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私のお母様  作者: 河辺 螢
本編
9/17

9

 「私」が四歳になった時、弟が生まれた。

 待望の男の子に、お父様もお祖母様も大喜び。私が生まれた時とはずいぶん違う。そんなことを知らない「私」は、

「私が生まれた時も、嬉しかった?」

と二人に尋ねた。無邪気な質問に、

「ええ、ええ、それは嬉しかったものよ」

「かわいい女の子が生まれて、神様に感謝したよ」

 お父様とお祖母様がついた嘘を、私はずっと信じていた。

 【はっ。よく言うわ。】

 今ならお母様のその気持ち、私もわかります。

 でもお母様は、私が生まれた時のことを私に言うことはなかった。だから知らなかった。

 お父様は優しく、お祖母様は気品があり、お母様は平民出身の至らない人。

 それがお父様やお祖母様から植え付けられた嘘だということを。




 弟は肌が弱く、お母様は肌にいいクリームを作るために奔走した。領に定住した薬師に相談し、領外からも原材料を取り寄せ、作り上げたクリームはとても評判が良かった。良すぎてお母様はますます忙しくなってしまった。薬やクリームに関する事業を伯父様に委託しているのに、お母様の仕事は一向に減らなかった。


 薬草の売り上げは領民に還元され、畑の改良や領の山に根付く植物の調査にお金をかけていた。良質な湧き水もあり、この山の薬草に惹かれて多くの薬師が訪れた。そのまま定住を決める人も増え、領内で様々な薬が作られるようになると、薬を求めて訪れる人も増えた。そうした人たちの泊まる場所も必要だったし、薬を作る道具や薬を入れるための瓶などの需要も増えていった。




 領の整備は順調に進んでいた。

 山の麓の村での評判を受け、畑用の水路だけでなく街にも水路を通し、飲用水や食べ物を冷やすのにも使われた。住民達はその水を汚さないように取り決め、排水用の水路を分けるようにするとその街では腹痛や下痢を起こす人が著しく減っていった。

 水路整備に反対していた三つの町や村のうち、一つの町では町長が代わると早々に工事をお願いしたいと申し出た。工事は最後に回され、着手には数年かかったけれど、待った甲斐があったと言われるほど好評で、どうしてあの時保留にしたのかと悔やむ声も少なくなかった。


 残る二つのうちの一つの村で、お母様が自分達の村を無視していると巡回に来たお母様を村人が取り囲む事件があった。お母様には護衛がついていたので被害はなく、領主代理に刃向かった罪でその場にいた者は捕らえられた。

 お母様は怖くて体の震えは止まらず、すぐにでも帰りたかった。だけどこのままにはできない。まずは誤解を解くことが必要と懸命に勇気を振り絞り、不満を持つ村人の前に立った。

 お母様はかつて村長が署名した「水路整備を拒否する」声明文を見せた。

「私は無視などしていないわ。あなたたちが選んだことよ」

 ざわつく村人から逃げるように離れると、その日は次の村への巡回も中止して家路についた。

 お母様はいつか私たちを領の巡回に連れて行こうと思っていたのだけれど、この時の怖さから取りやめ、旅行でさえ山麓の村のようにお母様に好意的な場所に限定し、充分過ぎるほどの護衛をつけた。


 その後村では話し合いが行われ、村長が謝罪に訪れた。

 村長は謝罪よりも水路整備の依頼に熱を入れていて、お母様は水路整備の話は保留にし、村長に宿題を与えた。

 捕らえられた者達を一年間他の村に労働力として送るか、罰金を納めるか。

 領主代理を襲おうとしたのだ。鞭打ちか下手すれば縛り首もあったがやはり甘っちょろいもんだ、と村長はお母様を舐めていたけれど、お母様にはちゃんと考えがあった。お母様を取り囲んだ人たちは村の労働力で若者が多く、全員いなくなると村の仕事に支障を来す。かといって全員の罰金を支払えるほどの余裕はあの村にはない。

 結局半数は労働の刑、半数は罰金を払って村に戻ることになった。水路は保留のままだった。


 労働の刑を受けた者は、水路だけでなく農地も整備された村に驚いた。染料になる植物や果樹の栽培で収益が増え、農具も新しい。道も舗装されやはり不平等だと思い、恨む気持ちをなくせなかったけれど、村の人は収益を上げ、税を多く払えるようになって優先的に道を舗装してもらえたことを話した。

「俺たちの働きを、ちゃんと領主様は見てくださってるんだ」

 一年後、村の暮らしに慣れた者も強制的に元の村に戻された。

 出遅れた自分達は、ただ水路を整備しろと言っても駄目だ。

 水路の計画を作り、新たな村長を選び、村長だけでなく村人も一緒に領主の館を訪ねた。きちんと謝罪し、話し合いを重ね、ようやく水路を引くことが決まった。何度も水路を手がけてきた親方が計画を修正し、高低差のあるこの村には大型の水車を導入することが決まった。

 村の人は水車なんて無理だと半ば諦めていたけれど、お母様はお金を惜しまなかった。




 北の国から領の山にない薬草の苗を取り寄せて育ててみたり、薬を長持ちさせるため瓶の封を改良したり、思いつくまま、提案されるまままずは試してみる。

 お母様が動くと不思議とみんな手助けしてくれる。もちろん全てが順調だった訳ではなく、結果が出ないことも何度もあった。お母様が領を乗っ取ろうとしていると中傷する人もいたし、邪魔をする人もいた。理不尽な言葉や八つ当たり、嫌がらせを受けることもあり、時にお母様は自室で声を殺して泣いていた。

 私には泣いているお母様を見た記憶はないのだけれど、いつなんだろう。家に戻ってきて、既に目を腫らしていたお母様を見た小さな「私」は、お母様の後を追いかけて、お母様の座るソファの上によじ登ると、お母様の頭をナデナデした。

「いい子、いい子よ、おかあしゃま」

 お母様は小さな「私」の胸に顔を埋め、ぎゅっと「私」を抱きしめた。

「大丈夫。…大丈夫よ。とっても元気が出たわ。ありがとう」

 次に顔を上げたお母様は、涙の跡を残しながらも笑っていた。

【大丈夫、私は大丈夫】

 私が覚えてもいないこんなささやかなことがお母様を励ましていた。

 「私」、いい子ね。ナイス、「私」!


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