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ZONES  作者: モリ・トーカ
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第四章

 中野純平は緊張した面持ちで、中央区にある警察庁内のある一部屋にいた。今日から中野は第十三区隊に配属されることが決まっていた。配属が決定するとき、直に山縣に面会を受けた。警察学校で披露してきた身体能力の高さをべた褒めされると、自分こそ千年に一人の逸材であり、だからこそ最も治安の悪い地域でその力を発揮してほしいと伝えられた。中野は友人内でも馬鹿がつくほど純粋で有名だったので、その言葉は額縁通りに受け取っていた。両親にもその通り報告すると、二人は息子の勤務地を聞いて驚き、何かの間違いではないのかと何度も中野を問い詰めた。それでも結局どちらもその異様な状況にそこまでの疑問は抱いていなかった。自分たちの息子は、警察庁の長官のお墨付きをもらえるほど優秀なのだと思った。第十三区の実情を、中野家の人々は誰もあまりよく知らなかったし、中流階級の家庭ではそれが普通でもあった。第十三区に関するニュースには、一部報道規制と検閲があった。先日のデモのように、都民が過激派組織に対して反感を抱くようなことは放送が許されていたが、逆に第十三区の移民たちに憐憫の念を抱くようなことは報道されることがなかったのだ。中野はパイプ椅子に座って、粗末で小さな部屋――会議室なのか、ホワイトボードが置いてあった――で背筋を伸ばして両手を拳にして両膝の上に置いていた。ノックの後に、ノックした意味があるのかどうかも分からないほどさっさと入ってきたのは倉田だった。中野は慌てて飛び上がって、踵を鳴らすと敬礼した。倉田の存在は知っていた。たまにニュースでも見かけることのある顔だ。金髪に、色が深くて分かりにくいもののしっかりと青い目をした、外国人のような男だった。ただ、ニュースでは分からなかったが、図体のでかい中野に比べて、倉田はとにかく小柄だった。倉田は中野の敬礼を一瞥すると、右手を上げて休むように伝えた。


「座れよ」


 倉田はぶっきらぼうに言う。中野は言われた通りにパイプ椅子に座ると、先ほどと全く同じ姿勢になって次の言葉を待った。倉田は乱雑に向かい合ったパイプ椅子を引くとテーブルに対して横向きに座る。足を組み、持っていた書類をテーブルに投げ出すと、腕を組んで中野を品定めするようにじろじろと見た。中野はただただ困惑するだけであった。


「お前、この状況がおかしいと思わないのか」

「名誉であると思います」


 倉田の言葉に中野は反射的に大きな声で答えた。倉田はその言葉に呆れかえって目を回す。それからテーブルに身を乗り出すと、中野を睨んで倉田は簡潔に伝えるぞ、と始めた。


「警察庁の中に、お前を事故に見せかけて殺そうとしている奴らがいる」


 倉田が言うと、中野ははぁ、と間抜けな声をだした。大きな目を見開いたまま、まったく状況を掴めていない。倉田は大きなため息をついたが、説明だけはするべきだと思っていた。それにしても筆記試験に落ちた理由も分かるような、悪く言えば愚鈍そうな男である。倉田は中野をじっと見た。


「理解できなくてもいいからこれだけ聞いとけ。恐らくお前は勤務中に何度か死にかけるような思いをする。お前に課せられた任務は第十三区の治安維持じゃない、自分の命を守ることだ」


 中野は再びはぁ、と返事をする。話が通じない。倉田は右手でがさつに頭を掻くと、頭を抱えたくなったがすんでのところで何とか踏みとどまった。中野は目を白黒させるばかりだった。何もかもが現実味を帯びていなかった。


「…死んだら殺すからな」


 倉田は結局それだけ言って席を立つと、中野についてくるように顎で命じて部屋を出た。中野はがたりと弾かれるように席を立って、その後をついていこうとする。倉田が寄ったのはオペレータ室で、中野はその開放感溢れる大きな部屋に入ると、わぁ、と感嘆の声を漏らした。漫画で見たみたいだ、と思う。林はちょうどオペレータ室の全貌を見渡せる二階の総合司令部にいて、倉田の姿を認めると続いて中野の存在に気づき、口早に何か部下に指示をしてヘッドセットを取り外すとこちらに歩み寄った。倉田は無言だったが、林は黙ってその後ろをついていく。中野はその間、林の美貌に驚嘆するばかりで、相変わらず事態の深刻さに気づいてはいなかった。人のいない会議室を適当に選んで中に入り、林が最後に入室して後ろ手にドアを閉める。林はドアを閉めると、先ほどの倉田のように腕組みをして中野を観察した。


「これが例の『彼』ってわけ?」


 林はあくまでも平和そうな顔つきの男を見て、信じられないといった口調で言う。倉田は頷いて、しかも馬鹿ときた、と付け加えた。中野はそれに異論がなかったので、特に何も言うことはなかったし、傷つくこともなかった。


「編成を変えようと思うんだ」


 倉田は林に向かってだけ言った。林は神妙な顔で話に聞き入っている。


「例外を作って欲しい。俺の隊でも中野は俺と固定でペアを組むつもりだから、バックアップはお前に頼みたい」

「できない相談じゃないわね。いいわよ」


 林は腕を組んだまま、倉田の話を二つ返事で了承した。通常、十三区隊におけるペアはローテーションで組まれるため、固定である隊員が別の隊員と必ず行動するといった規則はない。オペレータの配属も同様で、その日ごとに違ったオペレータが各ペアの任務を手助けする。逆に言えば固定でペアを組んではいけないという規則はなく、そのローテーションの組み方は各部隊の隊長に任されていた。倉田も何名か、相性の良い人間を組みわせた固定ペアを作ったことがあったが、自身が同じ隊員と必ず行動することはなかった。ましてや固定のオペレータを持つことは前代未聞だった。


「中野くん、だったかしら」


 林が中野に向き直ってその名前を呼ぶと、中野はひゃい、とか妙な声を出して恐る恐る林を見る。林はアイラインで余計にきつくなった目元を中野に向け、どういうことだか分からないでしょうけど、と困ったように言った。


「あなたがどう思おうと、今のあなたはものすごく特別な人間よ。VIP扱いだと思ってもらったら話が早いわ」

「僕がですか」

「そう。それだけあなたには価値がある。それを覚えておいてほしいの」


 倉田は林の話を聞きながら、その方が確かに分かりやすそうだ、と心の中で思った。中野は依然として腑に落ちない顔をしていたが、林はそのうち分かるわ、と困ったような表情のまま少しだけ笑ってみせた。


「勝負をしていると思って。あなたが死んだら、わたしたちが負ける勝負を」


 それでも死に対する現実的な恐怖が中野の心のうちに浮かぶことはない。やはりはぁ、と気の抜けた返事を返すしかない。林も早々に諦めて、中野から視線を逸らすと今度は倉田にきつい眼差しを向けた。倉田は中野に目をやると、お前は今日は帰っていい、と短く言う。中野はその言葉に再び踵を鳴らして敬礼すると、そそくさと部屋を出て大きく深呼吸した。なんだかわからないが、とにかくすごいことが起こっているようだ、とは思った。少なくとも、十三区隊の総隊長と行動できるなど、中野にとっては栄誉以外の何物でもない。中野は少しだけスキップしたくなる気持ちを抑えながらオペレータ室を後にしたが、残された倉田と林は酷い顔になっていた。


「山縣もあんなのよく探してきたわね」

「だろ」


 倉田はテーブルに腰かけて、行儀悪く足を椅子の上に置く。林も近くの椅子に座ったが腕は組んだままだった。


「もうどうあがいたって決断は覆らない」


 倉田は確かめるように言って唇を噛む。そこでようやく項垂れて、身体を折って膝に頭をつけた。だらりと力なく垂らされた手が小刻みに震えているのを、林は眺めていた。


「あとは俺の覚悟だけだ」

「ちょっと、仲間外れにしないでよ。わたしだって関係あるんだから」


 林は精一杯明るい口調で言ってみせたが、今にも泣き出したいのは恐らく倉田と同じだった。


 二人の心の中で、七年前の暴動がフラッシュバックしようとしていた。


 もう誰も失うことはできない、と二人とも思っていた。

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