決着
この日の海は、とても心地よい気候だった。
燦々と輝く太陽は暖かく、風がないため波は静か。空には雲が幾つか浮かび、ゆったりと流れていく様は実に雅なものである。やや気温が高い事を除けば、とても過ごしやすい、穏やかな空気が満ちていた。
尤も、その海には無数の軍艦が展開されていて、雰囲気は物々しいが。
自衛隊の護衛艦のみならず、中国人民解放軍の駆逐艦、米軍の巡洋艦、イギリス海軍の駆逐艦など、多種多様な国の軍艦が何十も浮かんでいる。どの艦も対艦ミサイルや対空ミサイルを装備し、多数の無人機も搭載していた。ここで艦隊戦でも仕掛けるのかと言いたくなるほどの、物々しい武装である。
その物騒な艦隊の中心に、あたかも護衛されるように、はたまた監視されるように、十数隻の船が浮かんでいる。とても大きな船であるが、護衛艦などと違って武装は一つも積んでいない。代わりにあるのは、海底のものを引き上げるためのケーブルなどの道具。
これは海底調査のための調査船である。そして由紀達は今、この船の一つに乗っていた。
目的は、この海の底に沈んでいる宇宙生物――――二週間前に駆除したミクリアの死骸を引き上げるためだ。
「……これ、ミクリアですかね?」
「いや、分かんないよ僕に聞かれても。雨宮さん達こそ見ていたんでしょ」
「見ていたが、これではな」
そんな由紀と、その傍に立つ光一と勇也は、あまりにも頼りない言葉を発していた。
調査船は今、正にミクリアの死骸と思われるものを引き上げた。
だがそれはどろどろに溶け、二週間経った今でさえ焦げ臭さを漂わせる肉塊だった。船の甲板に上げる動きだけで、肉片がボトボトと落ちている。触手があるのかさえ分からず、ミクリアらしさなど微塵もない。
しかしこれも仕方ない。ミクリアは最後の最後に『自爆』して、その結果として肉体に大きなダメージを受けたのだ。むしろあれだけの大爆発をバリアなしで受けたにも拘らず、こうして回収可能な程度には肉体が残っていた事が驚きである。
「まぁ、海底に沈んでいた肉片の大きさが三百メートル近くあったし、ミクリア以外はあり得ないだろうけど」
それでも光一が言うように、ミクリアの証明とも言える巨大さがなければ、発見すら困難だったろう。
船上に引き上げられたミクリアの肉体は、大きさ十メートルはあろうかという巨大物体。いくら大型の調査船とはいえ、三百メートルもあるミクリアの巨体は乗せられない。細かな『肉片』として回収し、地上の研究施設で復元する予定のなっている。これはその肉片の一つだ。
周囲に展開している艦隊は、ミクリア回収時に何かがあってはならないと、警戒のために派遣された。確かにミクリアは死んだと思われるが、相手は宇宙の彼方からやってきた超生命体。地球の常識が通用するとは限らない。最悪を想定し、多少なりと護衛を付けるのは当然の対応だろう。
……各国の思惑はどうであれ。
「(どー考えても、持ち逃げを防ぐための護衛よね。あの戦いで多くの船を失ったカナダですら、自国の防衛よりも優先してこっちに派遣してるぐらいだし)」
実際には、艦隊を派遣した目的は他国の牽制だろうと由紀は読んでいる。
地球外生命体であるミクリアの身体には、地球生命とは異なる未知の機能が数多く存在しているだろう。そしてそれらの仕組みは、人類にとって『資源』となりうる。
例えば結合エネルギーを直接獲得する仕組みは、再現出来ればエネルギー問題の完全なる解決を約束する。今まで石油やウランがなければ得られなかった膨大な熱を、そこらの水から得られるのだ。しかも核分裂などと違い、完璧に模倣出来れば放射線も出ない筈。勿論水でなくとも、生ゴミやプラスチックゴミも燃料へと早変わりだ。
それどころか、廃棄物である原子を加工すれば自由に物質を生み出せる。石油はいくらでも湧き出し、ゴミから高純度レアメタルを無尽蔵に合成出来る。
しかしそれは現代の秩序を破壊する技術でもある。この技術さえあれば、最早エネルギー資源はなんの制約も受けない。他の原料に関しても廃棄物から生成出来れば、経済発展こそ阻害されるが輸入停止になっても『素材不足』には陥らない。無論コストなどの問題はあるだろうが、「手に入らない」状態に比べれば遥かにマシなのは言うまでもない。
手に入れれば、他国に対し圧倒的優位に立てる……その力のヒントがミクリアの身体には詰まっている。だからこそ世界中の国が抜け駆けをしないよう、相互に監視しているのだ。
「(共通の敵がいなくなれば、こんなもんって事かしら)」
ミクリアが死んだら、早速利権を追求する。否、ミクリアに多国籍軍で艦隊戦を挑んだあの時から、なんらかの技術が得られると見込んでいた可能性は高い。
端から『自分』の利益しか考えていなかったのだろう。
とはいえ、それは政府という組織としては、なんらおかしな行動ではない。自国を豊かにし、国民の安全と利益を守るのが政府の役割なのだから。そもそも自己の利益を最優先にするのは、人間だけの話ではない。
生物も同じだ。生態系の調和云々という言葉もあるが、あんなのは互いに足を引っ張りあった結果の安定に過ぎない。なんらかの有利な突然変異が生じれば、その生物は問答無用で生態系を破壊する。光合成で生じた猛毒の酸素によって、大量絶滅を引き起こした植物の祖先のように。
自己利益の追求こそが、生命の本質なのだろう。
しかし、だとすれば――――
「……………」
「どうした、雨宮。何か違和感でもあったか?」
「え? ああ、いえ、違和感というか……」
ふと考え込んだところで、勇也に問われた。今し方抱いていた考えは話すほどのものではないが、途中まで言ってしまった手前引っ込めるのも妙に思えて。
「何故、ミクリアは最後にあんな攻撃をしたのかと思いまして」
最終決戦からずっと胸の中で燻っている、大きな疑問を言葉にした。
……ミクリアに高い知能があるのは間違いない。
最終決戦の際、巨大な光の玉 ― どうやら特殊な有機物の塊に膨大な熱を溜め込んだものらしい ― を正確に人口密集地に撃ち込めたのは、幼体時に地球を周回していた時の記憶があったからだと考えられている。それなりに長い時間周回していたとはいえ、一年以上前の地球の状態を覚えていたのだ。しかもその時見た景色が、人間と関係あるものだと正確に判断している。相当高い知能がなければ、こんな真似は出来まい。
あの光の玉によって、世界全体で三万人の死傷者が出た。都市の復旧はまだ終わってなく、行方不明者も大勢いる。犠牲者数はもう少し増えるという予想だ。
実に恐ろしい攻撃だったが、しかし何故ミクリアはあのような攻撃をしたのか。
賢く聡明なミクリアは、人類に一泡吹かせたかったのだろうか? その可能性がないとは言えないが、ミクリアの本質が野生生物だとすれば、些か考え難い。むしろあの光の玉で目眩ましでもして、遠くに逃げ出す方が合理的だろう。
最後のがむしゃらな攻撃は、何を目的にしていたのだろうか。目的があるとすれば、自身にどんな利益があったのだろうか。
「単純に錯乱していた、と考えるには、あの攻撃は少しばかり正確過ぎるな……」
「ええ。生物の全ての行動が合理的に説明出来るとは言いませんけど、あのときのミクリアの行動には何か意味があった気がするんです」
単純に、高い知能故に人間のような非合理的な感情――――道連れにしてやるとでも思ったのか。
或いは。
「うーん。血縁を守るため、とか?」
光一が言ったように、誰かを守るための行動だったのか。
「……ミクリアの監視は無人機や衛星で行われていたが、繁殖行動は確認されていないだろう」
「そうは言いますけど、相手は未知の生物ですよ? 胞子みたいな形で繁殖する可能性も、僕は否定出来ないと思うのですが」
「そう言われると、確かに否定は出来んが……」
光一が言うように、ミクリアは未だ謎ばかりの生命体だ。恐らく単為生殖をするだろうという予測こそしていたが、それがどんな方法かは分からない。
産卵かも知れないし、出産かも知れない。分裂もあり得る。植物のように、千切れた触手が再生する可能性だって否定しきれない。最悪地球生命では見られない、奇妙奇天烈にして厄介な増え方という可能性もある。
どんな繁殖様式も考えられるがために、死骸の回収は急務だった。それでも光の玉による本国の混乱、『抜け駆け』禁止の牽制により、既に二週間もの時間が流れているが……
「(まさかそのための時間稼ぎ、とか)」
薄ら寒いものが、由紀の背中を駆けていく。
その予感に根拠はない。ここで主張したところで、ただの不安でしかない。
予感を確信に変えるためにも、研究は続けなければならない。
全てが終わったという確証は、まだ何処にもないのだから。
ミクリアは死んだ。
人間達の巧妙な作戦、そして苛烈な攻撃に耐えられず、生命活動を停止した。高分子タンパク質によって生じた熱の排出に失敗し、どうにもならなかった。
しかし、何も出来なかった訳ではない。
あの苛烈な戦いの中で、体内にいた『幼体』に、必要な栄養を注ぎ込んでいたのだ。あの時の幼体はまだ成長が不十分であり、外界で活動出来ない状態。しかしこのまま死ぬぐらいならと、一気に資源とエネルギーを流し込んでいた。
とはいえ栄養を渡した瞬間成長出来るほど、生命の成長とは単純なものではない。ミクリアの種もそれは例外でなく、幼体が十分な成長を果たすには時間が必要だった。
そこでミクリアは、超長距離攻撃を始めた。
宇宙から観察していた時の記憶を頼りに、がむしゃらに攻撃。人間達の『住処』と思しき地域を破壊した。住処を壊せば人間達はしばしそちらの対応に手間取り、幼体を探すのを遅らせられると考えたのだ……人間達の住処だという確信はなかったので、割と一か八かではあったが。そもそもそれで人間達が行動を変えるという確信もない。
目論見が上手くいったかどうかは、結局死んでしまった以上ミクリアには知る由もない。
知っているのは、無事ミクリアの死骸から這い出して生まれた幼体だけだ。
――――幼い子は、思考する。
生まれたばかりの子であるが、既にこの星がどんな環境かはよく知っている。ミクリアの種族は、親が学習した情報を子に伝達出来るのだ。全てではないが、この星で生きていくのに必要なもの、どうして死んだのかの情報は伝わっている。
そしてこの情報を元にして、新たな世代はより環境に適した『身体』を作る。
遺伝子通りに決まった身体を作るやり方では、宇宙のあまりに多様過ぎる環境への適応が出来ない。そこでミクリア達は聡明な知性を持ち、意思によって身体を作るよう進化した。さながら人間が先人から継承して家を作るように、ミクリア達も先代の経験を活かして肉体を生み出す。
親(正確にはその親を産んだ個体)が生まれたのは、冷たくて濃密な、生命のいない星だった。有機物が少ないその星では、冷たい水を身体に流せばそれで十分冷却出来たが……この星では不十分な仕組みらしい。水冷以外の冷却方式の採用、それと防御能力の強化。バリアなどの性能も改善した方が良いだろう。
今までよりも『コスト』は何倍も必要になる。親が生まれた星よりも、繁殖サイクルは何倍も長くなるだろう。繁殖までの時間が長くなれば、その前に死んでしまう確率は高くなる。だが親と同じ体質では繁殖前に死ぬのだから、こればかりは仕方ない。
果たして『次』は上手くいくだろうか。幼い子には分からない。
だがミクリア達はこの方法で生き残り、無限の広さと環境を有する宇宙で繁栄してきた。それはきっと、この星でも変わらず通用する。
決着はまだ付いていない。
ここからがミクリア達にとって、本当の始まりなのだから。




