた。
狙いは全てが正確。的確に周囲にいる艦を撃ち抜いていく。現代の軍艦はミサイルなどの火力の向上により、あまり防御力は重視していない(攻撃に耐えられない以上装甲を厚くしても意味がない。軽くして機動力を確保・回避に専念する方が合理的だ)。しかしそれでも機銃程度で貫けるほど脆くもない。ましてや多少のダメージでは沈まないよう、区画や構造には最先端の技術が投じられている。
だというのにミクリアの攻撃は、ほんの数発で各国の軍艦を破壊する。百隻近くあった艦隊はものの数十秒で半壊。残りの半分も次々に沈められていく。
無論、軍もただやられてはいない。
バリアを展開していない以上、一発の攻撃で致命傷を与えられる。ならば仲間のためにも、回避も防御も捨てて攻撃を行う艦もいた。空母にいた戦闘機も続々発進。搭載している対艦ミサイルを次々と発射し、この惨事を食い止めようとする。
しかしミクリアには届かない。無数にある触手が素早く、縦横無尽に動いて、一発二発と白いものを発射。
放たれたものは正確にミサイルや砲撃を撃ち抜き、ミクリアの身体まで届かせない。ミサイルは全て迎撃され、艦砲も一つ残らず落とされる。ならばと機銃を撃ち込もうと接近した戦闘機は、砲弾と同じように射抜かれてしまう。
今になって撤退が命じられたのか、艦隊はミクリアから離れるように回頭。だが今のミクリアは戦いから逃げた時とは違う。離れようとする艦船を一つ残らず、より遠くにいるものから積極的に狙って撃沈させる。
更にミクリアは、浮上を始めた。
高く、とても高く空へと昇っていき、数百メートルと上昇。その高さからであれば、周囲百キロは見渡せるだろう。
航空機が飛び立っていた空母も、今のミクリアには見えている。
ミクリアの触手が、白いものを撃つ。自身は大した戦闘力も機動力もない空母は、上から降り注ぐ攻撃を回避または防御する術がない。数発の白いものが甲板を撃ち抜き、内部の配線を破壊。
燃料に引火して、空母は大爆発を起こす。船体は勿論、どうにか帰投した航空機も跡形もなく吹き飛んだ。
――――戦闘時間は、凡そ一時間ほど。
だがミクリアが戦闘に転じてからは、たった五分も経っていない。その五分で、人類が展開していた艦隊は一隻残らず沈められた。撤退すらも許されずに。
そして最後に撮影用ドローンが白いもので撃ち抜かれ。
それで人類とミクリアの初戦闘を記録した『映像』は、終わりとなった。