あなたはどこから
「ううん……」
目を開くと、寝室の天井が見えます。どうやら眠りから覚めたようです。
自分の手を見ます。体のどこにも異常は感じられません。
チヨ様とのひとときを夢と断じる事はできません。夢としてはあまりにも理路整然としており、かつわたくしの未熟な頭では考えつかない話ばかり。
きっと、チヨ様は今もわたくしの事を見てくださっている事でしょう。
「……?」
ふと、お腹に重さを感じました。
「え?」
見れば、白く半透明の物体が鎮座しております。とてもぷるぷるしております。丸っこく、自重によって下半分が潰れたような柔らかそうなフォルム。
間違いありません。スライムです。
本で読んだとおりの姿です。
「ええ?」
ひどく混乱します。
なぜ? どうして? そもそもどこから?
スライムはぷるぷる震えるだけで、わたくしの方を見ているようでもあり、どこも見ていないようでもあり。
ただ、害意がないことだけはなんとなくわかります。
しばし停滞した空気が流れます。わたくしがスライムを観察し、どうしたら良いのかわからないように。スライムもまた、こちらの出方をうかがっているように感じます。
と、ドアをノックされます。
「お嬢様、失礼します。朝でございます……!?」
ドアを開いたメイドのマーヤが目を見開いて固まります。
ああ……。
「お嬢様!? 敵襲ー!! 敵襲ー!!! お嬢様、早くこちらへ!!!」
ああ、マーヤ。イスフィールド家の敵襲対応マニュアル通りの完璧な対応です。
我が身よりもわたくしを優先した行動。素晴らしい働きです。
我が家は安泰です。
しかし、その行動が今はとてもまずい。非戦闘員のメイドだとしても、その突撃でこのスライムは爆散してしまうことでしょう。
「ふっ」
「お嬢さま!?」
とっさにスライムを庇いながらベットから転がり落ち、飛びかかるマーヤの足下に鋭く蹴りを入れます。
バランスを崩すマーヤ。ベッドに突っ込むだけなのでケガもしないでしょう。
「敵襲ー!!! 敵襲ー!!!」
「コゼットお嬢様の部屋に敵襲ー!!! これは訓練ではない!! 繰り返す! これは訓練ではない!!」
カンカンカンと、館中の鐘が鳴らされます。蜂の巣をつついたような騒ぎとは、まさにこのようなことをいうのでしょう。
なんと素敵な朝ですか。
泣けてきますね。
スライム、お前一匹のせいでこの騒ぎですよ。
ぷるぷるしてらっしゃいますね。反省して下さいまし。
わかっているのでしょうか。一応わたくしはお前の命……命あるんですか? とりあえず命の恩人となりますよ。敬いなさい。
はぁ……。
ともあれ、服くらいはまともな物にしましょう。
クローゼットを開き、ローブを羽織ったタイミングで皆さんがいらっしゃいます。緊急時に備えて、さっと着ることのできる服が備えられているのです。いつスタンピードが起きても慌てることのないような心構えが、イスフィールド家には必要なのです。
「コゼット!!」
お父様の声がビリビリと部屋を揺らします。耳がキーンとしますが我慢します。
お父様の他にもお母様や下のお兄様、騎士たちがおりますが、喋るのは一家の長であるお父様のみです。
イスフィールド家では長が基本絶対であり、その判断に否を挟むにはそれ相応の理由が必要です。
「おはようございますお父様」
「む、無事か!」
「はい、無事でございます。そして危険もありません」
「で、あるか」
「はい。起きたらスライムがいたのです。害意は感じられません」
お父様からのプレッシャーがなくなります。わたくしの腕に抱えられたスライムを観察しているご様子。
「わたくしが眠っている間もずっと側にいたようです。害意があればいくらでも機会はあったでしょう」
「ふむ……」
「今も抱えておりますが、とても静かで抵抗する様子はございません」
「確かに、そのように見える。しかし、それは獣だ……獣か?」
「わかりません」
「で、あるな」
対応に困っているご様子。
それもそうでしょう。犬猫魔物であれば、その牙や爪を理由に遠ざけることもできるでしょう。しかしこれはスライムです。スライムがどのようにわたくしに害をもたらすと言うのか。
スライムはその特徴に「なんでも溶かす」というのがあります。しかし、それについてもひどくゆっくりです。わたくし一人を喰らい溶かすにしても、丸一日かかってもできるかどうか。
「スライムに体当たりされて死ね」といった冗談もあるくらいです。つまり、絶対にありえないということです。
……こうして腕の中に実際居ると、なんともまあ愛着が湧いてくるものですね。
「かしてみなさい」
「はい」
お父様にスライムを渡します。
お父様の両手の上でぷるぷるするスライム。
「お前は言葉がわかるのか」
ぷるぷる。
「どこから来たのか」
ぷるぷる。
「コゼットに会いに来たのか」
ぷるりん。
「で、あるか」
わかり合えたようです。流石お父様。
「何を考えているのか、そもそも考えることができるのかもわからぬ」
ダメだったようです。
お父様からスライムを渡されます。
「テイムしてみなさい」
「テイム……」
「<魔物使い>や<獣使い>など、配下を従えるスキルを持つ者は『テイム』というスキルで主従を結ぶという。これだけ大人しいならば、テイムできるであろう」
「なるほど。あの、どうすれば」
「わかるもの、おるか」
「は!! 語りかけ、主従の契りを結びます! 認られれば自ずとわかると思われます!」
後ろから一歩前に出た騎士の一人が答えます。
「テイムすることによってコゼットの体調が悪くなったり、不都合はあるか」
「無いと思われます! 後から主従の関係を解除することも可能であります!」
「だ、そうだ。やってみなさい」
「はい」
腕に抱えたスライムを見ます。相変わらず、何を考えているのかまったくわかりません。いや、もしかしたら何も考えていないだけかもしれません。
「えっと、わたくしと共に来て下さいますか」
スライムが答えるようにぷるっと震えました。
その瞬間、わたくしはこのスライムと何かが繋がったことを感じます。
主従を結んだ事が頭で理解できました。
「できました」
「ふむ、おめでとう。お前の初めての部下である」
お父様が拍手してくださいます。それをきっかけに皆からも拍手を頂きます。
「ありがとう存じます」
ゆっくりと頭を下げます。
「で、そのスライムは何を考えているか」
言われて、もう一度スライムを見ます。
……。
「おそらく、特になにも考えておりません」
「で、あるか」
気まずい沈黙が流れます。
「ともあれ、危険がないのであれば警戒を解除し常時体制へ戻せ」
「は!!」
お父様の指示に、騎士たちが下がります。ドタバタとした足音が遠くなっているのがわかります。
「お騒がせして申し訳ありませんでした」
頭を下げます。
「良い。ちょうどよい緊急時対応訓練になったことであろう。後で皆へ労いの言葉をかけてあげなさい」
「はい、そうします」
「コゼット、朝の鍛錬は通常どおり行うか」
「そうしたいと存じます」
「で、あるか。そのスライムの世話はお前がしなさい」
「はい。――あの、お父様。お母様も、後ほどお話があるのですが」
「重要なことか?」
「わたくしにとっては」
お父様がお母様を見ます。お母様はそっと頷かれました。
「……朝食の後で時間を取ろう」
「ありがとう存じます」
私は鼻から




