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ZONES  作者: モリ・トーカ
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第八章

 その日の夜、倉田と中野は林の部屋に集まっていた。中央区の中でも飛び切り綺麗なマンションの一室で、警察庁内のどこかに集まらなかったのは、林が盗聴の可能性を持ち出したからだった。監視カメラを片っ端からジャックされたことを踏まえて、中央区の政府機関の中で安全な場所はないと考えたのだ。林の部屋にはモダンな家具が多数配置されていたが、あまり女性らしさは見られなかった。中野は大人びた女性の部屋だ、というだけで身体を丸めていた。


「想像以上の状況ね」


 ローテーブルの周りに座らせた二人のうち、倉田に缶ビールを、中野に麦茶を出しながら林はぼやいた。中野以外の二人はどちらも私服に戻っていて、それが余計に中野の肩身を狭くさせた。カップルの間に挟まれているみたいだ、と思う。


「あの後技術班にも連絡したけれど、カメラについては何の異常も見られなかったわ。明日からはもっと綿密なモニタリングをお願いしたけど、この調子じゃ多分何も尻尾は掴めないでしょうね」


 林は座ると淡々と話し続けたが、倉田は缶ビールを開けて飲みもせずに口を缶につけたまま何も言わなかった。引っかかっているのはハインリヒのことだったが、どうしても自分から口に出す気にはなれなかった。それでも、林は遠慮がない。渋っている倉田に大きなため息をつくと、父親って何よ、とぶっきらぼうに聞いた。倉田は林を鬱陶しそうに見た。


「知るかよ」

「父親を名乗ってるんでしょ? 何も知らないってわけないでしょうよ」

「知らねえんだよ。あれが父親だとしたら俺は初めて見たよ」

「でも似てましたよ」


 中野はうっかり口を挟んで、倉田に睨みつけられてすぐに後悔した。林はハインリヒを画像で確認できていなかったので、肩を落として額に手をやる。


「どこかから山縣を崩しにかかるんだとしたら、その仮面の男が最重要人物じゃないの? 話を聞いてるだけじゃそいつが実働部隊をまとめているように聞こえるんだけど」

「可能性は大いにあるけどな。とっ捕まえて尋問か? トカゲの尻尾切りになったらどうすんだよ」

「何もしないよりはマシじゃないかしら」


 林と倉田は目も合わせずに会話を続けた。林もビールの缶を開けていて、倉田より数段早いペースで飲んでいる。中野は少し心配になったが、ここは何も言わない方がいいのだろうと踏んで、黙って麦茶のグラスを両手で包んだまま倉田と林を交互に見やっていた。やはり居心地が悪い、と思った。


「中野くんはもう出動させないほうがいいんじゃない? 裏方に回すとか――」


 林がそう言いかけたところで、倉田が机の上に置いていたスマートフォンがブーッと震えた。画面が上になっていたので、三人ともすぐに内容は確認できた。警視庁内部で利用されている連絡用のアプリの通知で、「至急ご確認ください」とのメッセージが添えられていた。倉田が惰性でスマートフォンのロックを外して内容を確認すると、添付されていたのは動画のファイルだった。おもむろにファイルを開くと、数秒後にぱっと画面が切り替わり、動画の中には十三区隊の制服であるパーカを着た男性が震えて座っていた。倉田は驚いて目を見開くと、瞬時に判断して音量を最大にするとスマートフォンをローテーブルの上に置いた。


『所属をどうぞ』


 カメラの外に第三者がいるようだ。その声に、男性は「第十三区隊所属、オオヤマリュウジです」とやはり震える声で応える。倉田と林が眉根を寄せて似たような形相になったが、中野は何が何だか分からなかった。林が目を上げて倉田を見ると、倉田は何の躊躇いもなく目を合わせた。それでお互い、『オオヤマリュウジ』が実在する第十三区隊の隊員であることを知った。そして画面の中に、例の仮面の男――『ハインリヒ』――が姿を現す。そこで倉田は固まったが、林はここぞとばかりに身を乗り出して動画に食い入っていた。


『幸、それから中野くん。林さんもいらっしゃるのかな』


 ハインリヒはカメラに向かって語り掛ける。オオヤマリュウジは椅子に縛り付けられているらしく、ぶるぶると震えるほかは何の動きも見せなかった。林は自身の名前が呼ばれると、思わず辺りを見渡して監視カメラでもあるのかと確認する。確認したところで分かるような場所にはないと分かってはいたが、ぞっとする思いは隠せなかった。


『今日のことはまだ序の口だよ。隊員を失ったね。八重津光弘くんだ』


 倉田がぴくりと右目を引きつらせた。ハインリヒはゆったりとした口調で語り続けた。


『君はこれから、どんどん隊員たちを失っていくだろう。これは、中野くんのことだけじゃない。そう、決して彼だけを守ればよいという話ではない』


 中野は固唾を飲んで先行きを見守っていた。自分の名前が良く出るが、未だに何の現実感も沸いていなかった。人が一人死んだ、ということでさえ、いまいちはっきりと理解できていなかった。祖父が死んだのを見たことはあったが、それも小さい頃だ。ハインリヒはオオヤマリュウジの肩に手をかけると、カメラに向かって続けた。


『中野くんを守るために出動させないという手もあるだろう。その場合、こちらの彼の命がなくなるとしたら、幸、君はどうするかな』


 ハインリヒはゆっくりと持っていたハンドガンを上げた。オオヤマリュウジの側頭部に銃口を向け、オオヤマリュウジは一気に青ざめるが、口をぱくぱくさせるばかりで一向に何の言葉も出てこない。ハインリヒはふふ、と乾いた笑い声を上げた。


『彼の代わりはいくらでもいるんだよ』


 ハインリヒは言う。倉田は行き場のない怒りで顔を真っ赤にしていたが、林は冷静だった。なんとかその定点カメラの映像から場所を割り出すヒントがないかを探してみるが、何の変哲もない暗い部屋だ。そんなものはこの東京のどこにでも存在していた。


『君が中野くんを出動させない日があれば、隊員が一人必ず死ぬと覚えていて欲しい』


 ハインリヒはハンドガンのセーフティを外す。


『そしてこれは、見せしめだ』




 パン、という音がして、オオヤマリュウジの側頭部が撃ち抜かれる。




 林が思わず口を覆った。オオヤマリュウジの頭がだらりと垂れ下がり、重力でずるりと少し椅子から落ちたようにも見えた。中野はただただ唖然としていた。映画を観ているようだ、と思っていた。倉田はといえば、瞳孔の開いた目で硬直するばかりだった。


『本気であることを知ってもらわねばいけないからね。では、また明日』


 動画はそこで終わっていた。三人とも何も言えなかった。誰もスマートフォンを触ろうとはしなかったので、画面は勝手に暗転し、三人の顔が画面に反射していた。林は弾かれたように立ち上がって部屋中を歩き回り、観葉植物やテレビの裏、積んであった雑誌の山などを崩すと、監視カメラの存在を探そうとした。見つかると思ってやっているわけではなかった。何かしていないと頭がおかしくなると思ったのだ。


「こんなこと」


 そのうち林がヒステリックな声で叫ぶ。


「こんなこと、いくら警察庁の長官だからって。奥さんが死んだから? それでなの?」


 倉田は動かずに、真っ暗なスマートフォンの画面を見つめていた。


「わたしだって大切な人を失ったの!」


 林が立ったまま叫ぶと、倉田がびくりと跳ねた。中野が見ると、林は怒りか悲しみか、涙目になっていた。中野は慌ててティッシュを探して馬鹿みたいにそれを差し出そうとしたが、林は倉田を見ていた。


「わたしだって憎かったわよ、あんたのこと。だからってこんなことしていいわけないじゃない」


 林は倉田の正面に回って両肩を掴んで、表情の無くなった倉田を揺する。


「しっかりして、どうにかしてよ」


 林は叫ぶ。


「またすべてを失いたいの?」


 倉田は真っ白な顔で林を見るばかりだった。


 そんなことはないと、口を動かす気力もなくなっていた。

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