夢の部屋
「んふふー、コゼットちゃんかわいいねぇ」
「はぁ」
「髪さらさら、ほっぺたぷにぷに、大っきなおめめもかわいいねぇ」
「はぁ」
ごきげんよう、コゼットです。現在チヨ様に抱きかかえられております。
布のかかった低い机――こたつと呼ぶそうです――に座るチヨ様に近づいた所、目にもとまらぬ早さで抱き寄せられてしまったのです。
後頭部にふにふにしたものが当たります。花のような匂いもします。お腹の上にのせられた手からじんわり熱が伝わり、「こたつ」の中に入った足はぬくぬくと温かい。
なんだかクラクラした心地です。
こんなに人と体を近づけたことはありません。言葉にできない、不思議な気持ちがわき上がります。
本来であれば、貴族令嬢としては、はしたない事なのでしょう。しかし、相手は精霊様。人の姿をしておられますが、きっと人ではないのでしょう。
そしてなんとも……離れがたいと思ってしまうのです。
服は辺境伯令嬢であるわたくしから見ても上等な物。どのように色付けしたのが、花の舞う模様の下に染まるグラデーションが鮮やかで素敵な、透けそうなほどに薄い服。
わたくしの頬をつつく指はピンクでつやつやしており、人差し指の爪には魔方陣のような物が描かれています。
瞳はその髪と同じように、吸い寄せられるような黒。顔の形からして、わたくしとは違います。
白く果てが見えぬ空間、艶々とした石で出来つつも軽い机、なにより動く風景を閉じ込めた窓ーーテレビと呼ぶそうですーー。
このような空間や調度品を持ち、夢見るわたくしを呼び寄せる。
チヨ様は人を超えたナニカに違いないのです。
正直な所、わたくしは態度を決めかねておりました。
チヨ様はとても親しげで、その親しさをわたくしからも発して欲しいように感じます。
……本当にそうでしょうか。ひとつ対応を間違えただけで、わたくしのこの、小さな頭と体がグッバイするのでは……?
袋小路にはまってしまったわたくしに構わず、チヨ様しゃべりかけてきます。
「まさかコゼットちゃんがここに来るなんてねぇ。ずっとここから見てるだけだと思っていたよ」
「見ていた……ずっとみていたのですか?」
「そうだよー?」
机に置かれた棒を持ち、いくつか操作をすると、テレビの風景が変わります。
ベッドで眠るわたくしが見えます。
「わたくしが見えます……」
「うん、コゼットちゃんだよ」
枕にうつ伏せで、いつか見たウルフの全身毛皮のように、手足をはしたなく広げているわたくしを上から見下ろしています。
今、ここにある自分を見ます。テレビの中で寝ているわたくしと同じ格好です。頬に触れても感触があります。
まさかと思い手を見ても、透けているというわけでもありません。
「あの、わたくしはどうなったのでしょうか。ここはどこなのでしょうか」
振り返りチヨ様を見上げます。チヨ様はあごに指をあて、んーとしばらく考えるそぶりをしたあと、
「多分だけど」
「はい」
「ここはコゼットちゃんの中だよ」
「わたくしの……」
「そう。私はコゼットちゃんが生まれた時から、ずっとこの部屋であなたを見ていた。たまによそ見したりダラダラしたり、ゲームしたりおせんべい食べたり積んでた小説崩したりネットサーフィンとかしながら」
「げ……ねっと……?」
「ああ、まあ、見守っていたってこと。ダメな事しそうになったらダメだよ! って叫んだりとか」
嗚呼、やはりあの”声”はチヨ様だったのですね。
ずっと見ていてくださったのですね。
多大なる感謝と、大きな後悔が押し寄せます。
「……わたくしは悪い子でした」
心の底から申し訳ない気持ちで一杯になります。わたくしは失敗してしまったのです。
何かを間違ってしまったのです。その間違いに未だ気づくことすらできていません。
もう罰は下されてしまったのです。
もう、間違いを正すこともできないのです。
「ううん。コゼットちゃんはとっても頑張ってたよ。良い子、偉い子」
ぎゅっと抱きしめられて頭をなでられます。
抱えられて頭に口づけを落とされます。
暖かい。
「それでも、わたくしはチヨ様の期待に応えられませんでした」
「コゼットちゃんはまだ何も間違っていないよ。そしてまだ、何もしていない。五歳だもの。私のかわいいコゼット。大丈夫。私がずっと見てきた。もちろんこれからも見ていく。安心してコゼット。これはただの1日でしかない。昨日と、そして明日とも変わらぬただの1日。ずっと続くあなたの人生のたった一回の瞬きにしか過ぎない。お父様も、お母様も、お兄様たちも、屋敷の人たちも皆コゼットを見ていた」
「わたくしは間違っていないのですか?」
「ええ、1つも間違っていない。ただの1つも。あなたは誇り高いイスフィールド家が生み出した強い女。胸を張りこそすれ、背中を丸める必要なんて少しもない」
「……」
強い女。
ああ、そうです。イスフィールド家は代々魔物の脅威と戦ってきた一族。スライムがどうということなのでしょう。1万でダメなら2万で、2万でダメなら10万を集めて押しつぶせば良いのです。
とてもシンプルなお話でしかなかったのです。
わたくしはコゼット・イスフィールド。生まれたその瞬間から強いことを定められた女。
景色が歪みます。
わたくしは何も間違ってなどいなかったのです。少しばかり特殊な職能を授かっただけでしかないのです。
腕がなくなったわけでも、足がもがれたわけでもないのです。魔物たちを退けるのになんの不都合がありましょうか。
「コゼットちゃんは静かに泣くのね。大丈夫。明日になれば全て元通り。いつも通りの朝が来るわ」
「……はぃ……はぃ……」
大丈夫、大丈夫と、繰り返すチヨ様の声に、わたくしはしばらく揺られていました。
◇
「落ち着いた?」
「はい」
「よし!!」
しゅたっとチヨ様が立ち上がります。
完全に身を預けていたわたくしはころんと転がりました。
「あ、ごめん」
「いえ」
「で、<スライム使い>なわけだけれど、これは特に問題ないわ!!」
机の向こう側に周りこみ、わたくしの前に立ったチヨ様はびしっと天を指さしました。
「そ、そうでしょうか」
「そうよ!!! まだ何が出来るかもわかっていないもの。凄いかもしれない!! 凄くなくても、聞いたことない職能なんでしょう?」
「はい」
「普通は<魔物使い>とかなんでしょう?」
「そう聞いています」
そうです。良く耳にするのは<魔物使い>です。魔石を持つ動物たちを従える事に適正があります。
「じゃあ<魔物使い>にはスライムを使役できないんじゃないかな!?」
「え、はい。そうかもしれません……?」
スライムには魔石はありません。そう聞いています。かといって動物でも植物でもない。意思があるのかもよくわからない。
なにもかもわからない。それがスライムです。
「あなたにしか出来ない何かがあるんじゃないかな? それは戦闘に向くかもしれないし、向かないかもしれない」
「そう、ですね」
「落ち込むのはそれを知ってからでも遅くないわ!!」
「確かに、そうかもしれません。いえ、そうですね」
まずは知ること。シチューと同じです。
あの頃わたくしは何も知りませんでした。一杯のシチューにどれだけの時間と労力がかかっているのかも知らずに、ろくに考えず無駄にした。
<スライム使い>も同じです。わたくしはそもそも、スライムは「とにかく弱くて邪険にされている」くらいの知識しかありません。知識とすらいえません。
「そもそもの話ね。神様が無駄な職能を授けるかな!?」
「……!!」
そうです。職能を授け下さるのは職能神さまです。それをよくも知らず無下にするのは、神に背を向けることと同義です。
「目が覚める思いです」
夢の中ですが。
「そうでしょう!!」
胸を張るチヨ様。
職能と道を違えるにしても、その職能について、良く知ってからでも何も遅くはないはずです。何か意味があるのです。
わたくしである意味がある、と思ってしまうのは、うぬぼれなのでしょうか。
「さて、次は私の話をしましょう!!」
「チヨ様の」
「そう!! 私が何者なのか、どういう存在なのかよ!!!」
◇
「――というわけで、私は地球という場所の日本という国に生きた普通の平民なわけね! 死んだけど!!」
こんなに明るく死人宣言をする人がいるのでしょうか。
いや、いるのでしょうね。
チヨ様のお話は、とても信じがたいものでありました。
この世界とはまた違う、地球という星の日本という国のお話です。
そこには魔法ではなく科学という力で火を起こしたり水を流したりしていたそうです。馬の無い鉄の馬車が走り、空には百人以上の人を乗せた鳥が飛び、海には島のような船を浮かべる。
チヨ様に抱きかかえられ、テレビで色々な風景を移ろい、説明してくれます。
チヨ様の世界では、騎士は一度攻撃を受けると裸になってしまうとか。でも1秒くらいは無敵になるから大丈夫らしいです。すごい!
「コゼットはかわいいねぇ。全部信じてくれるねぇ」
「はい! チヨ様のお話は全て不思議でとても興味深く思います」
「かわいいねぇ。こんな妹が欲しかったなぁ。チョコレートあげちゃう」
口元に黒い板が近づけられます。食べ物なのでしょうか?
とても良い匂いがします。チヨ様の世界の食べ物なのでしょうか。
好奇心に負け、はしたないですが、少しかじります。
途端に口に広がり鼻から抜ける、濃厚な香り。強烈でとろみのついたような甘み。溶けてもまだそこにあるような存在感。
「とてもおいしいです!!」
「おいしいよねぇ。けど食べすぎると飽きちゃうから、ほどほどが一番だからねぇ」
「はい!」
なんという甘味。口を大きく開けて頬張りたいと、よほど思いましたが、貴族として、チヨ様の前でもあるためギリギリ踏みとどまり、少しずつ食べます。
「まあ、そんなわけで、そういう世界に住んでいた私は、色々あって死んで、気づいたらコゼットちゃんの中にいたわけだ」
「色々あったわけですか」
「そうよ。人並みに色々あったわけよ」
なるほど。色々あったのですね。
「私も原因はわからない。向こうで私は特別な存在なんかじゃなかった。普通に生まれて、普通に生きて、まあ、最期は人並みにちょっとだけ後悔しながら死んで、今はここにいる」
「後悔したんですか?」
明るい様子のチヨ様を見れば、「死んだ」という事すら信じられません。
お話を信じると、チヨ様がお亡くなりになって5年です。ずっと悲しんでもいられない、ということかもしれません。
「そりゃするよ。見て!! このみずみずしいボディ!! 使いもせずにおっちんだわ!!!」
「おっち……」
胸を張るチヨ様。後頭部に当たる圧力が強くなります。確かに、お若く見えます。
見た感じであれば、わたくしから20は離れていないように思えます。
活発なご様子からも……いえ、女性の年齢を詮索するのは、はしたない事ですよね。
チヨ様は不思議なお方です。平民だと言いながら、喋るお話は湯水のように湧き上がり止まらず、わたくしの心を惹きつけます。親しげでありながら、優しくもあり、いつかの”声”のように厳しい時もあります。
……姉とは、こういう存在かもしれないと不遜にも思ってしまうのです。
「異世界転生というか、転移というか」
「異世界? 転生?」
「そうよ。私からすればここは異世界で、コゼットちゃんの中にいて赤ちゃんからずっと見てたから転生と言えば転生ね。コゼットちゃんの体はコゼットちゃんの物で、私は意識だけの幽霊みたいなものでもあるから、転移といえば転移だわ」
「なるほど……」
「まあ、考えても答えなんてきっと出ないわ。降ってわいた人生のロスタイム、コゼットちゃんの中からダラダラごろごろ過ごす心づもりよ。うまー棒をコンプリートしてやるわ!!」
「は、はぁ……」
ロスタイムとかうまー棒とかが何かはわかりませんが、チヨ様に特に不満はないようです。
わたくしも、まぁ……不満はありません。ずっと導いてくれていた”声”。こうやって顔を合わせてみて、温もりを感じ、知れば知るほど、親しみのようなものを覚えずにはいられません。
これからも一緒にいてくれるならば、これほど心強いこともまたありません。
「で、これからの話ね。実はこれが一番大事。本題なの。これを見て欲しいのよ」
「はい」
チヨ様がテレビを操作して風景が変わります。
そこには、憎しみさえもたたえたように、表情を歪めた女性が写っておりました。クリーム色の髪を軽くウェーブさせ、青い瞳の美しいお方。しかしその表情は言い表せないほどに恐ろしい。今よりもかなり若く見えますが、お母様にどこか似ているとも思えます。
「わたしのかわいいコゼット。これはあなたよ」
「え?」
「あるかもしれない、未来のあなた。誰からも愛されず、誰からも見捨てられてしまった、かわいそうなコゼット」
「これがわたくし……」
わたくしは呆然とテレビを見るしかありませんでした。
聞くに堪えない言葉を吐き、地べたに押さえつけられながらも憎悪に燃える目だけは抵抗の意を示し続ける。
「私のかわいいコゼット。どうか目をそらさないで。この未来があるかもしれないことを胸に刻んで」
チヨ様がわたくしの頭に口づけを落とします。
ああ、ならばわたくしは見なければいけないのでしょう。自分の未来を。来るべきかもしれぬ運命を。
目をそらさずに。
大切に、大切に――。
「そしてルパンという稀代の盗み人がいて、それをゼニガータという特別騎士が追いかけるわけ。どこまでもよ。国の境すら彼らには関係ないわ! なんせ稀代の盗み人と特別騎士なんですもの」
「すごいわ!!」
「桃を意味する名を持つ姫は、必ずさらわれてしまう運命を持っているの」
「そんな!」
「だけど城下町に住むマリーオという鍛冶師が必ず助け出すの!! マリーオは凄いの。剣を持たないけれど、鋼の肉体を持ち、空を駆け抜け、時には猫に変身して人の二倍の体躯を誇るのよ」
「それならば安心ですね!!」
「んーかわいいー!」
チヨは基本お調子者です。