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宇宙怪獣ミクリア  作者: 彼岸花


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鉄壁

 ミクリアに毒は通用しない。

 勇也に告げた時点では仮説というより想像の産物だったそれを、由紀は三日掛けて論文に纏めた。厳密には状況証拠から仮説に仮説を重ねたものであるが、ミクリアのエネルギー生成方法にようやく『一説』を提示した。

 その仮説は、以下の通りである。

 ――――ミクリアが活用しているのは、物質が持つ()()()()()()()である。

 化学に詳しくない者には、馴染のない言葉だろう。これは特別な力などではなく、原子と原子が結びつくためのあり触れたものだ。難しく感じるかも知れないが、この力は日常生活でも感じ取れる。例えば木を燃やして熱が発生するのは、木を構成する有機物と酸素が反応する過程で、一部の結合エネルギーが熱という形で放出されたからだ。

 地球生物は、この結合エネルギーを利用して生きている。

 特に植物の光合成は、結合エネルギーを利用したダイナミックな反応の一つと言えよう。葉緑体は光エネルギーを利用して、水分子を酸素と水素に分解。その後の過程でATPとNADPHという物質を合成する。ATPは不安定かつ大きなエネルギーを持っており、化学反応を通じて容易に取り出せる便利なもの。このATP達が持つエネルギーによって、水素と二酸化炭素を結合。デンプンのような大きな有機物を生み出す。

 酸素による呼吸も、酸素を使わない呼吸も、物質が持つ結合エネルギーをATPに変換する工程だ。生産したATPは様々な化学反応で用いられ、体温のための熱や、身体の材料であるタンパク質の合成などに使われる。

 このように生物というのは極めて化学的な反応により活動しており、化学結合エネルギーこそが生命の『源』と言えるだろう。そしてこれは異星の生命体でも変わらない筈だ。何故なら光エネルギーだろうが熱エネルギーだろうが、それを『活用』するには化学反応を通じた変換が必要であり、それは結局のところ化学結合エネルギーの活用に他ならない。

 そして、結果的に結合エネルギーが得られるなら、やり方はなんだって良い。

 地球生命ですら酸素と有機物を反応させる方法だけでなく、鉄や硫黄を還元させるやり方で結合エネルギーを得る生物がいる。地球外生命体であれば尚更、地球と同じやり方をする必要はない。より大きなエネルギーを、より安定して得られる、優れた種が進化・繁栄するだけ。

 その進化の果てにミクリアの種族が辿り着いた方法が、結合エネルギーを()()()()()()というものだと思われる。

 よってミクリアには、()()()()()()()()


「……その、つまり?」


 そういった内容の論文を読んだ自衛隊高官の一人は、顔を顰めながら由紀に尋ねてきた。わざわざミクリア研究施設、そこに構えられた由紀の研究室に(部下と思しき隊員二名を引き連れた状態で)押し掛けてまで。

 由紀の発表した論文、その通りであった場合、何を意味するのか――――どうして毒が通用しないのか分からないと言いたげである。

 それも仕方ない。ATPだのなんだの言われても、一般人からすれば意味不明だろう。この自衛隊高官だって、ミクリアの代謝に関する事 = 毒物による駆除方法に関わるから聞きに来た訳で、学術的な興味からではあるまい。

 そして由紀も、単なる知的好奇心を満たすためにこの論文を出した訳ではない。


「……つまり、の部分だけを話しても納得出来ないと思うので、もう少し詳しく説明します」


「お願いします」


 丁寧な口調ながら、自衛隊高官達の表情は固い。内心は兎にも角にも理由と結論が知りたいのだろう。


「そもそも私達、地球の生物には何故毒と呼べるものがあるのか。それは身体で起きる全ての反応に、化学反応が関わっているからです」


 それでもまずは、生物の基礎から話さなければならない。

 食べ物からエネルギーを取り出すのも化学。

 エネルギーを使って筋肉を動かすのも化学。

 神経細胞が情報を伝達出来るのも化学。

 生命が生きていく全ての作用に、化学反応は関わっている。尚且つこれらの反応には、ある程度決まった流れが存在している。

 毒物とは、この流れを阻害するものだ。

 例えば有名な毒物であるフグ毒……テトロドトキシンは、神経にあるナトリウムイオンチャンネルと結合する性質がある。それ以外の悪事(細胞を破壊するなど)はしない。だがナトリウムイオンチャンネルは神経の活動を制御しており、ナトリウムイオンを取り込む事で機能している。つまり此処とテトロドトキシンが結合するとナトリウムイオンが取り込まれなくなり、神経が正常な活動が出来なくなって、最後は死んでしまう。

 人体が『化学反応』で動いているからこそ、化学反応を阻害するテトロドトキシンは猛毒となるのだ。


「そしてそんな危険な物質を体内に入れてしまうのも、私達が化学反応で生きているからです。生きていくためには有機物や酸素が必要で、そのため物質を体内に入れる必要がある。身体の外で全部バラバラに出来れば良いのですが、残念ながら化学反応で原子レベルまで分解する事は不可能です」


「……御託は良い。それが、ミクリアとどう関係する」


「ミクリアは結合エネルギーを直に取り込める。()()()()()()()()()()()()()()()()()()


 先程と似たような言い回し。高官含めた自衛隊員三人は顔を訝しげに顰めるばかり。

 だが一人がハッとしたように目を見開き、自身の考えを否定するように口を微かに震わせた。

 生憎、由紀の説明は察しの良い隊員の考えを裏付ける事になるだろう。


「もっと簡潔に言います。本来結合エネルギーは、化学反応を介さなければ取り込めません。地球生命ならその反応にATPが使われています。ですがミクリアは直接分子からエネルギーを取り出す……化学反応を介さないんです。つまりミクリアはどんな物質も、エネルギー源にしてしまう」


「どんな物質も……だと? 待ってくれ、それは、まさか……」


「そのまさか、です。ミクリアにどんな猛毒を投与しても、奴はそれをエネルギーに変える事が出来る」


 物質から直接結合エネルギーを取り出せるのだから、化学反応なんて介さない。実際には酵素などを用いた反応かも知れないが、だとしても恐らく全てを()()()()()()()()()()()()()以上、何を投与したところで酵素の反応さえも止められまい。

 毒物が毒として働くには、その物質としての性質があってこそ。原子レベルでバラバラにされては、毒としての働きなど残らない。それどころか材料として使われ、タンパク質などの栄養の材料にされてしまう。どんなに危険な爆弾だろうと、パーツ一つ一つに分けて組み直せば、安全な道具に作り変えられるように。


「しかし、それはあくまで仮説ではないか?」


 ここまで話して、自衛隊高官からも反論が出た。

 どんな毒も通じない生物。そんなものが存在するとは、俄には信じられない様子だ。由紀もこの生態メカニズムを思い付かなければ、ミクリアに通じる毒は必ずあると思っていただろう。

 それに事実、仮説ではある。ミクリアの身体を解剖したり、体液を採取したりしていないのだから、確かな事は分からない。悲観論に走った末の戯言、と思われても仕方ない。

 しかし状況証拠はある。


「根拠は二つあります。一つは、ミクリアの急激な成長速度です」


 今いるミクリアは、一年前に降下してきた三十メートル級の地球外生命体が成長した姿だと考えられている。元々大きかったとはいえ、たった一年で五百メートルまで巨大化するのは、あまりにも成長が早い。

 成長には様々なものが必要だ。特に必要なのが栄養素。身体の材料がなければ、エネルギーがどれだけ有り余っていても身体など作れない。

 ミクリアがもし結合エネルギーを片っ端から吸収出来るのなら、この問題は生じない。全ての物質が原子レベルでバラバラにされるのだから、これを組み立てれば()()()()()()()()()()()。アミノ酸が足りなければアミノ酸を、水が足りなければ水を、いくらでも作り出せるのだ。それらを合成するエネルギーは他の物質からいくらでも手に入るし、余りは外に捨ててしまえば良い。

 そしてミクリアが潜んでいた海中には、様々な物質が存在している。熱水噴出孔付近ならば硫黄や金属も豊富に得られただろう。最高効率で成長した結果、たった一年で十六倍もの巨体を手にしたのだ。肉を食べて必要な栄養分だけ取り込むようなやり方では、これほどの成長速度は達成出来まい。


「もう一つは、ミクリアの滞在海域で見られる海の酸性化……厳密にはそれを引き起こしている、多量の硝酸イオンです」


 ミクリアが水や大気から物質を取り込み、原子レベルまで分解して身体の材料やエネルギー源にしているとしても、何かしらの『余り』が生じる筈だ。それらを排出する時、どんな状態で出てくるだろうか?

 恐らくは単独の原子だろう。どうせ捨てるのだから、わざわざ大きな塊(分子)に組み立てたところで無駄にしかならない。しかし一部を除いて原子という状態は、あまり安定的なものではない。他の原子と結合したもの(例えば酸素分子は酸素原子が二個くっついた状態)の方が安定しているため、自然とそういった化合物を作ろうとする。

 そしてミクリアが海水から栄養素を得ているとすれば、排泄する原子は水素・酸素・窒素が特に多いと考えられる。確かに海水には金属などが豊富に含まれているとはいえ、水素や有機物の方が遥かに多い。ミクリアがどの程度の金属を必要としているかは不明だが、その組成が海より薄いとは考え難い。多量の金属を得るために多量の海水を取り込み、一緒に分解された水や有機物……それらを構成していた原子は相当量余る筈だ。

 単体で外に出た水素・酸素・窒素の原子達は、安定した形となるため他の原子と結合するだろう。水素分子のような、同じ原子同士で結合するものも少なくはあるまい。水素と酸素ならば水が出来るだけだ。

 だが酸素と窒素が結合すると、一酸化窒素または二酸化窒素となる。一酸化窒素は自然環境下では酸素と反応して二酸化窒素になるため、実質二酸化窒素が生成されると考えて良い。

 この二酸化窒素が水と反応して硝酸と亜硝酸に変化する。ミクリアのいる海域で確認された、海の酸性度が変わるほどの高濃度硝酸イオンは、このメカニズムにより生成されているのだ。


「一酸化窒素や二酸化窒素自体は、この方法でしか作れない訳ではありません。人類の文明では排ガスなどから大量に出て、大気汚染や酸性雨の原因となっています。しかしミクリアのいる海域で、なんらかの燃料を大量に燃やした痕跡はありません」


「特定の物質だけが、ピンポイントで存在する……それは特定の原子だけが、ピンポイントで排泄されているからだ、と」


「はい。確たる証拠とは言えなくとも、状況証拠にはなると思います。無論、今後も研究は続け、更に理論の裏付けを進めるつもりですが……」


「仮に、この仮説が正しい場合、どのような対処法が考えられる?」


 自衛隊としては、そこが気になるのは当然だ。「毒は効きません」が事実として、重要なのはその後。

 倒せませんで話が終わったら、地球もまた終わってしまう。


「……あくまで毒物投与という形での駆除を行うなら、物理的な方法が効果的だと思います。高レベル放射性廃棄物がその筆頭でしょう」


 放射性物質が毒として働くのは、化学的作用ではない。そこから放たれる放射線により細胞などが破壊され、正常な生理反応が行われなくなった結果だ。

 所謂急性被爆である。放射線は原子一つずつから出るものなので、結合エネルギーを奪われても問題なく発現する。体内から被爆させ、内側から細胞レベルで破壊する方法ならばミクリアを倒せるかも知れない。

 しかし問題はある。


「懸念、というより不確定要素は、ミクリアの放射線耐性がどの程度か分からない事です」


「人間と同程度ではない可能性がある、という事か?」


「はい。むしろかなり高いのではないかと、個人的には考えています。いえ、それどころか効果がない可能性も、考えなければなりません」


 地球の生物でさえ、放射線の耐性は種によって大きく異なる。有名どころではクマムシが、人間の一千倍もの放射線に耐えられると言われている。

 他にも幾つかの細菌は、それ以上の耐性を持っている。挙句一部の種は放射線を吸収し、エネルギー源にする事が明らかとなっている。

 そしてミクリアがやってきた宇宙は、地上よりも遥かに強烈な放射線が飛び交う環境だ。当然ミクリアにはなんらかの放射線耐性がある筈である。『生息地』の環境に耐えられない生物など、あっという間に淘汰されるに決まっているのだから。


「耐性なら、より強いものを与えれば破れる可能性はあります。ですがエネルギー変換される場合、放射性物質の投与は逆効果になりかねません」


「成長を促進する可能性もあるか……!」


「それに、これを言うと何も出来なくなってしまいますが……結合エネルギーを直接得る方法なんて、人類は知りません。ですからどんな酵素や反応を使っているか不明です。もしも此処に放射性物質が関与しているなら、それを投与した場合、爆発的な勢いで増殖する可能性もあります」


 もしもミクリアの成長速度が、地球環境では十分なものでなかったとしたら。或いは今のミクリアが未成熟の状態で、成体となるのに放射性物質の大量摂取が必要だとしたら。

 仮定や警戒を通り越して、妄想染みた不安だ。しかし由紀の仮説通りなら、ミクリアのエネルギー生産は人類にとって未知の……核融合以上に謎めいた仕組みである。どれだけ警戒しても、足りているかどうかなど分からない。

 無論様子見した挙句何もしないのは論外だ。放置されたミクリアが繁殖したなら、それは地球環境の破滅を意味する。例え繁殖せずとも、ミクリア一体でも硝酸による海洋汚染が深刻なのは変わらない。放置すればするほど、人類の生存は脅かされていく。

 時間がないのに、早まった事をするなと言ってしまうのは、『絶対』がない事を知る科学者故の性か。

 そしてあくまで科学者だからこそ、『攻撃』の最終判断は戦いの専門家に一任するしかない。


「雨宮さん、あなたの懸念は理解した。しかし現状打開策がない以上、自衛隊や他国の軍が放射性物質の投与を実行する可能性は否定出来ない」


「はい、承知しています。責任を押し付けるようで申し訳ありませんが、作戦の可否についてはお任せします。ただし私も、意地悪やイデオロギーで申している訳ではありません。そこだけは、留意していただけると助かります」


 由紀としても、自分の考え過ぎであればそれで良い。放射性物質を投げ込むだけで倒せるなら、それに伴う汚染だって許容する。ミクリアが繁殖するより、地球の一割が放射線塗れになる方がまだマシなのだから。

 けれども現状、上手くいく絵面が思い浮かばない。そうではないと祈りたくもなるが、科学者だからこそ自分の抱いた気持ちに意味などないと分かっていて。

 一週間後の新聞に載った、放射性物質投与作戦の延期を知って、由紀は心から安堵した。

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