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新事変―初瀬登のいちばん長い夏  作者: 居木井 丈晴
第1章 開戦
6/8

とんかつと不信

 のぼるは再び都営団地に足を向けた。

「こんにちは、お邪魔じゃまします」

「あら、登ちゃん」

「お邪魔してもいいですか?」

突然の訪問だったが、おばさん(景子の母)は、驚かなかった。

「いいけれど。景子は、部活でいないわよ」

「知ってます」

「夕飯はどうするの? 景子から一応連絡は受けてるから、準備はあるけど」

「食べて行きます」

「そう」

 おばさんは、台所で夕食の準備に忙しい様子だった。登は、リビングに座った。おばさんは、豚肉をパックから取り出している。

「お父さん、忙しいの? 統合幕僚長だもんね」

「ええ、まあ」

「このあたり、国防隊の施設が多いでしょ。だから最近、軍の車が多くなったわよね」

「ええ」

十字台区じゅうじだいくは、明治時代から軍の兵站施設がある「軍都ぐんと」であった。現在も国防隊十字台駐屯地、国防隊十字台補給司令部が立地する。


「学校の隣でしょ、補給司令部は……。最近忙しそうね」おばさんが聞いた。

「最近、機密保全きみつほぜんのために、高い塀で目隠しされました。だから中の様子は、よく分かりません」

「そうなの。でも、きっと忙しいわ。お父さんもずっと勤めてらして……。隊員さんの必要なモノは全部、調達しないといけないですものね」


国防隊十字台補給司令部が、事変発生と共に忙しくなったのは周知の事実だ。作戦行動に必要な物資、弾薬、糧食は、十字台ここに一度集められてから、前線へさばかれていったからである。

施設科出身の親父もここには縁が深い。コネで出世する前は、「十字台補給司令部の番人」と揶揄やゆされるほど、長く十字台補給司令部に勤務していた。在任期間があまりにも長かったため、今の家を買ったのである。

(あの家には帰りたくない。あんな若い義母の存在のために、俺はどんな酷い目にってきたか。しかも、あの得体の知れない少女までいる)


 登は呪詛じゅそのような言葉を、心の中で呟き続けている。人は、下品な方向にしか想像力を働かせない。

戦争の勝者と敗者、男の主人と女の召使めしつかい。この状況では、誰もが性的な関係(それも強姦ごうかん)を連想する。特に女の話に興味津々《きょうみしんしん》な男子高校生は、「ヤッたのか? オイ~」と詮索せんさくするに決まってる。あのクソ親父め。息子の立場というものを理解していないのか?

 次第しだいにイラつきが、貧乏ゆすりとなって、床を鳴らし始めていた。

「登ちゃん」

あ、はい。

 台所で作業していたおばさんが顔を出した。ほとんど上の空で、おばさんの言ったことが分からなかった。

「え?」

「とんかつ、今日の夕食はとんかつだけど、いい?」

「あ……。ええ、とんかつ大好きです」

「なら、よかった」

 おばさんが、顔をひっこめた。他にすることもないので、登も台所の方に行って、おばさんが、豚肉に水で溶いた小麦粉をつけている様子を眺めた。

「おばさん、卵使わないんですか?」

「使わない方がいいの。そっちの方がからっと上がるから」

 おばさんは、豚肉をパン粉の上で丁寧に転がした。その動きがとても滑らかで、とても頼もしかった。

「登ちゃんは、部活とかやらないの?」

 手を動かしながら、おばさんが聞いてくる。

「……帰宅部です。特に興味ないです」

「そうなんだ。ウチはね景子が運動部でしょ。肉ばっかり欲しがるの。プロテインを好むから、大変、大変」

アーチェリー部所属の景子は、実は結構筋肉質だ。そのため肉料理を好む。手を止めないで、おばさんが言った。

「登ちゃん、お義母かあさんには連絡してあるの?」

義母ははには、一応……」

「そう」

 嘘だった。とにかく、そういうことは今は面倒だった。

 赤みが強い、夏特有の夕日がベランダに差し始めていた。クラックの入った団地の壁にオレンジの光がみ込んでいく。

「今日は晴れたけど、また明日から雨が続くんだって」

「そうらしいですね」

テレビは消してあったが、付ける必要があるとは思わなかった。

「大変ですよね。洗濯が出来ないと」

「そうなの。部屋干しだと生臭くなるから大変。景子が部活で使うジャージとかタオルとかを洗濯しないといけないのに……」

「今度、台風が来ますよね」

「そう。もう5号でしょ。多すぎる」

鍵の開く音がして、「ただいま~」という声がした。リビングに入って来た景子に、登は手を申し訳程度に軽く手を挙げた。

景子はちらりと登の方を見てから、テレビのリモコンを入れた。

「お母さん、お風呂、先入る」

「わかった」

 テレビでは、天気予報が流れ始めていた。

 おばさんの言う通り、台風が来そうだ。

 景子が家用ジャージを着て、髪を拭きながら現れた時、報道番組は留加国特集の真っただ中だった。


 それはどの報道番組でも同じだった。まず最初に留加大社に参拝する人を、モザイクのかかった画像で紹介する。意図的に”カルト教団を潜入取材したという風”に加工している。これにより留加大社が、得たいの知れない宗教団体であることを視聴者に印象付けている。

 そして、政治評論家や国際政治学者を名乗るコメンテーターが、これらをあげつらい始める。事変開戦以降、政府の圧力を受けたテレビ局はコメンテーターを政府系、あるいは政府にとって無害な「中立系」で固めるようになった。

「そもそもですね、留加大社などというのは、本土の神社とは全く違うわけです。本土の神社では人をまつるものですが、留加では『鏡の世』などという異世界を祀っている。完全に異端なわけです。更に大社の巫女に未来を予言する超能力がある——などと言いふらしている。そんな怪しげなカルト教団まがいの宗教を軸に結束しているのが留加なわけです。そうした異常な集団を相手にしているため、日本政府や国防隊の活動は難航しているわけです」


「つまんねーの……」

 景子はもう一度、髪を拭くと、チャンネルを変えた。

「アニメとか見ないの? 登は」

「見ないよ」

「”あの時”はいつも見てたじゃん」

「もう小6の時の話だ」

 登の実母は、登が小学6年生の時に急性くも膜下出血で死んだ。親父は海外派遣中で不在、しかも任務の関係上すぐには帰国できなかった。

そこで、一人っ子の登は、2ヶ月ほど家族ぐるみの付き合いがあった吾妻家に引き取られた。初瀬家の親族はいずれも遠隔地にいて、登を引き取る余裕がなかったからである。

「ねえ、登。なんかあったの?」

 景子は、登の顔を覗き込んだ。

 台所から油の爆ぜる音が響いていた。

 甘いシャンプーの香りと、しっとりと湿った肌の感触が間近に感じられた。登は少し身じろぎした。

(言ってしまうか? あの少女のことを……)

 登は自問自答したが、次の瞬間口からは「なんでもないんだ」という言葉が吐き出されていた。

「なら、いいけど」

 言えなかった、やはり。

 万が一、景子の口からこのことが漏れれば、学校で変な噂を立てられる。そうなれば、登の立場はない。

(人なんてアテにならないんだ、俺の問題は俺だけで何とかしないといけないんだ……)

 そうこうしているうちに景子は、台所へ行ってしまった。

「お母さん、とんかつ、まだー? お腹もうペコペコ」

 底抜けに明るい景子の声が、聞こえて来た。

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