『祖』の二人 ~the old blood~
1980年代、スウェーデン南部、バルト海沿いの古びた平屋建ての一軒家。そこにある夫婦が二人だけで暮らしていた。
夫ロイスは66歳。妻メアリーは59歳。だが齢不相応に肌は皺とシミを刻み、髪は白く、どこかくたびれ、微睡んだような目をしている。知らぬ者が見ればすっかり耄碌した老人にしか見えないだろう。
現在、二人の仲はお世辞にも良いとは言えない。互いに会話もなく、違う部屋で眠りにつき、違う時間に起き、それぞれ朝食を用意し口にする。そんな関係がある時から5年も続いているのだ。
8月9日の午前7時20分。ロイスは朝食を済ませ、ダイニングテーブルで葉の断片がばらばらと浮いたティーを口にしながら1日前の新聞に目を通す。メアリーは台所で果物ナイフを手に持ち、震えるような手つきで林檎の皮を剥いている。いつもと変わらない静寂とさざなみの音。……だがこの日はそれを破るかのように、玄関ドアをこんこんと叩く音が響いた。
ロイスが紙面をめくる手を止め、新聞とカップを机に置くとゆっくり玄関へ向かう。軋むような音と共にドアを小さく開き、来訪者を確認する。すると目の前にはスーツを着た2人の男、その後方には白塗りの警察車両3台と警官6人が立っていた。ただならぬ状況であることがロイスの禿げた頭にも伝わってくる。
「県警の者です。緊急でお二人にお伺いしたいことが。」
スーツの男たちは警察章を見せた。一人は白髪交じりで、もう一人は若い男である。ロイスは怪訝そうな顔で二人を家の中へと案内し、互いにテーブルを隔てて向かい合うように座った。若い男は白髪の男の斜め後方へ立ったままである。メアリーは二人に茶を出そうとするが、「奥様もどうか」と促され、ロイスの隣に腰掛ける。白髪の男は二人をそれぞれ一瞥した後、口を開いた。
「実は、先日お二人のお孫さんのリサさんが何者かに拉致されました。」
その言葉を聞いて、二人は互いに顔を見合い、その後ロイスが口を開く。
「私らに孫はいません。」
だが白髪の男は一瞬目をそらした後で再びロイスの方を見据え、こう返す。
「本当にそうですか?」
男はさらに続ける。
「ちょうど5年前の今日、リサさんの母親、つまりあなた方の娘のカレンさんが何者かの銃撃を受け亡くなった。当時2歳だったリサさんは別の場所にいて無事だったが、その後孤独な人生を送ることになる。」
ロイスは目を見開き、やや狼狽した様子を見せる。メアリーは黙ったまま、隣の若い男の方を鋭い目で見ている。ロイスが白髪の男へ問い詰めた。
「……何故あなた方がそれを知っている?この国で娘と孫娘のことは誰にも話してないはずなのに。」
それを聞いた男はしばらく黙ったあと大きくため息をつき、側の若い男と同時に懐の拳銃を向けた。ロイスとメアリーは神妙な顔つきでそれを見下ろす。
「悪いが俺たちは警察じゃない。孫を死なせたくないなら共に来てもらおう。」
「こんなただの老人に何をさせようってんだい?」
メアリーが低くしわがれた声で男へ問う。男は銃を向けたまま前かがみになり話し始めた。
「約30年前、東欧セロキアが革命によって軍事政権から共和制へと移った。だが革命を先導し最前線で戦い抜いたある男が、その成就を前にして姿を消し、政府軍スパイの女と共にポーランドへ亡命。その後は名を変えて各国を渡り逃亡生活を続けたという。」
「…………」
ロイスの目つきが変わり、歯を食いしばるような顔で男を睨む。
「ともあれ残された勇士たちによって時の首相は倒され、獄中で死んだ。しかし彼の息子が逃げ延び、着々と母国奪回のため力を蓄えていたのだ。……あんたらが"ただの老人"じゃないことは既に掴んでる。かつてのセロキアを取り戻すため、今度は我々と共に戦ってもらいたい。」
「…………」
「イエスと答えるんだ。でなければ孫はあんたらより先に審判の日を待つことになるぞ。」
ロイスは汗を垂らしながら俯き、数分ほど黙り込む。やがてメアリーと無言で目を合わせ、小さく頷くと男の方へ向き直り、答えた。
「……イエス。」
数秒経ち、その返事に緊張が解かれたか男の銃を握る手の力がやや弱まった。その時だった。
バン!
ロイスの顔つきが瞬時に変わり、勢いよく目の前のテーブルを蹴り上げる。テーブルは小さく宙を舞うと座っている白髪の男の方へ倒れ込み、置いてあったカップの紅茶が飛び散った。
銃を構えていた二人の男は突然の攻撃に大きく怯み、特に紅茶を顔に受けた白髪の方は目を閉じて防御態勢を取る。傍らに立っていた若い男はすぐに銃を構えなおし、メアリーに銃口を合わせてトリガーに力を籠めるが、銃声が鳴り響くことはなかった。彼女が隠し持っていた果物ナイフを投擲し、トリガーが引かれるより前に男の喉元へ命中させたのだ。
男は喉に刺さったナイフに手を当てながら「かッ……がパッ!」と声にならない声を上げ、壁へもたれかかるように倒れる。白髪の男は体勢を立て直して銃を構えるが、既に側面へ回り込んでいたロイスのナイフが首に当てられ、やむなく動きを止めた。ロイスは静かな手つきで男の銃を奪いながら言う。
「三人で脅すべきだった。」
午前7時40分。男はメアリーにロープで手足を拘束されつつもロイスを睨みつけるが、同時に一気に吹き出した汗が顔にかかった紅茶と共に垂れる。
「俺たちはどうやら相手を間違えたようだな……流石は全てを捨てて戦争から逃げた二人だ。孫が死ぬぐらいなら何とも思わんか。」
そんな言葉を無視しつつ、メアリーは台所奥の棚を開けて取り出したアサルトライフルと弾倉を無言でロイスへ投げ渡し、別室から梯子を伝って屋根裏へ上っていく。
「今度はどこへ逃げるつもりだ?北極海か?言っておくが外では武装した部下が6人待っているぞ。」
それに対し、ロイスはナイフを手放すと片手で男の口を塞ぎながら答える。
「いや、もう逃げるのはやめた。」
彼の目は先程までのくたびれたものではなく、ギラギラと燃え滾るような若々しさを帯びていた。
その頃家の外では、不可解な物音が聞こえ始めたことで偽警官たちが一斉にマシンピストルを手にし、その内2人がゆっくりと玄関の方へ近づいていく。同時に玄関ドアを隔てた内部ではロイスがアサルトライフルを構え、音を立てずにドアの前へ歩み寄る。背後では猿轡を嚙まされた白髪の男がロイスを睨んでいる。それから数秒間、外の砂利道を踏みしめる足音がじりじりと聞こえた直後、ロイスは勢いよく玄関ドアを蹴り開けライフルの火花を飛ばした。
静寂を切り裂くように響くフルオートの銃声。玄関へ近づいていた二人は何発もの弾丸の直撃に悲鳴を上げ、断続的に体を揺らしながら後方へ倒れる。
咄嗟に姿勢を低くして弾道から逃れた他の偽警官たちは、射撃が止まると共に玄関へ向かってマシンピストルを一斉掃射。それを瞬時に察知してロイスも玄関の奥へ退避する。
直後、偽警官の一人の頭蓋に穴が空き、ぱたりと地面に倒れる。ロイスが注意を引いた隙に屋根裏からメアリーが長射程ライフルで狙撃したのだ。咄嗟のことに反応が間に合わず、もう一人左胸を吹き飛ばされて倒れる。
残りの二人の視線が屋根裏へ向かった一瞬を狙い、ロイスが再び玄関から外へ躍り出て再度射撃。こうして全ての敵が沈黙した。わずか十数秒のことであった。
午前7時50分。自身の戦力を全て失い、テーブルが取り除かれたダイニングルームの中央では手足と口を拘束された白髪の男が一人顔を青くしている。そこへ一仕事終えたとばかりにロイスが戻ってくると、先ほど手放したナイフを再び手に取りながら男の正面へ回り込む。そして男の猿轡を解くと口元だけで笑みを見せた。
「あんた名前は?」
「……ジョンだ。」
「そうか。ジョン、リサがどこにいるか教えてもらえるかな?」
「喋ると思うか?」
なおも強気の態度を見せるジョンに、ロイスはナイフを向けながら再び問う。
「私が聞いてるうちに喋ったほうがいいぞ?」
「……くたばれ。」
ジョンは憎々し気に唾を吐く。ロイスは小さくため息をつくとナイフを足元へ置き、ゆっくりと立ち上がった。
「そうか。じゃあ妻に聞いてもらうとしよう。」
その言葉に何かを察したか汗の量を増したジョンを尻目に、ロイスは家の外へ出ていく。拘束を解こうともがく彼の背後からは、屋根裏から戻ってきたメアリーが無言で近づいて行った。
家を出たロイスはまず、偽警官たちが遺した車を調べ始める。すると1台の車のグローブボックスから何らかの施設の大雑把な見取り図らしき紙、残りの2台からは偽造されたと思しきいくつかの身分証が見つかった。次にそのまま内1台に乗り込むと、どこかへ向けて走らせる。
5分ほどかけてたどり着いたのは寂れた酒場。しかし目的はその中ではなく脇にある電話ボックスである。中に入るとコインとナンバーを入れ、受話器を耳に置く。しばしのコール音のあと、相手が話し始めた。
「はいもしもし?」
「ジェイ、俺だ。緊急で用意してほしいものがある。」
ジェイと呼ばれた相手は意外な相手とばかりに感嘆の声を上げる。久しぶりだな、という他愛ない会話を手早く済まし、ロイスはジェイへ"用意してほしいもの"を告げた。
「……戦争にでも行くつもりか?」
「まあそんなところだ。」
「それってもしかして5年前のことに関係が?」
「……どうだろうな。」
「娘さんのことは、俺もあんたに伝えるか迷ったんだがな。……ヨメさんとはその後どうだ?」
「5年間口も聞いてくれんよ。」
「は~、同情はするがそりゃお互いの努力不足だ。まあいい、OK。注文の品は用意しておくよ。今日中に店へ取りに来な。」
「恩に着る。」
「いいってことさ。あんたには返しきれねえ借りがある。」
そうしてロイスは電話を切ると再び車に乗り、家のほうへ戻っていく。
午前8時30分。家に戻ったロイスは玄関から漂う異様な臭いで事を察し、ダイニングへ歩を進める。その中央では変わり果てた姿のジョンが死んだようにぐったりと首を垂れていた。しかし時々うめき声が聞こえることから息はあるようだ。メアリーは奥の台所で手を洗っている。
ロイスはあまりの臭いに鼻をつまみつつ、もう一度ジョンの正面へ座り込んだ。
「……喋る気になったか?」
ジョンは無言でかっくんと上半身を折り曲げ頷く。
「リサはどこにいる?」
「……、ボーンホルム島……」
ボーンホルム島はデンマーク領、バルト海に浮かぶ島の一つだ。農業などが盛んで町も点在しているが、郊外では第二次世界大戦で使われた要塞の跡地が今もなお点在している。
ロイスは近くの引き出しからバルト海周辺の地図を取り出すと、ぐったりしたジョンの口にペンを咥えさせ、ボーンホルム島を指さした。
「具体的な場所を。」
ジョンは何も言わず咥えたペンで島の北東部に印を書く。ロイスはそれを確認すると、台所から戻ってきたメアリーに地図を渡し、次の質問へ移る。
「この後の予定は?」
「……交渉の結果を、電話で。」
次にロイスは車で見つけた見取り図を見せ、記されている施設が何であるかと問う。ジョン曰く、施設内に軍用ヘリコプターが泊められているとのことだった。島の地図を確認していたメアリーが再びペンを咥えさせ、場所に印をつけさせる。
「最後の質問だ。……カレンを、リサの母親を殺したのはあんたたちか?」
その言葉にジョンは狼狽えるような表情を見せると、首を横に振った。
「分からない……本当だ……」
ロイスはメアリーと顔を合わせ、溜息をついて立ち上がる。
「OK。電話ボックスまで案内しよう。それであんたへの用は終わりだ。」
二人は家の中にあったいくつかの武器とジョンを車へ運び、街の方へ走らせていった。
午前9時00分。場所は変わってボーンホルム島北東部、海に面し山林に囲まれた要塞跡。比較的損壊は少なく、3階建てで大きさは学校の校舎ほど。国籍不明の軍服を着た100人を超える兵士たちが内部で駐屯し巡回している。
2階の最も内陸に近い比較的豪奢な一室では、壁にかけられたセロキアの旧国旗を背にブラウンのスーツを着た40代ほどの男が電話をしている。数分後、あいわかったという言葉と共に男は電話を切り、近くのソファに座っていた二人の人物へ話しかける。一人はセロキアの将校服を着た50代ほどの男、もう一人は特殊部隊のような黒い装備の若い女だ。
「あの二人は取引に応じるそうだ。30年ぶりに上官に再会できそうだな、ヘルマン大佐。」
ヘルマンと呼ばれた将校服の男は隣の女と共に立ち上がり、スーツの男と握手を交わしながら答える。
「お戯れを。今回は私が上官です、マクシム閣下。既にセロキアの軍内部も私を含め3分の1以上が貴方に賛同している。順調に計画は進んでいますよ。」
「あの二人は私のために活躍してくれるのだろうな?」
「老骨ですが凄腕であることに変わりはない。良い働きをしてくれるでしょう。」
「我が父と戦ったときのように、再び逃亡兵とならないことを祈るよ。」
「逃げませんよ。今度ばかりは私が逃がさない。」
会話を終えると、マクシムはヘルマンの傍らに立つ女に興味を示す。
「ところで、こちらの女性は?えらく鋭い目をしているが。」
そう言われ、女は素早く立ち姿勢を正し、恭しく挨拶をする。ヘルマンが答えた。
「5年前に私がスカウトし、戦いのノウハウを教え込みました。実戦はまだですがね。」
「ほう。君が直接スカウトとは珍しい。」
「彼女は少し特殊な立場にありまして。表向きには死んだことになっています。」
そう言われ、女は何かを思い出すように目を細めた。
「彼女の名前は?」
「カレン。ファミリーネームはありません。」
午後12時30分。スウェーデン南部、市街地のはずれにある寂れたガンショップ。入り口前に止められた車でメアリーが待ち、店内ではロイスと50代ほどの小太りの男が会話している。朝方電話したジェイだ。ロイスが注文した品々をチェックし、勇ましげに笑みを溢す。そんな彼を見てジェイもまた笑いながら口を開いた。
「その目、まるで昔に戻ったみたいだな。……ようやく腹括れたってことかい?」
その言葉を聞いて、ロイスはやや寂し気な表情で頷く。
「……俺も齢だ。流石に生きては帰れないかもしれない。」
「皆まで言うな。だが俺の武器で戦うからには必ず勝てよ。それで俺へのツケはチャラにしてやる。ド派手に征ってきな。」
「ああ、征ってくる。」
店を出たロイスは品物を車へ積み込むと、目指すべき戦場へと車を走らせていった。
午後17時10分。やや日が傾いたボーンホルム島要塞跡。沿岸の簡素なヘリポートへロイスたちを乗せた軍用ヘリコプターが飛来する。マクシムはヘルマン、カレンとともに要塞の高い一角からそれを満足げな表情で眺めている。
着陸地点へ誘導するべく、武装した何人かの兵士たちが待機し始めるが、ヘリコプターは何故か低空でのホバリングを維持したまま90度旋回し、兵士たちへその側面を向ける。何事かと訝しんだ兵士がさらに何人も着陸地点へ近づいたところ、突然側面のキャビンドアが開かれた。
そこから姿を現したのは、四連装ロケットランチャーを肩に担いで要塞のほうへ構えるロイスであった。一瞬あっけにとられた兵士たちをよそに、ロイスは容赦なくその一発を発射する。
勢いよく空を切ったロケット弾は要塞の壁面へ炸裂し、耳を劈くほどの爆発音とともにそれを破壊した。
驚愕の声とともに思わず伏せの姿勢をとった兵士たちが体勢を立て直すより先にロイスはランチャーを脇へ置くと、続いてM2重機関銃をキャビンドア手前へ運び出して掃射、付近の兵士たちへ弾丸の雨を浴びせた。
反撃もままならず蜂の巣にされていく兵士たち。その光景をマクシムは唖然としながら見つめている。
「……どうやら電話の彼はしくじったようですな。」
ヘルマンが低い声でそう呟くと、カレンにハンドサインで指示を出しマクシムを退路へ誘導させた。
兵士たちが着陸地点付近へ集結し、ヘリコプターへ向かってアサルトライフルの集中砲火を浴びせるが、操縦席にいるメアリーが巧みにホバリング姿勢とプロペラによる気流を操りそれを受け付けない。そしてその間にもロイスはロケット弾と重機関銃による圧倒的火力で空から地上を蹂躙していく。
やがて増援の声もしなくなり、辺りが硝煙混じりの風が吹きすさぶ音のみになった頃、ヘリコプターは速やかに着陸し、重装備のロイスと軽装備のメアリーがともに現れた。しばらく前進したのち、メアリーは手に持っていたスイッチを押す。直後にヘリコプターが巨大な炸裂音とともに弾け飛んだ。
爆発炎上し高らかに狼煙を上げるそれを背に、二人の進軍が始まる。この時点で二人は要塞に駐屯する兵士たちの半数以上を打ち破っていた。それを見下ろしながら懐かしい血と硝煙の匂いを向かい風で感じたヘルマンは一人、「それを待っていた」とばかりに口角を上げた。
ロイスは中機関銃を、メアリーは両手に拳銃二挺を構え要塞内へ侵入した。途中で二手に分かれ、ロイスは陽動のため敵陣を豪快に突き進み、メアリーは手薄の場所を音を立てず進んでいく。両者に共通した目的は孫娘リサの発見と救出である。
ロイスは道中迫りくる兵士たちを容赦なく蹴散らす。彼らは確かな信念を持ち、叫びをあげて勇敢に挑んでいく。しかしロイスもまた譲りがたいもののためにかつての熱い戦意と冷たい殺意を湧きあがらせており、一度枯れた老兵でありながらそれはもはや一兵卒が束になっても太刀打ちできないほどの戦士としての強さを引き出している。
やがて彼は2階の一角、他に比べて厳かな雰囲気が漂う扉の前へたどり着いた。その付近にいた兵士たちが、自分を探すのではなく部屋を守っているように感じたロイスは即座にその部屋へ向かう。立ちはだかった兵士を難なく下し、中機関銃を向けたまま勢いよく扉を開けた。
その先は割れた窓が片側に並ぶ広い廊下で、奥にさらにもう一つ扉がある。そして扉の前には幼い少女と、その背後に立つセロキア将校服の男の姿があった。
「お前は……!?」
ロイスが驚愕の声をこぼした直後、男は素早く拳銃を向け、躊躇いなく発砲した。銃弾は左肩へ命中し、ロイスは苦悶の声とともに機関銃を手放して肩を押さえ跪いてしまう。
「久しいな。今はロイスとメアリーという名だったか?」
男はヘルマンであった。
場所は変わり、メアリーは両手に構えた拳銃と体術を駆使して敵を撃退しつつリサを捜索する。彼女は3階の一角にある石造の柱と壊れた木箱がいくつも並んだ空き部屋へ入り、小声でリサの名を呼びながら周囲を調べ始める。その背後、部屋の入口から何者かが現れると女性の声で「Hey.」と声をかけた。すかさずメアリーがそちらへ銃を向けると、そこには片手にショットガンを持ったカレンが立っていた。
死んだはずの娘が目の前にいる……という衝撃で呆気にとられたような表情のメアリーを無視し、カレンはショットガンを構えると躊躇いなく発砲した。咄嗟に柱の陰へ回避するが、反撃に転じようとするとタイミング良く射線をショットガンで制され動けない。どうやら彼女は相当訓練されているようだった。
「銃を捨てな。」
大人びた、しかし懐かしい声から発された冷酷な言葉に未だ混乱しつつ、メアリーは観念して片手の銃を投げ捨てた。
「もう一挺あるはずだよ。」
ワンテンポ置いてもう一挺も投げ捨てる。
「手を上げてゆっくり出てくるんだ。」
それに従い、メアリは両手を上に挙げたまま柱から現れる。その顔は驚愕と焦燥で汗ばんでいる。そんな姿を見て、カレンは銃口を向けたままその鋭い目にどす黒い感情を溢れさせ、嘲笑した。
「……あんたの顔は覚えてるよ。5歳までは一緒にいたはずだ。」
「生きて、たのかい?」
「死を偽装し、隠れて訓練を受けていた。全てはあたしを捨てたあんたたちに風穴開けてやるためにね。」
「追手に所在がばれ、すぐそこまで迫られていた。せめてお前だけでもと思って――」
「黙れ!ともかくあんたは全てを捨てて逃げたんだ。国、戦争、そしてあたしからも。……おかげでろくでもない人生を送る羽目になった。はは、だから一度死ぬことにしたんだ。そして生まれ変わるのさ、セロキアと共にね!」
「リサはどうしたんだい。」
「リサ?……ああ、知ったこっちゃないよ。元々産みたくて産んだ子じゃない。そこらで野垂れ死んでも構やしないさね!」
カレンのその言葉に、煮えたぎるような悲しみを覚えたメアリーは強く歯を食いしばる。その直後、メアリーは右袖から仕込みナイフを突き出させ、瞬時にそれを手で取り外すとカレンに向かって投擲した。ナイフは紙一重でカレンの頬近くをすり抜けて行ったが、それに身構えた隙を突いてメアリーは彼女へ急接近し、回し蹴りでショットガンを弾き飛ばした。
しかしそれで姿勢が崩れた勢いに身を任せ、カレンもまた流れるように腰からハンティングナイフを抜いてメアリーへ切りかかる。瞬時に体をのけ反らせそれを避けたメアリーは軽やかな足取りで距離を取り、左袖に同じく仕込まれていたナイフを出すと、それを右手で構えた。両者がナイフを手に睨み合う。
「……殺せるのかい?自分の娘を。」
カレンの挑発へ、メアリーは真っ直ぐに睨む視線で答えた。その目には何かへの覚悟が込められていた。
午後18時00分。場所は戻りロイスとヘルマンが対峙している部屋。ヘルマンは背後から少女のこめかみへ銃口を向ける。少女はしきりに涙を流して立ち尽くしている。ロイスは苦悶の声とともにヘルマンへ問う。
「その子が……リサか?私たちの孫……」
「そうだ。」
ヘルマンは薄ら笑いを浮かべてロイスを見下ろす。
「何故裏切った……?」
「裏切ったのはどちらだ?私は片時も忘れたことはない。」
笑みを浮かべながらもヘルマンの目は、今のロイスと同じほどに鋭く燃えるような意志を湛えている。しかしそこから窺い知れる感情にかつてのような信念はなく、戦いへの欲求とロイスへの憎悪のみであった。
「あれからあなたがセロキアに戻ることはなかったが、かつて共に戦った私には確信があった。いつかあなたも逃げることをやめ、向き合う選択をするとね。だから孫を利用し、ここへあなたを呼び寄せたのだ。慈悲深い私は一つのチャンスを与えてやるつもりだったが、まさかこのような形で戻ってくるとはな。」
そう言われたロイスは再び己を奮い立たせ、ゆっくりと立ち上がるとヘルマンを睨みつけた。
「孫を放せヘルマン。」
ロイスのその言葉に、泣いているリサは震えた声で尋ねる。
「私の、おじいちゃん……なの……?」
縋るようなその言葉へ、ロイスがぎこちない笑顔で強く頷くと、リサの顔にわずかながら笑顔が宿った。ヘルマンが溜息をこぼしつつ問う。
「家族を持たなかった私が言うのも何だが、あなたに人の親となる資格があると?」
それに対し、ロイスは右腰のホルスターに入れていた拳銃を手に取ると、力強く答えた。
「時間をかけて償っていくつもりだ。そこから私を認めてくれるかどうかは、リサが決める。」
その言葉を聞いて、ヘルマンは先程までの薄ら笑いを止め、真っ直ぐにロイスを見据える。
「……良いだろう。」
そう言うと姿勢を低くし、リサへ優しい口調で部屋から出るよう促すと、手を放した。リサはそのままロイスの方へ歩み寄っていき、不安げに目を合わせる。ロイスに背後のドアから外へ出るよう伝えられると互いに小さく頷き、彼の背後のドアから外へ出て行った。
長い沈黙。5メートルほどの距離を隔てた二人は互いに拳銃を握り、撃鉄の音を待つ。
最初に火花を発したのはヘルマンの銃だった。ロイスは瞬時に地面へ飛び込み銃弾を回避、そのまま前転し距離を詰める。
「決着をつけよう。」
ヘルマンはそれに合わせて射線を下げ再び発砲するが、その直前に銃身を制され銃弾を逸らされる。ロイスはその勢いのまま相手の眉間へ銃口を向けるが、ヘルマンも同じく銃身を手で弾いて射線を逸らす。格闘のうちに銃を持つ二人の手は互いに絡み合い、至近距離で発砲と回避を繰り返す。
だがやはり現役の差か、ロイスは徐々に押され始める。さらには回避と体勢立て直しのため一瞬距離を取った隙をつかれ、右の太腿を撃ち抜かれてしまった。幸い弾は貫通したがロイスは呻き声とともに再び跪き、動けなくなってしまう。その眉間へヘルマンの冷徹な銃口が向けられた。
「懐かしい痛みかね?これはまさしく戦争だよ。だが、それももうすぐ終わる。」
ヘルマンは勝ち誇った笑みでトリガーを引く。歴戦の兵士もこれにて死……その場にいた二人がともにそう思った。しかし、ロイスの胸中では、死を間際にしても未だ闘志が熱く燃え滾っていたのだ。
「うおおお!!」
考えるよりも先に体が動く。トリガーが引かれた銃は弾丸が空を貫くより先に天井へその向きを変えた。力強く踏み込んだロイスの体当たりがヘルマンの懐を捉えたからだ。両者はロイスが馬乗りになる形で吹き飛び、ヘルマンの銃もその手から離れる。上を取ったロイスは訳も分からず叫びながら彼の顔を何度も殴打していった。
頭蓋骨の振動で気を失いそうになりながらも、ヘルマンは腰に装備していたもう一丁の拳銃を何とか手に取り、下からロイスの腹へ忍ばせる。間一髪我に返った彼が横回転でそれを回避し、二人は同時に立ち上がった。
だが殴打によるふらつきで視界が定まらないヘルマンよりもロイスの方が僅か先に相手を視界に捉えた。ヘルマンはぼやけた視界の先へ構わず発砲するが、ロイスは難なくそれを回避し再び距離を詰めるとさらに何度も殴打を浴びせ、最後に項垂れた彼の顎へ強烈な蹴りを決めた。決着の瞬間であった。
ヘルマンは大きく後方へ吹き飛ばされ、ガラスのない窓が並ぶ壁へ叩きつけられた。そのままもたれかかるように腰を落とした彼は、それでもなお朧げなロイスの姿を睨み続けている。不意に彼は、何かがフラッシュバックしたかのように目を見開くと、直後に視線を下げ自嘲を込めた笑みを溢した。
「……やってくれ、隊長。」
その言葉を聞いたロイスは、地面に転がった拳銃をゆっくり一挺手に取ると、険しい表情で彼へ向けた。
「……すまない。」
銃弾の弾ける音が部屋中にこだました。目にうっすらと浮かんでいた涙も、それと共に弾けて消えた。
静寂を取り戻した部屋の中へ、ロイスが入ってきたドアを開けて誰かが入ってきた。リサであった。死んだヘルマンの前でしばらく呆然としていた彼は、リサのその姿を見て一気に力が抜けたか笑顔を向けた。
そこへ、リサの後ろからさらに何者かが急いだ様子で現れる。メアリーであった。彼女はロイスの満身創痍の姿を見て、慌てて近くへ駆け寄る。
「あんた!大丈夫かい?」
ロイスはゆっくりと頷いた。メアリーは続いてリサへ目を落とし、しゃがみ込む。
「この子が……?」
「おばあちゃん……?」
リサもそれに応え、二人は強く抱擁した。そんなメアリーの異様な焦燥に気づいたロイスが語り掛ける。
「何かあったのか?」
それを聞くとメアリーは重たげに立ち上がると、憂いの表情を向けた。
「……カレンが生きていた。」
「何だって!?」
「どこかで訓練を受けたらしい。私たちが憎いと言って襲ってきたんだ。」
メアリーはやや息を切らしながらも冷静な目を向けていた。それは彼女の話が真実であることを物語っていた。
「それで……どうなった?」
ロイスはその問いに対する答えをおおよそ察していた。だが聞かずにはいられなかったのだ。彼女は目を閉じて、悲しそうに首を横に振った。
「私が、殺した。」
それを聞いて、ロイスは何も言わず彼女を抱きしめた。リサは優しく手を握った。メアリーの手は小さく震えていた。
しばらく後、廊下奥のドアの向こうから物音が聞こえた。抱き合っていた二人はすぐに真剣な表情へ戻り、リサにその場で待つよう伝えると二人で拳銃を構え、警戒しつつドアの方へ近づいていった。
ドアをゆっくり開けると、そこはセロキアの旧国旗が壁にかけられた、他よりもやや豪奢な部屋。その脇の棚の前に酷く慄いた様子のマクシムがいた。彼は顔中から汗を垂れ流しつつ、大型のバッグに札束を詰め込んでいるようだった。
ドアがバタリと閉まる音で二人に気づいた彼はおもむろにバッグから手を放し、テーブルを隔てて部屋の中央へ移動する。テーブルの上には拳銃が置いてあった。
マクシムは引き攣った笑顔で両手を上げ、精一杯の高貴な声色で語り掛けた。
「ようこそ、私の国へ。」
二人は真顔のまま銃を向ける。やがてその笑顔も消えたマクシムは、しばしの沈黙ののち慌ただしくテーブルの銃へ手をかけようとした。だがそんな悪足掻きも空しく、直後に二人の掃射を受けあえなく蜂の巣にされる。彼は叫び声とともに後方の旧国旗へ縋りつくような仕草をしたのち、壮絶な音を立てて倒れた。勇ましいデザインの旧国旗へ、べったりついた彼の血が染み込んでいった。
二人はマクシムの死体を見ながら銃を下ろす。メアリーが呟いた。
「これで……全部終わったのかい。」
ロイスは視線を変えずに小さく首を横に振る。
「いや……きっとまだ終わらない。」
それを聞き、メアリーは不安げな声色で問う。
「あの子は私たちを受け入れてくれるだろうか……」
「分からない。……でも、やれるだけのことをやっていこう。」
そう言うと、ロイスはメアリーの方へ顔を向け、安堵したように笑顔を向けた。
「やっと、口聞いてくれるようになったな。」
メアリーもまたその言葉に思わず目を合わせると、しまったとばかりに軽く鼻で笑った。
午後18時30分。突入時に爆破したヘリコプターの煙が呼び寄せたか、遠くの方からデンマーク警察のサイレンが聞こえてくる。二人は軽いハイタッチと共に振り返ると出口のドアを開け、新たな家族が待つ場所へと帰っていった。