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お母様が領に来て四年後、私が生まれた。
この間、お母様は子供ができないことを理由に離縁を告げられることを期待していたのだけれど、お母様の持参金を使い込み、返す宛てもない父が別れ話を持ち出すことはなかった。こんなからくりで結婚を継続していたなんて、気が付かなかった。
お父様とお祖母様は「私」が生まれる時には領の家に来てくださり、お父様は部屋の前でずっとうろうろしていた。
夜の十時を越え、ようやく生まれた「私」。しわしわの真っ赤な顔でかわいいとは言えないけれど、元気な泣き声にお母様は喜びの涙を見せた。
「かわいい女の子ですよ」
リタの言葉に、お父様は明らかに落胆した。お父様は跡継ぎになる男の子が生まれると期待していたのだ。勧められても怖がって「私」を抱くことはなく、お母様に
「まあ、無事に生まれて良かった」
と、上辺だけのねぎらいの言葉をかけ、自室に戻った。
翌日、お祖母様が現れ、女の子だと聞いて面白くない顔をした。
「跡継ぎも生めないなんて、役に立たない嫁だこと」
その言葉にお母様は唇を噛んだが、
「申し訳ありません」
と言っただけだった。
「乳母の手配はしてないの?」
「この子はできるだけ私の手で育てたいと思ってます」
お母様が、そんなことを思っていたなんて…。だけどそれを聞いたお祖母様は、
「自分で子育てするなんて、まさに平民ね。品のないこと。…ま、いいわ。跡継ぎにもならない子供にお金をかけても無駄だもの」
【こんの、くっそばばぁ…】
お母様の心の声が漏れなかったのが奇蹟だった。
二人は三日後には王都に戻っていった。
お父様やお祖母様に嫌われていると思ったことはなかったけれど、私が思っていたほど愛されてもいなかったのね。…知りたくなかった。
「このまま跡継ぎが生まれなかったら、この子を連れて家に帰ってもいいかもね」
にっこりと「私」に微笑みかけるお母様は、意外と本気だった。
おなかが大きくなってからは領でできる仕事をし、丁度冬になり仕事も減っていたので何とかなっていたものの、子育てが始まり、季節も徐々に暖かくなってくると、代理で動いていたノーマンも手一杯になってきた。
「私」が六ヶ月になるまでは領の家に引きこもっていたお母様も、出かけなければいけない用事が増えてきた。「私」を連れて馬車で移動するのは難しいと判断し、乳母を雇い、「私」は乳母や侍女と共に領の家でお留守番をすることになった。お母様は少しでも自分で何とかしようとしていたけれど、それには限界があった。リタに少しでも負担を減らすよう提案され、協力してくれる人の手を借りることにしたのだ。
お母様は時間を見ては「私」の様子を見に戻り、抱っこして、一口でも離乳食を食べさせてくれたり、戻れない時も乳母やリタから報告を聞いて、毎日の体調や成長ぶりを確認していた。
「でんぐり返りできたの? えー、見たかったぁ! 今日は早く帰るわよ!」
「季節の変わり目だから、咳が出たら気をつけてね」
お母様は、子育てを乳母に託しながらも、いつも「私」のことを気にかけてくれていた。
私が一歳になった年は気温が上がらず、夏になっても肌寒い日さえあった。
農作物の不作を予見したお母様は、お父様に手紙を出したけれど、
天気のことなど、どうすることもできないさ。
といった内容の、どうしようもない返事が戻ってきただけだった。
秋になり、食糧不足が現実になってきた。幸いうちの領にはお母様が備蓄した穀物があったけれど、国のあちこちで食糧不足に伴う不安が募り、買い占めや横取りが起きているという噂もあった。
育てていた薬草は寒冷地で生育するものだったけれど、日照不足が影響したのか前年の半分の収穫量だった。道路の整備も難所にさしかかってお金がかさんだのもタイミングが悪かった。
今年はやむを得ない。執事のノーマンと相談し、去年より金額の減った収支報告書を送ると、お父様はお母様とノーマンを王都に呼び出した。
「どういうことだ。領の金が減るなんて」
「不作の年に収益が出る訳がありません。今年はどこの領も」
「おまえに任せたはずだ! おまえが何とかしろ!」
それはかつてノーマンから聞いていた、現実を知らない、見ようともしないお父様の本当の姿だった。
お母様は、お父様から送られてきたのらりくらりとした返事をそのまま突き返した。
「『天気のことなど、どうすることもできない』。あなたはそうおっしゃいましたよね。私にだってどうすることもできません」
「なにを!」
「領民を守ることを優先します。こちらに送るお金を減額しますので」
「そんなことが許されると思ってるのか」
「お任せいただきました以上、私の指示に従っていただきます。領民が飢えるなら宝石類を売ります。それでも不足するなら、この家の家財も、家も、売る覚悟でいてください」
「許さん…。そんなこと、許さんぞ」
「では、どうされます?」
お母様の問いに、お父様の出した答えは策と言えるようなものではなかった。
「おまえの宝石を売ればいい。それが任された責任を取るというものだ」
「『任された責任』ですか? 私はここに来てから一度も領のお金で宝石を買ったことはありませんし、あなたからいただいたこともありません。領のお金で買った宝石がありながら、まず私が実家から持ってきた宝石を売れとおっしゃるのですね」
【こんなバカ、話し合う時間がもったいないわ】
お母様は、長く大きな溜息をつき、意を決した。
「よーく、わかりました。困った時には私の宝石を率先して売りましょう。ですが、私の私物ですから、領の借金としてお貸しすることにします。貸した分は返済していただきますわね」
「…おまえの好きなようにしろっ」
【この人の「おまえの好きなように」は、愛情から与える利権ではないのね。自分は知らない、関係ないと丸投げにしているだけなんだわ。判断も、努力もせず】
お母様達は翌日には領に戻った。その季節、春を越すまでお父様が領に来ることはなかった。
お母様には、勝算があった。
お父様に内緒で進めていた備蓄もある。不作になりそうなことはお母様以上に農家の皆さんがわかっていて、早くから節約していたし、雑穀や芋などいろいろな食料を育成していた。
それに国王陛下がいち早く動き、国の備蓄を解放すると共に、商人達に外国から食料を輸入させ、それを王都だけでなく各領にも配分してくださったのだ。その情報はいち早く伯父様からもたらされていた。
お母様は宝石を二つ売り、領の「借金」にした。本当はそれがなくてもぎりぎり何とかなりそうだったのだけど、あえて不足していることのアピールに使った。
お父様は変わらず紳士クラブに顔を出したり、パーティや夜会に参加していたけれど、この年は開催数も参加者もずいぶん少なかった。あまりにいつもと変わらないお父様に
「君の所の領は大丈夫かい?」
と心配されても、
「なんとかなるものさ」
と笑って答えていた。その自信がどこから来るのかはわからない。
家で出る食べ物の質が落ち、量も少なくなり、お祖母様は不満を口にしていたけれど、元々食べ物は残してこそ貴族だと思っているので無駄が減っただけ。飢えもせず、口で言うほど困ってはいなかった。