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ZONES  作者: モリ・トーカ
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第七章

 倉田が自身について知り得ていることは、自身が第十三区の出身であること、倉田という苗字だということ、それから、父親はハインリヒという名のドイツ系の移民であると、そしてそれが理由となって、両親が何かの罪で逮捕されたということくらいだった。当時生後一歳にも満たない倉田は中央区の施設に入れられ、小学校から高等学校までは出身区である第十三区に通学していたが、一日のほとんどは中央区で過ごしていた。小学校に上がるまで倉田に名前はなかったが、入学に当たって名前を決めるように言われたとき、施設で見た目や生い立ちを理由にいじめられていた倉田はほとんど自嘲気味にひとつの漢字を上げた。『幸』。きっと自分が得られないだろうと思うこと。警察学校に入ったのは惰性だった。親が逮捕された理由が知りたかった、とか、そのための意趣返し、とかそういう気持ちは一切なく、ただ単に施設に勧められたのだ。頭は悪くない。身体能力はそれなりにある。だが確実に官僚は向いていなかったし、ならば警察になればよい、と言われた。


 だから倉田は父親の顔など知り得なかったが、マスクの男の風貌はどこか自身に似ていた。ブロンドとは言い難い金髪に、自分ほどではないが明るくはない青い目。通った鼻筋も、どこか華奢で小柄なところも、彼が倉田の父親であるといって納得しない者は恐らくいなかった。中野はマスクの男と固まった倉田を交互に見ると、お父さんですか、と間抜けに聞いた。倉田は当然答えなかった。


『ちょっと中野くん、何が起きてるの』


 倉田からの応答を得られなくなった林はぎゃんぎゃんと叫んでいた。中野は思い出したようにヘッドセットを押さえて、ぼ、僕もよく分からないんですが、とどもった。


「このブロックにもたくさん人がいます。あと、なんか、仮面の男の人が」

『また監視カメラをジャックされてるっていうの? 仮面って何よ?』

「わかりません、倉田隊長のお父さんだとか」

『ハァ?』


 林は要領を得ずに呆れた声を出す。倉田は『ハインリヒ』を名乗るマスクの男を睨んだまま、山縣の手先だな、とスピーカーに語り掛けた。


「…暗殺者が雇い主の情報を述べると思うかね」


 ハインリヒは親が子供を見るように微笑んで、優しく言った。倉田はものすごい形相でハインリヒを睨むばかりで、応答もまたとげとげしいものだった。


「思わないね。その自信じゃ、そう簡単に繋がりが証明できるわけでもないんだろ」

「その通り。今は幸という名前なのかな。彼が自身の目の前で殺されるのを見るのと、大人しく受け渡して処分される様を見なくて済むのと、どちらが良いかな」

「その問いは三択だ。中野は殺させない」


 倉田はそう吐き捨てると、車をバックに入れてお構いなしに車を後ろ向きに発進させた。背後の群衆が左右に慌てて割れたものの、逃げ切れなかった人間たちのうぎゃあ、とかキャア、とかいう声が上がる。中野はすっかり青ざめて、ギアに手をかけていた倉田の腕にすがってやめてくださいと叫んだが、倉田は路地をバックで抜け切ると元来た大通りを走ってガレージに向かった。このままでは話にならない。そのまま大通りを駆け抜けると、突然ドシンと車体が揺れる。ダン、という音が三度ほどして、それが銃声であると中野が気づいたときには一発はリアガラスに当たっていた。防弾とはいえ、小さなヒビが見える。残りの二発は車のタイヤを正確に撃ち抜いていて、倉田はドリフトするような形で車を停めた。ガレージまではあと五十メートルほどある。


「お前、実弾射撃は何点だった?」


 倉田はすぐ後ろに積んであったサブマシンガンを中野に押し付け、ヘッドセットを取り返しながら聞いた。中野は満点です、とサブマシンガンを逆様に持ったまま裏返った声で言う。上出来だ、と倉田はつぶやいて、自身の分のサブマシンガンを持って運転席のドアを蹴り開けた。


「五十メートル走は?」

「六秒台です」

「後ろは任せろ、お前はそのままガレージまで走れ。動くものは全部撃て」


 車の前を回って慌てたまま何もできていない中野の助手席のドアを開くと、倉田は中野を車から引っ張り出してガレージの方へ押した。さらに銃弾が飛んで、また車に命中する。倉田はヘッドセットをつけ直して林に叫んだ。


「車は捨てた。走るぞ」

『大通りの監視カメラは動いてる。でもスナイパーがどこにいるのかは分からない』

「他に敵は」

『見える限りではいないわ。でも多分、狙ってくるなら上からよ』

「ガレージを開けるように言え。全部は開けさせるな」


 振り返ると中野は一ミリも動いていない。


「バカかお前、命令だ、走れ!」


 倉田が大声を出すと、中野は弾かれたように走り出す。その背後を後ろ向きに倉田はついていくが、車に当たった銃弾の角度から逆算しても、そこに人影はない。結局その後も何度か別々の場所から銃弾が飛んでくるのが分かったが、いずれも最初の銃撃ほど正確性はなく、地面やら他の建物やらに当たるばかりだった。威嚇射撃のために幾度か周りに発砲するが、林の言う通り地上には誰もいないようだ。中野が倉田を大幅に引き離してガレージに着くと、ガレージのシャッターが徐々に開き始める。例によってそこを定住地としていた乞食やホームレスの類が中野に群がろうとしたが、それは既に配置されていたペアたちが押し返していた。シャッターが五十センチほど空いたところで、ガレージに辿り着いた倉田がようやく振り返ると、パァン、という音と共にホームレスたちを抑えていたペアの一人の頭が飛ぶ。それを皮切りに群れが中野を捕まえようとしたが、倉田は隊員が倒れていく様をスローモーションで眺めながらも、中野のパーカのフードを引っ張ってガレージのシャッターを潜り、中野を引き込んだ。続けて隊員たちが同じように滑り込み、シャッターが閉められる。最後まで何人かがガレージのシャッターの隙間から手を伸ばしていた。シャッターが完全に閉まったとき、倉田と中野を含める五人の隊員たちは全員肩で息をしていた。中野ともう一人は腰を抜かしていた。


「誰がやられた?」

「八重津です」


 顔を上げた倉田の第一声に、腰を抜かしていた中野ではないほうが言った。倉田はサブマシンガンを床に叩きつけようとして思いとどまり、中野や隊員たちを置いて詰所に入ると、そのまま歩みを止めずに詰所を通過し、走るわけでもなくつかつかと歩いて中央区のオペレータ室を目指す。林はといえば、混沌とした状況に頭を抱えるばかりで、林がこの件に関して部下としてサポートに入れていた新城七子はそれを心配そうに眺めていた。新城は体躯の小さな、マスコットキャラクターのようなサイズ感の女性で、まだ十六歳だと言われても納得できるような見た目である。新城は林を心配しながらもてきぱきと監視カメラの画像を切り替えて、やっぱりおかしいです、と甲高い声を上げた。


「カメラは全部元に戻ってますよ。ほら」


 林がその声にカメラを見ると、至るところで集団が暴れているのが分かる。先ほどまで何もなかった3Aブロックの画像も同様だ。恐らく倉田と中野が出くわしたのであろう集団が映っていた。林は舌打ちをして、技術室に電話をかけようと受話器に手をかけたが、ほとんど同時にオペレータルームのドアがバンと開き、血相を変えた倉田が入室した。


「部下が一人やられた」

「嘘でしょ」

「嘘なんかつくか」


 倉田が大声で怒鳴り、林はその眼をしっかりと見据えていたが、新城は顔を伏せていた。


「あの暴動のときだって監視カメラのジャックはなかったのよ。ただの一度も」


 林も負けじと大声で返す。倉田は頭を掻き回して声にならない声を上げると、手近な椅子を引き寄せてどしんとそこに座る。


 被害者は中野だけでは済まないのだ。


 八重津と呼ばれた顔もろくに思い出せない隊員のことを思って、倉田は自分のブーツを見つめた。

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