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私のお母様  作者: 河辺 螢
本編
5/17

5

 結婚前に領の収支決算報告書を見せてもらっていたお母様は、あまり収益の上がらない領に何か工夫ができないか考えていたようだった。

 実際に領に来て帳簿を確認すると、

 【あら。ひとまずは一割増は確実ね。】

とほくそ笑んだ。


 お母様は伯父様の知り合いで執事の経験のあるジョルジュという方を招き、侍女と護衛を連れて領を見て回った。

 土地の三分の一は山。平地での農業と牧畜が主な産業。山には鉱物資源はないけれど、自然豊かで美しい。…けれど、こんな所だった? 道は整備されていてこんなに馬車が揺れなかったし、街も活気があったと思うんだけど、どこに行っても本当に田舎って感じ。

 お母様はふらりと訪れたどこぞの有閑マダムを装って、普段の様子を観察していた。

 【土壌はまあまあ。川や泉はあって水は豊富だけど、水路は工夫の余地ありね。農民が使う農機具は手入れして使ってはいるけれど古いわ。何よりどこに行くにもとかく道が悪い。こんなんじゃ誰も領を訪れないし、物を運ぶのも大変ね】

 珍しい旅行客を前に、領民は愛想良く、都会の話を聞きたがった。

 お母様はにこやかにそれに応じ、さりげなく領のことを聞き出していた。

 【今のままでいることに、あまり抵抗がないのね】


 山に近づくほどに更に道は悪くなっていった。針葉樹の森を抱え、良質な湧き水がある。登山でも趣味でない限りあえてここに来たいとは思う人は少ないだろうけれど、何か領の運営の助けになるようなものは…

 山の中腹まで登り、途中の草原に腰を下ろして眼下に広がる風景は、この世界に王都も人ごみもなく、どこまでも自然が広がっているような錯覚を思わせた。

 ふと腰を下ろしたところに生えていた草を摘み、お母様はそれを鼻に寄せた。

 【懐かしい匂いだけど、何だったかしら…】

 少し癖のある匂いだけど悪い匂いではなく、青臭さの中にミントのような清涼感がある。

 そのまま一口かじり、独特の苦みでそれが何かを思い出したお母様は、荷物持ち兼ガイドに雇った下の村の男に声をかけた。

「このあたり、この草はよく生えているの?」

「ああ、このあたりまで登るとよく見ますですよ」

 【お母様が飲んでいた咳の薬に使う草によく似てる。もしかしたら…】

 お母様は周囲の草を何種類か摘んで箱に入れた。


 領を一巡りし、家に戻ると、お母様とジョルジュは家に置かれていた帳簿を再度確認した。

「旦那様は収益は全て自分の物だと思って、領に還元していないのかしら」

「そのようですね」

 【今の収支で満足しているなら、差額は報告する必要はないわね】

 お母様はいつも私たちに見せる子爵夫人の顔ではなく、悪代官のような顔をしていた。

 

 翌日、お母様は領の執事ノーマンを呼び出した。お母様が最初にこの家に来た時に応対した人だ。

 お母様は目の前に領の帳簿を置いた。

「この帳簿は、あなたがつけたものよね」

「はい、さようでございます」

「王都の家にあった収支報告書とのこの帳簿の差額、どこにあるのかしら?」

 ノーマンは青ざめ、手が小刻みに震えていた。

「あまり羽振りのいい格好はしていないわね。ギャンブルか何かですっちゃった?」

「いえ! …いえ、そのようなことは…」

 ジョルジュは黙って腕を組んでいただけだったけれど、ノーマンには監察官か何かのように見えたのか、ごまかすこともなく素直にお金のある場所を教えた。

「こ、こちらにございます」

 驚いたことに、差額はこの家の金庫に入っていた。

「実は、旦那様が領主になってから…」


 ノーマンの話は驚きだった。

 先代の領主様、つまりお祖父様が亡くなったのが七年前。後を継いだお父様は幼い頃からお祖母様と共に王都で過ごす時間が長く、領への関心が薄かった。いざ領を引き継いでも

「おまえに任せるよ」

 そう言って領の収支は全て執事任せ。収支を報告すると、

「ご苦労だった」

と言って終わり。帳簿をろくろく確かめもせず、報告書の金額だけを見て満足し、言われるがままサインをする。前年より収益が多いと喜んだが、それだけだ。

 雨の少ない夏、農作物や家畜にも影響が出て、当然収益が落ち込んだ。すると、

「どうして去年通りにできない」

と執事を責めた。これにはノーマンも驚き、

「今年は作物の出来が良くないとお知らせしました。国の西側は特にひどく、私どもの領はまだ被害が少ない方で…」

「そこをやりくりするのが執事の仕事だ! これではおまえらの賃金を下げざるを得ないな」

 【おまえの仕事だっ!】

 ノーマンの話を聞きながら、心の奥でツッコミを入れるお母様。でも確かにその通り。

 困ったノーマンは、前領主から引き継いだ年の収支の金額に合わせ、領主報告用の収支決算書を別に作るようになった。そして差額を管理し、過不足が出たときの調整に使っていたのだ。

 国への報告書は正しい金額で出されてるので問題はないものの、国への報告書にサインをしているのも領主であるお父様のはずなのに、気付いていないなんて。


 利益は全て領主のもの。領にお金をかけない領主。

 前領主だった夫の縛りがなくなった前夫人は、息子にねだればドレスも宝石も買い放題。

 お金の管理もできていないので、支払いが滞るようになり、使用人も減らさざるを得なくなった。切羽詰まったところで高い持参金を準備できる商人を脅し、金と嫁を手に入れた。

 それがお母様が嫁いできたこの領の実態だった。この分ではお母様の持参金にも手をつけているだろう。

「では、このお金は使ってもばれないってことね」

 お母様の発言に、ノーマンは諦めたように項垂れていた。

 貴族に見つかればせっかく残したお金も贅沢品に消えてしまうだけだ。ノーマンの顔に諦めが浮かんでいた。


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