拾われなかったかもしれない愛
コゼットが退出していくのを、イスフィールド家の面々が見送る。
当主であるエドガーは、しばらく今の話を軽く振り返り、1つ、2つうなずく。
「お前たち、どう思った?」
「――よろしいでしょうか」
ヘニングがエドガーを見る。物静かで活発な子ではないが、頭が良く思慮も深く将来を皆から期待されている。
「言ってみよ」
しばらく、ヘニングが言葉を探すように目を閉じる。
「コゼットは天使なのでは?」
そう、ひどく真面目な顔で言う。
この子供、7つにして妹への愛が少しばかり重たい。
「ふむ……」
エドガーは数回うなずく。
子の教育は親の務め。ここはひとつビシっと言ってやる他あるまい。
皺を深め、常時ですら厳つい顔をさらに険しくするエドガー。
「お前もそう思うか」
子が子なら親も親であった。
「あなたたちは、何を言っているのですか」
クラウディアが冷たい目で二人を見やる。
母は強し。
なんだかんだ家をコントロールするのは女の務めなのだ。
「コゼットは生まれた時から天使です」
全滅である。
ちなみに、ここには居ないがイスフィールド家の長男も同じくダメである。むしろ輪をかけてダメであるので遠ざけられている始末である。
今頃、腹いせに魔の森の魔物を血祭りにあげていることだろう。
「流石は我が妻」
「流石お母様です」
拍手に得意げに鼻をならすクラウディア。
それを一歩引いて見守るアントン。
流石にアントンはコゼットを天使とまでは思ってはいない。普通の子ではないと思っているが。しかし、一癖も二癖もある、いや、癖純度100%のイスフィールド家の当主に仕えてもう長い。
空気を読むのも従者の仕事のうちということだ。
それに、家族が娘を愛でているだけである。特に問題は、たぶんない。
アントンはしばらくかかるな、と思いながら窓の外に飛ぶ鳥を数え始めた。
「前々から思っていたが、どうやらコゼットには何かがついているらしい」
「やはりそうですか」
「そうなのですか?」
エドガーの言葉にクラウディアがうなずき、ヘニングは首をかしげる。
「以前、夕食にシチューが出たときに癇癪を起こしたことがあった」
「ええ、ありましたね」
ヘニングはうなずく。
まあ、食が気に入らないと癇癪を起こすことは誰にでもある。子供の特権という奴である。エドガーとしても、かわいい娘のちょっとしたやんちゃくらいにしか思っていなかった。
そもそもエドガーが子供の時などは、飯が気に入らない、勉学が嫌だと目につく全てを破壊して回った、文字通りの問題児であった。
結局乱暴がすぎて、エドガーの父により殴り潰されて無理矢理矯正されて今がある。
「あの時、ひどく怯えながら我の執務室に来たのだ。『シチューを無駄にしたのは悪いことなのか』と」
「なるほど。……なかなかに深い問いでありますね」
思考に沈むヘニング。
「飯を無駄にするのは勿論悪いこと。自ら兵站を無駄にする兵はおらぬ。しかしそれだけではなく、我がイスフィールド家が出された飯をただ捨てる事は、我々の働きを自ら無駄にすることに他ならぬ」
イスフィールド家の仕事は領の運営である。そしてこの領の役割は、魔の森から来る危険から人々を守り続けることである。
そして、領の経営とはすなわち、ひたすらな計算である。魔の森から来る驚異だけをとっても、それを数字にし、武力、食料、を当てはめてひたすら計算する。1つでも何かを間違えると、魔物にその腹を食い破られる。それがイスフィールド領の現実である。
エドガーは些か武力に考えが偏るが、それでも自身の責任を受け止め、長として領の未来を案じているのだ。
「料理に必要な食材を1つとっても、それを作るのに時間が必要です。料理にかけられる食材の手間が増えるほど、領民たちへの負荷になるということ。我々が贅沢できるということは、領が正しく機能し、余裕があるということ」
「うむ。流石はヘニング。その年でよくその考えにたどり着いた。まあ、私腹を肥やし税を搾り取れば贅沢などいくらでもできるが……」
「冗談でしょう? 領民のために尽くすのが我々貴族の務めです。そんな事をすれば我が領はたちまち崩壊し、即、立ちゆかなくなるでしょう」
ヘニングが驚き、エドガーは肩をすくめる。
「どうやら我々は田舎貴族であるらしい。他の領では美味いものが溢れ、部屋という部屋を金で飾っておるらしいぞ」
「よく、生きておられますね」
首をかしげ感心さえするヘニング。この領でそんな事をすれば、たちまち領民達に首を刈られることだろう。
魔物相手に常に戦い続ける冒険者や騎士などの戦闘職につく者たちは、まさに百戦錬磨の強者達。その首根っこを押さえつけるのに必要なのは、金と安全と満足しかない。それをイスフィールド家の者はよくわかっているのである。
そんな家の子であるヘニングからすると、領民から搾り取るだけ絞るというのは、考えることすらありえない話であった。
「コゼットの前にシチューの食材を持ってこさせ、1つ1つ、育てるのに必要な手間と期間を言って聞かせた。賢い子である。すぐに理解を示し、青い顔をしておった」
「なるほど、それでまたシチューが出たのですね。コゼットが大変ゆっくりと食べていたのを覚えております」
「感謝か謝罪か祈りか、わからぬが、その後は普段通りであった様子であったので、許されたのであろう。……コゼットにつく何かは、悪しきものではないのであろう。導いてくれる存在であると我は考えている」
せんべいをバリバリ食べながらであるが。
「あの、お父様もお母様も、不安は無いのですか」
「もちろん、不安がないと言えば嘘になります」
「お母様……」
やはり親。得体の知れない存在が娘についているのは不安である。
氷のように冷たいと評されるクラウディアだが、娘への想いはとても温かなものなのだ。
「しかし、わたくしが安易に近づけば感情が高ぶり氷づけにしてしまいそうで……」
「お母様……」
しかしこの母、些かポンコツがすぎる。
「我も同じである。抱くことすらままならぬ」
こちらもまたポンコツである。
先日、教会へ行くために抱き上げた時など、腕を曲げた状態でコゼットをその上にのせただけである。筋肉が強ばりすぎて、何年かぶりの筋肉痛になったほどであった。
「お父様も……」
「男なら殴れもしよう。悪さをしたら2階からでも突き落とせばいくらか矯正もできよう。しかし、女となると、とんとわからぬ。触れただけで死んでしまうのではないかと想うほどだ。我がまともに接した女は母らと妻だけゆえ」
エドガーの吐露に、クラウディアの頬が淡く染まる。お熱いことである。第四子が生まれる日も近いであろう。
「父としてなんとも情けない話であるが、娘はその存在を信頼している様子。特に指導に悪いところも見つからぬ。任せようかと思う」
「はぁ、まぁ、お父様がそういうのでしたら」
ヘニングからしても、悪いものでないというなら意見を挟むこともない。
「まぁ、コゼットに関してはこんな所だ。娘の成長を我は嬉しく思う」
「はい、僕も妹が存外に成長しており驚くばかりでありました」
「ふむ。お前も気を抜くと次期当主の座を奪われるぞ」
「……次期当主は兄でしょう?」
「あいつに当主が務まるものか。それこそ当主の座についた瞬間にコゼットに譲り渡すぞ」
容易く想像できたのであろう、ヘニングは渋い顔をする。
「まぁ、誰でも良い。力を示せ。イスフィールド領が続くのであれば誰が頭でも構いはせぬ」
「は!!」
イスフィールド家に求められるのは実力のみである。最も領に貢献でき、導くと周りから認められた者が当主となる。そうやってこの家は常に力を、血を高めて一人一人が一騎当千の働きをして恐れられてきたのである。
「ところで、コゼットの寝室に入ったスライムについて、誰ぞ気づいたものはいたか?」
「……いいえ」
アントンが頭を下げて答える。
「ふむ。どこから入った?」
「申し訳ながら、見当もつきませぬ」
「湧いて出たとでも?」
「もしやもすると、あるいは」
「……面白くない話である」
「誠に」
領一安全といえる屋敷である。四方が街に囲まれ、屋敷の周りは勿論、街の周りにも外壁がある。それをたかがスライムがどのようにやってきて、そして寝室に侵入したというのか。
「警備を増やそう。もしスライムを発見した場合は……コゼットに任せる。捕まえて樽にでも入れておけ」
「それがよろしいかと」
結局答えは出ない。娘がスライムの対応をするというのだから、任せる他あるまいという考えに至るエドガーであった。