崩壊
「な、何、が……?」
突然の揺れ。それにより由紀は、船の床に倒れてしまった。
由紀だけでなく、勇也や多くの自衛隊員も倒れている。それだけ大きな衝撃が、この船を襲ったのだろう。
だが、何があった?
ミクリアから三百キロは離れているこの船に、ミクリアからの直接攻撃があるとは考えられない。余所見をしていたクジラにでも体当たりされたのか……
「ご、護衛艦あしだか、沈没!」
そんな能天気な予想は、自衛隊員のオペレーターが告げた言葉によって吹き飛んでしまう。
「……えっ?」
「米艦隊、三隻が沈没したとの連絡あり!」
「人民解放軍艦、二隻沈没を確認!」
「イギリス艦も一隻が沈没! 二隻が大破した模様!」
次々と報告される、艦隊の沈没報告。だが、それは本来あり得ない事だ。
今回の作戦は、ミクリアを自らの熱で焼き殺す事を目的としている。必要なのは火力ではなく、排熱のチャンスを与えない断続的な攻撃。
故にどの国の艦隊も、ミクリアから遠く離れた位置に展開している。攻撃は殆ど無人機任せであり、精々ミサイルで援護する程度。距離が離れているため、ミクリアの攻撃も直接は狙われない想定だった。
だがこの状況は、何かの攻撃をされたとしか思えない。
「え、映像は!? ミクリアの映像はありますか!?」
「はい! 無人機は大部分が健在。映像は確保出来ています!」
室内にあるモニターを見れば、確かに殆どの画面は問題なく表示されている。ミクリアの姿も映し出されていた。
されどそこにいたミクリアは、人類の知る姿ではなかった。
身体を覆っていた、正六面体の外殻……それは今、ミクリアは殆ど纏っていない。僅かに残っている部分もボロボロと崩れ落ちており、なんらかの理由により砕けたようだ。
このためミクリアは完全に『中身』である、肉の身体が露わとなっていた。外殻を失ったそのボディは、筋肉質なクラゲのような、或いは大脳を失った脳みそのような、不気味で生々しい様相をしている。その肉は赤々とした輝きを放ち、繊維の隙間から膨大な蒸気を噴く。無数の触手は、熱に耐えられなかったのか。どろどろに溶けていた。
無論、外殻を失ったからには防御力は大きく低下している。おまけに触手は溶け出している有り様。今なら何処に攻撃しようと、当てれば大ダメージを与えられる筈だ。
【キ、キ、キィィィィ……!】
上げる鳴き声は何処までも苦しそうなもの。明らかにミクリアは追い込まれ、死に向かいつつある。
だが、弱々しさは微塵もない。諦めなんかもまるでない。
ここから『逆転』する気満々だと、由紀は感じ取る。
【キィイイイイイイイィアアアアアア!】
叫ぶミクリアは、更に強い輝きを全身から放つ。
同時にその身体の表面が溶け出す。噴き出す蒸気によって肉が吹き飛び、落ちた肉によって海が沸騰する。
膨大な熱を生み出していた。ただでさえ熱さで苦しんでいる筈なのに、もっと大きな熱を生んでいる。
やっている事が滅茶苦茶だ。
ならばその結果も滅茶苦茶なものとなる。本能的に抱いた由紀の予感は、的中した。
【ギィイヤァ!】
一際大きな叫び声と共に、無数に生える触手が一斉に一方向を向く。
それがどこを向いたものかは、映像だけでは分からない。少なくとも映像の映る範囲に、艦隊らしいものの姿は見えない。
しかしミクリアは何かを見据えている。構えた触手達の先端が一層眩く煌めいた――――
瞬間、巨大な光の玉が発射された。
そうとしか表現出来ない、なんらかの力だった。どのように形成されたかも分からない、ほんの一瞬で生み出された光の玉は猛烈な速さで海上を飛んでいく。何かしらの物質的な塊らしく、放物線を描いてゆっくりと海面に落ち、そして跳ねて進む。
しばらく進んだ光の玉は、突然大爆発を引き起こす。
太陽が生まれたのかと思うほどの閃光が、四方八方に飛び散った。光はすぐに収まったが、海面が大きく波打つ。それから無人機に衝撃波が伝わったのか。映像が一瞬、激しく乱れた。
更に由紀達の乗る船も、大きく揺れる。先程の揺れに比べれば小さいが、明らかに今の『攻撃』の余波だ。
「い、インド海軍艦、二隻沈没!」
「オーストラリア艦隊からの応答途絶! 全艦反応消失しています!」
次に聞こえてきたのは、数々の被害報告。
あの大爆発の直撃により、オーストラリアの艦隊が『消失』したのか。たった一撃で何隻もの船を纏めて破壊する爆発を起こすなんて、そんな事は人類にだって簡単には出来ない。
これがミクリアの本気なのか。
「(な、んて奴なの……!?)」
あの攻撃は一体なんなのか。原理は? 弱点は? 全く分からない。分かったところで、今更何が出来るというのか。あまりにも破壊力が桁違い過ぎる。
生命体や文明との接触は殆どなかったと考えていたが、それは誤りだったのか。今まで使っていた射撃攻撃以外に、対文明と思えるほどの攻撃能力を備えているのは完全に想定外。数多の星々を渡り、繁殖してきた生命体というのは、ここまで強大なのか――――
気持ちが折れそうになるが、由紀はどうにか持ち直す。
持ち直せた理由は、モニターには未だミクリアの映像が映し出されていたから。
【キギィィキィィィィィ……!】
あの攻撃をしたミクリアは、呻きと呼ぶにはあまりにも苦しげ。
全身の肉はどろどろに溶け出し、噴き出す蒸気の量は先程よりも増えている。身体の下側は常に海面に付け、大量の海水を飲み込んでいた。
あの攻撃は、ミクリアにとっても正常な攻撃ではないのだ。いや、正常でないどころか、あれは暴走状態ではなかろうか。
長くは持たない筈だ。むしろ危険だからと手を引けば、そこから落ち着きを取り戻すかも知れない。
「さ、作戦の継続を要請! アイツは今暴走している! このまま攻撃を続ければ必ず倒せる!」
由紀はその可能性に賭ける。
予測が正しいかどうかは分からない。だがここで後退すれば、二度と人間に立ち向かう気力は湧くまい。それだけの破壊力をあの攻撃は秘めている。
ここが正念場だ。科学的根拠なんてないが、由紀の直感はそう感じていた。
そして自分の発言として言ったからには、駄目だった時にはいくらでも『責任』は取るつもりだ。
「……了解。本部に研究部門からの意見として通達します」
由紀の言葉を遮る者は、研究チーム側にもいない。総意と受け取った自衛隊員のオペレーターは、作戦本部に由紀の意思を伝える。
無論、最終的な判断は自衛隊作戦本部……これが多国籍軍である事を思えば、各国政府によって下される。由紀に決定権はなく、どうすればいいかを喚くのが精いっぱい。
しかし喚けば、向こうには伝わる。まだ勝機があるという考えが思い付く。
「作戦本部より伝達。作戦を継続します」
思惑通り、人類は諦めないでいてくれた。
無人機が撮影している映像に、次々と新たな機影が表示される。
生き延びた艦隊から発進した無人機達だ。ミクリアの触手は激しくうねり、無人機に射撃をお見舞いしていく。
その射撃は、今までのものと異なっていた。
白い『ビーム』のようなものだった。またも繰り出された未知の攻撃に由紀も動揺するが、注意深く観察すれば正体はすぐに明らかとなる。
触手から放たれていたのは、ビームではなく水だ。本来高分子ポリマーによって弾丸状に固められている筈のものが、液体のまま出ているらしい。
高分子ポリマーが生体で合成される有機物なら、体温の異常上昇によって正常な機能を失ったのかも知れない。大量の水を使う消耗の大きな技となったが、威力は未だ健在。直撃した無人機は次々と落とされていた。更に鞭のようにしならせる事で、射線上の存在全てに同時攻撃が行える。一度に数機纏めて落とすなど、厄介さは増していた。
それが何百もの触手から次々と放たれるのだ。無人機達はボトボトと落ちていき、瞬く間に数を減らしていく。慌てて増援が駆け付けるが、撃ち落とされる量の方が多い。
それでも幾つかの無人機は射程距離に到達し、ミサイルを放つ。
放たれたミサイルを、ミクリアは見向きもしない。攻撃も止めない。
そしてバリアも張らず、ミサイルがミクリアの身体を直撃した。
【ギィイイイィィイイイイイイイ!】
苦悶と怒りを滲ませた咆哮が上がる。同時に肉片も飛び散った。
ミクリアは守りを捨てていた。
バリアを張れないのか、張る気がないのかは分からない。だが今ならば攻撃さえ通れば、ミクリアにダメージを与えられる事を意味している。
それを見逃す人類ではない。
「全艦、攻撃態勢に入ります。本艦は安全圏に待機しますが、無人機を発進させ、攻撃に参加します」
遠洋に待機していた艦隊、由紀達のいる司令船も含めて一斉に攻撃へと移る。このチャンスを掴むため、死力を尽くすと決定したのだ。
艦隊から発射された対艦ミサイルが、次々とミクリア目掛けて飛んでいく。
ミクリアの触手が放つビーム状の水は、どうやら射程距離が犠牲になっているらしい。数キロ程度の範囲にしか届かず、それより遠いものには勢いの強い水ぐらいの威力しかなかった。ミサイルに当てても、少しバランスを崩すのが限度。
飛んでいったミサイル十数発が、ミクリアの体表面で爆発。触手が何十本と千切れ飛ぶ!
【ギギキィイイイィイイイイ!】
しかしミクリアは怯まない。千切れて短くなった触手達を束ねるように集め、一塊の肉塊を作り出す。
その肉塊が光った瞬間、またも巨大な光の玉が生み出された。
今度のものは、さながら太陽のように眩しい。おまけに発射の瞬間、束ねた触手が粉々に吹き飛んだではないか。ただ発射するだけでこの威力。凄まじい、なんて言葉だけでは表現が足りない。
ただし火の玉は、遥か上目掛けて撃ち出されたが。
今までとは全く異なる射線だ。一体何処を狙っている? 感覚器が壊れて、まともに射撃が出来なくなったのか? そうであれば良いのだが、由紀の本能が危機感を訴える。
答えは、数分後に自衛隊員から告げられた。
「こ、光球の落下地点を確認! カナダの都市部です!」
「なっ……!?」
「都市に長距離射撃をしたのか!?」
勇也も驚きの余り、考えていたであろう言葉が口から出ていた。
正確には分からないが、自分達のいる海域からカナダまで五千キロ近い距離がある筈だと由紀は計算する。ならば先の攻撃は、最低でも五千キロ近い射程があるではないか。
人類でも弾道ミサイルを持っていなければ、どうやっても出せない距離。まさか太平洋から陸地まで攻撃出来るとは、いくら暴走時とはいえ能力の向上があまりに著しい。
何より特筆すべきは、カナダ都市部を正確に攻撃した事だろう。
「(どれがどの国の艦隊かまでは分からずとも、これが人間の攻撃だとは理解している……!)」
これまで積極的に人類を攻撃しなかったのは、エネルギーの消耗などを避けるためだろう。海水から物資を得ているミクリアからすれば、わざわざ人間を排除する必要はない。
だがここまで追い込まれれば話は別、という事なのか。
今やミクリアにとって『人間』は排除対象となった。そしてミクリアはどれが人間なのかは把握しているようだが……民間人や軍人という概念はないらしい。そうでなければ、いきなりカナダの都市部を狙撃するなんて真似をする訳がない。
【ギィイイィィィイイアアアアアア!】
怒り狂ったミクリアは、急に『浮上』を始めた。
五百メートル近い巨体が瞬く間に空高く飛んでいく。無人機は追おうとしたが、どうやらミクリアの方が圧倒的に速いらしい。あっという間にミクリアの姿は小さくなり、高度何キロかも分からない位置で停止する。
空で止まったミクリアは、触手を激しくうねらせ……新たな巨大な光の玉を作り出す。
また都市部を攻撃するつもりか。目論見はなんであれ、大人しく攻撃を持つべきではない。各国の艦隊は即座に攻撃を開始し、次々とミサイルが放たれる。
しかし撃ち出されたミサイルは、対艦ではなく対空、即ち戦闘機用の小さなものだった。
無論ケチったのではない。対艦ミサイルはあくまでも艦という、海面近くにいるものを狙うミサイルだ。空高くの相手を攻撃するようには出来ていない。無人機よりも高い位置に陣取ったミクリアを狙うには、小さな対空ミサイルを使うしかなかったのである。
いくら小さくともミサイルなのだから、人間ぐらいは簡単に吹き飛ぶ威力がある。だがミクリアに到達し、バリアもなく直撃した事で生じた爆発は、対艦ミサイルと比べて明らかに頼りない。
【ギギィィアア!】
発射は止められず、新たな光の玉が撃ち出された。
玉はまたも上空に向けて撃ち出された。放物線を描かせる事で、遠距離攻撃を可能としているのだろう。
「恐らくあの攻撃は放物線を描いている! 発射角と速度が分かれば、落下地点の予測は可能な筈だ!」
勇也は射撃地点の算出方法を伝える。幸いにして、ミクリアは最早無人機には関心を向けていない。射撃時の映像は数多く存在しており、情報は十分揃っていた。
そして落下地点の予測も困難ではない。未だ軍隊は迫撃砲などで、臨機応変な計算が欠かせない現場だ。必要な情報さえあれば、放物線軌道を算出出来る者もいる。
「落下地点の予測出ました! 日本の東京付近です!」
「日本政府に連絡! 市民に地下や建物内に避難する旨を通達!」
今度の狙いは日本だった。ミサイル攻撃があった場合と同様の対応を、落下予測地点の国民に伝える。
だが着弾までの時間は僅か数分。
いくら落下地点の予測が正確でも、その数分で動ける場所など僅かなものでしかない。間違いなく混乱も起きる。それでも、何もしないよりはマシと思うしかない。
一体どれほどの犠牲が出るのか。カナダに撃ち込まれたという攻撃の被害も分からなくては、それも予想出来ない。
【キキキキキキィィィィィィィィ!】
そしてミクリアは、今の攻撃の結果を確認する気はないらしい。
新たな光の玉を生成し始めていた。眩い輝きに焦り、攻撃を続ける人類をひたすら無視して――――三発目の光の玉は、空高く打ち上げられた。
「第三射を確認! 攻撃予測地点……中国北京!」
三度目にもなれば、人間側も対応が早くなる。しかし避難はやはり民間任せで、十分な時間があるとは限らない。
対空ミサイルは今もミクリアへと放たれ、次々と命中している。光の玉の生成自体、大きな負荷もあるのだろう。ミクリアの身体からは溶けた肉がボロボロと零れ落ちており、今やミクリアの身体は『中身』どころか『内臓』らしきものまで見えている。
それでもミクリアは攻撃を止めず、防御すらもしない。どれだけミサイル攻撃を受けようと、どれだけ身体が焼き溶けようと、攻撃を止めようとはしない。
それほどまでにミクリアは怒り狂っているのか。
或いは――――
【ギギギギィィィィィィィ!】
四射目の攻撃は、一際高く打ち上げられたように見える。中国よりも更に遠くを狙った攻撃なのは間違いない。
しかし長距離攻撃であればあるほど、大きなエネルギーが必要となる。それはミクリアといえども例外ではなく、ましてや朽ちかけた今の身体では尚更に過酷なもの。
【ギ、ギ……!】
四つ目の光の玉を撃ち出した瞬間から、目に見えてミクリアの身体は動きを強張らせた。
ついには身体の一部が爆発を起こす。爆発といっても噴き出したのは紅蓮の炎ではなく、真っ白な蒸気。
それは今まで全身から噴き出していた蒸気が、いよいよ体内に留めておく事すら出来なくなった事を意味していた。人間ならば肺や気管が破裂したような致命的損傷の筈。
だがミクリアは未だ生命活動を停止せず、五射目の光の玉を作り出そうとしている。
作る途中で動かす触手は破裂し、身体のあちこちが爆発して吹き飛ぶ。これで身体への負担が大きい、光の玉を撃てば肉体は持つまい。それでもミクリアは止めようとせず、光はどんどん、今までにないほど巨大化していく。
――――この攻撃を許したところで、最早人類の『勝利』は揺るがないだろう。いくら光の玉が大きくなったところで、よもや地球を破壊するほどの威力はあるまい。
されどその一発で、どれだけの人命が失われるかは分からない。
艦隊からの総攻撃が行われる。無数の対空ミサイルが飛び、無人機も持っているミサイルを全弾撃ち込む。残弾がゼロになった無人機は、自らが弾丸だと言わんばかりに突撃して体当たりを食らわせた。最早断続的かどうかなど、どの国も気にしていない。今、ここで落とすために死力を尽くす。
【キ……………】
猛攻を受けたミクリアが僅かに呻いた
瞬間、光の玉がその場で爆発した。
巨大な、太陽が地上に現れたかと思うほどの大きな爆発だった。ミクリアは高度数キロ地点にいた筈なのだが、爆発の衝撃は海にいる由紀達の乗る護衛艦も襲う。
あんなものが市街地に落ちていたら、どれだけの犠牲が出ただろうか。
果たして幸いと言えるかは分からないが……今回の犠牲者は、ミクリアただ一体だった。
「あっ……」
爆発の衝撃を生き延びた、僅かな無人機からの映像に、ミクリアの姿が映る。
正確には、ミクリアと思しき、というべきだろう。黒焦げた肉塊としか言えない状態のそれに、ミクリアらしさは微塵もない。
生命の息吹きを感じさせない、大きさ数百メートルの塊が空から落ちる。地球の重力に引かれ、どんどん加速していき――――
ついに母なる海に着水。
爆発と見間違うほどに大きな水柱が上がる。津波が生じ、付近にいる軍艦を激しく揺らす。更に落下地点の海水がぶくぶくと沸騰し、人を火傷させる湯気まで漂う。まるでこれが最後の最後の足掻きだと言わんばかりに。
恐ろしいほどの執念に、由紀はぶるりと身震いした。周りにいる自衛隊員も、勇也達研究員も、同じ気持ちなのか皆がこわごわとした表情を浮かべる。
だが、科学者として事実を見れば。
五射目をどうにか食い止め、ミクリアを撃破した。それは即ち人類の勝利であり、喜ぶべき結果なのは明白だった。




