3月、日常は崩壊した
木枯らしが吹きつける3月。
午後2時半になって、ようやく陽射しが温かく回り始めていた。
「ただいま、お母さん」ドアを開けた景子が、まずそう言った。
「お帰り。テストどうだった?」
景子の母親が、顔を出した。
「まあまあ。登と豪太が来てる」
「そう。登ちゃん。お久しぶり」
初瀬 登は「おばさん、お邪魔します」と言って、敷居をまたいだ。
<初瀬登>
団地の玄関はとても狭い。景子の運動靴、よそ行きのサンダル、おばさんのサンダル、景子の父親愛用の靴べらなどが所狭しとある。景子がローファーを脱ぐと、もっと狭くなった。
登は自分のローファーを脱いで、整えると、すき間にそっと置いた。
「登、そういうところ偉いよね」と、それを見ていた景子が言った。
<吾妻景子>
「バカにしてんのか?」
「お父さんは、そういうところいい加減だから」
「オレは、クソ親父に、さんざん言われてるからな」
「軍隊式ね」
「そうだよ」
高校1年の学年末テストの最終日だった。テスト最終日はいつも学校は、13時に終わる。最終日の午後には、先生たちが全校生徒の答案を採点するため、授業も部活でも、生徒の面倒をみられないからである。
「おばさん、今日パートはないんですか?」
クラスメートの八島 豪太が聞いた。
「大丈夫よ、豪ちゃん」
景子の母親は週4日、スーパーのパートに入っている。
だが水曜日だけはお休み。この家には何度も来たことがある。だから、登はそのことを知っていた。
「あー、お腹減った。お母さん、何かない」
「外で食べて来なかったの?」
「お金かかるでしょ」
「そうね。あ、戸棚の中にカップラーメンがあるわよ」
キッチンの戸棚を開けた景子が、げんなりした。
「袋麺じゃん」
「同じでしょ」
「違うわ。作り方が。袋麺じゃ、お鍋使わないと」
そう言いつつ、鍋を取り出すと、景子は水を入れ始めた。
「登、豪太、手伝わないとメシなしだよ」
登は笑った。
「インスタント麺の何を手伝うって言うんだ。お鍋に麺を入れて、スープを入れればいいだけ」
「だから、それをセルフでやるんだよ」
「へいへい」しゃーねーな。そう思いつつ荷物を置くと、床に腰を下ろした。
豪太は、登よりも素直だった。
「うん、わかった。おばさん、洗面台借りてもいいですか。手洗いとかしないと」
「いいけど。コップいる?」
「いえ、手ですくえば、大丈夫です」
「景子、登ちゃん、手洗いした? インフルエンザ、まだ流行ってるのよ」
「いけね」
景子は、キッチンのシンクで、あわてて手を洗った。
最後にインスタント麺(みそ味)をセルフで作った登が、どんぶりをリビングまで
持って行った時、時計の針は午後2時45分を指していた。
「登、コップとお箸、そこに置いてあるから」
景子の家には、小学6年生の頃、何度も泊まったことがある。それ以来、青のくじらが描かれたマグカップが登専用、そしてキリンの描かれた黄色のお箸が、登の“マイ箸”となっている。
塗装がやや剥げている黄色いお箸を取り、ちぢれたインスタント麺をつつき始めた時、おばさんがテレビのスイッチを入れた。
豪太がみそラーメンを食べながら、「登、今度のテストは自信ある?」と聞いた。
湯気を吹きながら、「まあ数学とかは」と答えた。
「現代文は?」
「無意味さ、あんなモン」
勢いよく、インスタント麺をすすった。
「現代文なんかクソだ。作者でさえ答の分からんような聞き方をするんだから」
「それな」
豪太が同意した。
いつもの口癖で、登が「無意味さ」をもう1度繰り返そうとした。
そのとき、警報音が鳴った。
全員の視線がテレビに集中した。
「緊急速報 邦城留加県知事が県内主要道路・鉄道・空港の封鎖を宣言。政府関係者の無期限退去を求める」