少し休息します
「もう落ち着いた?」
白い部屋で、わたくしはチヨ様の膝に頭を乗せています。
膝枕というそうです。
とても落ち着きます。
顔をチヨ様のお腹に押しつけます。
「もう少しこのままでよろしくおねがいします」
「は~い、いいよ~」
チヨ様はどこか楽しそうにわたくしの髪を梳きます。
とても優しい手つきです。
「スライムちゃんにもクッキーをあげよう。今日のチョコチップは中々違うぞ。当てられるかな~」
「ピョホッホウ」
「お~流石だねえ」
わかるんですか。
わたくしにはただの感情の波にしか思えませんでした。
「ん~」
なんとなくグリグリとさらに頭を押しつけます。
「今日のコゼットちゃんは甘えたさんだねぇ」
「――イヤですか?」
「全然? もっと甘えてくれてもいいくらい!! 今日は特に頑張っていたからね!」
頑張って……いれたのでしょうか。
「……本当にそうでしょうか? わたくしは力でなんでも解決する暴君だったのでは?」
実のところ、先生の反応よりも、チヨ様がどう思ったかの方が気になっていました。
ダメな行為だったのではないかと。
「ん~、街のこともあるのね? 考えてああしたんでしょ?」
「はい」
わたくしはあの時、そうするのが良いと思いました。物理的に痛い目を見せて、枷をつける。
そうすることで牽制になると考えたのです。
しかし、”楽しい”と思うわたくしがいなかったと言えるのでしょうか。他に方法があったのでは?
「だったらいいんじゃないかなぁ」
しかしチヨ様は、特に変わらない調子で、あっけらかんと言ってくれます。
「――良いのですか?」
「うん。良いと思う」
「けれども、私は悪い子になってしまうかもしれませんよ?」
心が少しささくれだった気がしました。チヨさまは、何でも知っているように、何でも些事であることのように、いつも振る舞います。少なくとも、わたくしにはそう見えます。
けれども同時に、とても無責任に思える時もまた、あるのです。
「そう思ってる子は悪い子にならないよ。私が怒るのは、その行動が考え無しだった時だけ」
「……」
「人を変えるのはとても難しい事だよ。今まで悪いことをしてた人が、ちょっと痛い目にあったら真人間になるかと言われたら、それは違うと思う。警察――ここだと衛兵だっけ? に突き出しても、すぐ出てくることになると思うし。コゼットちゃんの行動は、あの人達を縛ったけれど、同時にその後の事も面倒見るつもりだったんでしょう?」
「はい、そうです」
面倒を見るというよりも、街の細部を知る人間として都合が良かったというのが本音です。割り当てる仕事もあるだろう、と。
「じゃあ良いんじゃないかなぁ。結果としてその人達を幸せにすればいいんだよ」
「幸せに……」
そんな、犬猫みたいに。
「とてもシンプルでしょ? 何か仕事を与えてお金を渡して、もういいかなって思ったら解放すれば?」
「そんなことで良いんですか?」
「さぁ。どうだろう~」
「はぁ」
ほんとうに、それで良いのでしょうか……?
◇
「魔物を沢山殺したのも」
「うん」
「最初はそれが当然だと思いました」
イスフィールド領ではそうする事が当然です。そしてわたくしがやらなければ、洞窟の件も先生か我が家の騎士たちが対処したでしょう。
結果は変わりません。変わらなかったはずです。
「しかし洞窟で――」
「うん」
「赤ちゃんがいたのです」
そうです。赤ちゃんが居たのです。まだ周りの状況も理解できない様子の。
「そう」
「わたくしは判断しました。全てを等しく殺すと」
「辛かった?」
「――いいえ。当然だと判断しました。その子たちは、母の乳を飲み生きていたのです。つまり、わたくしたちの、まぎれもない敵でした」
その乳はなんの肉を食べて作ったのか?
答えはわかりきっておりました。
「そうだね」
「ただ、同時にそれで本当に良いのか、という自分もいたのです。説明しづらいのですが、考えと感情が分かれたのです」
母は悪かったかもしれない。だが子供は?
そしてゴブリンたちは、そうするしか無かったのではないか? そうする理由があったのではないか。
そこへと考えを向けようとする何かが確かにあったのです。
「そういうこともあるかもしれないね」
「チヨ様はどう思いますか?」
あれは魔物でした。しかし同時に赤ちゃんでもありました。その命を奪うことは、果たして正しいと言えたのでしょうか?
「うーん。これもまた難しい話だね。ただ、コゼットちゃんは貴族の娘として生まれたね」
「はい」
「だとしたら、広く物事を見ることが大切だと思うよ」
「わかります」
「これを放置したらどうなるだろう。かわいそうっていう感情で残したら、それが人を殺すかもしれない」
「はい。わかります……」
そう、わかります。だからこそ私はああしたのです。
ああするしかなかったのです。
「それがとても辛く思えたのです」
「そうだねぇ。まだ五才だもんねぇ」
「五才ならば許されるのでしょうか」
「私は許すよ。そして多分、先生もお父様もお母様もお兄様も皆が許すよ」
チヨ様がわたくしを撫でる手つきは、ひどく優しい。
「――けど」
「けど?」
「コゼットちゃん自身が許せるかはわからない」
言われてハッとします。
そうです。結局はわたくしなのです。
きっと、わたくしは「五才だから」と悩むわたくしを許せないでしょう。
だからこんなにも迷っているのでしょう。
「……はい、そうです」
「コゼットちゃんは真面目で偉い子だからね。きっともう理性は大人のそれ。だけど心はまだまだ柔らかいんだね」
「そう、なのでしょうか」
大人と言われ、少しむずがゆい気持ちになります。
「うんそうだよ。理性も考えも大人に近いものになってる。だから感情が引き留めても、それを押しとどめて計算できちゃう。それで心が悲鳴をあげちゃったのかもしれないね」
わたくしの心は、悲鳴をあげていたのでしょうか。泣いていたのでしょうか。
「そして、これはコゼットちゃんの問題。私は何も答えてあげられないんだ。そして、私は見ていてあげることしかできない」
チヨ様が優しくわたくしを撫でてくださいます。
ええ、そうです。
チヨ様は見ていることしかできないのです。
無責任も当然ではありませんか。無責任にしかなれないのです。責任を取る術が、チヨ様にはないのです。
だからこの悩みにも答えることができない。
それなのにチヨ様へと当たるようなことを。
わたくしはくよくよと悩んでばかり。
本当に恥じ入るばかりです。
「だけど、コゼットちゃんがどうしたら良いのか、私は知ってるよ」
「……どうしたら良いんですか?」
そうして、こうやって弱いわたくしは簡単に頼ってしまうのです。
チヨ様は変わらず笑ってくださいます。
それがとても暖かいから。
チヨ様が言っていた理性とやらが、簡単に感情に負けてしまうのです。
「今みたいに話すんだよ。辛いけどどうしたら良いですかって」
「話して良いのですか?」
「もちろんだよ!!」
「……誰にですか?」
「皆に」
「皆……」
「お父様、お母様、お兄様、先生、アントンさん、庭師の人たち、メイドの人たち、処理場の難民さん、今日痛めつけたゴロツキ、助けた男の子……」
チヨ様は思い出すように指折りながら数えます。
スライムがぷるぷる震えます。
「あとスライム」
「ピィエイ!!」
残念ですがスライム、あなたの答えはわかりきっていますよ。
”おいしいからもっと頂戴”でしょう。
答えになりません。
「相手は一杯だね?」
「それで答えが見つかるのでしょうか?」
「わかんない。見つからないかもしれない。けど、皆がそれぞれどういう答えを持っているかは聞けるね」
そうです。言われてみればとても簡単な話でした。
ゴブリンを倒す倒さないというのは、冒険者でなくてもどう思っているのか、聞くことができます。
とても単純な話でありました。
「そうなのですね。いつもと同じように頼れば良いのですね」
「うんうん。私はほら、大きな生き物を殺したこと、無いからわかんないんだよね。私は多分ゴブリンも殺せないなぁ。スライムならいけるかも」
カラカラとチヨ様は笑います。
それは本心からの笑いのようで。
わたくしはチヨ様のつかみ所のなさ、のようなものを改めて感じました。
「プギュギュウウ!!」
スライムが怒ったように震えながら伸びます。頭にはチョコクッキー。
「お? やるか?」
「ペギャ!!」
一瞬で潰されました。
見えない何かによって。
「ふふん、概念操作もできぬのに私に刃向かうなど……えーっと3日ほど早いわ」
だからわたくしの中で何をやってらっしゃるのですか? そして3日なんですか?
「概念ってなんですか」
「難しい質問だね!! ”潰れる”という結果から過程を引き出してスライムにぶつけたんだよ!! この空間では結果も課程も等価値なんだよ!!! もしくはギャグ漫画時空!! ――わかる?」
いいえ、まったくわかりません。
「まあ、それは置いておいて」
置いておいて良いようには思えませんが。
「私は何にもできないけれど、疲れた時に愚痴を聞いたりできるよ。だから沢山話して、コゼットちゃん」
「……はい」
その日は結局、床に敷く寝袋のような寝具――おふとん――に連れ込まれ、現実のわたくしが目覚めるまで、チヨ様の胸の暖かさを感じながら、お行儀が悪いかもしれませんが、たくさんお喋りをしました。
毎日の訓練が地味に辛いとか。
習い事の数がちょっと多すぎなんじゃないかとか。
そろそろスライムは投擲を覚えても良いんじゃないのかとか。
そういえばわたくしの魔法はどうなってるんでしょうとか。
ヘニングお兄様が優秀すぎて報告を見るのが最近少し怖いとか。
そろそろ先生の腹に一発いれてやりたいとか――。
たくさん、たくさんお喋りをしました。




