弱点
多国籍軍が検討した、放射性物質をミクリアに投与する作戦は一旦延期となった。
理由は様々であるが、一番の理由は多くの国の科学者から反対されたからだろう。「確実性がない」「生態を考えれば放射線耐性は高い筈」と。また作戦の成否に拘らず環境汚染や人間への被爆が起きる点を考慮すれば、駄目元でやる訳にいかないのも大きな要因だろう。
しかしあくまでも『延期』。
作戦の中止には至っていない。理由としては「取れる手段を制限する必要はない」のと、「ミクリア繁殖の兆候がある場合に取れる作戦を確保する」というもの。つまり最悪の状況となった際、実行する手立ては用意しておきたいとの事だ。
言い分自体は真っ当なのだが……多国籍軍と、それを統括する政府の内心は異なるだろう。
彼等が真に気にしているのは、国民からの支持。ミクリア攻撃作戦は現時点で全く成功していない状態で、国民の多くが不満を抱えている。何故未だ倒せない、政府は何をしているのかという意見が出つつある。そのため直ちに倒せそうな作戦は手放したくないのだ――――
「しょーもない……」
そんな解説を載せている新聞を見て、由紀はぽつりと呟く。
研究施設の休憩室にて。ソファーに寝そべりながら由紀は休んでいた。この姿だけ切り取られれば、「研究をサボって何をしている」と国民からブーイングが来そうだなと思うが、ほんの十二時間ぐらい他国の論文をぶっ続けで読んでいたのだ。少しぐらいだらけても良いではないかと、由紀としては思う。
「何に対して言ってるんだい?」
そのだらけた由紀に、偶々休憩室で同席する事になった光一が尋ねる。知り合いとは意外と気さくな話し方をする彼の言葉に、由紀は小さなため息一つ。
答えは言うまでもないと顔に浮かべつつ、渋々口も動かす。
「軍も政府も、ですよ。支持率を気にして、環境リスクが大きく、効果のなさそうな作戦を実施しようなんて……」
「まぁ、多国籍軍の多くは民主主義の国だからね。国民からの支持は大事だよ。そして民主主義では、どんなに反科学的主張の持ち主でも一票には変わりない」
「現代文明で生きていながら、よく科学を批判出来るわね……」
「思想ってそんなものだよ。誰でも多かれ少なかれ、科学ではなく理念で世の中を動かしたいと思っている。君だってそうだろう?」
そう指摘されると、由紀には答えられない。確かに自分も、科学的に正しく伝えれば世間は納得すると漫然ながら思っていた。実際には科学的に正しくない事柄が、平然と信じられ、語られているのに。
「……それについては、否定しませんけど」
「それに、軍や政府の言う事は尤もだ。あれは駄目、これも駄目と言うのは簡単だけど、じゃあどうすればってのがなければ話にならない。逃げ道を用意するのは、交渉の基本だよ」
代案がないなら、どれだけ効果が保証出来なくてもやるしかない。それもまた現実だろう。
流石、研究チームの政治担当。相手の思惑や立場をよく理解している。光一の意見に感心しながら由紀は読んでいた新聞を胸の上に置き、またため息を吐く。
「……なら、どんな作戦がありますかね」
それから光一から意見を窺う。
光一はコーヒーを飲みながら、肩を竦めた。
「僕はあまり研究には関わってないからな……最近は専ら政治家との顔合わせばかりで」
「それについては大変お世話になっております」
「分かってるならよろしい。研究よりこっち向きだって、自分でも思うし。好きではないけどさ……そうだなぁ。映画とかだと、爆弾を丸飲みにさせるような作戦があるけど、それは駄目なのかい? 確かミクリアは、大量の海水を吸い込んでいたから、爆弾を飲ませるのは難しくないと思うけど」
光一は早速一つの作戦を提示してみる。
確かにその方法は、一度は検討された。ミクリアに分子をバラバラにする能力があるとしても、それは体内奥深くの話。吸い込んだばかりなら、爆弾はまだ機能を保っている。
ならば吸い込んだ直後、リモコンなどで起爆すれば良いのではないか。人間で例えるなら、口の中に爆弾を入れた瞬間爆破すれば、胃液で溶かされてしまう爆弾でも十分効果を発揮するようなものだ。
その作戦は効果的だと、科学者達も納得した。由紀も良い作戦だと思った。
しかし、残念ながら問題があった。
「アメリカからの論文で、問題点が指摘されました。ミクリアはバリアの瞬間的展開のため、周囲百メートル圏内に極めて強力な磁場を形成しているそうです」
「磁場?」
論文曰く、ミクリアが纏っているのは超高出力電磁波だという。
強力な電磁波を展開する事で、物理的な衝撃を遮断しているらしい。そもそも『物』が他の『物』をすり抜ける事が出来ないのは、原子が持つ電磁気力に、他の物質の電磁気力が反発する事によって起きる事。電磁波が極めて強力なら、原理上不可能ではない。
問題は発動前の段階で、既に弱い電磁波が展開されている事だ。これはセンサーとしての働きがあり、危険な何かが通過して電磁波の流れが遮断されると、バリアが展開されるという。
ミサイルや砲弾が防がれたのは、ミクリアにとって危険な速さで突入したため。しかしゆっくり懐への侵入を試みた場合、このセンサー代わりの電磁波をもろに浴びてしまう。バリアほど強力ではないが、センサー代わりの電磁波も強く……電子機器が通ると、強力な雷を浴びたかのような電流が生じる。
この電流が電子機器を破壊してしまうのだ。このためセンサーやリモコン式の起爆装置は無効化されてしまう。体内で的確に爆破するにはリモコン式でなければ意味がなく、核弾頭を至近距離で爆破する事も出来ない。
「それとバリアの強度は未だ未知数ですけど、想像以上に強力なのではないかという論文がイギリスから出ました。核攻撃が成功しても、撃破出来るとは限らない可能性が高まっています」
「成程。火力による駆除は困難という訳か。だからこそ放射性物質による駆除作戦を中止に出来ないと」
「その状況下なら、確かに作戦を中止しないのは当然ではあります。本当に効果があればの話ですが」
直接攻撃も駄目、毒殺も駄目、体内からも駄目。考えられるどの作戦も効果が期待出来ない。
ミクリアが海面に浮上して、もう二月近く経っている。あの形態が成体であれば、そろそろ繁殖を開始してもおかしくない。もう猶予はあまりないのに、人類は手立てを失っている。
「ま、焦らなくても大丈夫だろう」
この状況下で、何故光一はここまで平静を保てるのか。
苛立ちを通り越して、興味すら湧いてきた。
「なんで、そんなに落ち着いているんです?」
「んー? まぁ、慌てても仕方ないってのが一つと……信じているから、かな」
「信じている、とは?」
「科学を。君達が多くの論文を出した事で、ミクリアについて理解は深まりつつある。そして君達が解明した答えは、若い才能を育む」
科学とは、積み重ねだ。小さな発見を幾つも集めて、その集大成として大きな機械や兵器、新たな理論が生み出される。
それを指して「我々は偉大な巨人の肩に乗っている」という表現もある。由紀達の発見も、新たな巨人の肩となる。
その肩は、きっと誰かを乗せるだろう。
「そろそろ世界の何処かで、誰かがミクリアの弱点を見付けてるんじゃないかってね」
だから大丈夫だと、光一は言いたいらしい。
それは些か楽観的な考えだと由紀には思えた。思えたが、案外その心持ちの方が良いかも知れない。焦ったところで成果が出ないのはその通りなのだから。
「雨宮さん! 宇津宮さん! 此処にいたんですね!」
そう考えていたところに、一人の若い研究員が休憩室に飛び込んできた。
突然の大声に、由紀と光一は同時に振り返る。向いた先にいたのは、一人の若い男性研究員。
失礼な言い方をすれば、由紀と違い、大きな成果を出していない若者。だが彼もまた、巨人の肩に乗る者の一人。これまで由紀達が積み上げてきたものを見て、得てきた者。
「ついに見付けたんです! ミクリアの弱点を!」
そして新たな巨人の肩を立つ、未来の礎の一つだった。
「弱点について話す前に、ミクリアの生理機能の一つについて話します」
由紀や光一、勇也など大勢の研究員を集めた会議室。その段上でプロジェクターを操作し、壁に資料映像を表示している若い研究員はそう話を切り出した。
言葉がややぎこちなく、緊張しているのが窺える。しかし背筋はぴんっと伸び、表情に臆した様子はない。
発表内容に、相応の自信があるのだろう。無論世の中には根拠もないのに自信ばかりある者もいて、この若い研究員がそうではないとは限らない。
だからこそ此処に集まった研究員達で、未発表の論文の査読を行うのだ。
「ミクリアは海上に出現して以降、絶え間なく蒸気を噴出しています。この蒸気の噴出理由には、幾つかの仮説が出ています」
ミクリアは未だ謎の多い生物だ。
身体のあちこちから噴出している蒸気も、その謎の一つである。エネルギー源が不明だった頃は、核分裂や核融合で発生した熱で沸騰し、タービンを回すために使われたものという説があった。しかし今では由紀の提唱した結合エネルギー利用説が有力なため、タービン説は廃れている。
代わりに有力視されているのが、冷却説だ。
吸い込んだ海水で体温を冷やしているというもの。化学結合エネルギーの吸収に伴うものか、生命活動が活発なためかは分からないが、ミクリアは常に発熱している。これを海水で冷却しているが、あまりに温度が高過ぎて沸騰している……というものである。
海水が沸騰するほどの熱というのは、生物体の温度としては高過ぎないか? といった反論もあるが、絶え間なく蒸気を出す理由は現状他に考え難く、最有力とされている。
「自分の説は、結合エネルギー利用説と、この冷却説を主軸にしている前提でお聞きください」
ミクリアには未確定の部分が多い。どのような仮説を前提にしているか事前に伝えるのは、論文上の必須事項だ。
「ミクリアはあらゆる物質から膨大な結合エネルギーを得ています。このエネルギーにより五百メートルもの巨体を支え、電磁バリアや空中浮遊、長距離射撃などを可能にしていると思われます」
最新の論文により、ミクリアがどの程度のエネルギーを消費しているかは判明しつつある。
生存に膨大なエネルギーが必要なのは言うまでもないが、空中浮遊やバリアの展開に使うエネルギーは更に膨大だ。平常時と戦闘時で大きく異なるが、いずれも莫大なエネルギー消費があるのは間違いない。
「しかしこのエネルギー消費と、ミクリアの給水量は釣り合っていません」
そう言うと若い研究員は傍にあるパソコンを操作。壁に表示されている画面を切り替えた。
映し出されたのは。数本のグラフである。
「これは現在予測されるミクリアの基礎代謝で発生する熱量、戦闘時に消費されたと思われる熱量、そして排出された蒸気から推測される静止時の冷却熱量です」
「……………これは」
表示されるグラフを見て、ぽつりと光一が呟く。
呟きは少しずつ増え、室内がややざわめく。
グラフに書かれている内容を読み解くと、こういう事になる。
まず平時に比べ、戦闘時には約十五倍もの熱量が出ている。バリアや射撃に使われるエネルギーがそれだけ多いという事であり、値の正確さは兎も角、それぐらい差があってもおかしくない。
ところが静止時に蒸気の排出によって冷却される熱量は、戦闘時に放出される熱よりも僅かに多い。
「(確かに水の比熱の大きさを考えれば、冷却される数値が大きいのは理解出来るし、筋は通っている。でも、戦闘時より多いですって?)」
若い研究員の言葉によれば、その値は排出された蒸気量からの推測である。
冷却された熱量は、海水温と蒸気の温度、そして排出された蒸気の総量から計算可能だ。プロジェクターにより表示されている映像には、端の方に計算式が書かれており、見た限り数値に不備はない(引用元の論文も記載されている。由紀も読んだ事があるものだ)。観測内容や計算も難しくないので、ここが誤っている可能性は低いだろう。
だから算出された値は、実際の冷却値に近い筈だ。
しかしこれではミクリアは基礎代謝……生きているだけで発生する熱よりも、更に多くの熱を冷却している事になる。戦闘時でさえそれは変わらず、単純に考えればミクリアの身体はどんどん冷えていく事になる。
ところが何時までも蒸気が排出されている。少なくとも蒸気の排出が止まった瞬間は観測されていない。
これはミクリアの体内が、最低でも百度以上を維持している事になる。生命活動で発生する熱量以上に冷却されているにも拘らず、だ。もしも代謝以上に冷却されているのなら、その体温はいずれ海水温と同等になっていなければおかしい。
「このデータから推測されるのは、ミクリアは静止時でも基礎代謝以上の熱を生成している可能性です。その理由は、恐らく体内にある次世代の成長、或いはミクリア自体の生存に必要な物資の獲得にあると思われます」
生物にとって、食べ物の『栄養バランス』が必ずしも自身の身体にとって理想的とは限らない。そして理想的でないがために、必要以上に食べねばならない事がある。
その極端な例として、アブラムシが挙げられるだろう。植物の汁を吸って生きるアブラムシだが、その汁にはアブラムシの成長や繁殖に必要なアミノ酸が殆ど含まれていない。対して糖分は非常に多く含まれている。
単に生きるだけなら、アブラムシは少量の汁を吸うだけで十分エネルギー源である糖を得られる。だが成長に必要な分のアミノ酸を確保するには、もっと大量の汁を吸わねばならない。すると当然糖分も多量に摂取するが、そのまま体内に取り込むと様々な病気(糖尿病など)になって死に至る。これを避けるため、余分な糖分を排出しなければならない。
これが甘露と呼ばれるアブラムシの尿で、名前の通り非常に甘い。共生相手であるアリからすればご馳走なのだが、アブラムシからすれば命の危機を避けるための行動だ。
ミクリアにも、アブラムシのような事情があるのかも知れない。
ミクリアが結合エネルギーを自由に取り出せるのであれば、あらゆる化合物をバラバラにして、身体の材料に加工する事が可能だろう。しかしあくまで、化合物を原子単位で細かくするだけである。炭素を酸素に変えたり、ましてや鉄にする事は出来まい。
つまり特定の『元素』を得るには、大量の海水を吸い込む必要がある。例え有機物や水など、他全ての物質が十分得ていたとしても、一部の元素が生存や成長に必要な量を確保出来ていないのなら、海水を取り込まねばならない。
「現時点で、どの元素が不足しているかは分かっていませんが……ミクリアは不足する元素を得るため、常に大量の海水を吸い込む必要がある事。そして重要なのは、ミクリアは取り込んだ物質を、必ず、結合エネルギーを摂取して分解する必要がある事です」
「必ず?」
「そうです。何故ならこの仕組みがある以上、ミクリアには人間で言うところの肝臓のような、解毒器官がないと思われるからです」
ミクリアは結合エネルギーを取り出す事で、あらゆる元素を原子レベルに分解する。
これは言い換えれば、あらゆる化学物質の『毒性』を分解するのに等しい。勿論原子単体で毒性を発揮するものもあるが、重要なのは全ての化合物を『既知』の存在に変えられる事。本来数え切れないほどある物質を、百種類程度の原子に出来る点だ。つまりほんの百種類程度の『対策』を備えるだけで、あらゆる物質を安全に体内に取り込める。
全ての物質を原子に出来る時、有害物質自体を無害化する酵素や仕組みを残しておく必要はあるだろうか?
慎重派の人ならば、もしもに備える意味でもあると答えるかも知れない。だが自然界、そこで繰り広げられる生存競争は甘くない。余分な酵素や仕組みにエネルギーを使うより、身体能力や繁殖力に費やした方が『強い』。強いという事はより多くの子孫を残し、『弱い』形質を淘汰していく。
故に生物は、『無駄』な仕組みを退化させていく。洞窟に生きる動物が視力を失うのは、どうせ使わない視力にエネルギーを使うより、繁殖などに回した方が多くの子孫を残せるから。「将来洞窟が壊れたら?」なんて考えは意味がない。『今』、多くの子孫を残せるものが繁栄するのである。進化というのは存外刹那的な利益を優先するものだ。
恐らくミクリアも同じで、有害物質そのものを無害化する仕組みは退化しているだろう。『今』、そのエネルギーで多くの子孫を残すために。これでなんら問題はない。全ての物質を無害化出来るのだから、酵素云々は不要である。
だがこうなると、どんな物質だろうと分解しなければならない。何故なら有害物質を間違って体内に取り込めば、それを無害化する仕組みがないからだ。完璧な仕組みで無駄を排除したからこそ、全てをそこに頼らねばならない。
「成長に必要な微量元素を取り込むために、ミクリアは全ての物質……有機物も分子も化学物質も、全て分解している筈です。しかしそれらの分解は、本来ミクリアにとって不要なもの。過剰なエネルギーとなります」
「……地球生物なら、そのエネルギーは脂肪分などの形で蓄積すれば良い。だがミクリアの場合、そうもいかないだろうな」
「はい。結合エネルギーはあまりにも大き過ぎます」
海水の主成分である水の場合、十八グラム(正確には一モルという単位。重さではなく分子の『数』で揃えた単位だ)当たりの結合エネルギーは九百二十六キロカロリーとなる。人間の基礎代謝が一千八百〜二千二百キロカロリー程度なので、結合エネルギーを自由に取り出せればほんの数十グラムの水で人間を生かしておける事を意味する。
ミクリアは僅かな元素を得るため、膨大な海水を体内に引き込んでいる。水自体は安全でも、そこに含まれている物質が安全と限らない以上、全て分解しなければならない。水とよく似た性質の有害物質もあるかも知れないのだから、水だって例外には出来ない。
だから水含めて、全ての物質を分解していく。ほんの十八グラムで九百キロカロリーもある物質を、何千トンも分解するのだ。体内に取り込まれる結合エネルギーの量はとんでもない事になるだろう。放置すれば、自らを容赦なく焼き殺す。
「ミクリアが常に蒸気を発しているのは、自らが生み出す無駄なエネルギーの放出のためと考えられます」
「あらゆる環境に適応した結果、エネルギーの過剰生産から逃れられなくなったという事か……」
「はい。そこで自分が考えたミクリアの駆除方法は、『熱暴走』を誘発するというものです」
若い研究員はプロジェクターを操作し、壁に表示する画像を切り替えた。
新たに表示されたのは、巨大な化学物質の図面。
「こちらに表示したのは、ある高分子タンパク質です。炭素・窒素の共有結合が多く、分子自体が巨大という特徴があります」
若い研究員曰く、この高分子タンパク質は大きな結合エネルギーを持つ。
これをミクリアのいる海域に大量投入する。するとミクリアは水と一緒に高分子タンパク質を体内へと取り込み、他の分子と同じように分解を行うだろう。
少量であれば、大した影響はない。だが何百キロ、何トンも取り込んだ場合、その発熱量はただの海水よりも遥かに多くなる。それこそ蒸気による排熱が間に合わなくなるほどに。
この膨大な熱量により、ミクリアを体内から焼き殺す――――それが若い研究員の考え出した作戦だった。
「論文は以上となります。質問がありましたら、挙手をお願いします」
発表が終わり、しばし沈黙が流れる。
だがそれは悪い沈黙……研究を小馬鹿にした沈黙ではない。理論の問題点について、誰もが真剣に考えているが故の沈黙だ。
やがて一人の研究員が手を上げた。
「どうぞ」
「はい、では個人的に気になる点として……この作戦では前提として、ミクリアの冷却機能が一定である事を前提にしています。発熱量が増大した際、普段以上の蒸気を放出して冷却する事は考えられないでしょうか」
「お答えします。ミクリアは戦闘行動中、多量の蒸気を排出していたため、その行動は十分考えられます。しかしそのためには多量の海水を取り込む必要があります。排出される蒸気のスペクトル分析では化合物はほぼ検出されておらず、ミクリアは全ての物質を一旦分解し、その上で冷却用の水を再生成しているようです。そのためミクリアが冷却機能を高めようとすれば、更に大量の海水を取り込み、より多くの発熱を起こすと期待出来ます」
「想定している仕組みには無駄が多く、エネルギー的に非効率に思えます。合理的な理由は考えられますか」
「有力なのは排熱機能の安全性を保つためです。取り込んだ水に不純物が多い場合、そのまま使用すると排水の通り道が傷付く可能性があります。また推定百度以上という高温では、一部の物質が反応を活性化させ、強酸化や爆発を起こす可能性も否めません。無尽蔵のエネルギーを確保出来るミクリアにとって、エネルギー消費の無駄よりも、排熱の安全確保の方が重要と考えられます」
「……分かりました。質問を終わります」
「私からも質問があります。論文中には駆除に必要な物質量が凡そ十五トンとありますが、これは冷却機能の増幅を見込んだ値でしょうか」
「お答えします。論文中のものは理想値であり、実際の作戦では更に多くの量が必要となる可能性は否めません。実際には数倍程度の量を用意する必要があると思います」
次々と質問が出てきて、研究員は一つずつ答えていく。時々大きな問題が指摘され、論文の修正事項として挙がる。
しかし修正される事は問題ではない。それはより良い論文への道筋なのだから。
「(ようやく挑めそうね……あの宇宙生物に……!)」
巨人の肩を作った由紀は、その光景を嬉しく思う。
そして意気揚々と手を上げて、自分もまた論文内の問題について指摘するのだった。




