毎日三枚小説『ウインカー』
「三月は繁忙期だから代替車これしかないんだけどいい?」
国道沿いにあるカーショップのおっさんにそう言って渡された車は社長の愛用している車と同じものだった。
ポルシェ911カレラ。丸みを帯びたフォルムに鈍く銀色に輝くボディー。傷一つなく、見ているだけで寒気がしてくる。新車なら家一軒建つ位の価値があるのだから当然だ。
「まあ、保険には入ってるから気にしないで乗ってよ。三日ぐらいでできるから」
おっさんは汚れた作業着に似合う笑みを浮かべて言う。僕は信じられないという気持ちで首を振ったが気持ちはもうポルシェ一色だった。
違いは一瞬で判った。営業用のプロボックスとは加速が違う。左ハンドルに不慣れな為速度は落として走ったが信号から発進すると、軽く隣の車を追い越せた。毎日営業で車を走らせてばかりだが、今日ばかりはどこまでも国道を走って行きたい気分だった。
会社に戻りすぐ自慢話。同僚は冗談だと思って軽く聞き流すが帰り一目みて驚いていた。三鷹にある自宅まで三十分かかるが、その日は代替車をかりたまま自分の車をほったらかしにして家に帰った。物足りなさを感じるぐらいでついつい彼女を呼び出して助手席に乗せた。
「いつもはドライブなんて嫌がるのにね」
彼女は笑ってそう言う。
折角だから中央道で八王子ぐらいまで向かおうと調布のインターチェンジへ向かう。
しかし途中でふとアクシデントが起きた。何も触ってもいないというのに交差点の前で右折のウインカーが付いた。
僕は驚き何が起こったのかと思っているとウインカーは消える。しかしまた次の交差点に差し掛かると右折のウインカーが付いた。外車にはよくあることだろうと僕は言ったが、何より彼女がとても怖がっていた。当たり前だ。
仕方無く僕は車を三鷹の自宅に戻し、悶々としたままその日を終えた。
昨日のことを同僚に話すと、「じゃあ俺がその車で営業するよ」としゃしゃり出てきたので、怖さより意地になって911カレラで営業に出掛けた。三流スポーツシューズメーカーであるうちの会社では様々な所にアポを取って営業に出掛ける。今日は新製品を取引先に見せに行くだけだから気が楽だった。
昨日と同じ所を通ると、やっぱり右折のウインカーが向いた。昨日は夜だったから恐ろしく感じたが、昼で二度目だったのでそんなに怖くもなかった。
午前中に3社回り、昼の時間になる。どこかで食べようとさっきの国道を走らせると左折のウインカーが付いた。
まあ、いいや。腹減ったし……。
でも今回は交差点を過ぎてもずっと付いたままだ。ウインカーを右折に変えても変化はない。
仕方無いな。明日には車検が終わるし、と観念し適当な交差点を左折した。
県道に入ると左折、右折と次々と指示がでて、最後にはプーとクラクションがなった。目の前は大きなマンションがあって、僕はしばらくそのマンションを眺めた。
十分ほど経っただろうか?もう良いだろうと思いアクセルを踏むが何の反応もなかった。
最低だ。あの親父に文句言って車検代ちょろまかせてやろう。そう思って居るとまたクラクションが鳴った。
ふとマンションを見上げるとベランダで洗濯物を干している主婦がいた。
顔は良く見えなかったようだが、気づいているらしい。しばらく見ていると主婦の後ろから人影が現れた。おそらく夫なのだろうが平日なのに休みとはいい気なもんだ。
主婦と夫が僕に気がついて部屋に入る。外に出てくるような雰囲気があった。
僕が知らない相手とどういう顔をしたらいいのか困惑した。
「いやー実は車が勝手にここまで運んできたんですよ〜」
頭がおかしい人にしか見られないだろう。警察を呼ばれるかもしれない。
そう思って居ると勝手に車が動きだした。とは言っても本当にゆっくりと……。
「全く外見と違ってカッコつかねえなあ」
僕がそう言うと車は普通に走りだし、何事も無かったかのように無言になった。
もちろんこんな話だれも信じないだろう。彼女なら信じるだろうけど、嫌がるだろうなと思った。
だから誰にも言わず仕事をこなし、つまらない夕食をすまし何となく明日に期待していた。
車屋のオッサンは何も言ってくれなかった。
「そんな馬鹿な」
そう貸した時と同じ様に笑い、それ以外何の感情もしめさなかった。昨日は夢じゃないんだけどな。まあいいか。
そう思って車検の終わったプロボックスに乗り込むと911カレラはハザードをたいた。
「ありがとよ」
シケた面でそう言っているポルシェは妙に可愛かった。