表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
新事変―初瀬登のいちばん長い夏  作者: 居木井 丈晴
第1章 開戦
4/8

留加人の少女

 7月9日。

 ニュースでは、国防隊の攻勢が最終段階を迎えたと報じられていた。

 蒸し暑く、今日も熱帯夜になりそうだった。登は、制服のポロシャツをぱたぱたとはたいた。その手にじっとりと汗がみ出して来る。

 だが、家の前まで来て、体が思わず固まった。

 家の玄関前に、黒のセダンが停車していたからだ。コーナーポールに黄色のペナントが立てられているから、佐官さかんの公用車だ。誰が来たか、のぼるにはさっしがついた。今は、できれば来てほしくない相手だった。


「登君、久しぶりだね」

 登が、2階の部屋に入るのを阻止する格好かっこうで、はやし健作けんさく一佐が階段の前に立っていた。

 やっぱり、“林のおじさん”だった。

思わず、登は心の中でぼやいた。林は親父の副官だった。親父が十字台補給司令部付一佐としてくすぶっていた時からの部下で、親父とは公私のつきあいがある。もちろん登とも何度か会ったことがある。

「いそがしいところ、悪いけど。……ちょっといいかな。前に会った時は中学校3年生だったね。あのときは野球部にいて、ライトを担当していたね。今は高校2年生か。受験勉強の準備とかどうだい?」

「まあ、大丈夫です」

「確かに、僕も高校2年生の時は遊んでばっかりだったな。僕はサッカー部でね、なかなかの強豪校に入ったから、コーチも鬼で。でも、これが入隊後に役立ったもんだ」

 林一佐は、セールスマンのように物腰ものごしやわらかい。

 油断できないぞ、と登は心を引き締めた。林は兵庫県地方協力本部勤務(三佐)時代には志願兵のリクルートを担当していた。卓越たくえつした交渉術を武器に、リクルート数・日本一を叩き出して、国防大臣賞を授与されている。

「僕は入隊しません。親父から何と言われているかは知りませんが、決して、断じて……」

 当然ではないか。あんな汗臭くて、下ネタが蔓延まんえんする男社会など地獄である。誰が好き好んで選ぶか。

「分かってるよ。そのことではないんだ。紹介したい人がいるんだ」

林はリビングの扉を開けて、登を手招きした。

 ゆったりとしつらえられたリビングには、クリーム色のロングソファとオットマンが備えられている。義母と、そして17歳ぐらいの少女がいた。

 義母は青ざめた表情をして、ソファに座っていた。落ち着きなく、少女の顔を窺っている。少女は舞台役者のように、背筋をまっすぐ伸ばして立っている。胸に真っ白な札が下がっていた。留加人だとすぐにわかり、登の顔が強張った。


 2年前から、中村政権により「国民純化計画」が推進されている。「誇りある日本人」をスローガンに教育や政治の面から、戦後の「敗北主義」を一掃することを目指している。その過程でやり玉に挙げられたのが、留加人であった。極右政権である中村内閣は、「留加人」を「邪教を信奉する疑似日本人」と定義して、留加人に「白札」の装着を強制した。「白札」は留加人を示すマークであり、装着していなければ、警察による罰金刑が課せられた。最近では、留加人の公民権剝奪、投票権剝奪などの措置も検討中という噂が流れている。


 留加人るかじんとは、日本最北端の留加県で生まれ、住んでいる人々(約10万人)を指す。しかし本土とは全く異なる、独自の文化を育んできたことでも有名であった。さしずめ、北海道のアイヌや琉球王国に匹敵する人々である。

 とりわけ本土の文化と異なる点は、留加大社るかたいしゃを崇拝の対象とし、全留加人が信仰を軸に結束していることであった。留加大社は、天皇や人をまつる本土の国家神道とは異なり、「鏡の世」と呼ばれる異世界を神とし、超能力を持った巫女が予言や祈禱きとうを行う。


挿絵(By みてみん)



このため、本土からは常に異端と扱われ、レイシズム団体が行うヘイト・スピーチでは「留加人を殺せ」「皆殺し」と迫害されてきた。


 リビングにいる白札の少女を目にした時、片付けていなかった自分の部屋を改めて見た時のような嫌な気持ちで、登の胸はざわついた。

 林は、つとめて気楽な口調で、彼女の人物紹介を行った。


「登君。こちらは留加るかめぐみさんだ。統合幕僚長、つまり君の御父上の意向でこの子を引き取ることになった。これからは君のお世話や家のことを何でもやってくれる。よろしく頼む」

「なぜ?」敵の娘、という言葉が喉元のどもとまで達していた。

「詳しいことは防衛機密だから、お教えすることはできない。だが彼女は留加の名家出身の令嬢れいじょうで君に向いているだろうと幕僚長はおっしゃっている」

「いや、でも」

 林は厳しい目つきをして、顔を寄せた。

「統合幕僚長は書類を自宅に持ち帰ったりはされない。彼女から機密漏洩するようなことはまずない。だからその点は安心してくれ」

「そういうことではなくて」

「申し訳ないが、私はすぐに市ヶいちがやへ戻らないといけない。失礼する」 

 義母は言った。

「彼女には、あなたのとなりの空き部屋に寝てもらう予定です」

そして、林を見送るためにリビングから立ち去った。

 登と、少女の二人だけがリビングに残された。登は、そっと彼女の横顔をのぞいた。留加人特有の雪にみがかれたような白肌。顔は細面ほそおもてだ。聡明そうめいな感じを与える切れ長の瞳だが、目尻がり上がっている。登が覗き込んでいることを知ると、彼女は登の方に体を向け、丁重ていちょうなお辞儀じぎをした。

「留加めぐみと申します。何卒よろしくお願い申し上げます」

 その所作しょさは、実に上品であった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ