第二話
あなたの生家――伯爵家へやって来た私は、伯爵夫妻と対面した。
あなたの両親である彼らと面と向かって話をするのはいつぶりだろう。いつも威圧的な態度ばかりしていたから、きっと嫌われているに違いない。それでも私は謝りたかった。
「いらっしゃいませ。今日は……その、何のご用事で?」
言いづらそうにしながら問いかけてくるお義母様になるはずだった人。
私は彼女へ一言、こう言った。
「ごめんなさい」
ドレスの裾をつまみ、深々と頭を垂れる私に、伯爵夫妻は何を思ったのだろうか。
しばらく気まずい沈黙が流れる。その後、伯爵夫人の声がした。
「これは一体どういう」
「お義母様の息子を、あの方を追い詰め、死に追いやったのは私ですわ。ですから、それを謝罪し、償いたく」
しかし当然ながら、お義父様だった男性はそれを許してはくれなかった。
「今更のこのこやって来たかと思えば……。謝罪などいらない。償うなら、己の命を捧げてみたらどうだ。それもできない小娘が、何を言うか」
このような口は、決して、爵位が上の公爵令嬢にきいていいものではない。けれども伯爵は、お義父様は、とっくに吹っ切れていたのだろう。
「魂なら捧げます。私は命ある限り、彼に謝罪したいんですの。もしも彼が私の死を望むと言うのなら、それも決して嫌ではございませんわ」
私はあなたに言った言葉を思い出す。
『能なし』『私に相応しくない地味な男』『無能』『のろま』『間抜け』……。
思い出すだけで泣けてくる。どうしてあんなことを言ってしまったのか、今ではわからない。
あなたがもし私に死を望むなら、私は死にたい。死んで楽になりたい。
でもきっとあなたはそれを許さないだろう。だから私は立つ。この二本の足で立って、前を向く。
あなたはずっとずっと昔、言ってくれた。「幸せになってほしい」と。だから私、幸せになるまで死んだりしない。
そして償い続ける。あなたの気が済むまで、いいえ、この命尽きるまでずっと。
伯爵夫人はにこやかに笑うと、私の頭を撫でてくれた。
どうして、と問う私に、彼女は「あなたは私の息子が愛した人だから」と答えた。
……ねぇ。
あなたは私を、こんな心の醜い私を、愛してくれていたのですか。
そんなわけはないと知っていてもそうであってほしいと願ってしまう私は、どこまでも愚かだった。
あなたを殺したのは私だ。愛されていたなんてはず、ないのに。
お義父様もお義母様も、声を上げずに泣いてしまっている。彼らを悲しませたのは、他でもないこの私だった。
私は、そこにいるのが居た堪れなくて逃げ出してしまいたくなる。でも決して逃げたりしない。彼らの悲しみを受け止め、それを胸に刻み込む。それが私にできる己への罰の与え方だから……。
***
散々伯爵夫妻の泣き顔を見た後。
私は、どこか定まらない足取りで伯爵家を後にしていた。
――あなたに会いたい。
勝手だとはわかっている。でも、無性にあなたに会いたかった。
声が聞きたい。困ったような顔を見せてほしい。笑ってほしい。また、いつものように『イザベル』と優しい声音で呼んで……。
でもその願いは叶うはずがない。
私の方から突き放したのだから、当然だ。もう埋まることはない深い溝。あなたは冥界へと旅立ち、私はこの世界で一人きりだ。
ああ、恋しい。
愛していたの。私は、こんなにも愛しているのに。
なのに、私は馬鹿だったから。ごめんなさい、戻って来てください。
その時、ふと声がした。
「……ごきげんよう」
突然呼びかけられたので、私は驚いて声の方を見た。
そして直後、思わず固まってしまう。そんなまさか、と思った。でも、そこに立っていたのは。
――あなただった。
こんなことってあるのだろうか。
金色の髪、海のような青の瞳。間違えるはずがない。それはまさに、まさに――。
「驚かせてしまったようですみません。僕は、アランと申します」
私の幻想は砕かれた。
「そうですの。双子のお兄様ですのね」
あなたが生き返ったわけではなかったと知り、心の底から落胆した。
死んだ人間は戻らない。海に呑まれていく姿を私は見た。見たのに、どうして期待などしてしまったのだろうか。
今目の前に立っている仕立てのいい紳士服を着た彼は、伯爵家の長男であり跡取り息子のアラン。あなたがとっても慕っていた『兄さん』だった。
貴族の兄弟にしては珍しく、あなたとこの方は仲が良かったと聞く。私はずっと不思議に思っていたが、実際にアランの姿を見れば一眼で分かった。きっとあなたとアランは心が通じていたのだろう。
……双子の弟を亡くしたアランは今、どんな心境なのだろうか。
「アラン様、少々取り乱してしまい、申し訳ございません。あの人が……オランが戻って来たのかと思ってしまって」
「いいよ。僕らはよく間違えられるんだ。そっくりの双子だったからね」
微笑みながらアランは首を振る。けれどその微笑みは少し悲しげに見えた。
それを真正面から受け止めた私は、胸が苦しくなるのを感じる。私さえいなければオランはまだ生きていたに違いないのだから。
私さえ、いなければ。
「…………申し訳、ありませんでした。アラン様にも一言申しておかなければなりません。あなたの弟君であり、私の婚約者であった彼の命を奪ったのは私ですわ。どうぞ、どうぞお願いします。私を罵ってください。殴ってください」
罰を与えられて楽になろうなんていうのは勝手なのかも知れない。
しかし私は、それくらいしか償い方がわからなかった。だから、あなたに――いいや、あなたそっくりの彼にお願いする。
涙がポロポロ溢れてきた。もうすっかり枯れ果てたと思っていたのに。
ああ、あなたが目の前にいる。でも彼はあなたではない。あなたに似た、別の人なのだ。
やはりと言うか、彼は安易に私を裁いてはくれなかった。
むしろ私の手を取り、「貴女のせいじゃないですよ」と笑うのである。正直腹が立った。
私のせいに決まっているじゃない。そうじゃなければ、どうしてあなたは死んだというの。
そう叫びそうになるのをグッと堪える。
代わりに歯軋りする私へ、アランが一通の手紙を差し出した。
「これを貴女に」
「これは……?」
「貴女に読んでほしいものです」
要領を得ない彼の言葉に、なおさら胸がかき乱される。
私はその手紙をひったくると、足早にその場を立ち去った。
手紙の中身が何であるかなど、まるで考えもせずに。