プロローグ
わたくしの名はコゼット・イスフィールド。広大な魔の森に住まう魔物たちからの脅威から、国を守る辺境伯領の娘。兄が二人、姉妹はおりません。
我がイスフィールド領は、魔の森の魔物たちを狩るために屈強な騎士たちを抱え、常時魔物たちと戦争状態と言って良い状況です。他の領では狩人といった職があるとは聞きましたが、この領にはおりません。騎士か冒険者か傭兵たちがガハガハ笑いながら、剣とか弓とか杖とかを振り上げ魔物を血祭りに上げる。食卓に上がるのはキラーラビットの肉。そんなアットホームな素敵な領です。
ちなみによくある笑い話は、
「昨日肉を噛んでガリっときたら魔石だったぜ」
「俺は一昨日それだったぜ」
「食ったら全部一緒だ」
「「「HAHAHAHAHA」」」
というものらしいです。素敵ですね?
残念ながらわたくしは「それ」になったことはありません。
イスフィールド領の背後にある領地や王都の人々が、ぬくぬくのんびり暮らしていけるのは我が領のおかげ。魔物たちを退治してくれてありがとう、魔の森から来る富をもたらしてくれてありがとう、守ってくれてありがとうーーというわけです。
そんなわけで、周りからはお嬢様、姫様なんて呼ばれて大切に育てられてきました。
まあ、そういった領は我が領だけではありません。他にもいくつか辺境伯領があり、それぞれ隣国や海への睨みをきかせたりしているわけです。
……そういうふうに頑張っていても、影では野蛮人とか田舎貴族だとか言われているようですけれども。まあ、気にはしません。そういう奴らは殴ったら死ぬ奴ばかりだ、悔しくて口で吠えるしかできない奴らだ、というのがお父様の口癖です。お父様がそういうのですから、そうなのでしょう。
確かに、口で何を言っても、フォレストウルフは待ってくれはしないですからね。羊ですら後ろ足を蹴り上げ抵抗するのです。力こそ何物にも勝る絶対権力です。
――さて、わたくしの話をしましょう。
わたくしは物心ついた頃から”声”が聞こえました。それは耳元からのようであり、胸の中からのようでもあり。
別に頭がおかしいわけではありません。……たぶん。
最初に聞こえた”声”は、3歳の時。なんだかイライラした気持ちの時に、紅茶のカップの持ち手がわたくしから向かって左側にあって、それがどうしても許せなくて怒ってしまいました。
カップをたたき落として、頭を下げるメイドをにらみつけます。
なんとも言えない気持ちが湧き上がります。
こんなメイドなんて要らないわ!!
そう、口を開こうとしたその時。
《ダメよ!!》
突然、これまでに聞いたことの無い声が聞こえました。驚き、辺りを見回しました。もちろんなにもありませんし、居ません。居るのは青い顔をしたメイドのマーヤだけ。
「お、お嬢様」
「え? ええ……も、もういいわ」
「はい、申し訳ありませんでした」
「ええ……」
完全に私の気持ちはどこからかの声にそれて、メイドの粗相(その時のわたくしからしたら粗相だったわ)なんてどうでもよくなって、しばらくその声について考えていました。
◇
声はそれからも聞こえました。挨拶をしてきた騎士のアゴヒゲが汚く思えてクビにしようとした時、目に入った庭師が土で汚れていて目の前から消えるように言おうとした時、メイドの首飾りがとても綺麗で貰おうとした時(後から聞けば、彼女のお母様の形見だったようです)。
いつ見られているのかわからないから、お稽古にも力が入りました。教師たちはとても喜んで、わたくしに色々と教えてくださいます。おかげでお勉強の楽しさを知れました。知識が増えるのはとても良いことです。
訓練なども始めました。”声”がどういう存在かわからない以上、敵になるかもしれないからです。まだ簡単な体力作りと身を守る体術くらいですが、筋が良いと褒められております。
特に凄かった”声”が、夕食のシチューが気に入らなくてひっくり返した時です。世界が揺れたと感じるほどの強烈な”声”で食べ物を無駄にするなと言われ、言い知れぬ重圧に苛まれながら三日ほど震え祈り続ける日々を過しました。
後になり、シチューを作るまでに農民や商人や騎士や冒険者・・・たくさんの人々が関わり多くの日々を費やしている事を知りました。そんな人々の生活を管理し安寧を保証するのがわたくしたち貴族です。
つまり、わたくしたちの仕事の結果、領民たちが日々を暮らすことができ、巡り巡ってシチューができあがるとも言えるのです。もっと言えばわたくしはただの子供です。仕事をしたのはお父様たちです。わたくしは何もしていません。ただただ貰うだけです。
感謝こそすれ、無駄にするなんて!!!
強く怒られるのも当然な事です。
さらには人が生きるのには食べ物が必要です。それを自ら捨てるなどそもそもあってはならぬこと。
理解し、強く反省してから重圧はなくなっていました。
”声”はいつだってわたくしを引き止め、留まらせてくれました。
……振り返るとろくでもありません。なんてわがままな娘。
”声”が聞こえなければ、それこそ魔物のような女ができあがったことでしょう。イスフィールド領が産みだした人の皮を被った魔物。気に入らないもの全てを消し去る恐怖の女。皮肉にすぎて怖気すら走ります。
「あなたはなぁに? 神様なの? 精霊様?」
聞いてみても答えてなどくれません。ただ、悪いモノとはとても思えませんでした。”声”からはいつだって、優しさみたいなものを感じたのです。そして振り返ってみても”声”はいつだってわたくしを正しい方向へ導いてくださっているように感じました。
わたくしは”声”を精霊様だと思うようになりました。
◇
「あなた様の『職能』は<スライム使い>です」
「は……?」
神父様がなんとも言えない顔でわたくしを見ています。
わたくしは5歳になり、お父様に連れられて教会へと来ていました。「職能」を貰い受けるためです。
生まれて初めてのお外です。うんとオシャレをしてもらい、お父様に抱っこされて、馬車に乗せて貰いました。
がたがた揺れる床、色とりどりの町並み、沢山の人。領主館の外はこんなにたくさんの人が街にはいるんだと思いました。
教会もとても大きく、ステンドグラスが煌めき、様々な神様の像が素敵でした。
個室へと通され、言われたのが「あなたは<スライム使い>です」というわけです。
磨かれた水晶には、わたくしの顔が反射して写っています。クリーム色でストレートの髪に青い瞳。周りからは人形のように愛らしいと言われますが、まあ、お世辞でしょう。表情をどう頑張っても変えられないところなどは、なるほど人形と言えなくもないとおもったりはしますが。
「職能」はわたくしたちの人生を決めるためのとても大切な指針です。職能神より貰い受ける「職能」は、その道に対して大きな適正を持つことを示します。もちろん無視しても構いません。「職能」と「職業」は別のものです。しかし、大成はしづらいです。例外はいるようですが。
例えば<魔法使い>の適性を持つ人は、多くの魔法特性を持ち、強力な魔法が使えるようになる可能性を持ちます。<農家>なら感覚で畑の善し悪しがわかるとも聞きました。
「……あの、神父様、<魔物使い>などではなくですか?」
「ええ、間違いありません。<スライム使い>と出ています」
お父様の問いに神父様が答えています。
<魔物使い>は魔物を従える職能です。配下にした魔物の考えている事をある程度理解できます。ウルフを従えれば斥候に、ベアなどを従えればタンクにもなる、非常に柔軟性に富んだ職能です。デメリットとして食費がかかったり宿に困ったり、他領では街に入れなかったりすることもあるという話です。魔の森を抱えるこの領では様々な活用法があり、歓迎されやすい職能です。
お父様の顔色がどんどん悪くなるのがわかります。
嗚呼……。
狭い個室の中の空気がどんどん悪くなるのがわかります。重いというか張り詰めるというか。
神父様の汗の量がみるみる増えるのがわかります。
この様子では嘘ではないのでしょう。
わたくしの職能は<スライム使い>なのです。
スライムは最弱とも言える魔物です。どこにでも居て、いろんな種類がいて、とくに役にも立たず、誰も見向きもしません。ぷるぷる震える、丸い半透明の何かです。魔石すら出しません。
植物かも動物かもよくわからないから、とりあえず魔物だと言われています。
街に入れば家の壁を溶かし始めるので足で蹴飛ばされたり、片手間で潰される。そんな魔物。
貴族は領民を導く義務があります。イスフィールド領では常に危険が隣にあることもあり、我が家は代々「職能」に則した役割をこなしてきました。
代々「強くあること」が求められてきた我が家は、「職能」への適正もすさまじいらしく。<剣士>なら剣を持ち多くの魔物を屠りハンティングトロフィーは手土産に王都で配るほど、<魔法使い>なら風魔法で森を切り開き土魔法で砦を作り上げ、<農家>なら畑を見て回り領地の自給率へと大きな貢献をする。まさに一人が千人力の働きをするのです。
お父様もまた<剣士>の職能を頂き、2メートルを超える素晴らしきお体を持ちます。光り輝く逆三角形。顔に走った爪痕すらも凜々しきお顔を飾るアクセサリーに過ぎません。いつかその口元のおひげを触ってみたいものです(触れるのはお母様だけらしいです。お熱いことです)。魔の森から帰ってたら聞かせてくださるお話がいつも楽しみなのです。
普段から表情が変わらず、「イスフィールド領の人言を喋るオーガ」と親しまれるお父様の口元が今は5ミリも下がっております。
背後にどよどよとしたオーラが見えるよう。
「……そうか。これは寄付だ」
「は、はい!!!」
結局、どよどよしたお父様の雰囲気は変わらず、わたくしもなんといったら良いかわからず。
行きはワクワクした道のりも見ようとも思えなくなり、自分はどうしたら良いのか、と自問を繰り返すばかり。
心ここにあらずで気がつけば夜で、私室のベッドの中です。
途中、お父様から何か言われた気がしましたが……。おそらく生返事をしてしまったことでしょう。わたくしはダメな子です。
<スライム使い>……この職能でどう領に貢献しろというのでしょうか。役に立つはずがありません。幼いわたくしにも棒で叩けば倒せそうな魔物です。そんなスライムを使ってわたくしにどうしろと。
他の道を選ぼうとも、イスフィールド家の名に恥じぬ働きができるとも思えません。
とはいえ、スライムを使役することに千人力だとして、果たしてそれが一人分の力と言えるのか。万のスライムを従えたとして、フォレストラット一匹に殲滅させられてしまう気さえします。
「うう……」
ベッドに顔をこすりつけ、静かに泣き続けます。きっとわたくしは悪い子だったのでしょう。これ以上、わるいことができないように職能神さまが罰を与えたに違いありません。
嗚呼、あの時のシチューが悪かったのでしょうか。
おそらくそうであったのでしょう。なんと罪深きこと。
精霊様にも申し訳が立ちません。
後悔しかありません。
◇
気がつけばわたくしは白い空間にいました。きっとこれは夢です。泣き疲れて眠ってしまったのでしょう。
上も下も前も左右も。どこもかしこも全部白。どこまでも続く白い空間。
そんな中で、動く絵を見ながらバリバリ何かを食べる、地面に座る女の人がいました。
女の人はわたくしに背を向けています。
とても艶々した、ショートカットの黒い髪。夜のように黒い色の髪は初めて見ました。少なくともわたくしが住んでいる館にはいませんでした。
「……あの」
「お? あれ? コゼットちゃん?」
女の人が振り返ります。
それはとても聞き覚えのある”声”で。
「精霊様……?」
「ふふ、なにそれ」
女の人は優しく笑いながら、手招きします。
知らない人なのに。
わたくしはふらふらと、吸い寄せられるように女の人に近づきました。
「私はさ……えーっと姓は貴族だけが持つんだっけ? チヨよ。ただのチヨ」
「は、はい。わたくしはコゼット・イスフィールドです。イスフィールド家の長女です」
「ふふ、知ってるー。さ、座って」
精霊様はとても親しみやすい方のようです。