ゆがむ教室
留加めぐみが来た日の夜、よく寝付けなかった。
いきなり来た同年齢の少女のことで、無性にイライラした。
仮にも、家に自分と同年代の異性がいると、周囲に発覚したらどうなるか。
間違いなく、クラスの男子から「どういう関係なんだよ?」とか、もっと露骨には「ヤッてんのか?」という嫌らしい詮索が行われる。
考えただけでも、ハエが頭の周りを飛び回るようで、本当に嫌だった。
(クソ親父は、こんな俺の状態をちゃんとわかっているんだろうか……)
登は、そもそも性的なことが嫌いだった。男子と話す時はいつも下ネタを振られないか、身構えてしまう。
(それなのに……)
登は苛立たしげに寝返りを打った。だが、いつの間にか、登は眠ってしまっていた。
次に目を開けた時、枕元に置いていたスマホの画面を見ると、ちょうど午前六時半だった。
「おはようございます。ご主人様」
めぐみの声と、ドアをノックする音。
「朝食の準備が整いました。失礼いたします」
「おい、やめ……」
登が止める前に、めぐみは部屋に入ってきていた。
熱帯夜の続く中、寝巻は汗だくになっている。とても同年代の女性に見せられたものではない。
だが、めぐみは、登のスウェットを手早く脱がせた。そしてズボンに手をかけた。
「失礼します」
「お、おい……」
脱がせるときに、彼女の指先が登のパンツに触れた。しかし嫌そうな表情もしなかった。むしろ、登の方がドキリとしてしまった。
めぐみは、かいがいしく働いていた。
(少女、それも赤の他人に着替えまで手伝わせる男って、今時いるか。あのクソ親父には分かんないかもしれないが、オレにもプライドがある。
こんな昔の大名みたいな時代遅れなことを喜ぶ人間だと思ってるのか!)
登は、心の中で親父に対する呪詛を唱えた。
「行ってらっしゃいませ」
めぐみの澄んだ声に見送られて、登は家から逃げだした。
幸いにも、学校の人間には、まだ何もバレていなかった。しかし、それも時間の問題であると思うと、登には憂鬱であった。
昼休み、登と豪太は昼食を一緒に食べることにしていた。
よく晴れた昼休みで、ぽかぽかと教室の中が温かく、眠気をもよおす。
「小さくなったよなぁ」
昼食用のたまごサンドを見て、豪太がぼやいた。
「何が?」眠気から急に醒めて、登は瞼をぱちぱちと動かした。
「昔は、もっと一杯たまごが入ってたよ。でも今じゃほとんど入ってない」
たまごサンドを割って見せると、中身がほとんどないことが分かった。
「そうだな」
登は頭を掻いた。
「他のもそうだよ。コンビニのケーキドーナッツだって、メッチャ小さくなったよ」
「言われてみればそうだな。でも、プリンやゼリーの減量に比べればマシだな。あれは容器の横幅を異様に絞って、小さくしてるし」
「そうそう……まったく留加のせいで」
温和な豪太が、誰かを罵るのは、珍しかった。
思わずぎょっとして、登は豪太の顔を見つめ直した。
「だって、そうでしょ。あいつら日本からの独立とかいって、今じゃ留加国っていうのを作ったんでしょ」
内戦勃発直後、留加県は日本国からの独立を宣言した。そして「留加国」を建国、邦城留加県知事がその初代総理大臣に就任している。
<留加国国旗>
「日本から勝手に独立してさ、それどころか日本人を殺すなんて……そもそもなんであいつら軍隊持っているの?」
「まあ、留加県の特殊事情を重視して、留加県に駐屯している国防隊部隊は留加人中心に編成されてたらしい。それが仇になって、多くの装備や兵器が向こう側の手に落ちたわけだ。それで政府軍も苦労してる」
「さすが、登は詳しいよね。お父さんが幕僚長だもんね」
「別に。ネットで聞いただけの情報だよ。クソ親父は何にも教えてくれない」
父親が政府軍制服組トップであるため、登はクラス内では”国防大臣”や””軍事評論家”のように扱われている。
「なあ、初瀬」
クラスで”悪ふざけ組”と見られている榎木が、急に登のところに来た。
「戦争はどうなんだよ、”国防大臣”」
(またその質問?)
登は、うんざりしていた。
「防衛機密だ、親父も僕には戦争の事は話してくれないよ」
「なんだよ……」露骨に失望の色を見せて、榎木が口を尖らせた。すぐに次の獲物を探すような目でクラス中の人間を物色し始めた。
(こういう、やたら首を突っ込んでくるヤツは困るな……)
登は、ともかくお弁当を食べた。これは留加めぐみの作ってくれたものだが、榎木も豪太も幸い気づかなかった。
そうこうしているうちに、榎木が新しい”獲物”を見つけた。
「オイ、渋川。留加人は、みんな磔になるんだってさ。ネットで言ってるよ!」
榎木は、にやついていた。白い札を制服に付けた渋川恵美は、一瞬顔をゆがめたが、すぐに笑顔を作った。
「そうなの、大変なの……」
「やめなよ」
景子が庇うように立った。
「<敵>をかばうのか……<非国民>……」
榎木が鼻白んで、ぶつくさ言いながら、教室の外へ出て行った。
景子は「だせえ奴」とその背中に吐き捨てた。
「恵美ちゃん、教科書取りに行こう」
「うん」
景子は恵美を連れて、ロッカーの方へ歩いて行った。
ちょうどお昼休みが終わりかけていた。豪太が急に「ちょっといい?」と言った。豪太は手を組んだまま、じっと手元に視線を落としていた。
「勝ってるよね」
豪太が突然そう聞いてきた。
「どうしたんだよ、そんなに思いつめて」
登は軽く笑った。
「父さんが、戦争に出る」
「どうしてだよ?」
登は、思わず座り直した。事変発生後、国防隊では予備役隊員の召集が行われていた。だが、徴兵制は実施されていない。政府内で検討が始まったというニュースは流れていたが、それは世論の反応を確かめるための”観測気球”のようだった。
「お前の親父は警察官だろ」
豪太の父は警察官だということは、登も前に聞いたことがあった。
「父親が警官で、やたらと規則や生活態度にうるさいんだ」気弱な豪太は、そう言って首をすくめていた。
それが高校1年の春、豪太と初めて会った時の会話である。クラスのオリエンテーションを兼ねた自己紹介ゲーム(ゲームとしては酷い内容だった記憶がある)の時に、父親の職業を訊かれて、豪太は本当に困っていた。
ゲーム相手になった登がしきりに尋ねて、ようやく「警官」だと言った「それの何が悪いんだ?」と重ねて訊いた時、豪太は肩をすくめて、父親への愚痴をこぼした。上下関係でしか人間関係を理解できない”頭の固い親父”に悩まされる同志を見つけた。登は、そう共感していた。
それで自分の父が国防隊の将官であることを豪太に、最初に明らかにした(もちろん小学校時代からの幼馴染の景子は別だが)。
「お前の親父は、予備国防官でもないんだろ」
「ない」
「じゃあ、なんでだ?」
「留加地方の治安維持のため、多くの警察官を東京から送り出すことになって、……親父が選ばれたんだ」
「お前の親父は、……その、何というのか。どのぐらいの立場なんだ?」
「どのぐらい?」豪太が不安に染まった顔を上げて、じっと登の方を見つめた。
「なんか関係があるの?」
「なんとなく聞いてみようかと」
「巡査部長だよ。十字台署・赤尾二丁目交番勤務」
登は警察の階級には詳しくない。だが巡査部長という言葉の響きに、決して”階級が高いわけではない”ことを悟った。
「まあ、大丈夫だろう」口から出て来たのは正反対の言葉だった。今にもすがりつくような目で、豪太は言った。
「ホントに?」
登の心のどこかに、後ろめたさがやはりあった。
「ああ、大丈夫だ。それに1番危ない正面は、国防隊が担当するから、警官隊は後方の治安維持だろう。正面のドンパチに巻き込まれたりするようなことはないよ」
ふーというため息をしながら、豪太は太った体を大きく揺さぶった。そして太い指先をこすり合わせていた。
それが、登には”祈り”に見えた。
知ったかぶりをしたことの後ろめたさが、ますます登の中で募った。
HRを終えてから、部活へ行く景子を呼び止めた。
「景子……」
「豪太のこと?」
景子は、即座に答えた。それで登にも、豪太が景子にも相談をしていたことを知った。
「お父さんが戦場に行くとなったら、そりゃ誰でも怖いよね。私も昨日、lineで豪太から聞かされたとき、怖かった」
「後ろめたい……」
「何が?」
「クソ親父は、いつも安全な市ヶ谷で命令を下すだけ。俺の周りにいる人間は戦場に出たり、苦しんだりしているのに。それに俺は、何もできない」
「登のせいだと、誰も思ってないから……」
「なあ、景子。今日、お前の家に行っていいか?」
景子は慣れた様子であった。
「別にいいけど、なんで?」
「家に帰るのが嫌なんだ」
すべての事情を話す覚悟はなかったので、とりあえずそれだけを言った。
景子は即答した。
「いいよ。私、部活で遅くなるけど。お母さんには連絡しとく」
「サンキュー」
「ちょっとは、打ち解けなさいよ。今は、義母さんしかいないんだから」
景子には、登と義母がうまくいくことを望んでいる節がある。登は、そういう景子のお節介なところだけは、嫌いだった。
「余計なお世話だ……」
景子と別れた後、登はひっそりと毒を吐いた。
政府軍戦死者【229名】戦傷者【489名】
留加人民被害数:不明