艦隊出撃、美味なる戦争
政府は先制攻撃と同時に、内戦を「留加事変」と呼称することを決定。野党、財界、マスコミに政府への協力を誓わせた。
4月17日
横須賀に集結・待機していた海上国防隊・第一護衛隊群の出撃準備が完了した。
第一護衛隊群旗艦・空母「いわみ」、空母「さつま」
ヘリ搭載護衛艦「やましろ」「ひえい」
最新鋭イージス護衛艦「ぶこう」「ばんだい」「あそ」
旧型ミサイル護衛艦「あきつかぜ」「やまかぜ」「うみかぜ」
汎用護衛艦「やまづき」「いそづき」「きりづき」「しまづき」「うらづき」「せとづき」
潜水艦「うずりゅう」「あましお」「たかしお」「なみしお」
補給艦も含めれば合計32隻の大艦隊であった。更に500名以上の水陸機動団(上陸専用部隊)を乗せた輸送艦「たっぴ」「むろと」などの姿もある。
午前10時、旗艦「いわみ」艦橋に備えられた信号灯が、発光した。モールス信号の長短のリズムで光が点滅し、それに各艦が応答。ほぼ同時に錨が巻き上げられ、各艦は微速で岸壁から離れ始めた。
どの艦のウィングでも、乗組員がせわしなく動いている。一部始終がテレビ中継されていた。たとえば護衛艦『ぶこう』では、以下のようなやり取りがカメラに収められた。
露天甲板に出た見張員が、双眼鏡を覗き込み、僚艦の動きを逐一報告する。
「僚艦『いわみ』が先行……本艦右200メートル、速力7ノット。第1バースを離れ、増速中。その後ろに『さつま』が続きます」
「ぶこう」航海長が、指令を下す。
「『さつま』の後に続く。両舷前進微速、黒20」
「了解、両舷前進微速、黒20」
黒20とは、スクリューの回転数を微調整して、やや速度を増すことを意味する。「ぶこう」はゆっくりと動きだしていた。日本刀のように研ぎ澄まされた軍艦の舳先が、緑色の海水を切り裂く。すると血が噴き出すように、白い航跡と泡が横に広がっていく。
航海長は双眼鏡を軽く目に当ててから、操艦の指揮を執った。
「取り舵20度」
操舵員が、ただちに命令を復唱する。
「とーりかーじ、20度!」
7000トンの艦体がゆっくり左へ、回り始めた。
舳先とマストを連ねて、艦隊が陣形を組んでいく。別れのあかしのように、マストに次々と旗が掲げられた。黒、黄、赤、青の三角形が交錯する鮮やかな旗。岸辺にいるマスコミの中で、女性レポーターが次のように絶叫した。
「視聴者の皆様。ご覧ください、全部の艦のマストにZ旗が掲げられました! 国防隊によりますと、これは1905年日本海海戦で、日本海軍がロシアバルチック艦隊を破ったときに掲げられた由緒ある旗とのことです!!」
4月23日。第一護衛隊群護衛の下、留加県最南端・南加海岸に水陸機動団が強襲上陸を敢行、大した抵抗もなく、上陸を果たした。
この頃から、民放の報道番組ではハッシュタグ付きで、以下のようなスローガンがあふれるようになった。
「#国防隊がんばれ」
「#がんばろう、日本」
「#負けるな、日本」
そして、国防隊に募金した女子高生の話がニュースの美談となった。また倒産寸前の中小企業が軍需生産の中心を担っていることが、「日本スゴイ」とバラエティ番組でもてはやされた。
中村総理大臣は「日本は、完勝し、再び、元の、日常が、戻って、来るでしょう」と原稿を丸読みした。また時折、首相会見では最高軍事責任者である親父が同席するようになった。
総理は、細かな知識を必要とする軍事的な説明については、しどろもどろになるのを恐れ、親父にやらせたのである。「初瀬 真之 国防隊統合幕僚長」というテロップ紹介の後、神妙な顔つきで、親父が戦況を説明した。
「現在、空母を中心とする第1護衛隊群による上陸支援活動、水陸機動団による上陸作戦が展開されております。上陸作戦においては迅速な火器・弾薬・糧食などの物資揚陸が重要となりますが、物資揚陸については昨日、100%を達成。橋頭保を留加県に築き上げました。また本日未明より、普通科第32連隊による残敵掃討作戦もあわせて展開中であります。国防隊では、防衛機密に支障が出ない範囲で、戦闘の映像などを公開することも検討中であります」
やがて動画サイトでも、政府から公開された戦闘シーンが多く出回った。
「89式小銃WW」
「89式は各国軍のものと比べて優秀な小銃であり、取り回しの良さが小柄な日本人にも向いている(Wikipediaのコピペ)」
「留加人皆殺し」
「留加人総貼り付け(磔のミス)」
不謹慎だからこそ、戦争は面白かった。深夜に背脂たっぷりのラーメンを食べるような背徳的な喜びがある。
4月30日。装備で優る国防隊が南加湊を制圧した。今では「テロリストの根拠地」と呼ばれる北都市を目指して、国防隊は北上を開始した。
詳細な情報は、機密保全の観点から公表されていなかった。だが、みんなは豊かに想像していた。政府軍間の「こちら普通科第32連隊第6中隊、左翼の敵を殲滅中、航空支援を願う」「司令部了解。航空支援を開始する」といった緊迫した無線通信、機関銃、迫撃砲、戦車などの兵器たちの精密な動き。そういった想像は、めったに食べられない御馳走のように美味だった。
6月30日には県庁所在地・北都市陥落。
北都市の中心地に建つテレビ塔・留加タワーに翻る日の丸。
北都市繁華街・「るかるの」を国防隊がパレードしていく。
ずんぐりとした10式戦車、両側に4個の車輪を装備した96式装輪装甲車、長大な砲身を誇る99式自走155㎜りゅう弾砲、そして銃剣付きの自動小銃を持ち、赤いスカーフも勇壮な普通科の行進。
多くの人々が街頭ビジョンの前に、群れた。全員と同じ”喜び”を共有したいという気持ちはSNSでも同じだった。
「#北都陥落」
「#戦勝」
といったハッシュタグが、軒並みトレンド入りした。戦勝の快感はスポーツよりも過激で、それゆえに麻薬だった。
スポーツはレフェリーやルールに雁字搦めにされる。だが戦争には両方とも存在しない。日本政府に言わせれば、事変はあくまで「暴徒鎮圧の為の治安出動であり、警察活動」なので、戦時国際法という“煩わしい”ものを気にする必要がなかった。そして、国際世論は自国の不況に気を取られて、日本のことに関心を払っている余裕はない。
全くの「自由」であった。そして、それが戦争の面白さであった。
国防隊戦死者【108名】戦傷者【305名】
留加人民被害数:不明