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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

異世界恋愛

病弱令嬢のやり直し? 〜ごめんなさい。私は死にます。でも、次の私(クローン)が貴方を愛します〜

作者: フーツラ

最後までお付き合い頂けたら幸いです。

「……ごめんなさい」


「駄目だ! 私を一人にしないでくれ!」


 もう視界にテオドールの顔はうつらない。白くぼんやりとした塊が動いているだけだ。


「……何処にいるの?」


「此処にいる……。此処にいるのが分から……のか」


「……ごめんなさい」


 声も遠くなってきた。


「……寒い」


「セシリア!」


 あぁ。テオドールだ。テオドールを感じる。頬に微に伝わる熱がひどく懐かしい。


「……テオドール。ありがとう」


「駄目だ! いくなセシリ──」


 ふと身体が軽くなって、私は痛みから解放された。ずっと付き纏っていた病魔は嘘のように消え去り、なんでも出来るような気分になる。


 しかし……思うように動かない。私は瞬きすらしない。


 ベッドに横たわる私をテオドールが揺すっている。そんなに強くしなくても、此処にいるのに。


 私は私だったモノとテオドールを見下ろしていた。自分がひどく曖昧な存在になった気がする。これはどういうことなのだろう……?


「セシ……リア……」


 あぁ……分かった。とうとう死んでしまったのだ。


 余りにも未練があり過ぎて、魂だけが地上に残ったようだ。私は透明な雲のような存在になり、細い糸でテオドールと繋がっている。


「セシリア……」


 ベッドに横たわる白く痩せ細った身体はみすぼらしく、それでもテオドールは抱き締めてくれていた。ずっと……ずっと……。



#



 テオドールはライン王国の王太子だった。


 幼い時から聡明で、十歳になる頃には神童として周辺の国々にまで知れ渡っていた。


 怜悧な容姿は社交界の華で、誰もが憧れる。私の自慢の許嫁。


 公爵家の長女として生まれた私は、王都でテオドールと一緒に育ってきた。気がつけば隣にいる存在。ずっとそのままだと思っていた。


 しかし、私の身体は知らぬ間に病魔に蝕まれていた。


 私の十七歳の誕生日の前日のこと。急に胸が苦しくなり、私は血を吐いて倒れた。


 何日も意識が戻らず、テオドールを心配させてしまった。目を覚ましたとき、泣きそうな顔で手を握ってくれていたことを今も覚えている。


 結局、なんの病気かも分からず死んでしまうまでの五年あまり、テオドールはずっと私を支えてくれた。そして、死んでからも……。



「……セシリア」


 私の墓標に花を飾るテオドールは少し痩せて元気がない。


 髪に白いものが混ざり始めている。


 十五年前に王位を継承してからはいつも仕事ばかり。


 心配だけど、私には声を掛けることも出来ない……。

 


 もう四十歳だというのに未だに誰かを娶る気配はない。「孤高の王」なんて嘯いている。


「今日、王城の中庭の花壇に珍しい薔薇が咲いたんだ。その薔薇は綺麗な水色の花弁で……君の瞳……みたい……なんだ……」


 私の命日には必ずここに来て、色々な話を聞かせてくれる。私はずっと側に浮かんでいるのだから、何処でも話は聞けるのに、此処じゃないと駄目みたい。


 背を丸めて涙を流す様子は普段の威厳ある振る舞いからは程遠い。こんな姿を見せるのは私の墓標の前だけだ。


 甘えられているような気分になって、少しだけ嬉しい。


「そろそろ時間です。本日はノルシュタイン公爵との面会が……」


「そうだったな。行こう」


 近衛が促すと、テオドールを涙を抑え背筋を伸ばした。「孤高の王」に戻り、威厳たっぷりに歩き始める。


 私はテオドールの後に付き従い、自分の墓標を後にした。



#



 王城の中庭に少女の姿があった。十二、三歳ぐらいだろうか? 銀髪を靡かせ、水色の瞳で花壇の薔薇を熱心に見ている。


 テオドールはその少女を見つけて固まってしまった。


 先程までの威厳は何処へやら……。ぽかんと口を開け、間の抜けた表情をしている。


「セシリア……。セシリアなのか……?」


「誰?」


 少女は振り返り警戒している。


「テオドールだ……。分からないのか?」


「うーん……知らないかな?」


 上目遣いでじっくりテオドールを見た後、そう答えた。


「どういうことだ……。セシリアだろ……」


「えっ、私はセシルだよ?」


 きょとんとしてから辺りを見渡し、笑顔になって駆けていく。


「お父様!」


 セシルと名乗った少女は大柄な男に向かって飛び込み、そのまま抱き付く。男は困ったような顔をする。


「……セシル。テオドールは国王だぞ?」


 そう言ったのは現ノルシュタイン公爵──私の兄──だ。昔からテオドールとは仲が良く、兄弟のように接している。


「王様?」


「そうだ。ちゃんと教えただろ?」


「忘れちゃった!」


 私の子供の頃にそっくり。いいえ。私と全く同じ顔をした少女が気まずそうにする。


「……どういうことだ?」


 怪訝な顔をしたテオドールは兄に詰め寄った。


「驚かせてしまってすまない。ずっと隠していたのだが……俺には娘がいてな。セシルという」


「セシリアではないのか?」


「よく見ろ。子供だろ?」


「しかし……余りにも……セシリアに似ている」


「それはそうだろう。俺の娘だからな。血の繋がりがある」


 兄は楽しそうだ。


「本当に……セシリアではないのか?」


「違う」


 それは嘘でもあり本当でもある。


 病に倒れ、死を意識した私はあることを決心した。それは……自分の複製をこの世に残すこと。


 例え私が死んだとしても、テオドールを一人にしない。したくない。私がずっと側にいる。


 自分勝手で傲慢な願いだとはわかっていた。しかし、私は実現に向けて行動を開始した。


 優秀な魔術師と禁忌の魔術書を掻き集め、公爵領に研究施設を作らせた。私は王都にいながら逐一指示を出し、人体生成と情報転写の基礎理論を纏めさせた。


 あとは時間をかけて精度を高めていく段階で私は力尽きたのだけど──。


「お初にお目にかかります。王様。私はセシルよ?」


「セシル。……私のことはテオドールと呼んでくれないか?」


 セシル──私の複製──は困った顔をして兄の方を見る。兄は口許を緩めながら頷いた。


「うーん、テオドール。よろしくね」


「ありがとう。セシル」


 私って子供の頃はこんなにも生意気だったかしら? 記憶の転写は難しくて断念したのだけれど、性格については私と同じ筈なのに……。


「ねえ、テオドール。私は初めて王都に来たの。何処か面白いところはないかしら?」

 

 セシルは悪戯っぽい瞳で試すように言う。


「ふむ。今日は特別に私が王都を案内しよう。いいかな? ノルシュタイン公爵」


 公務を放棄して観光に出掛けると宣言するテオドール。


「……しばらくは王都の屋敷に滞在するつもりだ。固い話はまた今度にしよう。セシル。テオドールに案内してもらいなさい。迷惑をかけるんじゃないぞ?」


「ありがとうお父様! さぁ、テオドール。行くわよ!」


 急に人懐っこくなったセシルはテオドールの手を取り、元気いっぱいに歩き出す。中庭の端に控えていた三人の近衛が慌ててあとを追い掛け始めた。


 テオドールと王都を巡るなんて何年ぶりだろう。私は意識だけの存在の癖に、胸をときめかせ文字通り浮かれて付いていった。



#



「これが竜殺しの英雄、ラケラスの像だ! 建国間もないランス王国に現れた邪竜ベンリュートはあらゆるものを破壊し、人々を恐怖のどん底に突き落とした! 王国軍すら歯が立たず、絶望に覆われる……。そこに現れたのがラケラスだった!」


「……」


 竜に向かって剣を構える男の石像の前でテオドールは熱弁を振るう。しかし、セシルの反応は悪い。その様子を見て、近衛が顔を見合わせて笑っている。


「……あのねぇ。テオドール」


「なんだい? セシル」


「年頃の女の子が英雄譚に瞳を輝かせると思っているの? そんなだからテオドールは独り者なのよ!」


「なっ! ラケラスの物語は君の叔母のセシリアも好きで──」


「ちがーう! それはきっと、セシリアさんが話を合わせてくれていただけよ!! 竜を倒す話なんて男の子しか喜ばないの!!」


「……そうだったのか……」


 肩を落とすテオドール。


 そうねぇ。私はやっぱり英雄譚よりも恋愛譚の方が好きかなぁ。セシルの言ったことは間違いではない。


「ところでテオドール。少しお腹が空いたと思わない?」


「……いや、私はまだ」


「やっぱり甘いものかな〜」


 セシル。いい性格しているわね……。一体誰に似たのかしら……。


「甘いもの……。そうだ! いい店があるぞ」


「そうこなくっちゃ!」


 テオドールはセシルの手を取り、今度こそはと張り切って歩き始めた。



 王都一番の大通りから一本脇に入り、少し人通りが寂しくなった辺り。煉瓦造りの落ち着いた外観に古びた看板がかけられてある。


「ここ?」


「あぁ。"穴熊茶房"だ。知る人ぞ知る名店だぞ」


「ふーん。なかなかいい趣味してるじゃない。テオドール」


「ふふふ。さぁ、入ろう」


 テオドールがセシルをエスコートし、店の一番奥のテーブルに着いた。給仕の女性が水とメニューを運んでくる。


「何がおすすめなの?」


 ──ベリーパイ。


「ベリーパイだ。間違いないぞ」


 そう。間違いない。私がランス王国で一番美味しいと認めるお菓子だもの。


「じゃあ、ベリーパイをお願い。あと、それに合う紅茶も」


「私もだ」


 給仕の女性は何かを察したように恭しく礼をして下がっていった。


「ところでセシル。君はいつまで王都にいるんだい?」


「私、王都のなんとか学院ってところに通わなくちゃいけないらしいの。卒業するまで五年もかかるんだって」


「王立貴族学院だな。貴族の子女はそこに通うことが通例なのだよ」


「私、公爵領から出たことなかったし、少し不安なの」


 水のグラスを持ち、セシルは唇を尖らせた。


「心配はいらんぞ、セシル。何か困ったことがあれば私が力になる。何せ、国王だからな。君に降りかかる火の粉は全て打ち払ってくれよう」


「あー、テオドールいけないんだー! それは権力を振りかざす悪王の始まりよ!」


「大袈裟だなぁ……」


 二人のやり取りを聞いて、店の隅に立つ近衛達が笑っている。


 他愛もない会話を続けていると、いよいよベリーパイが運ばれてきた。四角く焼き上げられたパイ生地にクリームと三種類のベリーが山と盛られている。


「わぁ! 凄い!」


 セシルの反応にテオドールは満足気だ。


「……美味しい。美味しいわ! テオドール!!」


 私が初めて穴熊茶房のベリーパイを食べた時も、セシルと同じように声を上げた筈。それから私とテオドールは事あるごとにここを訪れたものだ。


 セシルはペロリとベリーパイを平らげ、ニコニコと余韻に浸っている。


「ねぇ、テオドール。また連れてきてくれる?」


「勿論だとも」


 近衛達が時間を気にして渋い顔をするまで、セシルとテオドールはまるで長年連れ添ったような気安さで、いつまでも語らいを続けるのだった。



#



 セシルが王都に来てからというもの、テオドールは目に見えて若返り、生気を取り戻した。何事かと側近達は訝しんだが、セシルの存在が知られてからは、「なるほど」と皆、納得した。


 テオドールは国王の役割を精力的にこなし、時間を見つけてはセシルに会いにいく。その度に付き合わされる近衛達は「いい迷惑ですよ」と笑った。


 一方のセシルはもうすっかり女性らしい。五年の歳月が彼女を大人にした。私の記憶にある、私が最も輝いていた頃の姿をセシルは身に宿していた。



 そして、セシルの王立貴族学院の卒業が迫ってきたある日。


 テオドールは朝から落ち着きがなかった。執務室の鏡の前に何度も立ち、自分の顔を真剣に見つめている。


「セシリア……。君は応援してくれるかな?」


 応援するに決まっているでしょ。


「私はセシルを王妃として迎えたいと思っている。勿論、彼女が受け入れてくれればだが……」


 大丈夫よ。セシルは私だもの。


 大きく息を吐き、決心したテオドールは扉を開けて出て行く。向かう先は王城の中庭だ。


 細やかに手入れされた中庭の花壇には、淡く透き通るような水色の薔薇が咲き誇っている。


 そこに、女性の姿があった。銀髪を靡かせ、水色の瞳で薔薇を見つめている。


「あら、テオドール。ご機嫌麗しゅうございますか?」


 セシルはじゃれ合うつもりで口を開くが、テオドールの固い顔を見てサッと身構えた。


「セシル。突然呼び出してすまない」


「ちょうど薔薇の綺麗な時期だから、私を呼び出したの?」


 テオドールからスッと視線を外し、セシルはまた薔薇を見つめた。


「セシル……」


「なにかしら?」


 二人は見つめ合う。


「君のことを愛している。私の妻になってくれないか?」


「孤高の王じゃなかったの?」


「それは君に出会うまでの話だ。君と人生を共にしたい」


 ふぅと息を吐き、セシルはテオドールに向かって走り出す。そして胸に飛び込んで顔を上げた。


「喜んで」


 二人の婚約は近衛達によってあっという間に拡散され、三日後には王都中で噂となり、十日後には周辺国にまで広がったそうだ。



#



 セシルの十七歳の誕生日に合わせて婚約披露のパーティーが開かれることになった。


 王国中の貴族が招待され、会場は煌びやかな雰囲気で満たされている。


 通路に立つセシルは瞳の色に合わせた水色のドレスで着飾り、とても幸せそうだ。もちろん、その横に並ぶテオドールも。


 管楽器の音色に合わせて二人が入場すると、大きな拍手が巻き起こり、セシルの美貌に感嘆の声が漏れた。


 私も鼻が高い。


 壇上に二人が上がると更に拍手は大きくなり、テオドールが合図をすると収まる。


 わざとらしく咳払いをし、会場内を一望してからテオドールは語り始めた。


「国王とは国に身を捧げ、国を守り、国の発展を望むものだ。王位継承以来、それだけを胸に日々を送ってきた。しかし……私は大事なことを忘れていた。国民に夢を与える。国の象徴として私は充分ではなかったかもしれない……。私は人生を共にする女性を見つけた。ノルシュタイン公爵家令嬢セシル。彼女を王妃として迎える。どうか、祝福して欲しい」


 どっと沸き立つような歓声が起こり、管楽器の演奏が更にそれを盛り立てる。


 この日を待ち望んでいた貴族達が我先にとセシルとテオドールの元へ向かい、大袈裟な祝辞を並べた。


 延々と続く挨拶にセシルが飽きてしまった頃にやっと、婚約披露のパーティーはお開きとなる。


 珍しく深く酔っ払ったテオドールは近衛に支えられながら寝室に雪崩込み、セシルは疲れ果てた顔で公爵家の屋敷へと帰っていった。


 ただただ幸せな日々。そんな未来を想像して二人とも眠りについたに違いなかった。



#



「起きてください! ノルシュタイン公爵が!」


 国王の寝室だというのに、扉が激しく叩かれ大声がする。


 普段は早起きのテオドールだけど、昨日の飲酒のせいで昼が近くなってもまだベッドにいた。


 こめかみを押さえながら起き上がり、ローブを羽織って侍女に入室を許可する。


 侍女の後ろにはノルシュタイン公爵。その顔は険しい。


「テオドール……セシルが倒れた……」


「なんだと!」


 テオドールの顔に絶望が浮かぶ。


「すぐに向かう。準備を!」


 王城は俄に慌しくなり、テオドールは髪も整えないまま馬車に乗り込んだ。


「セシル……頼む……」


 手を合わせ、懸命に祈るテオドール。


 私はその側で思考を巡らせていた。


 ──おかしい。セシルが病気になるなんて……。


 テオドールを残して病に倒れた私。その複製たるセシルの身体には、あらゆる病魔に打ち勝つ仕掛けが施されている。今までだって、一度も寝込んだことはない筈だ。


 テオドールを一人にしない。その目的の為に生まれたセシルなのに……また……。


 本当に病気だろうか? やはりそれ以外の何かでは? セシルを恨む者、存在を疎ましく思う者がいたとしたら。それはどんな人物だろう……?


 二人の幸せを妬む? そんな単純な話だろうか? それとも何かを狙って。例えば……王位継承権。


 不意にパーティー会場見かけたある人達の顔が浮かんだ。王弟アードルフと妻のカミラ、そして息子のアドラー。


 何処かつまらなそうにして、セシルとテオドールを遠巻きに見ていた。


 このまま、セシルとテオドールの間に子供が出来なければ、王位継承権一位は王弟アードルフのままだ。そしていずれは長男のアドラーが王になる未来も……。


 馬車は公爵家の屋敷に入り、テオドールは客室から飛び出す。待ち構えていた執事長が彼をセシルのところへ案内した。


「セシル……」


 額に汗を浮かべ、ベッドの上で苦しそうにするセシル。テオドールが声を掛けても瞼は開かない。


「いつからだ?」


「朝食を召し上がった後に……」


 テオドールの迫力に執事長が小さくなりながら答えた。


「毒ではないのか? 医者はなんと言っている?」


「毒の症状ではないそうです……。何処が悪いかも分からないと……」


 それはそうでしょう。普通の人間にはセシルを覆っている黒い靄を見ることは出来ない。


 これは禁呪の類ね。私にそっくりのセシルが私と同じく十七歳で倒れる。そして徐々に衰弱し、死へ……。そんな筋書きを立てた誰かがいるのでしょう。誰かが。


 黒い靄から細い糸のようなものが伸びている。術者と繋がっているのだろう。私がテオドールと繋がっているのと同じように。


 私は……覚悟を決めるべきなのかもしれない。


「セシル……目をさましてくれ……」


 セシルの手を握り、懸命に声を掛け続けるテオドール。また辛い思いをさせてしまっている。


 今、私がテオドールとの繋がりを切ってセシルを覆う黒い靄と同化すればどうなるだろう? 私はテオドールと繋がっていることで、意識だけの存在としてこの世に留まっている。


 その繋がりが切れてしまえば、きっともうこの世にはいられない。意識が曖昧になり、そのまま天へ昇るだろう。もう、テオドールを見ていることは出来なくなる。


 でも、いい。それでいい。テオドールの側にいるのはセシルの役目。私は、私にしか出来ないことをやろう。


 ──さよなら、テオドール。セシルをよろしくね。


 私から伸びていた糸がプツリと切れ、ふわふわと天に昇りそうになる。必死に足掻いてセシルまで辿り着き、黒い靄を吸い込んだ。


 透明だった私が黒く染る。何か力を得たようで、少し意識がはっきりしてきた。天に昇ってしまうまでには、まだ若干の猶予がありそうだ。


 ならば、やることは一つ。


 私はセシルに伸びていた糸を辿り始めた。術者を突き止める為に……。



#



「カミラ、本当に大丈夫なのだろうな?」


 でっぷりと腹の突き出た男が心配そうに声を上げた。


「あなた! まだそんなことを言っているの? あの得体のしれない女にこの国が乗っ取られてもいいの?」


 女は若い頃は美しかったのだけど、今はその性根の悪さが顔に現れてしまっている。王弟アードルフとその妻のカミラだ。二人の後ろにはもう二十歳になる息子のアドラーもいる。


 王都の東にある森。普段は王族が遊猟する際の休憩所として使用されている小屋の中。


 三人は真剣な表情で黒ずくめ男を見つめていた。


 黒ずくめの男は髑髏の口にはまった水晶に向けて手を伸ばし、魔力を注いでいるようだ。今、私が元気なのは、きっとこの男のおかげね。


 黒ずくめの男は疲弊しているようで、息が荒い。


「おい、どうした?」


「おかしい……。呪いの禁術が……返されたかもしれない。魔力の消耗も激しい……」


「ちょっとあなた達も協力しなさい! ここでしっかり呪いを打ち込んで、セシルとかいう娘を殺してしまうのよ!」


 カミラに促され、アードルフとアドラー親子が水晶に向かって手を伸ばした。私に流れ込む力が増えて、黒い靄の輪郭がはっきりし始める。


「……そんな」


 最初に私に気が付いたのは黒ずくめの男だった。慌てて水晶から手を離そうとするが、もう遅い。私が力を込めて一気に魔力を吸い上げると、一瞬でカラカラのミイラになって床に倒れた。


「なんだ!」

「いやぁぁ」

「一体何が……」


 狼狽え、こちらを見上げている。どうやら、私は三人からも見えるぐらいに力を得たようだ。


『私が誰だかわかる?』


「……セシル。いや……セシリアなのか?」


『正解。……ところであなた達、セシルに何をしているの?』


「い、いや。その……」


「この国を掠め取ろうとする女に何をしたって勝手でしょ! ライン王国の王位はアドラーが継ぐのよ!!」


『はぁ……仕方ないわねぇ。私はセシルとテオドールの幸せだけを願っているの。だから──』


 私が手を振るうと黒い靄が放たれ、アドラーを覆って意識を奪う。


「アドラー!」

「なんてことを!」


『黙りなさい!!』


 強く手を振るうとドス黒い塊が放たれ、アードルフとカミラを射抜いた。二人は一瞬で骨だけになる。


『さて、いきましょうか』


 力を使ったせいでまた存在が曖昧になってきた。もう残された時間は少ない。最後に一目だけ……。



#



「セシル!」


「……テオドール、どうしたの? なんで泣いているの?」


 ベッドの上でセシルは眩しそうに目を開き、テオドールを見つけて微笑んだ。


「君が急に倒れたと聞いて!」


「……えっ。私が?」


「覚えていないのか?」


 テオドールは未だずっとセシルの手を握ったままだ。その存在を確かめるように。


「……何か夢を見ていたような気がする」


「夢?」


「そう。黒い何かに襲われたのだけど、私にそっくりな女の人が助けてくれたの」


「君にそっくりな……。セシリアが……」


 一度おさまりかけていた涙が、またテオドールの瞳から溢れた。


「そうか……。セシリアが君を守って……たのか……」


 そろそろ時間切れみたい。今度こそ本当にお別れね。


 生まれてから今までの記憶が絵になって流れていく。小さかったテオドールと私。一緒に大きくなって、テオドールだけ歳をとってしまった。でも、幾つになっても素敵よ。


『……テオドール。ありがとう』


 ハッと天井を見上げたテオドール。一瞬。本当に一瞬だけど、目が合った気がする。──私はそれで満足。


 後はセシル。よろしくね。


 すーっと意識が宙に溶け、天に昇り始めた。


 私には何も後悔はない。

異世界恋愛短編、投稿しました!

『婚約破棄が禁止された王国』

https://ncode.syosetu.com/n6464hx/

是非!

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