第三十章
山縣もまた、自室でテレビを観ていた。
テレビの中に映っていたのは混沌だった。自身が動かしてきた駒が、なぜか争い始めていた。レポーターは甲高く震えた声で、戸惑ったように次から次へと見えるものを解説していた。時たま画面が真っ黒な何かに切り替わり、ぼかされたスクリーンの中で山縣のよく知る映像が流れていた。動画が流出した原因は分かっている。問題は、なぜこれがテレビで放送されているかということだ。テレビ局は政府の検閲を受けていない番組を放映することはできない。放映してしまえば、放映を担当した人間は社会的に抹殺されるし、そもそもテレビ局内には番組の勝手な放送を妨げる部署が存在する。ひとつだけ山縣に想像できたのは、その部署が何らかの武力によって制御されている、ということだった。ならばAXENの仕業に間違いないが、過去数日に渡る鎮圧の成果は上がっている。現状、誰かがAXENを組織して動かすことは不可能だと思っていた。それでも、と山縣は歯ぎしりをした。このテレビ放送を政府が今更弾圧しようとしたところで、それは世論に大きな影響をもたらすことになる。政府は都民に嘘をつき続けていた。その嘘は露呈した。民衆が状況を知ってしまった今、彼らの反政府感情は高まっている。今更どうにかなることではない。
山縣がバンと大きな音を立てて机を叩くと、さすがの根津も驚いてびくりとした。山縣はしばらく俯いていたが、そのままゆっくりと憎しみに満ちた顔を根津に向け、「全てお前のせいだ」とどすの利いた声で言い放つ。根津は何も言い返せなかった。テレビ局は、綾瀬が最後に録音した音声も流していた。この計画に風穴を開けたのは自分だった。山縣はしばらく根津を睨めつけると、そのうちに背筋を伸ばしてつかつかと根津に歩み寄る。その気迫に根津は少し仰け反ったが、山縣は構わずに根津に顔を近づけて唸った。
「どんな手を使ってでもいい。倉田を殺せ」
ここまで来てしまえば、自身の失脚は時間の問題である。それよりも前に、真の目的を果たさなくてはならない。倉田サチなど、最早眼中にはなかった。最終的な敵は、倉田幸ただ一人に他ならなかった。山縣は凄むとデスクに戻ろうとしたが、一向に動かない根津を再び振り返ると、憤怒の表情で「とっとと出ていけ!」と怒鳴る。根津は慌てて部屋を出るしかなかった。とにかく、自分が利用できる人間をかき集めなくてはならない。十三区隊の人間でも、移民でもいい。誰か、誰か倉田を殺せる人間を集める必要がある。
根津が早足でオペレータ室に向かう道すがら、廊下に立っていたのは林だった。いつもはきちんと巻かれている茶髪もパーマが取れかかっていて、何よりもメイクはしておらず、普段より幼く見える。それでもしっかりと着込んだスーツにピンヒールは変わっておらず、それが林であると根津が認識するのには十分だった。林は根津を待ち構えていたように、そして根津に立ちはだかるように廊下の真ん中で仁王立ちをすると、腕を組んで根津を睨みつけた。
「この件からは降ろさせてもらうわ」
林は高らかと言い放つ。どういう意味だ、と根津が低い声で問うと、林は「そのままの意味よ」と高圧的に続けた。
「もうこんな茶番に付き合ってられない。解雇したいならすればいい。わたしはあの人たちのところに戻る」
『あの人たち』が倉田たちのことである、と理解するのにそう時間はかからなかった。根津に、林を止める術はもう残っていない。むしろ、今は彼女を人質に取ることに心血を注いでいる場合ではないのだ。一瞬、彼女をこの場で殺してしまおうかとも思った。彼女がいかに倉田と親しい関係であるかは分かっていたし、倉田に打撃を与えるにはちょうどいい存在であるようにも思えたからだ。とはいえ、山縣の目的はもう倉田を苦しめることにはなかった。彼は、あの忌々しい倉田自身を排除してしまいたいのだ。根津が黙っていると、林はこつこつとピンヒールで音を立てながらオペレータ室の方へと踵を返した。
「十三区隊は、返してもらう」
林は振り向きざまにはっきりとした口調で告げる。根津を、耐え難い絶望感が襲った。チェスの駒が、ひとつずつ確実に自分を追い込んでいた。
オペレータ室に戻った林は、すぐに新城のもとに駆けつけた。新城は林を見るなりぱっと顔を明るくすると、ヘッドセットを慌てて取って林に押し付ける。「大変なことになってるんです」と怯える新城をなだめながら、ヘッドセットをかけると『何が起きてるの』と口を開く。状況が飲み込めていないのは倉田たちも同様だったようで、倉田は『わからない。突然仲間割れしだしたんだ』と珍しく甲高い声で答えた。それからしばらく無言の状況が続き、林は何度ももしもし、と声をかけたが、なんの返事もない。テレビを観てもそこには混沌とした状況が映されているだけで、たっぷり五分ほど過ぎた頃に、ようやく倉田が再び応答した。
『移民の中にあの女の息のかかった奴らがいるらしい』
それでようやく、林も先程までの沈黙の理由を知る。心配そうに状況を見守る新城をよそに、林はヘッドセットのマイク部分をつまむと「じゃあ逃げることは出来るのね?」と念を押した。
『ああ。お前はどうなんだ』
「根津には唾を吐いてきたわよ。十三区隊の指揮権限をあんたに返す。あとは首尾よくやって」
林は強く言うと、一息おいてから告げる。
「サポートは任せなさい」
その言葉を聞いた倉田は、即座に車に備え付けられていた無線を手に取った。周波数を十三区隊全隊に合わせ、宣言する。
「これまでの命令をすべて破棄する。全隊、現状の任務を中断しろ」
テレビ局では、デスクに座った倉田サチの周りにぽつりぽつりと人影が集まる。テレビ局の乗っ取りを、サチは一人で成し遂げたわけではなかった。いくらAXENの誰もが信用できなくなっていたとはいえ、サチは計画をAXENの残党に伝えると、仲間を募ってすぐに行動に移した。リークされる前に計画を遂行してしまえば、誰かが裏切っていたとしても問題はない。山縣の買収した移民の中に、AXENの仲間たちを紛れ込ませるのも同様だった。裏切り者の数のほうが、AXENに忠誠を誓っている人間たちより絶対に多い、というのはサチの中の賭けでもあった。自分たちは家族だ、とAXENは繰り返してきた。サチは自分の周りに集まったメンバーの顔をひとつひとつ確かめながら、心の声を口に出した。
「アタシたちは家族だ」
サチは言う。メンバーたちは深刻そうな顔でサチを見守っていた。
「こんなことに負けてなんかいられない。あの十一月十五日を、もう一度繰り返さなくちゃいけない」
今は二度とない好機だった。警察庁の長官は失脚しかけている。十三区隊にはコネがある。中央区への侵入経路も確保している。あとはただ、バラバラになった組織をもう一度束ねて動かすだけだ。そしてそれは、エミールを含める懐かしい面々が倒れた今、サチの仕事になっていた。
「もう二度と失敗なんかしない。今度こそアタシたちは、アタシたちがずっと望んできたものを勝ち取るんだ」
サチはデスクから飛び降りると、ぐるりとメンバーを見渡して言う。そしてサチは放送を担当している職員に近寄ると、銃をちらつかせた。職員は怯えきって両手を上げたが、サチは「殺しはしないよ」とにやりと笑う。
「ただちょっと、おたくの機材を貸してもらうだけだよ」
AXENを、立て直すために。




