7月10日——首都が炎上した夜
ミサイル第1撃で、街全体が停電していた。信号機さえ動いていない。交通が混乱し、交差点で車が立ち往生していた。
都営団地と登の家は路面電車の駅で3つ離れている。義母とあの娘がいるとはいえ、ともかく、今は帰らなければならなかった。
愛情というより、男としての義務感だった。
走りながら、登は計算を続けた。第1撃が的確に変電所を狙ったとすると、当然、官庁街などの重要ポイントも狙われている。問題は十字台だ。ここには国防隊の補給司令部がある。攻撃対象になってもおかしくない。
「逃げろ!」という声が口々に聞こえる。だが、誰もどこへ逃げろとは教えてくれない。真っ黒な街路の中で、車のヘッドランプだけが光っている。逃げまどう群衆の顔が、ヘッドランプに照らされて、またすぐに消えた。警官たちも「群衆の数が多すぎます。避難場所などの指示を願います。警察署《PS》、応答願います」と、応答のない無線機に指示を求めている。
「伏せろー!」
誰かが叫んだ。「伏せろ」「伏せて」という複数の声が波状に重なった。彗星のように青白い光が、夜空を一瞬横切った。そして数秒後に花火のような破裂音。建物や街路樹の陰で、何も見えないが、空の一部が赤く染まった。
悲鳴が、あたりにこだました。
登は、路面電車の線路沿いに走った。自宅の玄関に走り込んだとき、ようやく空気が湿っぽいことに気づいた。よく見ると、小雨が玄関や壁にまとわりついている。
明かりの消えたリビングに駆け込んだ時、登は一瞬立ちすくんだ。
テーブルの下で、義母がうずくまっていた。
「怖い……」
室内よりも外の方がぼんやりと明るかった。
白い光が一瞬横切った。そして、また爆発音と震動。
そんな中、あの娘が、窓辺に立っていた。
「我が留加の光よ……」
祈りを捧げるような静かな声。
鳥肌が立った。
「誰だ、お前……」咄嗟にそう言っていた。
あの娘は、登の方を少し見た。
「私は、留加めぐみ」
登は苛立った。
「どうせ、偽名だろ」
外でオレンジ色の閃光が走った。大音響とともに家屋全体が軋んだ。
「きゃー!」義母の悲鳴がこだました。登も立っていられなくなり、テーブルにすがりついた。
「十字台高校に着弾した……」
留加めぐみが、そう言った。
登は思わず掴みかかろうとした。だが彼女は蝶のようにひらりと、それをかわした。
床に膝をついた登が、目を血走らせた。
「誰なんだ!」
「私の名は邦城小礼。留加国最高指導者、邦城雄一郎の孫娘」
(え?)
登は呆然とした。だがすぐに我に返った。
「お前……お前、お前」
異常事態の中、思考が空転する。
「どう思ってるんだ?」
やっと出て来たのは、それだけだった。
「どうって?」
「お前らのせいで、こんなことになってるんだぞ!」
娘はふーんと鼻を鳴らした。
「あなたの親父は、罪なき留加の民を殺戮している。そもそも、あなたたちは留加の民がどれぐらい死んでいるのかさえ、知らない」
今の登には、返す言葉が出てこなかった。ただ、睨むだけである。
だから、小礼は歯牙にもかけなかった。
そしてこの夜、東京都立十字台高校は炎上した。
政府軍戦死者【246名】戦傷者【492名】
留加人民被害数:不明