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王との邂逅

 白髪の老人が三人の従者を従え馬を駆けていた。彼は王だった。

 胸元まで伸びた白いひげと長髪が風にたなびいていた。しかし突き出た鼻梁の下の荘厳な眼窩は隈で浅黒く濁っていた。目元は憂いで涙に濡れていた。

 やがて彼は屋敷にたどり着いた。そこは大きな門塔を備えた古城然とした屋敷だった。白銀の鎧を着込んだ衛兵が二人立っていた。庭は手入れされておらず草で生い茂っていた。

 王は衛兵に目礼で挨拶をすると、問塔の下の小さな勝手口で馬を降りひとりで屋敷に入った。

 問塔の中は暗かった。彼は石畳の螺旋階段を上がった。靴の鋲が石畳を打ち付け虚ろなこだまが階段を駆け上がった。

 屋敷はしんとして静まり返っていた。

 彼は二階にたどり着くと古びた木の扉を押し開いた。

 王が入ると中にいた人間たちは一斉に立ち上がった。奥の明るい窓から逆光が差し込み彼らの顔は見えなかった。それでも王は全員が見知った人間だとわかった。

「ゼノン」王は言った。「久しいな」

「久しゅうございます王様」ゼノンと呼ばれた老人は頭を垂れて言った。剃り上げた頭部には斑な茶色い染みが散りばめられていた。彼も老人だった。かつては歴戦の強者だった。今は体も縮みかつての覇気はなかった。

 王は顔を上げて部屋の面々をみた。何人かは今も国家の要職に就いてはいるが、ほとんどが隠居した身だった。しかし今なお国中に影響力を保持していた。そして国家の行く末を強く憂いていた。

「して」王は言った。「翁は」

「こちらにひかえております」

 突如真横から声がかかり王は驚き振り返った。部屋の片隅には黒衣に身を包んだ二人の人間が立ち控えていた。一人は老人、一人は若者のようだった。

 この老人こそ、この国ローゼンハイムの闇を一手に抱える影の古老だった。彼は暗殺者だった。暗殺者たちは”毒手”と呼ばれていた。そして彼は”翁”と呼ばれていた。

 王すら名前を知らなかった。彼が十五で王位に就いたときこの翁は壮年の男性だった。いま王は七十になり翁は百歳を超えているはずだった。猛毒を内に湛えたその両腕は肘まで真っ黒に染まっていた。

 翁は微笑とも冷笑ともとれる笑みを常に口元に浮かべていた。それは闇の住人が表に出すには挑発的すぎる笑みだった。しかし無論、彼が王に害意など持っているはずもなかった。翁は王のために百人以上の政敵を闇に葬っていた。過酷な任務が彼の人間観を大きく歪めていた。王にもそのことは良くわかった。

「翁よ」王は言った。「それが例の若者か」

「さようでございます」翁はいった。「顔を見せなさい」

 若者はフードを脱いだ。闇の人間らしからぬ豊かな金髪が現れた。しかし肌はその稼業にふさわしく青白かった。そして唇が赤かった。端的に言って若者は美しい容貌をしていた。

 王は小さくうなずいた。そして言った。「屋上で話そう」


 問塔の上からは遥か遠くまでローゼンハイムの街並みが見渡せた。鮮やかな橙色の瓦屋根が都市計画にのっとり整然とたたずんでいた。白いカモメが家々の上空を悠然と飛んでいた。城壁ははるか地平線に細い白い糸のように見えるだけだった。

 この果てなく続くとも思われる広い街並みは、開祖ロキが邪心モラクスを討ちその王城と城下町の上に築いたものだった。かつて魔物が築いた城壁は高くぶ厚くいかなる侵入者も寄せ付けなかった。この地にかつての王たちは長い平和を築いてきた。

 だがその平和が脅かされていた。

「君を呼んだのには理由がある」王が言った。「君を推薦したのはそこの翁だ。君が毒手の歴史でも傑出した才能を持っているときいた……無論君がその若さで毒手最強というわけではないのだろう。だがこの任務はただの暗殺ではない。この任務には時間がかかる……そして適応も」

 王は言い淀んだ。アルスは待った。

 王は考えた。この若者を死地に送り込む資格など自分にあるのだろうかと。この若者、いや少年とすらいってもいい。陽の下では彼の金髪はより美しく輝いていた。その髪の細さ、柔らかさはまさに年端もいかない少年のそれだった。

 しかしそもそもこの若者に死地以外の選択などかつてあったのだろうか。彼は暗殺者だ。王はアルスが血塗られたナイフを持って死体を見下ろしている様を想像した。

 いやそもそも”選択”などあったのだろうか……彼は暗殺者として育てられた。毒手の訓練がどんなものかは知らない。しかし秘密を守るために自殺用の呪いを体に持つと聞く。彼の人生に選択などあったのだろうか。

 そもそも彼に親はいるのだろうか……。

 王は歳を追うごとに感傷的になっていた。彼は深い憂いにひたすら身を沈めた。それは自虐と同じような行為だった。彼はやがて顔を上げてアルスの顔をまっすぐに見た。王は結局全ての玉座の主がすることをやった……人間性の規範についてはただただ考えることやめたのだ。

「今から二十年ほど前に、ここから南のオルドキアという渓谷で古代の遺跡が発見された。遺跡は二代目の王ロンの時代に造られたものだ。そこで、いくつかの遺物とともに、石碑が発見された」

 アルスは静かに次の言葉を待っていた。王が再び口を開いた。

「石碑には開祖ロキの偉業が記録されていた。その記述が、簡潔に過ぎるのだが……おおむね歴史書の通りに記されていた。ただ一点を除いて」

 アルスは次の言葉を待った。

「君はアスタロトとは何か知っているかね」王が尋ねた。

「ソロモンが使役した七十二の大悪魔のうちの一人です。配下へ下った者に無限の知恵を与えます。開祖ロキによって抹殺されました」アルスが答えた。

「そう。歴史書ではな……そういう記述になっている」王はまたうつむきながら答えた。「だが今度出土した石碑にはこうある。『北に二千里、カマラン山脈を超えたロードスの地にて、彼を封じた』と」

「殺したのではなく封じた。そのことに強い問題があるのですか?」アルスが尋ねた。

「無論封印術であるなら解かれる可能性はある……当然ロキは万難を排して封印を構築しただろうが……しかし、いま問題なのはそこではなく……」王はまた言い淀んだ。「その先の記述にある……彼は玉座を息子ロンに譲位した後、”さらなる英知”を求め再び北に向かったと。この記述をどう思う?」

「それは……」今度はアルスが言い淀んだ。「不敬に当たるので答えにくい問題です」

「ロキの尊称は知っているな?」

「叡智王ロキであります。王は開祖ロキが知識を求めてアスタロトと通じていたとおっしゃりたいのですか?」

「そうだ」

「しかしそれは、千年も前の話でありましょう?」

「だが、そのことが、いままさに起こっていることと関係あるやもしれんのだ」王の顔に強い影が差した。「君は大魔法師スタウダマイアーを知っているか?」

「名前は聞いたことがあります」

「私の長年の友人だ……乳飲み子のころから共に育った!」王は鋭く嘆くように言った。「彼は共に国を治めた仲間だ!ここにいる友たちとあらゆる艱難辛苦を分かち合った!政は悩みや苦しみがあまりに多い。無垢で善なる人間を切り捨てなければいけないことがあまりに多い。国のために命をなげうった兵士たち、その家族の慟哭が身に突き刺さり辛い。彼は民草の痛みを我が事のように感じ取れる心の優しい人間だった。我々は人生の全てを国家のためになげうった。文字通り全てを!しかし、彼の三人の息子が、全て戦場で息絶えたとき、彼のこころは壊れてしまった」王の目は赤く腫れ涙にぬれていた。「やがて彼は魔術の禁忌に手を染めた……人体錬成だ」

 

 アルスは沈黙して続きを待った。王は続けた。

「気づいたときにはもう遅かった。孤児院の子供が何十人も連れ去られ、地下室の実験場でおぞましい肉塊に変えられたのだ。あれはまさに、地獄の中ですら醜悪なものの顕現だった。子供たちは、人体錬成の触媒として使われたのだ。息子を蘇らせる材料として。無論、実験は失敗だったのだ……たとえ国家最高の魔術師と言えど、生命を自由に生み出し蘇らせることなど叶うはずもなかった。当然我々は彼に罰を与えようとした。本来処刑にすべき罪だった。しかし、私にはできなかった……。全ては、より国家へ奉仕するためになされたことだったのだ。結局、私は彼を流刑に処した。やがて彼がここを去る時も、我々はなにも言わず肩を組み泣いた。魂から我々は通じ合っていた……そして彼は去り際にこう言った」

 王は喉を震わせて嘆息した。アルスは待った。王は言った。

「ここを去ると。叡智を求めて北へ向かうと。アスタロトに会うと」

 王がそう述べると、重臣たちはそれぞれ沈痛な面持ちで物思いに沈んでいた。アルスは続きを待った。

「だが、その彼が突如北の地に現れたのだ。」

「現れた、とは?」アルスが訊いた。

「北の前線に現れたのだ。オーク共の指揮官として。そして魔法を使い兵たちを殺しはじめた」


 王はしばらくうつむき物思いにふけったあと、続けた。「いま北部前線で二つのことが進行している。一つは五年前からはじまったオーク共との戦争だ。この五年間に我々はいくつもの砦を落とされた。というのも奴らは非常に高度な軍事行動をとるようになったのだ。オークがある程度統率した軍事行動をとることは知られていたが、前線指揮官によれば今の奴らの軍隊は人間のそれと遜色ないかそれ以上のもののようだ。オークは死を恐れない勇猛な戦士だ。これが高度な作戦行動の元にあるとなると、非常な脅威だ」王は目を細めて北の水平線をにらみつけた。王の脳裏では激しい戦闘で命を落とした兵士たちの亡骸が映し出さえていた。「そのうちに軍隊の中に人間が紛れ込んでいるのが目撃された……そして奴らは、いわゆる極大魔法を使い始めた」

「極大魔法……」

「発動に数日かける大がかりな魔法だ。炎の嵐を起こし千もの稲妻を落とす。我々の砦はこういったものに対してまったく防御を有していない。そしてこういった魔法を使えるものは極々一部に限られる。特に『大乱の雹』と呼ばれる、特大の雹を降らす大嵐の魔法は、この世でたった一人しか使えるものがいない」

「それがスタウダマイアー氏であると」

「そうだ。きみに任務を与える!」王は鋭い眼光でアルスの目を直視していった。「敵陣深く浸潤しスタウダマイアーを抹殺しろ!これが任務の一つだ。」

「は」アルスは答えた。「して他の任務とは?」

「もう一つはカマラン山脈を越えるルートの探索だ。この斥候任務に君が最適だと翁から推薦があった。カマランは人間を寄せ付けぬ巨大な山脈だ……だが千年前にロキが軍隊を連れて通過している。何か峠道のような人知れぬ隘路があるのだろう。これを発見し軍隊を先導しろ。そしてゆくゆくはアスタロトを抹殺するのだ」王は今や先ほどまでの嘆きを打ち捨て、堂々たるさまで述べた。「なにか質問は」

 アルスは一瞬迷ってから口を開いた「スタウダマイアーがアスタロトと接触したとお考えになる根拠はなんなのですか?」

「それは私から話そう」王の重臣たちの一人が答えた。彼はこぶだらけの古木でできた杖によりかかり立っていた。そして彼の耳は、鋭くとがっていた。その小さな耳孔から白い毛がたくさん飛び出していた。彼はエルフの古老だった。

「魔法には故あって禁忌とされてきた術がいくつもある。人体錬成はその一つだ。それは人の道理から外れすぎた魔法ゆえエルフやドワーフ達の間でもはるか昔に捨てられた魔法だ。そして、彼らの魔法の継承者でしかない我々には、およそ人体錬成の方法など知る術はまったくないのだ。」

「前線からはこういった報告がある」王がその先を引き継いだ「一度殺したオークの指揮官が蘇り再度襲い掛かってきたと。死んだ軍友が突如立ち上がり敵軍に紛れ襲い掛かってきたと。無論オークが蘇生魔術など知っているはずがない。どんな人間でもだ。これは古代の叡智に触れなければなしえないことだ」

「アスタロトの権能だ」エルフの古老が言った。彼の目は興奮で見開いていた。「彼は配下に下った者に過去と未来の叡智を授ける。アスタロトの知識だ」

「僭越ながら申し上げます」アルスは言った。「それでもアスタロトそのものに魔法を授かった根拠はないのでは?例えば先ほどの石碑のように古代の魔法が再度発掘されたのやもしれません」

「いやアスタロトの知識だ!」エルフが叫んだ。極度の興奮で彼の目はむき出し瞳孔は完全に開いていた。鼻血が垂れ白い口髭を真っ赤に染めだした。「アスタロトなのだ……彼の叡智、彼の見る未来、それが二千里離れたワシを呼び寄せるのだ。君は、魔法使いでないから分からない……むしろ毒手はそういったことに影響を受けないよう訓練を受ける。君と私は真逆だ。魔法使いは感覚を解き放ち大気の精霊たちの声を聞く……すると聞こえてくるのだ、アスタロトの囁きが!どこからともなく……どこでも雑念として入り込む。食事をしていると耳元でささやく。夢の中に立ち現れる!彼の持つ未来、無限の知識、誰も知らない過去の歴史たち……彼は呼んでいるのだ!私を!私たちを!世界中の魔法使いたちを!無限の力が!」彼はそう叫んだあと皆の視線を感じふと我に返った。そして気恥ずかしさに身を縮こませながら、小さな声で言った。

「無論私が王の元を離れるはずはない。私はこの国に永遠の忠誠を誓っている。あくまで仮定の話だ……だがしかし、仮に私がアスタロトの元に馳せ参じれば、私の望みの幾何かは手に入るだろう……それは確かに感じるのだ……」エルフはみなを見渡しながら言った。

「アスタロトは確かに復活したのだ」

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